ベアトリス留学の訳
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聖女の召喚後についてはある程度形が整ってきたが、未だにベアトリスの気持ちは留学一択であることに、ヴィンセントは焦燥感を覚えていた。
なんとかここにいたいと思わせないといけない。
ヴィンセントはよりいっそうベアトリスに向き合った。
朝夕、登下校の度に、わざわざ公爵家へ立ち寄りベアトリスを送迎する。
毎日ベアトリスとランチを共に食べる。
ヴィンセントは過去の経験や記憶、そして新しくリサーチしたことからベアトリスが喜びそうな会話をし、とても楽しい時間を過ごしていた。
楽しく感じていたのはベアトリスも同じで、聖女の召喚がなければ幸せだったのに、と公爵家へ送り届けてもらった後は、必ず部屋でため息をついた。
出発まであと二週間。
ここのところ、毎日ヴィンセントから愛の言葉を囁かれ続けていたベアトリスは、正直耐えられなかった。
ヴィンセントを嫌いだから離れるわけではない。むしろ大好きだ。
ただ聖女の側にいるだけで、ヴィンセントは聖女に惹かれていく。その結果、もしかすると自分は死ぬことになるし、もし聖女が違う誰かの手をとっても、ヴィンセントが聖女に惹かれていたという事実は残る。
"私はそれを知りながら、あなたの側にいられるほど強くはありません"
ベアトリスは、これ以上ヴィンセントへの思いが膨れ上がることに恐怖を覚えた。
"これ以上好きになったら、留学から帰ってきても聖女とヴィンセントを穏やかな気持ちでなんて見られない"
ベアトリスは、父へ一刻も早く留学に出発したいと毎日泣きつき、とうとう父は日々憔悴していく娘の望みを叶え、当初の予定日より一週間前倒しで出発を許した。
いつものように朝の迎えに来たヴィンセントは、ベアトリスが体調不良のためお休みをすると言われたため、体調を気遣う言葉を残して一人学園へ向かった。
ベアトリスはここ数日、目に見えて体調が悪そうだった。
"このまま体調不良が続くなら、城で療養させるか。そうすれば留学がなくなるかもしれない"
ヴィンセントはベアトリスを心配しつつも、呑気にそんなことを考えていた。
既にベアトリスが留学先へ出発していたのを知ったのは、翌朝のことだった。
ベアトリスは意気揚々と出発、とはいかなかった。
やはりヴィンセントとの別れが悲しい。
しかも、絶対に止められると思って、出発が早まったことは話していない。
馬車の中には、マーサも一緒に乗っている。
「ねえ、マーサ。留学から帰ってきても、私はヴィンセント殿下の婚約者でいられるかしら」
「当然婚約者のままですよ。何を心配なさっているんですか?殿下はずっとベアトリス様一筋じゃないですか」
「そうよね」
マーサはゲームを知らない。ベアトリスの心配など、ちゃんちゃらおかしいのだろう。
それでも、マーサから大丈夫だと言われるとやはり嬉しい。
ワイス帝国のアリソン公爵邸へ着くまでの一週間、ベアトリスは、とりあえず死ぬことはなくなっただろうと、それだけを希望として馬車に揺られていた。
ヴィンセントは放心していた。
ベアトリスが何も言わずに留学してしまった。
公爵へ理由を聞いても、『ベアトリスが毎日泣きながら早く出発したいと願ったから』と、納得できない言葉しか返ってこない。
あんなに仲良くしていたのに、自分の何がいけなかったのか。
いくら考えても答えなど出なかった。
こうなったら、ベアトリスを追って帝国へ行こう。本人に直接聞いて、納得できたら諦めよう。そう決意して、国王陛下にワイス帝国へと向かう日時について相談に向かった。
「ヴィンセントは、ベアトリスからの返事に納得したら諦めると申したが、諦めるというのは何を諦めるのだ」
「留学に関してです」
「婚約は」
「私の結婚相手はベアトリス以外にはおりません」
「そうか」
国王は、そうだろうなと呟き、小さく息を吐く。
ヴィンセントにはベアトリスを手放すという考えはなかった。
聖女召喚の儀式に立ち会うというのは王家の義務なので、儀式が終わったら出発しても良い、と陛下から許可が降り、ヴィンセントはやっと気持ちが前向きになり、私室へと戻った。
バルフォア国からワイス帝国へは、ヴィンセント王太子の婚約者が留学するので、その挨拶に向かうと国王が皇帝宛に親書を出した。
親書を受け取った皇帝は、突然の話に何があったのかと密かに調べ始めた。
アリソン公爵邸には、たしかにベアトリス・レミントン公爵令嬢が、留学のために昨日より滞在している。
皇帝の弟であるアリソン公爵が言うには、当初の予定より一週間早く来ただけで、他は別におかしな事はないと言う。
交換留学もきちんとした手順を経て、それを許可する書類には皇帝のサインもある。
"皇太子妃にお茶に誘ってもらって、少し探ってもらうか"
皇帝は、この突然王太子が挨拶に来るという話に釈然としないものを覚え、内々に調査することを決めた。
皇帝からの依頼に、リュディア皇太子妃はすぐに動いた。
今回はアリソン公爵が皇弟であり、その夫人の姪なのでベアトリスは遠縁ということで親睦を深めたい、気軽にいらしてください、と一言添えて招待した。
