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 血に酔う。


 斬ったらなるのかと思って、今回は殴ったわけだが、ダメだった。

 斬ったときと同じ、結構ヤバい興奮が体に残り、まるで自分をバケモノにするエッセンスが血管をめぐっているよう。目がさえて眠れなくなる。最低二十四時間は。


 現在、午後四時。あと二十三時間は眠れない。


「あ~っ、だから、バケモノ退治は嫌なのだよ、柴犬くん!」


 氷蔵式よりは高いが、アメリカ製電気冷蔵庫は買えないくらいの報酬――つまり滞納していた家賃がギリギリで払えた額を現金で受け取り、事務所に戻ると、寝酒効果を期待して、サントリーを茶碗に注ぐ。


「うはは。うまい」


 アルコールが辛すぎて、熟成も足りないが、後味フィニッシュは煙たさが好きなのだ。とくと御試飲あれというわけだが、やはりウヰスキーを飲むときは日本人をやめるに限る。スコットランドの愛国心だ。


 おれを国粋主義者にしたければ、まずは純米大吟醸を用意することから始めてもらおう。

 度数四十度。飲むと、ますます目が冴える。血管ガン開き。


 こういうとき買い物すると、変なものを買うし、こういうとき人と話すと、変な約束をしてしまう。


 だから、表の扉には本日休業のプレートをかける。どこかの金属加工屋で買ったアルミニュームのギラギラしたプレートでニュームを何かの腐蝕液で本日休業の角ばった形にへこませて、またニスか薬品を流し込んだものだ。かまぼこ板に筆で書くほうがずっと安上がりだ。


 だが、休業プレートがこんなふうに現代化学の粋を集めていると、ノッカーたちに対して、おれは本気で休みたいのだという強い意志表示になる。


 工賃が四十円もしたが、いい買い物だったと冬次郎は思っていた。


 そのプレートがどうしてドアにかからず、おれの手元に残っているのだろう?

 来客のノックがしたのはその直後のことだった。


「誰もいないぞ!」


 莫迦な返事だが、前述のように賢しく考えをまわせる状態ではない。


 トン、トン、トン。

 もしかしたら、依頼人ではなくて、便所のドアと勘違いしているのかもしれない。いや、待てよ。

 トイレットのノックのマナーでは、ノックは二回。それ以外の扉は三回ノックせよと何かで読んだことがある。えーと、あれはどこで読んだんだっけ?

 トン、トン、トン。


 さっきのと寸分たがわぬノック。まるでノックする力を完全に制御できているような音。


 人間というのは家賃を滞納していないときは大きな気でいられるものである。

 ましてや冬次郎はバケモノを叩き潰した直後である。

 普段なら猫探しかうらないならいいなと思うものだが、いまは火を貸してくれ、百円やるから、と言われてもお断りしたい。


 ん? おれ、鍵かけたっけ?


 ガチャリとドアノブがまわって、背の高い優男がひとり、にこりと微笑んで、なかに入ってきたとき、冬次郎は鍵のかけ忘れが〈おれのしでかしたヘマ競争会グランプリ〉の何位になるだろうと考えた。


 七位か九位くらいにしておくかと思ったころにはその優男は机の向こうの、蘭領インドシナ風の安い肘掛椅子に腰かけていた。


 英国製の、体にぴったりあった背広を着た、少し髪に癖がある男だ。英吉利イギリスびいきが好んでかぶるトリルビーをいまは膝の上に置いている。


 初めまして、こういうものです、で始まる典型的名刺攻撃。


「フムフム。日本効率化協会、副主事、三柿野次晴みかきのつぐはる。これ、日本能率協会みたいなもん?」


「似て非なるものです。ああ、そうだ。お近づきの印にわたしどもの手帳をどうぞ。効率手帳です」


 受け取り、なかを見ると、こちらは一時間どころか一日区切りもなく、月単位のスケジュールしか組めない。


「過度の過密スケジュールはかえって、効率化を阻むのです」


「はあ。そりゃあすげえことで。で、お代官でえかんさま。うちに何のご用?」


「猫を探してほしいのです。二匹。子猫でオスとメス」


 受けようか受けまいか考えながら、もらった効率手帳の七月のページを開く。


「特徴は?」


「オスのほうはいつも大きなトランクのようなものを持っています」


 トランクならトランクというが、トランクのようなものとはなんだろうか?

 トランクみたいな煮干し? トランクみたいな鰹節? いや、最近、カンダタ水産が開発した万猫ばんびょうの憧れ〈てゅうる〉かもしれない。


「トランクっていうけど、猫がトランクくわえてるって事例は初めてなんだよね。他の特徴は?」


「他?」


「キジトラ、サバトラ、ただのトラ、白猫、ハチワレ、三毛。それにごくたまにオスの三毛ってのもいるけど」


「では、どちらも三毛で」


「よーしよし。だいぶ絞れてきた。そいつら、内猫だったわけ?」


「ウチネコ?」


「家で飼ってて、外には出ないやつ」


「ええ、まあ、広義の意味でそうですね」


「じゃあ、まず、家のまわりを探すのが先じゃないかなあ。たいてい、脱走した内猫は家のそば三軒以内で見つかる」


「それはないですね。断言できます」


「まあ、飼い主が言うなら、そうなんだろうな。しかし、この手帳、いいねえ。自由気ままに一か月を決めるってのは、こう、のびのびしてる」


「いずれは世紀単位の手帳もつくるつもりです」


「まあ、このまま順調に科学が発達すれば、寿命三百年時代も来るだろうさ。年金付き国債が吹っ飛ぶだろうけど、なんとかなるでしょ。三百年も経てば、日銀もドルを好き放題に刷れるようになるんじゃないかなあ」


