十
青い飛行船が吊り下げたテレビジヨンに目の大きな描き方をされた少年少女たちが猫の耳を生やして、巨大な人型機械を操縦し、宇宙戦争を戦っている。
冬次郎も霊媒師をしているので、半人半獣の知り合いがいる。
彼ら彼女らの獣の耳は人間の耳の位置に生えている。
だが、この活動漫画の主人公たちの耳は頭の上のほうに生えている。ということは聴力は二倍なのだろうか?
そんなことを考えて、ボーっとしている暇もない。
携帯活動漫画視聴機で視界を塞いだまま歩く人びとが人身事故一歩手前な綱渡りをしていて、それに巻き込まれそうになる。
フィルム再生装置入りカバンを肩から下げ、眼鏡型スクリーンをかけて、活動漫画を視聴する。
現在、皇国議会では視聴機をかけたまま歩いている人間を自動車で轢いても罪にはならないという法案が審議されていて、すでに庶民院は通り、貴族院、枢密院もお墨付きを与える予定。
あとはこの法案を悪用した保険金殺人を事前に防止する立法を少し加えるだけだ。
空想漫画の看板が並び、提灯が並び、路上で踊る美少年たちが並び、改造ドールが並ぶ。
屋台で買ったラヂオ焼きを食べながら、ぶらつく。
装甲列車の爆発の黒煙で真夜中のような暗さ。
電灯とガス灯は全部点灯し、ショーウィンドウもアセチレン灯をつけているので縁日の様相。
白々とした光で活動漫画キャラクターのセルロイドお面が異様にギラギラしている。
活動漫画は非常に流行っていて、海外でも注目されているということで、政府も補助金や王族の名を冠した競技会などをつくり、活動漫画にカンフル剤を打つのだが、とはいっても、もろ手を挙げての大賛成をしているわけではない。
エロ・グロ・ナンセンスその他公序良俗に反する活動漫画は禁止されている。
どんなものが禁止されるかと言うと、ほとんど裸に近い格好の、大きな目をした美少女が指差すだけで二角帽を頭に乗せた大臣の頭が吹き飛んで、脳漿が飛び散るようなものは検閲で不可とされる。
この手の非合法な活動漫画はアングラと呼ばれ、一部の偏愛者のあいだで鑑賞される。
そんな街に冬次郎がやってきたのは、ひどい損傷を背中に受けた機械少年の姿を幻視で見たからだ。いや、見るなんて生温いものではない。まぶたをこじ開け、警察手帳みたいにねじ込んだ。ふたりを見つけるまで、幻視は冬次郎を手放してくれない。
夏海原は活動漫画の都になる前はラヂオ部品その他、機械、それに人体機械化手術に強い街だった。
ただ、ある種の禁止された機械部品や強化手術があり、それらは地下に潜って、営業した。
アングラは活動漫画が初めてではなく、繰り返される人間の性なのだ――。
煙草を取り出す。外国人観光客を意識して作った公衆ライターが白い陶器の手を添えて、煙草に火をつけた。
――つまり、あれだけの損傷を受けた機械人間を修理する、それもヤクザや日本効率化協会に見つからずに修理するには機械工学のアングラを頼らないといけない。
そんなことができる人間は少ない。そして、その少ない連中を冬次郎は知っている。彼らの貴重なアングラに取りついた歪みを祓ってやったからだ。
街の北側は車内が階段になっている斜上ケーブルカーが運航する坂道で、複数階層を為す立体迷路になっている――『機械修理ヤリ〼』『カフェー・ノラクラ』『宿 HOTEL』『アニメ専門店』『ポスター』『質屋・徳兵衛』『タコ焼き』『計算装置』。
肉桂色に塗られたケーブルカーが斜め四十五度で走り過ぎるたびに迷路は震えた。崩壊事故の見出しがテクニカラーではっきり見えるくらいに。ひょっとすると、これも幻視の一種なのかもしれない。
白熱套のすえたにおいがする街角から北を眺めると、都市はホタルイカの泳ぐ海みたいに光を散らばらせ、そして、ある線を境に光は消える。
そこから先は荒野だ。
小さな空港や農場くらいはあるかもしれない。だが、それだけだ。
本当に何もない。
獄楽は海や荒野に囲まれていて、都市として隔絶されている。だから、独立の気風があり、政府はその気風を潰そうとお勉強しかしてこなかった新任の官僚を送ってくる。
獄楽の住人はクソ意地が悪いので、そういう世間知らずのガキを精神的にも物理的にもぺちゃんこにして、皇都に送り返していた。
テレビ購入希望者のための金貸しの事務所があり、隣には横流しされた軍服にアニメ・スタアの絵を印刷して売る店がある。
そのふたつの店のあいだ、あふれるゴミ箱で塞がりかけた奥に小さな扉がある。
