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 煙突とビルディングが空に噛みつこうと首を伸ばし、気球と飛行機械にもつまみ食いをされている。


 以前、誰かになぜ猫探しをするのかたずねられて、こうこたえたことがあった。


「おれが猫を探すのは、もちろん能力が利用できるってのもあるし、カネになるのもあるけど、なにより、この世の猫が全部幸せになればいいって本願があるわけ。だから、探すことにしたんだよ。まあ、そうは言っても、結局報酬に目がくらんでるんだけどさぁ」


 冬次郎はラーメンの底に沈めておいたチャーシューを発掘し、ちょっとかじった。

〈リュービゲントク〉は日本で最も成功した移動ラーメン屋台だ。ハチマキ・バン〇六式にガスコンロと冷蔵庫と流し場を積み、調理する。


 席は十あるが、見かけほど窮屈ではないので、隣の人間と肘がぶつかったぶつからないで相手の顔にラーメンをぶちまけるようなことは起こらない。


 今、冬次郎が替え玉をぶち込んでいるのは第三十四号車。

〈リュービゲントク〉は獄楽市だけでも五十台はある。

 儲かっているのは間違いないが、急進的儲け至上主義のお友達、食中毒もかなり発生している。


 ときどき保健所が苦言を呈するがそれ以上のことはしない。一般的な獄楽市民はむしろ食中毒になるほうが悪いと思っている節がある。胃袋を鍛えて出直してこい。安い、うまい、腹痛い。


 一杯十六銭、スープまで全部飲んで、体を塩分爆弾に変えてやってから、バンの真ん中にある折りたたみ階段を降りて、右を向けば、すぐそこに音股地区を囲む水濠がある。


 前述の通り、ナマコ板、廃材看板、ポンコツ機械の集まりが〈リュービゲントク〉の特製もやしラーメンのもやしみたいに高く積み上がっている。

 様々な高さにぐらぐらした吊り橋があり、ボロを着た住人の影が不機嫌にちらつき、悲鳴が上がって、陶器の塊が弾けるような音がする。サッカリン工場の起重機が高く頭を上げていて、ちょうどその先に梅雨の明けきらぬ橙の雲が引っかかっていた。


 音股地区に行くには一本の橋を渡るしかない。


 昔は工場用の線路だったが、鉄製のレールも枕木も小遣い稼ぎで盗まれ外されている。


 橋のたもとから見えるのは五色都市迷彩の装甲列車の列。みな退役品で、これが水濠の周囲にぴたりと並んでいる。誤射でもあったら、まずいのか、照準だけはつけていない。


 冬次郎はいつも不思議に思っているのだが、これらの列車は音股の住民が()()()()いったら、発射するのだろうか?

 町じゅうに赤旗が翻ったときも、大臣殺しの犯人三名がかくまわれたときも、発射はしなかった。一度、無政府主義者アナキストどもの口車に乗せられて皇王クソクラエ節を町の人間全員でやったときは「これはやっちまうな」と思ったが、やらなかった。

 ひょっとすると、そもそも大砲に弾が入っていないのかもしれない。


 ボロを着て、音股の我が家に帰る連中に混じって、冬次郎は歩いた。


 欄干のない橋の下ではメダカ一匹跳ねる隙もないくらい家船がひしめいていて、神棚に煮干しと少しの米を供え、舳先から艫へ張り渡した縄に洗濯物と一緒に開いた釣果サカナを吊り下げていた。


 橋を渡り切ったところに軍用に改造された陸王オートバイがあり、一〇〇式機関短銃を背負った兵隊がいた。これが国家の音股に対するギリギリの干渉で、そこから先は完全な法の埒外(アウトロー)だった。


 音股のどこかに依頼人の探す子猫が二匹いる。

 これについてはひとつ手がかりがある。出かける前に二匹の居所を花札で占ってみた。

 その瞬間、歪み由来の何かに視界を乗っ取られ、小さな祠が写った。


 がらんとした場所にあるのだが、それだけ。

 これを二匹が現在見ているのか、あるいはこの祠を探していて、その強い思いが歪みを経由して、冬次郎の意識に流れたのか。ともあれ、何らかの手がかりは卜いを当てにできるらしい。


 少し歩いただけなのに、みるみるうちに音股の出口が遠くなり、その灯は看板と人間の頭と怪しげな湯気に阻まれて見えなくなった。


 ションベン臭い切り通し小路。風通しが悪く、店がギリギリまでせりだして、人がごちゃごちゃしていて、暑い。もう五時半をとうに過ぎ、六時にかかる。


「ゴムサン、マレーシア天然ゴムのサンダル!」

「オオーイッ、もう五ガンホー、足しといてくれやぁ」

「立て、万国の労働者!」


 宗教批判をやっている共産党員のすぐ横で千ヶ寺参りが鈴を鳴らして、喜捨を求める。狙いはそばで山盛りに売られているゆで卵だ。一方、肉屋と改造屋では赤白の獣肉と鋳鉄の腕が罰を受けた海賊の一味みたいに並んで吊るされていた。


 地べた座りの涼み将棋はちっとも涼しくはなく、機械の指は出力を誤って飛車を握りつぶす。かんぴょう以外のネタが買えない巻きずし屋では真鍮のたががはまったお櫃のなかで古米が軋みながら固くなっていた。


 料理屋のひとつに入ると、いくつかの大きな鍋がどろどろしたスープともシチューともとれないものを煮ていて、膜の厚い泡が景気のいい音を立てて、弾けていた。


「よう、にいちゃん! 残飯ギャベッジスープはいらんか? こっちの鍋は第三十三機械化砲兵連隊兵舎の残飯で、こっちはキタギタ食堂の残飯、これは本日の目玉、山田侯爵邸晩餐会の最高級残飯で、キャビアが入っとる」


