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 音股に限った話ではないが、都会は不眠症にかかっている。


 冬次郎からすれば、哀れな限りだ。夜になってもカネが稼げるから夜は寝ないだなんて。


 紐でつながったヤ、キ、ト、リの提灯の下をくぐり、雛壇状の街路を上がる。


 店や家屋が連なった先に鳥居があり、天神鳥居の先には木造平屋の大きな建物がある。よく見れば、鳥居にキリストの磔刑像が釘で打ち止めてあった。かつて隠れキリシタンだった神主が、現在は孤児院を運営している。


 手水舎で口をゆすいで、「いるかい? パードレ?」と呼びかけると、


「ああ。裏手だよ。冬次郎くん」


 そう返事がきたので、子どもたちがいる翼舎をまわり込むと、崩れかけた石垣のそばでパードレが火をつけた大きな壺の面倒を見ていた。


「久しいぶりだね。冬次郎くん」


「猫又の長老から、おれに会いたがってるってきいたから来たんだけど……なにしてるの?」


 キリスト教の一派には、とにかく痛い目に遭えば、キリストに近づけると思い込んで熱したヤットコで自分の体をちぎるものたちがいることをきいたことがある、というより、他でもない、このパードレからきいたのだ。パードレの宗派はもとはカトリックだったが、江戸時代に何百年と隠れキリシタンであったせいで、ちょっと教条が独特なものになっている。


 パードレは脚立を使って、火ばさみで黒い焦げたものをひとつ、放り出した。 


「サツマイモだよ」


「真っ黒焦げだけど?」


「皮を剥いたら、中身は夕暮れみたいにきれいだよ」


 軍手をして、手から手へと熱々のイモを放りながら皮をむくと、パードレの言った通り、きれいな黄色い蜜たっぷりの中身がご開陳した。


「子どもたちがまだ寝そうにないから、ちょっとお腹をいっぱいにしてあげようと思ってね」


 子どもたちは本質を見抜く目を持っている。その目を通して見た冬次郎は蹴とばしてもいい人間として映っていた。


「こら、やめなさい」


 パードレがしかる。


「いいんだよ。おれ、最近、嗜虐趣味に目覚めてきたから」


 それから子どもたちはパードレに冬次郎を蹴飛ばす許可を求めたが、却下され続けた。そのうち、公定価格を破るみたいにヤミで蹴飛ばすようになり、パードレは予定より一時間はやく消灯した。


 子どもたちが眠ると、パードレは台所の小上がりで畳の上であぐらをかき、煙草をつけた。パードレは子どもの前では絶対に吸わない。ただ、殺し屋が標的を待つとなると、時間つぶしに吸わずにはいられないので、やめることができない。


「最近は殺す人数を減らしても、何とか孤児院を運営できるようになりました」


 世人はこの朗らかな男性が今月だけで八人を射殺しているとは夢にも思わない。だが、注意深く観察していれば、神父のズボンのすそからコルトの挿弾子クリップが五つ、足首のすぐ上に巻いてあるのが分かる。


 右の頬をぶたれたら、左の銃で撃つ。

 しかも、この微笑みのまま、撃つ。


「以前、水場の怪異を祓う手伝いをしてくださったとき、枕を差し上げるお約束をしていたでしょう? それが出来上がりました」


 神父の孤児院運営を円滑に進められる秘密がこの枕。これを使うと子どもたちがよく寝つく。


 大昔の孤児院は特にうるさい子どもにアヘンチンキを飲ませて、寝つかせて、いつの間にか中毒症状を見せていたというが、それはアヘンが取り締まり対象でなかったころの話。


「おー、すげー手触り。はやくこれ使って寝たいけど、バケモノを斬ったから」


「何時にです?」


「午後三時。あと十八時間以上は寝れない」


「お気の毒に」


「最近、音股に変わったことは?」


采田組うねだぐみが妙な動きを見せています」


「クスリ売るのをやめたの?」


「いえ。いまだに売っています。射殺した八人のうち、ふたりは子どもにヒロポンを売ろうとした采田組の組員ですよ。妙な動きというのは、彼らが探し物をしているようなのです。だいたい一か月くらい前からでしょうか」


 確かに妙だ。采田組が人を探すとしたら、彼らの売り物をちょろまかした売人だ。三日と逃げきれず、コンクリートの靴を履き、外濠に沈む。

 ところが、今回の逃げ人は一か月近く、見つからない。


「その探しものだけど、まだ子どもの男女で、男のほうがトランクみたいなもんを持ってたりしない」


「そういう噂ですな」


 あー、厄介度がぐんと上がった。


 ヤクザというのは、ザッとふたつに分けられる。

 博徒ばくと神農テキヤ

 このふたつがそれぞれの領分を侵さないように悪さをしている。


 ところが、いま、会話に昇っている采田組はこのどちらでもない。連中の専門は麻薬ポンだ。


 ヒロポンはかなり儲かるらしく、采田組はカネに物を言わせて短期間に成り上がり、既存のヤクザに挑み始めている。組員もポン中らしく、すぐに銃を撃ち、人を殺す。我慢というものを知らない。


 依頼人の二匹の子猫はそんな連中と一か月、音股でかくれんぼをしている。

 外に逃げればいいのに逃げないということは、音股でどうしてもしなければならないことがあるということだ。


 ひょっとして、幻視のなかの祠が関係してるのかな? 冬次郎はいろいろ失敗はしでかしたが、それなりの洞察力はある。家賃滞納中、どんぐりの転がり方から大家の出現を的中させた男は一味違うのだ。


「なあ、神父さま。おれも、そのふたりだけ二匹だか――いや、もうふたりで確定だけど、とにかく、そいつらを探してる。依頼があってのことだけど、なんか、今度のことはきな臭いっていうか、焦げ臭いっていうか――」


 焦げ臭いと言うと、神父はハッとして、部屋を飛び出し、オーブンから明日食べようと思っていたクッキーを取り出したが、みんな炭になっていた。


「割って甘いというわけにはいきませんね。子どもたちががっかりするでしょうね」


「あー。麩菓子でも買いにいく?」


「明日、買いに行きます。ツテがあるので。ところで、冬次郎さん。あなたが探しているふたりですが、依頼人にどんな疑いを持っているのですか?」


「勘だけど、何かに利用するつもりらしい。そいつらのことを話してるときの顔がさ、また、きれいに微笑んでやがるの。そんな顔するやつが子どもに優しいわけがない。――あ、もちろん、あんたは例外だよ。パードレ」


「それはどうも。子どもたちの笑顔がいまのわたしの生きがいで使命です。それであなたは、その怪しげな依頼人と采田組が探しているふたりを見つけたら、どうするつもりですか?」


「どうするって言ってもな。ただ、ひとつ、考えていることがある」


「なんです?」


「子どもってのは、思ったより大人のことはよく見ている。子どもを虐げる大人、それを見て見ぬふりする大人のことは特に」


「それをきいて安心しました」


「まだ安心するのははやいって。おれがどれだけヘタレた人間か、あんた、知ってるでしょ?」


「ええ。あなたが本当は善人であることも知っています」


「なんか、かゆくなってきた」


「善の証です」


「ヒロポン切れた連中も体全体がかゆいって狂ってるけど」


「善の証です」

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