十一
午後五時三十七分着、上部夏海原行きのケーブルカーに乗って、階段状の漫画絵だらけの車内を探すと最上段にふたり――サナとサキが乗っていた。
先に気づいたのはサキのほうで銃を抜くと、三人いた他の乗客は慌てて、窓から逃げ出した。
「たびたびおれの幻視に登場してくる、あの祠。ぶっ壊してるみたいだけど、あれって、なあに?」
サキの顔が険しくなる。
「教える理由はありません。あれにこだわるようなら排除します」
「サキ。それはダメ」
「しかし、博士。これだけはいけません。彼がやつらとどういう関係にあるのか、まだ不明瞭な状態です。祠に関わろうとする以上、可能性は全て断ちます」
発射された弾を鬼青江の抜刀で弾く。弾が吊り革をひとつ落として、活動漫画に魂を売った仁丹の広告に穴を開けたころには鬼青江は鞘に戻っていた。
「――なっ」
「関係ないってわけじゃないんだぞ。こっちは寝ようとするたびに、幻視で出てきて、寝れないんだからな。せめて、この幻視を見なくて済むようなヒントくらい、教えてくれてもいいんでないでげすか?」
サナが驚く。
「幻視? あなたは祠を見ることができるのですか?」
「寝ようと思ったら、あの画像がしつこくてさ。もう、寝れんわけよ。これじゃあ、もうカルモチンをがぶ飲みするしか――」
「どうして――幻視は深層知能との関与がなければ、起きないはず」
「なんか悩んでるようだけど、おれ、霊媒師なんよ。だから、歪みから発生するものは見えたり、蹴ったり、冷蔵庫に押し込んだりできるわけ」
「……では、あなたはそうした怪異が一種の霊的存在によって引き起こされると信じているわけですか?」
冬次郎は首をふった。
「いや。あれは霊界とかそんなもんじゃない。まあ、分からないからおれは〈歪み〉って呼んでる。実際、そう呼ぶしかない。歪みが出るところでは、明らかに時間の進み方がおかしくて、吐きそうになる。まあ、吐かないんだけど」
「それでは、あなたは深層知能エネルギーについて、わたしたちと近い理解にあるということですか?」
「えーと、それはつまり歪みに直面してもゲロ吐かないかってこと?」
咄嗟に銃弾をはじき返す。
「博士がたずねています。真面目に答えてください」
「いきなり撃つこたないじゃん! 当たったらどうするんだよ。……まあ、同じだと思うよ。おれたちが妖怪とか土地の神さまって呼んでるのは、たいてい歪みがひどい場所に禁足地をつくる。おれたちとは違う次元に何かあって、それがこっちにあらわれたとき、おれたちは自分たちの理解に手っ取り早く納得のいくものをあててる。神さまとか妖怪とか地獄とか。まるで、歪み自身がおれたちの考えを勝手に覗いて、一番都合のいい誤解をばらまくみたいに」
それから六十秒間の沈黙。
冬次郎は、少女の言葉次第で弾が飛んでくるんだろうなあ、五発までなら弾けるが、それ以上だと体がレンコンみたいに穴だらけになるなあ、と思いながら、少年のトランクのようなものに機関銃が入っていないと楽観できる材料を見つけようとした。
が、何度考えても、それは見つからず、ケーブルカーが第二号線と並んだあたりで、少女は突然、冬次郎のほうを見た。
なんだか、その後に、やっぱこいつを撃て、と言われそうなくらい凛とした表情に冬次郎は窓から飛び出す算段をつけたが、
「あなたにお願いがあります」
「博士。まさか、彼を信じるつもりですか?」
「はい。お願いします。わたしたちを助けてください。どうしても止めなければいけないことが――」
サキがサナにとっさにぶつかって床に伏せさせた。
冬次郎にはぶつかってくれる人がいないので、自分で床に伏せ、降ってくるであろうガラス片から頭を手でかばって、必死に「おれは床、おれは床」と繰り返しながら、身を低くした。
銃弾の嵐が止んでから、窓枠から頭半分だけ出してみると、第二号線のケーブルカーがヤクザを満杯にして、こちらのケーブルカーを追っていた。
冬次郎が見たのは壊れたドアから相撲取りみたいな大柄のヤクザが諸肌脱ぎにして九二式重機関銃を抱えて、三十発の保弾板を装填しようとしているところだった。
「チッ。――信用する以上、少しは役に立ってください」
サキがアメリカ製のコルトを放る。
「任せてよ。うりゃ」
目標、九二式の大男。距離三メートル。装弾数、八――全弾外れ。
「あなた、本気ですか?」
「これ、銃身曲がってる」
冬次郎から投げ渡されたコルトの挿弾子を再装填して、対して狙いもせず、二度撃つとヤクザがひとり、窓から飛び出して、崖へ落ちた。
「銃身は正常です」
「ちょっと言うてみただけやん」
九二式重機の装填が終わる槓桿の引き戻し音。
咄嗟に伏せる。
この機関銃のために作られた九二式実包の嵐がケーブルカーをレンコンにしていく。