「それで猫の続きですが――」


「はいはい」


「名前はメスの子猫がサナ。オスの子猫が××(ピーッ)作戦試作機三十三号です」


「あー、……オスの子猫の名前、もう一回いい?」


「はい。××(ピーッ)作戦試作機三十三号です」


「さっきから作戦って言葉の前にピーッって音がきこえるんだけど、声帯模写じゃないよね?」


「意識検閲です」


 そう言いながら、三柿野はタネ明かしとして、手首につけた細い腕輪を見せた。てっきり腕時計だと思っていたが、革のバンドにとめてある円盤にはキラキラ光る赤と紫の水晶のカッティング済みがはめ込まれていた。冬次郎はこれに似たものを見たことがある。尤もそいつは体全体から、この水晶が生えていた。


 とりあえず、気を取り直す。大切なのは平和(ピヰス)を愛する心だ。


「うん、検閲。おおーっ、検閲ね。それなら、おれも深くつっこまないよ。以前、同業者で検閲って言葉にやたらめったら刃向かいたがるやつがいてさ、そいつ、女なんだけど、あんまりこだわり過ぎて、そいつ自身が検閲になっちゃって、見えないし、きこえないことになっちゃったんだ」


「それは御気の毒です」


 優男はちっとも気の毒に思えないものに対して、気の毒と言えるよう特殊な訓練を受けているらしい。


「で、えーと、おれのことは誰からきいた? 人間? 猫又?」


「書道家の三浦安心先生から」


「あー、あのヒトね。まだ、米の字がケツの穴に見えてるのかな?」


「最近では人間が漢字に見えて、新しい書道の世界を切り開いているご様子です」


「まあ、元気ならなによりよ。知ってる年寄りが元気ってのは、ま、ほら、きいててむかつくことじゃないわけだし。で、あそこの猫のゲンテツは元気かな?」


「ええ。そのようですよ。それで、捜索はいつごろから行ってもらえるでしょうか?」


「あのじいさんからきいたってことはおれが即日で動くのは知ってるんしょ?」


「すぐに探してもらえると大変助かります」


「心配そうな愛猫家に弱いんよ。おれ」


「では、報酬ですが、経費別に一日十五円。成功報酬は一匹につき百五十円。計三百円」


「日本効率化協会に求人ある? おれ、そこで働きたいと思うほど、あんたの報酬、高いよ。こんなこと言っちゃあ、なんだけど、もっと安くて、即日やってくれるところあると思うけど」


「いえ、あなたにお願いしたいのです。最近ではいい霊媒師を見つけるのはなかなか苦労しますし、それに二匹が逃げたのは音股おとまた地区なんです」


 そう言いながら、手付の七十五円を一円札の束にして、机に置いた。


 バケモノ屠ってギンギンなオツム。そのオツムで鳴りまくっていた百個の不協和音が同時にぴたりと止まった。


 なるほど、ちくしょう、音股か。


 帝都にくっついた厄ダネ。陰陽鬼門、丑寅うしとらのどんづまり。


 サッカリン工場にナマコ板と廃材と残飯、それにポンコツ機械が寄り集まった貧民窟スラム


 音股を囲む水濠みずぼり沿いに国鉄が、五月雨町-瓜またぎ間を走らせていたが、今は廃線になり、大陸で国府軍から鹵獲した装甲列車が二十両、停車している。


 全三十六門の大砲。ゼンリョーなイッパン市民たちが音股をどう思っているか分かるというものだ。


 そんなわけだから、日本効率化協会の人間は音股には絶対に入ることができない。


 音股の人間は最も効率化した社会に自分たちの居場所がないことくらい分かってるし、効率化の過程で音股をぐるりと囲む装甲列車軍団がどんな使われ方をするのかも分かる。


「わたしどもとしては、大切な子猫たちが音股にいると思うだけで、気も狂わんばかりです。はやく見つかると安心できるのです」


「いい飼い主に巡り合えたなあ、その子猫たち」


 すると、三柿野は震えながらうつむいた。


 肩が見えない腕に押さえつけられ、それに反発するように細かく上下している。


 まさか、こいつ、怪異じゃないよなあ?

 バケモノと化した三柿野をかわしながら、机の上からジャンプしてボロボロのソファーに放り投げてある鬼青江に着地できるかどうか考えていると、 


「アハハハハハッ!」


 高笑い。しばらく発作みたいに続き、そして、少し落ち着いたところで目の端の涙を人差し指で拭いながら、


「わたしが、あの子たちのいい飼い主――いえ、失礼。あまりにも、ぷっ、面白過ぎて、くく……アハハハ!」


 面白くて仕方ない様子で、日本効率化協会の副主事殿は帰っていった。

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