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二十二

「は~い。見学に来ていただいた皆さま。こちらが地下水田開発地区になります」


 獄楽市の地下には地下鉄や水道、百貨店食品販売場、それに表に出てはまずい死体などがあるが、そのどれよりも深い位置に水田と神社、鎮守のもりが存在していた。


 有事の際の都市の食料自給を目指した研究であり、品種改良した稲と青空を移すスクリーンの伽藍ドーム、そして、稲にまつわる神事のためにつくった神社、それにへのへのもへじの案山子が何本か刺さっていて、まさに田舎そのものだった。


「分かんねえな」


 冬次郎が頭をぽりぽりかきながら言った。


「米なんて陸でも育てられるのに、なんで人目につかせたくないキチガイみたいに地下に隠す必要があるん?」


「陸では焼き払われてしまいますよ」


「でも、ケーサツってのはそういう放火魔にお仕置きするためにいると思ってたけど」


 柴犬警視はここにはいなかった。

 彼には出勤しなければならない警察署があり、冬次郎は心の安寧を必要としていた。


「いいですか、見学者さん」


 案内役は相手が馬鹿なのは仕方ないが、疲れさせられると言わん感じでものを話した。


「もし、爆撃機が焼夷弾で稲を焼こうとしたら、どうします? 警察に対抗できますか?」


「できないだろうな」


「そういうことです」


「いや、どういうことだよ? 誰が稲なんか爆撃機で焼きに来るんだよ?」


「敵ですよ」


「敵って?」


「ソ連とかアメリカとか」


「なんで、ソ連やアメリカがおれたちを焼きに来るんだよ?」


「嫉妬です。この大日本皇国が唯一無二ののスバラシイ国だからです」


「もしかして、あんた、国粋主義団体に所属してる? 皇国精粋会とか」


「もちろんですよ。皇国の民であれば、みな所属します」


「なあ、この稲の向こうの、あの神社と森。どうやって作ったの?」


「森は買いました。神社はもちろん建築会社に立てさせました」


「依り代は? 神さまはどこでこさえた?」


「あれは模造であって、神さまはいません」


 冬次郎はちょっと用ができたと言って帰りたくなった。

 地中の歪みを軽視するだけでなく、神をつかせるつもりもなく、神社をつくれば、歪みがもたらすのは怪異だ。

 いまはまだいないようだが、時間の問題だ。


 よその神社から分祀するしかないが、あいにく、この壮大な計画に関わるものたちは米のことしか頭になかった。


 稲のなかには細い道が走っていて、真上の伽藍から見れば、きちんと網目状になっているのが見える。その網目のどこかに、祠があった。


「なあ、あんた。この自慢の稲のなかに人間を一秒前と二秒前と三秒前の姿とまとめて融合させて、ぐちゃぐちゃの気持ち悪い化け物にしてしまいかねないものがあるってきいたら、どう思う?」


「大変不愉快です」


「だよな。で、それを解決できる人間がいて、この稲空間をより良いものにしたいと言ったら、あんた、どうする?」


「ぜひ解決を頼みたいですね」


「だろ? じゃあ、おれたちがそいつを引き受けるって言ったら?」


「お任せしませんね」


「なんで?」


「先ほどの話はたとえであって、そんな祠も一秒前の自分と融合する化け物もいませんし、次にこれが一番大切ですが、あなたたちにはそのような解決能力があるとは思えません」