ベアトリスの父であるバルフォア国のレミントン公爵やバルフォア国王から何か命じられていても、女同士気軽になどと言われれば隙ができるかもしれない。
このリュディア皇太子妃、公にはなっていないが嘘を見破ることができる。
相手が嘘をついていると、嘘をついた人の瞳の色が本来の色とは変わって見えるという。
実際過去に検証してみたが、本当に全てを見破ったため、皇太子妃にと望まれた。
もちろん生家の身分も申し分ない。
社交界でその能力を使っての情報収集、それに基づいた判断を皇太子と共にし、皇帝からの信頼が厚かった。
ベアトリスがアリソン公爵邸に到着早々、リュディア皇太子妃からお茶会の招待をされたことに、アリソン公爵はその意図をくみ取った。
過去に、婚約者が留学するからと挨拶にきた王族はいない。皇家が今回のヴィンセントの訪問に、疑いを持っても仕方がない。そしてアリソン公爵家としては、いくら妻の兄の娘とはいえ、裏があるなら排除しなくてはならない。
アリソン公爵は皇城までは付き添い、お茶会にはベアトリスだけが参加することにした。
きっとお茶会の場所は、監視ができる後宮のサロンだろう。
自分もそこでベアトリスが何を言うのか聞きたい、とアリソン公爵は考えていた。
「ようこそ、長旅でお疲れなのに呼び立ててしまってごめんなさいね」
「リュディア皇太子妃殿下へご挨拶申し上げます。バルフォア国レミントン公爵が娘ベアトリスでございます。どうぞベアトリスとお呼びください」
「ええ、ベアトリス。私は兄と弟という男しか兄弟がいなかったから、妹ができたみたいで嬉しいわ。帝国に滞在中は、姉妹のように親しくして欲しいの」
「勿体ないお言葉です」
「ほら、姉妹はそんなに堅苦しい話し方はしないわ。ここは私とベアトリスしかいないし、もっと砕けた話し方をして。ね、私のこともリュディアと呼んで」
「ありがとうございます。では仰せのままに」
ベアトリスはアリソン公爵邸へ到着して四日後には、リュディア皇太子妃とのお茶会のために後宮へ向かった。
場所はアリソン公爵が予想したとおり、後宮のサロン。ベアトリスは気がついていないが、周りの其処此処から監視の目が光っていた。
リュディア皇太子妃は十九歳。ベアトリスより三歳年上で、今年アンドレアス皇太子と結婚したばかり。
アンドレアス皇太子も十九歳。二人は学園でも同級生だったと聞く。
ベアトリスも弟しかいないので、姉妹の関係には憧れがあった。
社交辞令とわかっていても、知り合いが叔母しかいない所で優しい言葉は嬉しかった。
リュディアの話術はベアトリスの心を掴み、すっかりリラックスして会話を楽しんでいた。
リュディアは頃合いを見て、まずは留学を決めた訳から聞いてみた。
「公爵令嬢で、いずれは王太子妃になるベアトリスが、どうして留学を決めたの?」
「王太子妃になってからだと、ゆっくり帝国の文化に触れることができないと思いました」
「お互いの国を訪問することはあっても、なかなかゆっくりは難しいものね。でも、一週間も早まったのはなぜ?何かあったの?」
ベアトリスは、ぐっと言葉に詰まってしまった。
正直に話しても、絶対に信用してもらえない、
しかし、気持ちが弱っていたベアトリスの心にするっと入ってきたリュディアに、聞いてもらいたい、話して楽になりたいとベアトリスは思った。
「実は先日、バルフォア国内で聖女の召喚を行なったはずなんです。聖女は召喚後王城に部屋を賜り、王族が身の回りの世話を見るのが今までの慣習なんです。だからきっと今頃はヴィンセント殿下が聖女様の隣にいらっしゃると思うんです」
ベアトリスは聖女の隣に立ち、微笑みながら優しく世話を焼いているヴィンセントを想像した。
もう、想像だけでも涙が溢れてくる。
ポロポロと落涙しながらも、なんとか言葉をつなげようとするが、喉が詰まって言葉にならない。
リュディアはその様子をじっと見て、嘘はないか観察していた。涙が溢れて瞳の色が見えづらい。嘘をついているようには見えないが、もう少し見ないとわからない。
リュディアはハンカチを渡しながら、『ゆっくりで良いのよ』と優しく声をかける。
ベアトリスはしゃくり上げながらも、なんとか少し落ち着き、話を再開した。
「い、今までの聖女様は、ヒック、ほとんど王太子様と、うっ、ご結婚されていてぇ、うっ、私、ヴィンセント殿下が聖女様の、て、手を取るのを見たくなくてぇ」
「ヴィンセント殿下をお好きなのね」
ベアトリスはハンカチを目にあてながら、こくこくと頷いた。
「う、もう、それなら暫く離れて、ヒック、お二人が並んでも、笑えるくらいに、うっ、諦めないといけないって思ってぇ」
「お二人の情報が入らないワイス帝国への留学を決めたのね」
またベアトリスはこくこくと頷いた。
「わ、私が留学を決めたら、ヴィンセント殿下が、毎日、うっ、毎日いつも以上に優しくて、うっ、もう、好きになっちゃいけないのにぃ」
ベアトリスはヴィンセントのことが大好き。
次は明日の二十二時に投稿します。
そちらも読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。