四キロ先の騎兵に命中して、乗り手と馬が死んだという弾をほんの十メートル先から撃たれるのはあまり気持ちのいいものではない。
「いまだ、行け!」
ガラガラした声がして、カンカン帽をかぶったヤクザが窓に飛びついて、南部拳銃で冬次郎を狙う――と思ったころにはその腕が銃ごと切り飛ばされ、次にカンカン帽の首がころりと落ちて、体は三秒遅れで線路に落ちた。
その抜刀術はサキの目をもってしても捉えることができなかった。
「博士、ここで伏せて動かないでください」
サキはトランクにダイヤルを打ち、大口径火焔弾小銃に変形させると、階段を走り降りて、九二式重機関銃の大男と真っ向から撃ち合った。
座席が引きちぎれ、屋根から火花の雨が降ったが、サキの正確な発射は重機関銃の保弾板に命中した。
残り十七発の弾丸が爆発して、真鍮のはめ金から飛び出し、ケーブルカーのなかを跳ねまわり、頭を失った大男が飛び散って、他のヤクザたちも顎や指、脇腹を吹き飛ばされ、次々と倒れていく。
ビールケースに入れられていた火炎瓶が砕け散る音がすると、第二号線ケーブルカーが誕生日ケーキのローソクみたいにメラメラ燃え出し、吹き消してくれる主役もいないまま、動きを止め、後方へと滑り落ちていった。
ヤクザたちは弾薬工場の株でも買い占めたみたいに大量の弾丸を積んでいたらしく、五十メートル以上離れていても、その誘爆した弾がカツンカツンと屋根に当たる。
「博士!」
慌てたサキの声で振り向くと、サナが左の二の腕をおさえる指のあいだから血が流れていく。
「大丈夫です」
「僕がいながら――申し訳あ――」
「謝ったりしないで。お願いです」
そのとき、左側の窓から粘っこい炎が吹き込んだ。サキが武装トランクを盾にして、サナをかばう。
そして、かばってくれる人がいない冬次郎はチェッと面白くなさげに伏せて、ノーフォーク・ジャケットの裾に着いた小さな火をはたき落とした。
後方の空を見れば、軍の偵察用羽ばたき式飛行機が自機左の翼上にケーブルカーを捉えるように旋回している。
その機首には消防隊のホースみたいなものがあり、着火用の小さなバーナーがちらちらと風に負けずに光の尾を引いている。
サキの演算能力は【負傷した博士】に囚われている。
ここは大人としてイイトコ見せて頑張らなければならないが、相手は空を飛んでいる。
航空機銃ではなく、射程の短い火炎放射器を使うのはこちらに対空迎撃能力がないというなめくさった誤解によるものだ。
方法はある。あるが、気が乗らない。
シャリアピン・ステーキになるかならぬかの瀬戸際で何を余裕なことを言っているのかと言う向きもあるだろうが、あれを使うと、翌日、体じゅうの関節が悲鳴を上げるのだ。筋肉痛の極意。四十肩の十年飛び級。これは冗談ではなくオソロシイ痛みなのだ。
「あれ、そういえば」
ふと、どうしてケーブルカーが動いているのか考えた。誰かが運転しているのは間違いないが、サナとサキではない。
まさかと思って見てみると、運転手がきちんと座って、ケーブルカーを操っていた。
もぞもぞ階段をよじ登り、頭のすぐ上を真横に飛ぶ炎をかわしながら、運転席を見ると、気だるい顔にプロ意識を漂わせ、ヤクザと少年兵器の銃撃戦も航空攻撃も自分には何の意味もないのだというニヒリズムで見事に武装している。
運転はこのまま任せてもいいかと思い、また、階段をかたつむりみたいに這い降りた。
オーニソプターはまた左へ旋回し、ケーブルカーの真後ろからこんがり焼く気で飛んでくる。これまでの銃撃戦でつけた穴を見ると、天井への火炎は即シャリアピン・ステーキだ。
オーニソプターが真後ろに位置を取ると、冬次郎は腰を落とし、鮫皮巻の柄に手を軽く触れさせ、相手を見る。
木炭エンジンから生えたキャンバス地の翼がバタバタはばたき、火炎放射用ホース口の虚空がこっちを真っ直ぐ見据えている。
スロットル全開で排気が大袈裟なくらい横へ噴くころには筋肉痛の極意、四十肩の十年飛び級の覚悟を終え、敵機六時の方向距離七十メートルの位置で切っ先を真上へ逃がすように抜刀した。
『抜刀真空斬』とでも名づけるべき衝撃波がケーブルカーの端を斬り飛ばし、空気を切り裂き、火炎ホースを切り裂き、操縦士を切り裂き、操縦士の背中に彫られた弁財天を切り裂き、木炭エンジンを切り裂き、エトリッヒ・タウベもどきの機体を切り裂き、尾翼を切り裂き、さらに三十メートルの距離を吹く北風を切り裂いた。
翼が無駄にバタつきながら火炎放射器の燃料が爆発し、ふたつの火の玉が左右へ吹き流れ、煤と消えた。
「っしゃ! 見たか! おらあ! これで一週間筋肉痛間違いなしじゃあ!」
勝利の雄叫びを上げる、その後ろで、一個の手榴弾が爆発した。