「アゴが出っ張ってるぞ」


「わしの顔がか? そんなことはないと思うが、でも、奥の鏡で見てみるか」


 店主に続いて、蓆の暖簾を通ると、そこは土間の通り抜けになっていて、店主が縁の下からキリンビールの贈答木箱を引っぱりだしているところだった。店主がにやりと笑った。


「いくら欲しい?」


「三十本」


 箱を開けると、十本ずつ束ねてあるマタタビの枝がきれいにぴたっと詰めてあった。


「網走産の極上もの。これはとべるぜ」


「いくらだ?」


「七十銭に負けておこう」


 全部紙幣で支払い、取引が終わった。


 別にマタタビの購入も販売も違法ではない。

 店主の趣味だ。


 外に出ると、ボロボロの提灯が吊るされていた。

 その赤い灯の下に猫が一匹。お行儀よく座っている。


 冬次郎が近寄ると、猫は灯の外に出て、提灯も消える。

 と、思ったら、別のところで提灯が点って、その下に猫。


 こんなことを何度か繰り返していくうちに清らかな水がさらさら落ちる音のする、猫でいっぱいの広場に着く。


 光に縁取られた肉球紋の提灯があちこちで揺らぎ、地面に映った影を相手に若い猫たちが襲いかかり、すり抜けられ、また飛びついては逃げられる。


 案内をした猫がまたあらわれ、ついていくと、蛇口から水の垂れる壊れた水道のそばに灰色の長毛の猫が座っていた。


「おやおや。誰かと思えば、冬次郎か」


 灰色の猫は現在七十歳でその尻には長く灰っぽい毛に包まれた尻尾が二本伸びていた。


「やあ、長老」


「で、どんな猫が逃げた? そもそも、そいつら、猫なのか?」


「違う」


「幻視は?」


「小さな祠が見えるだけ。まわりはトタンで囲まれてて雑草が少しだけ生えてる」


「もっと分かりやすい手がかりはないのか?」


「その幻視のなかに看板がある。あとちょっとで見えそうなんだけど、見えない」


「本当にここにいるのか?」


「間違いなく――おそらくたぶん――なんとなくだが、いると思う」


「トタン材なんて、ここ以外でもいくらでも使うからな」


「依頼人は絶対ここだって言うんだ」


「じゃあ、なんでそいつが自分で探しに来ない」


「日本効率化協会っていうのに入ってて、音股に行くにはきれいすぎるケツの穴をしてるんよ」


「ふーん」


「とりあえず、これ、マタタビ三十本。それと、長老には、これ。伊豆は戸田産のトビウオの煮干し」


「よし。誠意に心を打たれた。話をきこう」


「依頼人は情報を出し惜しみにしてるらしくて、そいつが言うには男のほうがトランクみたいなものを持ってるらしい」


「猫だか人間だか分からないやつ、そして、大きなトランクみたいなものを持っているやつを見たら知らせろと」


「伊豆は戸田産、トビウオ煮干し」


「分かった分かった。ちゃんと探してやる。まあ、そっちのほうがはやく見つけそうな気がするが」


「煮干し返せなんて言わないから」


「当たり前だ。ただな、わしとしてはむしろお前に依頼した、その効率化協会のやつのほうが気になる」


「ちょっとネジが外れてて、尋常小学校を機銃掃射しながら高笑いができそうってだけだよ」


「そんなやつが人間のこわっぱだかを欲しがる。で、そいつに引き渡したら、どうなるね? おててつないで仲良くお遊戯ってわけでもあるまい」


「それが問題なんだよね。つまり、そいつはどの程度、コケにして大丈夫か」


「おいおい、冬次郎。お前さん、大切な脳みそをどこに置き忘れた? そんなのは閾値。まったくコケにしないか、とことんコケにし尽くすかだ。そのあいだのことはみんな悪いほうに取る。そういうやつがこの音股にやってきては警官隊と死に物狂いの銃撃戦をして、死んでいった」


「昔の警察は本当に音股にガサ入れをしてたって言うよな」


「抜刀隊。やつらは怖いものなんかないのさ。家族がいない。友人もいない。面倒見てる猫もいない。スリルのためなら、いつ死んでも構わない。生身の体をお手当付きであちこち機械化する前はそんなやつらが突っ込んできた。想像してみてくれ。目の血走った巡査たちが八双に構えた太刀を連ねて、崖から突き落されたみたいな叫び声をあげて、突撃してくるのを。まったく、あれはひどい時代だった。古き良き時代なんて言葉はな、お上品なケツの穴人間どものためにあるものであって、わしらにはいつだって、時代の顔はクソッタレだ」


「なんだよ、長老。選挙にでも出るのか?」


「わしは長老の猫又だ。猫のなかで最大の賢者と崇められている」


「そりゃ、このお供えされてる〈てゅうる〉の箱を見れば分かるよ」


「だが、そんな賢いわしでも、ときどき莫迦をしでかしたくなる。愚かで一日の半分以上を眠りたがるぐうたら人間相手に言葉の無駄遣いをしてみたくなる」


「そんなに褒めるなよ。照れるだろ」


「そこがお前さんのいいところだ。ところで、神父パードレがずっと前から会いたがっているときいた」


「パードレ? 今月は何人殺してる?」


「そんなに多くない。ほんの八人だ」


「確かに少ない。調子悪いのかな」


「チンピラどもだって学習はできる。カツアゲしていい子どもとすると死ぬ子どもの区別は難しいが、そこに自己の生存が絡んでいるなら、学習はより深層かつ正確なものであるべきだ。違うか?」


「子どもの小遣いカツアゲしようとしたことがないから分からないな。でも、睡眠学習には賛成だぜ」

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