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二十一

 日本効率化協会の暗殺者たちはスチュードベーカーに乗っていた。

 ドアが観音開きみたいになる型式でパッカードほどではないが、ニュー・クロガネよりは高価で大きく、たくましいエンジンを載せている。


〈ヨミビトシラズ〉を脱出する際、内務省直属執行局チョクシツが並べた立ち入り禁止の木挽き台に突っ込んで、バンパーとフロントライトが逝っていた。


「なんちゅうもったいない運転をしやがる」


「車なんて走ればいいんですよ」


「ブルジョワジーめ」


「僕は警官ですからね。ブルジョワジーの側にいるのは当たり前です」


「知ってるよ。だから、おれはケーサツやめたんだ」


 車は来たときと同じ、有料道路に乗っていた。

 地上から三階建ての高さをトラックや円太郎タクシーが走り、スチュードベーカーの前では外れかけたフロントグリルがベコベコ情けない音を立てている。


 前の座席のふたりが階級闘争における霊媒師の地位についての話をしているあいだ、サキは演算機能をフルに使っていた。


(なぜ、あのような特殊な条件の仮想空間が……。鼓を盗んだ男が誰かの願望を流用したのかもしれない。でも、誰だ? 少なくとも僕ではない。 冬次郎? 警視? それとも――)


 ちら、と横に座るサナを見る。

 小さなその横顔を有料道路の電灯が一定の時間間隔で縁取り、照らし、流れ去る。


(あの仮想空間は――博士が?)


 雷撃でバラバラになったとき、最後にサナが重ねた接吻のことを思い出し、演算機能が【過熱状態オーバーヒート】と真っ赤に警告した。


「ところで、先輩。ブブブしていたあいだは、どんな夢、見てたんですか?」


「学校にテロリストが襲ってきてうんぬんかんぬん。そういうやつ。あれ、いいよな」


 は?


「ギリギリまで寝ててさ。で、起きて、クソどもを斬っても、全然血が騒がないから、全部終わったら、好きなだけ寝られるの。あこがれるわー」


「先輩、夢のなかでも寝ていたんですか?」


「なんなら、夢のなかで寝ていて見た夢のなかでも寝られるぞ――あ、でも、あれは結局、やな夢になったんだよな」


「なんですか?」


「雷が落ちて、誰かがぶっ壊れてさ、顔は覚えてないけど、そいつに人工呼吸するハメになったんだよ。男だぜ? 妙に唇が柔らかくて、ゲーッだった――あれ、サキちゃん。顔色悪いぞ。機械も車に酔うんだな。アハハ――あ! リュービゲントク1号店!」


 大きなバンを改造した例のラーメン屋〈リュービゲントク〉の一号店。


 誰も食べたことがないと言われる幻の店で見つけたとしたも、こんなふうに全速力で走っているから乗ることができない。


 幻のラーメンは店の左側を全開にして、走っている。


「この車が左ハンドルで助かったぜ。柴犬! もっと、右に寄せろ!」


「え? まさか、先輩、飛ぶんじゃないですよね?」


「飛ぶに決まってるだろ! 車寄せろ!」


 みな冗談だと思った。


 うんちしたばかりの猫が妙に元気なあれと同じで、歪みからの復活直後の元気が彼にそう言わせているのだと。


 まさか、本当に飛ぶまいと思ったので、警視は軽い気持ちで車を左に寄せたが、リュービゲントクとのあいだが一メートルもなくなったと思ったら、冬太郎はドアを開けて、ジャンプした。


