ヴィンセント到着
リュディアは、ベアトリスは嘘をついていないと思った。
瞳の色に嘘が見えなかった。
リュディアはこれまで、色々なタイプの令嬢を見てきたので、女の嘘泣きを見抜くのは慣れていた。
瞳の色以外でも、そうした過去の経験から目の前のベアトリスを見ても、どこにも嘘が見えない。
ヴィンセント殿下とベアトリスの仲が良いというのは、ベアトリスの為人を調べる過程でアリソン公爵夫人から聞いている。
これ以上好きになって、結局婚約者が心変わりしたらつらいだろう。
「ベアトリス、あなたの気持ちがわかるわ。もうね、留学期間が終わっても、ここにいて良いのよ。なんなら、どなたか紹介しようかしら」
突然ベアトリスに入れ込み始めたリュディアに、周りの監視の目は驚愕に見開いていた。
そもそも、ベアトリスの言う理由が『はあ?』的な内容だし、それに共感して力強く慰めるなんて信じられないと。
今まで、リュディアの判断に間違いはなかった。
そのため、一度信がおけると判断すると味方になるのも早く、ベアトリスに対してはまさにその状況だった。
それをよく知るアンドレアス皇太子は、かわりにしっかり見極めようと注視した。
アンドレアスが居る所は、二人の声がよく聞こえるように設計されたサロンで、たいていの話し声はしっかりと耳に入る。
アンドレアスのほか、アリソン公爵、宰相のワイルダー侯爵が聞き耳をたてている。
もちろん目視もできるようになっているので、視線は外さない。
ポロポロと泣くベアトリスは子供のようで、いくら二人きりとはいえ、こんなに泣く高位貴族は見たことがない。
それは、感情を表に出さないという教育がなされているためで、アリソン公爵夫人がベアトリスだと言わなければ、偽者だと判断されてしまったかもしれないほどだった。
リュディアはベアトリスを慰めて、ベアトリスはやっと涙がおさまった。
「申し訳ありません。いきなりこんな失礼を」
「良いのよ、ベアトリス。婚約者の心変わりを見るのはつらいものね。もし私だとしても、そんなものは見たくないと思うわ」
ヴィンセントの心変わりが決定したかのような言い方に、アンドレアスはこめかみを軽くマッサージした。頭が痛い。
聖女を召喚した直後にワイス帝国へやってくるというのは、聖女よりもベアトリスを優先したということではないか。リュディアはヴィンセントが今現在こちらへ向かっていることを知っているのに、なぜそれに思い至らないのか。
アンドレアスはこめかみを人差し指でグリグリ揉み込みながら、とりあえずお茶会の最後までは監視していた。
「私、ベアトリスを応援しますわ。もうバルフォアへ帰らなくても良いように、新しい婚約者を探します」
部屋へ戻ると、リュディアが開口一番そう宣言した。
アンドレアスは頭痛がぶり返してきた。
「今、ヴィンセント殿下がこちらへ向かっていることは知っているよね」
「はい。存じております」
「それは、ベアトリスに会いたいからだと思わないか?」
「今はそうでも、これから先はわかりません」
「二人を別れさせるより、このまま仲良くというのは無理なのだろうか」
「知り合いが誰もいないところへ呼ばれて、心細い思いをしている聖女へ寄り添う王太子。聖女がその王太子に心を寄せても不思議はございません。聖女という存在は、どの国でも唯一無二です。その存在が求めたら断ることなどできないでしょう?」
今までの記録上、聖女が王太子と結婚する率が高いのは、きっとそれが一番の理由だろう。それはバルフォア国を客観的に見て、あの国は聖女を国に留め置くためにわざとその状況を作り出したのでは、とも見える。
そしてそれをベアトリスは理解して、身を引くためにワイス帝国へ留学したと言っていた。
ならば、こちらへ向かっているヴィンセント殿下はどう思っているのだろう。
今、聖女のお世話は誰がしているのだろうか。
先日届いた親書には、いつまで滞在とは書かれていなかった。
往復だけでも二週間。こちらでの滞在を少なくとも二日と見ても、その間は王太子ではない誰かが世話をしているはず。
不安で一杯の聖女が側にいる者に心を寄せると言うのなら、その相手はヴィンセント殿下ではないのでは。
アンドレアスはそのあたりをリュディアに話し、少し冷静になったリュディアも一緒に考え始めた。
ベアトリスの言葉に嘘はなかったことから、ベアトリスはヴィンセントを好きなあまり、聖女の隣にいる婚約者の姿を見たくないと思ったのは本当なのだろう。
ならば、今回のベアトリスの留学を利用して、バルフォア国が何か考えてヴィンセントを送り込んだ可能性もある。
これはヴィンセントが到着してから、またリュディアに見てもらわなくてはわからない。
とりあえず、ヴィンセントが到着した日の晩餐で、軽く話を振って真偽を確かめることにする、と皇帝ヘ報告した。
ベアトリスの学園への最初の登園日は、移動中の体調不良があった場合を考慮して、到着から一週間後を予定していた。
しかし、さらに一週間早く帝国へ到着したため、かなり余暇ができた。
その間、ベアトリスは叔母のソニア・アリソン公爵夫人と、帝都を見て歩いた。
王都も栄えていたが、帝都はさらに上をいく賑やかさで、さらに治安も良かった。
街は綺麗で花壇もあり、大きな街なのに清々しい。
ベアトリスは、ソニアと二日続けて街歩きをした。