ペンキが剥げた赤い扉を押すと、狭い部屋。
カウンターには老人がひとり、高柳式テレビ受像機から垂れ流される活動漫画を見ながら缶詰の汁粉をスプーンで食べていた。
その反対側には活字みたいな小さな出っ張りが数千数万取りつけられた機械仕掛けの塔がカチカチと音を鳴らしていて、そこからつながる電線の先に猿が座っていた。赤と青と黄色の信号ランプが取りつけられた帽子をかぶり、猿の頭脳がランプをつけて、是非を判断する。
青。通行化だ。
螺旋階段を降りた先には中毒者たちが数人ごとに集まって、円座を描いて座っていた。
中央の天井でまわるフィルムからメガネが垂れ下がり、それをかけて、活動漫画を見る。
まわりにはアンパンの包み紙と牛乳瓶が散乱していた。浮浪者のような身なりのものがほとんどだが、華族らしい礼装姿のものもいる。サンフランシスコのアヘン窟もこんなものなのだろう。
竹細工で足場を補強した通路があり、赤く錆びたドアが奥にあり、表札に〈無敵病院〉とある。
大胆不遜な名前の病院だと思うだろうが、これが本名なのだ。
山田無敵。
本人からきいた話だが、父親は山田古今無双、母親は山田驚天動地で、息子の名前はささやかなものにしようとして、四文字熟語から離れて、ただの無敵になった。
「太郎のほうがどんなにマシか」
無敵の名を冠する山田は機械化手術の腕を除けば、ごく普通の山田だった。
顔つき、背丈、声、好きな食べ物。どれをとっても普通であり、まさに山田太郎と名づけられるべき存在だが、彼は無敵だった。
「役所とかに名前変えたいって届け出出さなかったん?」
「出したけど、正当な理由がないと却下された」
「その窓口、自分が普通の名前つけられたから、そんなことのんきなことが言えるんだよ」
「そいつの名前は佐藤絶対零度だったよ。あれほどの憎しみをたたえた目を、おれは見たことがない。それで何のようだっけ?」
「客が来なかった? 女の子と少年型の機械」
「来た。背中がメチャクチャなことになってたから、きれいさっぱり直したよ」
「応急措置じゃなくて?」
「あのくらいの手術に十分もかからん」
「ほんと、そこんところだけは無敵だよなあ」
「正直なとこ、おれが手掛けた機械のなかで一番出来のいい機械だった。あんなもんを一から組み立てるほどの才能があったら、無敵って名前も我慢できる」
無敵は煙草をつけた。
「見てくれよ、このドリル。純国産。安かったから買ったが、二回使ったら壊れやがった。最近、こんなことばっかりだ」
「それでさ、そのふたり、どこに行くって言ってた?」
「国粋主義者はクズばかりだ。クズを売りつけるやつをクズと呼んでも何ら差し支えないし、クズが信じるイズムだってクズに決まってる。他のどの場面でもスバラシイ主義思想だって、おれにクズみたいなドリルしか売りつけられない時点でクズなんだよ」
「ほんと、ほんと。で、ふたりだけど――」
「まあ、待て。この地下世界もクズばかりだ。活動漫画が麻薬になるなんて、誰が想像できた。二十年以上前、ぐりぐりした目の桃太郎が流れていたときは考えもしなかった。子どものおもちゃさ。それが、いまじゃ大の大人が立派な中毒症状だよ。麻酔の代わりになるんだぜ? 嘘じゃない、本当だ。そいつ、左腕に極小映画館を作ってほしいっていうから手術したんだが、そいつはアングラをほんの五分見るだけで、左腕切断の手術を乗り切った。この目で見なきゃ信じられん話だ」
「それで――」
「無敵って名前はあいつらが冠するべきものだよな。実際、敵がいない。活動漫画さえ見られれば、それで満足なんだ。地上世界の一切合財が全滅爆弾で拭い取られても、目の大きな女の子が猫の耳つけて、メイド服着て、膝枕してくれれば、それでいいんだ」
「で――」
「まあ、待て。ケーブルカーの時刻表を見るから。このあたりの道は鉄筋のないコンクリートを竹で補強してる。そんなことしたら、道が崩れて、誰かが落っこちるのは早晩起こることだ。うん。そうか。午後五時三十七分。これだな。あの機械少年はなかなかのジェントルマンだったぞ。道が崩れて落下するとき、ちゃんと女の子をしっかり抱いてかばった。おそらく午後五時三十七分の便で地上に戻ろうとしているはずだ。駅はここを出て、右手へずっと行け。じゃあ、日本製のドリルをけなしたくなったら、来てくれ。一緒にめちゃめちゃにけなしてやろう。ついでに指全部ドリルにしてやれる。もちろん日本製だ。チキショーめ」




