十三
タカラ遊郭は夏海原から獄楽の中央にある森林禁足地〈ヨミビトシラズ〉を挟んで向かい側にある。
冬次郎が遊郭に公共交通機関で行きたくないとかたくなに言い張り、ガレージに立ち寄って、三柿野から受け取った着手金でニュー・クロガネを無事引き出すことができた。
普段なら思案にものぼらない夜の有料道路をかっ飛ばし、ラジウム温泉館の巨大まねき猫や鯛鮃デパートのフランス風玄関に向かって、紙くず入りのつむじ風を食らわせて、アクセルペダルを遠慮なく踏み込み、もし、オートバイ警官に捕まったら、「ひとりの少女の命がかかってんのじゃ、ボケコラ」と説得しようかなと思いつつ、タカラ遊郭の電飾が見えてきたあたりで、有料道路を降りた。
『国家休日法』により、土曜日も休日となった。
だから、金曜日ともなると、遊郭へは大勢のサラリーマンや職人、華族さまが詣でに参る。
風防みたいな松に囲まれた専用駐車場にニュー・クロガネを停める。アツタ号やキャデラックに見劣りするが、とにかく公共交通機関で来るよりはマシなのだ。
惣門で五十銭玉を入れて回転扉を通り、アーケード遊郭へ。
置屋。鯛のおつくり。つくりものの桜、北斎『蛸と海女』の天井、欧米人に非人間的と言われて一度はやめたがヤッパリやめられなかった張見世格子、洋装の幇間、遊女にギターを習わせるキワモノの見世。
「あら、冬さん。お見限り」
格子の向こうから遊女がひとり、声をかける。
「隣の子は誰なんし? 筆おろしはまだでありんすか?」
「筆おろし? なんですか、それは?」
「脱童貞」
「童貞とはなんですか?」
「お前、本気か?」
ろくに性教育を受けていない機械少年がいることに驚きと戸惑いを覚えつつ、遊女には手を合わせて、すまん、また今度と謝る。
「悪いけどさ、春菊。おれ、今日は別の徳松園に行かなきゃいけないんだよ」
「徳松? 悪いことは言わんから、うちに来なもんし」
「それがひとりの少女の運命がかかってて」
「あはははは。冬さんは面白い。それではまた今度来てくれなもんし」
指し物師から外国の大使まで集まるこの遊郭で徳松園は半籬。
しかし、営利目的の誘拐の舞台になるには格が高すぎる気がする。
下手をすると、営業停止を食らうかもしれないところを見ると、采田組は売春事業から撤退してヒロポン一本に絞るのか。
「どっちでしょうが、関係ありません。博士をこんなふしだらなところにさらった罰は受けてもらいます」
徳松園の玄関間は彩色電気を軒に吊るした吹き抜けになっていて、格子に組まれた梁のあいだに赤染の金箔で牡丹と桜と睡蓮が描かれていた。おそらくヒロポンをやったときの色彩の暴乱をモティーフにしたらしい内装だ。
煙草をつけると、どこからともなく車輪付きの自動煙草盆が走ってきて、落ちるマッチと灰を受け取った。その後もついてくる煙草盆に情が湧き、ポン太くん一号と名づけていると、若衆がやってきた。
「お客さん。馴染みの花魁はいますですかい?」
「おたくの組のおやっさんがさらった女の子」
若衆の眼が泳いだ。隣のサキは間違いなく、その【動揺】を計算に入れているだろう。
「へえ。では、こちらへどうぞ」
ふたりを木造エレベーターへ招き入れ、龍紅の障子扉を閉める。
優秀な演算処理機能がなくとも分かる。
サキが跳び、組木細工の天井板を手刀で断ち割った。
それから両手を上に伸ばして、ぴょんぴょん跳ねる冬次郎を引っぱり上げる。
これから、ちん、とベルが鳴り、まだこちらが箱のなかにいると思い込んでいる馬鹿どもの銃弾の嵐が来るぞウヒヒと待ち受けた。
相手の待ち伏せで外れた弾が無害な方向へバリバリ飛んでいくのを見るのは寝ることの次に気分がいい。
ちん。
………。
…………。
……………。
………………。
障子が開いて、若衆が、あれ?、と言ったあと、エレベーターに入ってきて、天井を見上げ、
「あの――どうなさったんです?」
オホン、ゲフンとわざと咳をし、「お前が飛び跳ねるからだ」「あなただって飛び跳ねていたでしょう」と責任をなすり付け合いながら、エレベーターの箱に降りた。
若衆がヒエッと言いながら逃げた。
抽出【ヒエッ】【敵地】
再抽出【エレベーター】【勘違い?】
演算結果――【勘違いにあらず】
サングラスに腹巻姿のふたりがトンプソン機関銃をエレベーターの箱にぶち込む。
咄嗟に武装トランクで弾を防ぎ、その後ろに冬次郎が這い込んだ。
「しっかり守れや! おれをサナちゃんだと思え!」
「博士に馴れ馴れしい呼び方をしないでください!」
「銃、借りるぞ!」
サキの銃嚢から四十五口径コルトを抜き取り、伏せながら撃つ。
標的、機関銃ヤクザ、距離四メートル、装弾数、八――全弾外れ。
「真面目にやってください!」
「やってるっちゅーに!」
ダダダダダダダダッ!
