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二十三

「結局、斬った」


「ご苦労さまです」


 地下の田園研究所から出て、アーケード街の寂れた門を出ると、そこいらじゅうに空を見上げる人びと。


 空、というのは正確ではない。

 見上げていたのは獄楽市だ。


 市民のあいだでは、あのひっくり返った空の都市にはやはり見上げている自分たちがいるとか、物質と反物質がぶつかることで得られるニユーモデル人間のことで会話が占領されていて、ろくなものを腹に入れていない冬次郎が、まだ営業している店を探すのもひと苦労だった。


 結局、食事のできる店主はみな空に気を取られていたので、やっと見つけた婆ちゃんの冷やし飴屋台でたて続けに五杯飲んでいで、お腹をタプタプにした。


 上下の獄楽でつながっているのは、まだ燃えている装甲列車の黒煙だ。

 かすかにかすっているのは獄楽市の中央にあるヨツマル・ビルディング。

 皇国最高の百五十階建て。削った鉛筆の表面にサナダムシが這ったみたいな形はアール・ヌーボーとアール・デコをかき混ぜるという誰からも支持されない建築様式の賜物で、有識者の言葉を待たずともこれがまずいのは、道で冷やし飴を売る婆ちゃんでも分かる。


 そんなビルディングが獄楽のどこにいても見える。

 あんなもんが一体何の役に立つんだとみなにボロッカスに言われていたビルだが、いま、初めて役に立つ。


 なぜなら、上の獄楽のヨツマル・ビルディングのてっぺんに三柿野がいるからだ。


「挑戦してるつもりかな? 文明社会には不戦勝っていう睡眠時間を危険にさらさず物事を解決に導く手法がある」


 みなが獄楽を見上げるなか、冬次郎は寝ている猫をちょんちょんつついてからかっていた。

 そのうち、猫は起き上がり、フンッ、とくしゃみみたいに鼻を鳴らして、パッと町を東へと走り去る。


「あー、猫がー」


「この状況でよく猫と遊んでられますね?」


「いや、行くよ。あのビルディング。行くけど、まあ、その前に下準備っていうか」






 歪み。

 それは異次元のことを指しているという認識は少し違う。


 サナが歪みを〈深域〉と呼ぶのは、その()()()が常にこちら側の世界より一段階深いところに存在しているからだ。


 冬次郎が考えているような、異なる次元ではないのだ。


 歪み=深域はどちらもこちらの世界に存在し、重なっている。

 ただ、深いか浅いかの違いに過ぎない。


 だから、歪み=深域を現出させることはずっとたやすい。


 そして、もうひとつ。

 歪み=深域は自然現象や世界の在り方ではない。ひとつの知能なのだ。


 一段階深いところから、この世界を覆い尽くす知能体。

 それの一段階分の深さから、知能体を上昇させ、人間の知覚できる位置に現出させようとした科学者がいた。


 それがサナの父親だった。

 深域からの上昇のために、深域知能体そのものの力を引き出すために作られたのが祠だ。

 時間が歪み、存在が歪み、知能が歪む。


 サナはサキとともにそれを阻止するべく、幻視を頼りに十七か所の祠を破壊した。


 そして、最後のひとつがこの獄楽に存在した。


「幻視自体が深域知能体からの干渉のようなものです。あまり信用はできないかもしれませんが……」


「つまり、そのアンポンタンがおれの眼に映像を送り込んで、おれの安眠を妨害するわけだ。万死に値するな、その知能」






「その祠を破壊しまくったのが、三柿野の手のなかで踊ってたってことか」


 ヨツマル・ビルディングのなかの人間はみな避難している。

 受付のカウンターとは反対側の壁にはエジプトの綿やシチリアのオレンジ、南アフリカのダイヤモンド、ボリビアの銀、スエーデンの石炭、イングランドの毛織物の相場がニキシー管で自動的に表示されるのだが、どうやら他の世界でも、この現象が起きているらしく、相場は熟練の相場師だったら卒倒してしまうような数字で激しく動きまくっていた。


「ところで、サキちゃん。気づいてる?」


「ええ」


 さっと冬次郎がしゃがむと、その向こう、カウンターの後ろからあらわれた効率化協会の殺し屋が胸を撃たれて、臨時入館者用計数機にぶつかった。


「先輩。僕にも、気づいてる?って、きいてください」


「やだよ。めんどくせえ」


 柴犬警視はそのくらいではめげない。きいてくださいきいてくださいきいてください!

 リュービゲントク一号店でまいた柴犬だったが、ヨツマル・ビルディングに入るために警察の非常線を無理やり超えようとしたとき、柴犬に見つかってしまったのだ。


「きいてくださいってば」


「わかった、わかった。柴犬、気づいてるか?」


 一対の短刀をたて続けに投げると、一階広場の向こう、吹き抜け構造三階の回廊から九九式狙撃小銃で狙っていた殺し屋が両目に刃を食らって、欄干から落ちて、床に背中から叩きつけられた。


 直線距離で五十メートルくらいあったが、柴犬は走って、短刀を取り戻しに行き、戻ってきて、称賛を求めるその姿はまさに柴犬だった。


「わかった、わかった。えらいえらい」


「いやあ、それほどでもないですよ。先輩」


「じゃあ、エレベータでちゃっちゃと最上階に――」


 すると、サキが、


「このビルにはエレベータはありません」


「――は?」


「ないんですよ。エレベータ。ヨツマル物産は社員の健康のために階段の使用を推奨しています」


「いやいや、なに言っちゃってんの? そりゃ毎日十階くらい昇るのは健康にいいかもしれないけど、五十階六十階昇ってたら体壊れる。心も壊れる。つーか、社長は? 社長室は最上階にあるもんだろ?」


「社長以下役員は専用飛行船で出勤です」


「歪んでるなこの会社」


「とにかく、破壊対象は最上階です。覚悟を決めてください」


「オッケー。よーく分かりました。柴犬、おれを背負え」


「分かりました、先輩!」


 これってますます犬なんじゃ?とサナは思わずにはいられなかった。

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