 距離がたらず、冬次郎は店ののぼりにつかまって、それこそ旗みたいにバタバタはためいていた。


「きみたちも飛ぶんだ!」


「いまの失敗を見て、飛ぶ気になれると思いますか?」


「思えないけど、先輩を助けるために飛ぶんだ。ほら、はやく」


「分かりました」


 サキはサナを抱きかかえて飛んだ。こちらはうまくいき、安い絨毯を敷いた店内に、スタッときれいに着地した。


「あ、あの。どうして、わたしまで」


 ぐ~。


「そろそろ博士も空腹かと思い、独断でお連れしました。ご迷惑でしたか?」


「ご迷惑ではないけど――お腹の音をきかれたのは恥ずかしいです」


「申し訳ありません。配慮が足りませんでした」


 サナはサキのわき腹をちょっとつねった。ふふ、とふたりで笑いあっていると、


「先輩! はやく! 先輩! はやく!」


 と、それしかしゃべられなくなった呪いにでもかかったのか、柴犬警視がわめいた。


 サキは幟を引き寄せ、冬次郎を店内に引っぱり込んだ。


「し、死ぬかと思った」


「もう少し自身の跳躍力について知っておいたほうがいいですよ」


「まあ、そうなんだけどさ。でも、〈リュービゲントク〉の一号店! そんなこと考えている場合じゃないんよ!」


 ササッと冬次郎は店主の前に座った。


「博士、我々も」


「うん」


 店主はさすが市内に五十台の支店を持つだけあって、威厳のある老人。顔が将棋の駒みたいに角ばっているが、それがまたいい。なよなよした男に、うまいラーメンは作れんのだ!と誰かが言ったような言ってないような気はするが、ラーメンはそれだけ体力がいる。作るのにも食べるのにも。


 品書きはただひとつ。ラーメンがあるのみ。


 ライスと食べるな。餃子に浮気するな。ただ、ラーメンを楽しめ。


 そんな熱いメッセージすら感じる。


 そんなわけでラーメンを注文。


 もやしの一本もないただ麺とスープだけのラーメンはよほどの自信がないとできないものだ。


 冬次郎は食べ終わったら、「結構なお手前で」というつもりで、麺をすすった。


「まっじぃ! クソまっじぃ!」


 苦い、甘い、麺がぶよぶよと生が混在している。その他もろもろ。


 見るとサナは吐き出したいけど吐き出せず、必死になって飲み込もうとしている。


「親父! このラーメン、マジでまずいぞ! あんた、ほんとに〈リュービゲントク〉かよ?」


「〈リュービゲントク〉の一号店だよ」


「なんで、こんなにまずいんだよ」


「ラーメンをつくる才能がないからだ」


「じゃあ、他の支店がうまいラーメン作ってるのはどういう理由だよ?」


「作るのは下手だが、教えるのはうまいんだ」


「あー、おれの期待を返せよ」


「知らんよ、そんなの。あんたらが勝手に車から飛び乗っただけだろ? こっちは自分のラーメンはまずいってことを知ってて、誰も来店できないように有料道路を飛ばしてるんだから、気づけよ。杏仁豆腐食べるか?」


「食わねえよ」


「いや、だまされたと思って、食べてみろ」


「もう、十分だまされた」


「あの」と、サナ。「杏仁豆腐ください」


「いまのラーメン食べて、杏仁豆腐頼むか? おい、サキ。止めたほうがいいんじゃない? お前のご主人さまが自爆するぞ」


「僕は博士の選択を信じます」


 スプーンに乗った白い寒天を小さな口でいただく。すると、


「おいしい!」


 サナは目をキラキラさせている。星の形が見えるくらいだ。


「冬次郎さん。すごくおいしいです」


「まじ?」


 冬次郎も注文して食べた。


「この杏仁豆腐、クソうめえな。なんで、これを弟子たちに教えねえの?」


「杏仁豆腐をつくるのは得意だが、教えるのは下手なんだ」


 お母さんに内緒の夜食。

 それも夜中の杏仁豆腐は極めて背徳的だが、そのいけない楽しみはすぐに消えた。

 杏仁豆腐が消えたのではない。

 夜が消えたのだ。


 朝日は装甲列車の火災がいまだ立て続ける黒煙の塔のすぐ左をなぞるように昇ってきた。


 そのせいで市の半分は朝日のなかで鶏が鬨の声を告げるのをきき、残り半分はいまだ夜のなか、夜間営業の居酒屋たちが客を逃すまいと背広の裾を引っぱっていた。


 アステカ文明ではこの朝日は有料であり、毎日太陽の神さまに生きた人間から取り出した心臓を払わないといけなかった。

 その他太陽にまつわる様々な伝説は国や大陸を問わず存在し、ある意味で、この世界を代表する神々しさがあった。

 特に昇り立ての太陽となるとなおさらだ。


 冬次郎とサナのなかで歪み、あるいは深域由来の霊媒能力が働き、祠の場所が幻視され始めた。

 ふたりの相乗作用のことは分かっていたが、位置関係が問題らしい。

 ある距離と方角であれば、像ははっきりしてくるが、色がなくなり、その逆も然り。


 ふたりはリュービゲントク一号店のなかをうろうろして、その幻視を完成させようとした。


 そして、冬次郎が朝、サナが夜のなかに立ったとき、それははっきりと輪郭を結び、彩色されて、ふたりの目のなかにあらわれた。


「米だ」

「お米です」


 最後の祠は米のなかにあった。

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