「あなた! 何発まで弾けますか!?」
「弾くって、お前――げっ!」
サキが跳躍。
盾がなくなり、サキがトランクを二丁の機関短銃に変えて、ふたりのヤクザのこめかみを至近距離発砲で撃ち抜くまで、冬次郎は自己最高の十八発を弾き返した。
「なんだ。できるじゃないですか」
「お前、この、お前」
「さあ、急ぎましょう。博士を救出します」
螺鈿の柱廊。浮世絵で描かれた『ビーナスの誕生』に襖が並んでいたので、片っ端から開けたが、素っ裸の副市長、警察局長、映画俳優、大僧正、財閥の御曹司が遊女の上で女子みたいにきゃあ!と驚いただけで収穫はない。
「お前、その両手に二丁の機関短銃で踏み込むのやめろよ。みんなメチャ驚いてるぞ」
「彼らが驚いているのはその職位の高さに似つかわしくない行為を目撃されたことが原因です。僕の武装は関係ありません」
「なあ、お前、あの子と話すときもそんな感じなのか?」
「それは、……あなたには関係ありません」
関係者以外立チ入リヲ禁ズの札がかかった階段を見つけ、押し入ることにする。
「注意してください。深域の干渉を感じます」
「歪みのことか? それなら、おれ、帰ってもいい?」
「……構いません。僕、ひとりで十分です」
「ちょっと言うてみただけやん」
「フン」
階段を一段一段上がり、ギリギリ頭半分が上階にかかるあたりでつま先立ちして、先の道を見てみた。
「信じられん」
「なんですか?」
「一秒前、二秒前、三秒前がごったくちゃ。采田のやつ、自分の子分を歪みにさらした」
そう言うなリ、冬次郎が飛び上がり、階段近くから覗き込もうとした歪み生命体の三つ半あるうちの顔の二つ半目の顔へ深く斬り込み、刀身をねじる。
「睡眠削った霊媒師、憤怒の慈悲だ。受け取れ!」
ねじ込んだ破邪の霊気が異形を碧く焼く。
「睡眠削った霊媒師、憤怒の慈悲二号だ。受け取れ!」
さらにねじ込んだ裂帛の霊気が異形を赤く焼く。
「睡眠削った霊媒師、憤怒の慈悲三号だ。受け取――」
ぱぱぁん!
異形の歪な肩から生える残りの頭が立て続けに吹き飛んだ。
「遊んでないで戦ってください」
「ういうい」
サキは対する異物化ヤクザを至近距離からの連射で倒していき、冬次郎はその後ろで取りこぼしを狙うべく、居合の構えでついていく。
「眠れなくなるんですか?」
「何が?」
ぱぱぱぁん! どさっと異形化したヤクザが倒れる。
「だから、何がですのん?」
「これでも一応、深域の異形です。斬れば、二十四時間眠れなくなるんですか?」
ぱん! ぱぱぱぱぱぱぱぱぁん!
これは最初の弾で倒れた相手に頭がなくなるまで撃ち込む音だ。
「ひでえ」
「で、どうなんですか?」
「寝れるけど。こんな雑魚斬るたびに睡眠不足に陥ってたんじゃ、体がもたん」
「どんな異形なら眠れなくなるんですか?」
きゃああ! 咄嗟に狙いを外す。手を上げ、目に涙をためた女中。
サキが顎で敵を排除済みの道を指し、逃げるよう促す。
「向こうの世界、――世界って言っていいのかチョット微妙だが、とにかく向こうからやってくるやつ。これを斬ると眠れなくなる」
「そうですか」
弾の切れた弾倉を取り外し、バナナ型弾倉を付け替える。
「正直に言うとな」
「なんですか、急に」
「あの子、霊媒師の才能がある」
「それは誉め言葉ですか?」
「残念ながら、あまり」
「それで、何の話ですか?」
「幻視で祠が見えるって言っただろ?」
「ええ。そのようですね」
「それは霊媒師の才能がある、サナちゃんがさ、歪みの噴出地に近づいたことで、おれの能力に作用して、それで割とはっきりとした幻視が見えるようになったと思ってた」
「博士も、ここ最近、幻視がずっとはっきり見えたと言っていました。悔しいですが、あなたと博士のあいだには相乗効果があるようです」
「そう、それなんだよ。おれが見てるあの祠は、つまり、あの子がさ、祠を見つけてつぶしたいと思ってるから、おれにも見えるんだ」
「もっと単刀直入に言ってください。何の話なんですか?」
「あの子、お前が好きだぞ」
「は?」
「だから、単刀直入に言っただろ。あの子、お前が好きだ。それもめっちゃ好きだ」
「い、一体、そんな――何を根拠に!」
「そこでさっきの話に戻る。おれが祠を見るのはあの子が祠にたどり着きたいから。おれが怪我だらけのお前を見るのは、あの子がお前を好きだから」
「そんなこと、あるわけが――僕は機体です! 機械です! それに、――ぁ、僕は、人間ではありません……」
サキはうつむく。
「それなら心配ないって。おれのダチに日本人形を自分の嫁にして、初夜は――」
弾丸発射。弾丸防御。
「いきなり撃つなよ! 悪い癖だぞ!」
「こっちは、あなたの――く、――もういいです」
「え? ほんとに? いま、おれに何が見えてるか知りたくない?」
「結構です。僕は機体です。それ以上でもそれ以下でもない」
「ふーん」
「なんですか?」
「いや、べつに~」
金箔に、親、分の文字を配した襖二枚を蹴破る。
吹き抜けの螺旋階段。吹き抜けの底は何も知らない酔客と遊女。上は――何がいるのかは見てのお楽しみだ。