ソニアは、今回ベアトリスとの交換留学でバルフォア国へ行った長男クレイヴと、次男のトーハンという二人の息子しかいなかったので、娘がいたらこんな感じなのかしら、とベアトリスとの街歩きを楽しんだ。
ソニアは、ベアトリスから留学の理由や早く来た訳を聞いた。
やはり涙を流しながら話すベアトリスに、思わずもらい泣きして同情もした。
ヴィンセントが帝国へ向かっているという情報は、王家と宰相までで止まっている。ソニアの夫である公爵すら知らされていなかった。
アリソン公爵は、後宮のサロンで聞いたことと同じ話を、まるで初めて聞くかのような顔をしてソニアと二人で聞いた。
ベアトリスは、後宮では話さなかった同級生の召喚士からの嫌がらせによる『聖女召喚の日をベアトリスの誕生日にぶつけた』ことも話した。
その召喚士が処罰されたことは言わなかったが、『聖女の召喚ですから、王家の方が立ち会うのは仕方がないとわかっているんです。でも、やっぱり捨てられた気がして寂しくて。とてもじゃないけど、その日をバルフォアで迎えられなかったんです』としゃくりあげながら話すベアトリスに、ソニアは優しく抱きしめて、『かわいそうに。留学の期間が終わっても、ここにいていいのよ』と宥めた。
サロンのときも今も、ベアトリスからは嘘を言っている様子は見えない。
これは本当なんだろう、とアリソン公爵も信じることにした。
アリソン公爵が、兄である皇帝からヴィンセントが帝国へ向かっていると聞いたのは、ヴィンセントが到着する予定日の前日だった。
ヴィンセントはまず皇城へ挨拶に来るだろうが、聖女を放ってベアトリスを追いかけて来たのだ。きっと早々にアリソン公爵家へと向かうだろう。
そのような想定のもとで伝えられたのだが、いきなり裏切られる形となった。
ヴィンセントは皇城へ行かずに、まずアリソン公爵邸へ向かったからだった。
アリソン公爵は、ヴィンセントの帝都到着は夕方になると聞いていたので、きっと公爵邸へは翌日になるだろうと想定していた。
しかし、想定の中では皇城で迎えられている時間に、自分の目の前でアルカイックスマイルを見せるヴィンセントがいて、ほんの少し動揺する。
この日ベアトリスはソニアに連れられ、通う予定の学園の見学に行っていたため、不在だった。
そうヴィンセントに伝えると明らかに落胆し、翌日の再訪を伝えて皇城へと向かった。
先触れもなくいきなり訪ねられても、とは思うが相手は隣国の王太子。それを言うことは憚られ、せめて再訪を伝えられたことだけでも良しとしようと、アリソン公爵は切り替えた。
さて、ヴィンセントが来たことをベアトリスに伝えるべきか。明日の再訪予定も言うべきか。
伝えたらベアトリスが逃げる気がする。
一応友好国であるバルフォア国の王太子に、どのような形であれ『明日来るから、ベアトリスに会わせるように』的な圧をかけられたら、ベアトリスに会わせないというのはまずい。
かといって会わせたときに、ヴィンセントから何か謀の指示をされても困る。
アリソン公爵は、すぐに皇帝と皇太子へ早馬を出し、事の次第を伝え指示を仰いだ。
アリソン公爵家からの早馬は、ヴィンセントの馬車より早く皇城へ着き、皇帝と皇太子は翌日の予定をたてた。
皇帝夫妻も皇太子夫妻も、元々ヴィンセントへの応対のため予定は空けてあったが、これは突発的な何かを想定してのことだった。しかし空けておいてよかった、と宰相は思った。
翌日の皇家の予定が組まれた頃、ヴィンセントが皇城へ到着し、皇帝への挨拶のため謁見の間に通された。
謁見の間には、皇帝のほか皇太子夫妻も同席し、リュディアはヴィンセントの瞳から目を逸らさなかった。
「遠路はるばるようこそヴィンセント殿下。この度は、婚約者のベアトリス・レミントン公爵令嬢が留学されるとのことで、先日皇太子妃のリュディアがお茶を共に楽しんだ。随分と愛らしいとの報告をもらっている」
「ありがとうございます。皇帝陛下におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げます。婚約者のベアトリス・レミントンはアリソン公爵家にてお世話になることになっておりますが、私との婚姻後は皇家の皆様方と交流もあろうかと思い、まずはご挨拶にと参った次第です」
「皇太子と皇太子妃は、お二方と三歳違いと年が近い。ぜひこれからも交流を深め、互いの国益となるよう願っている」
「ありがとうございます。我がバルフォア国も同じく、ワイス帝国と今後益々の友好を希望します」
リュディアの見たところ、今の段階では嘘は見えなかった。
両国の友好を希望するというときも、もちろん瞳の色に変化はなく、まだなんとも判断ができなかった。
とはいえ、この場は到着の挨拶程度なので、あまり時間はかけられない。
リュディアからの合図でそう判断したアンドレアス皇太子は、『明日ベアトリスを招待して、昼食を共に』と提案した。
もとよりヴィンセントは、アリソン公爵邸へ行ってベアトリスに会うつもりだったので、その提案はありがたく受け入れた。
ヴィンセントが皇城内に用意された客間へと案内された頃、皇太子名でアリソン公爵家へ、ベアトリスを昼食に招待すると手紙を出した。
今回も読んでいただきありがとうございました。
次は明日の二十二時投稿予定です。
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