「じゃあ、おれたちが勝手にやらせてもらうぜって、その祠を探し始めたら、どうする?」


「警備に通報し、断固たる措置を取らせていただきます」


「断固たる措置か。そいつぁ、参ったな。サキ、きいたか?」


「ええ。ききました」


「こっちの御大将は稲を守るためには断固たる措置を取るってことだ。――あ! リュービゲントク一号店!」


「え?」


 冬次郎の右ストレートが国粋主義者の案内役の顔を捉え、倒れるまでに二回転した。


「じゃあ、遠慮なく探させてもらうか」


 網目のあぜ道を右に二回、左に三回曲がると、祠があった。


 スレート葺きの、金属扉の光が蠢いた、異質の建造物。


「誰が何のために作ったんんだろうなあ?」


「わたしの父です」


「あー」


「これはわたしの、贖罪なんです」


「食材?」


 げしっ、とサキが冬次郎の脛を蹴る。


「いってえなあ」


「静かに」


 サナは自分の手に紙垂のようなものを巻き、ぐらぐら光の蠢く扉を開いた。

 目に見えない歪み、あるいは深域の局所が小さな少女の手のなかで断末魔の叫びをあげる。

 手に巻いた紙垂のようなものが黒く変色して、ボロボロと崩れ落ちたが、それと同時に冬次郎が感じていた、歪みの吐き気が失せていく。


「やりましたね。博士。これで全ての装置を破壊しました」


 サナが首をふる。


「違う。わたしたちは――」


 そのとき、スクリーン伽藍に大きな見覚えのある半分機械の顔があらわれた。


「ごきげんよう。諸君」


 三柿野だ。


「眞宮博士がつくった制御装置が全部消えたおかげで深域知能体と接続できます。あなたたちのおかげだ。本当にありがとう」


 三柿野の姿を映している箇所以外は空が紫や緑に変わり続けている。


「どういうことですか。あれは――」


「あれはね、深域の力を開放することで深域そのものの発露を防ぐ代物だったんですよ。もちろん、犠牲はある。馬鹿な連中がうっかり触れたりすれば、化け物になるし、何もしなくとも怪異があらわれる。しかし、まあ、深域全てが流れ出るよりもマシでしょう。少し画像を大きくして、鮮明にしましょう」


 三柿野が少し横に動く。


 それは獄楽市を映している。

 ビルディング、公園、鉄道、自動車、数々の禁足地。


 だが、それらは全て逆さまに見える。

 実際、それは逆さまだった。


 カメラが少し動くと、本物の獄楽市が見下ろされる。そして、もうひとつの獄楽市が――逆さになって空を覆っている市街が映し出された。


「これが深域ですよ」


 三柿野の姿があらわれる。


「常にわたしたちの世界に重なり続けていたものの正体です。雪津さん、信じられますか? これら全てが世界を覆い尽くし、そして、これは一個の知能に過ぎないのです。生き物ですらない。そうですよね、眞宮サナ博士?」


「あなたは何をしたいのですか?」


 サナがたずねる。


「こんなことをしたら、どちらも崩壊してしまう!」


「そうはならないでしょう。少なくとも深域は。だって、わたしが深域そのものになるのですから。――わかりますよ。そんなことはさせないつもりでしょう? でも、その前にあなたたちが対処すべきは、その空虚な神社のことです。神社がかわいそうなので、わたしが神さまをひとつ見繕っておきました。では、ごきげんよう」


 三柿野の姿を消え、伽藍は元の青空に戻ったが、そのあいだ、あの鎮守の森から何もかもが縦に細長く伸びる怪異があらわれた。顔だけは常に煤が蠢き隠れているが、長く細すぎる手足がデタラメに動いて、森から田へと身を移すと、空襲警報のようなものをわめきながら、食べられる人間を探し始めた。


「やばい、隠れろ!」


 怪異は細く、肌は汚れたカーキ色で、顔に群がる煤を除けば、何も身につけていないが、神社のそばに停まっていたダットサンのトラックを片手でひねり潰し、放り投げるくらいの握力はあるらしい。


 冬次郎たちは稲の陰にしゃがみこんで、身を隠しているが、敵が目が見えるのか、音で察知するのか、それとも人間の知らない感覚を使っているのか、少しずつ、彼らに近づいてくる。


「あのやろー。この神社、確かにまずいことしてるなとは思ってたけど、これはデカすぎひん?」


「さすがにあなたでも厳しいですか? はばたき式飛行機(オーニソプター)を墜としたときに使ったような技を使えば――」」


「いや、斬れるけど斬らないよ? あんなの斬ったら、一週間寝られなくなるから」


「斬れはするんですね?」


「そりゃ斬れる。でも、もう一週間筋肉痛は確定済みで、それに上乗せなんかしたら、どうなると思ってるんだ。おい、何で、笑ってる。何で、こっちに寄ってくる? というか、なんでトランクがライフルに変わってるんだ? あ! お前! やめろ、この――」


 サキがニコリと笑い、そっと冬次郎の隣に立つと、怪異の後頭部を狙って、五十口径の曳光弾を発射した。

 弾は見事に命中し、煤が崩れかけ、冬次郎のほうを真っ直ぐ向いた。


「さ、博士。あとは彼に任せて、我々は隠れましょう」

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