ベアトリス生存への道
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「ベアトリス、心配した。大丈夫かい?」
父と一緒にやってきたヴィンセント・バルフォア王太子が、ベアトリスの側に来て小さな声で聞いてきた。
頭が痛いというベアトリスへの気配りだと気がついて、ベアトリスは嬉しくなったが、『聖女が召喚されるまでは仲が良かった』というゲーム内容も思い出す。
「あの女子生徒には、きちんとした罰を与えるから、ベアトリスはしっかりと休んで治して」
ヴィンセントは用意されていた椅子に座り、声は小さいながらも力強く言った。
「ありがとうございます、殿下。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑なのはあの生徒だ。ベアトリスは被害者じゃないか。私はベアトリスが目覚めないと聞いて、心配でたまらなかった」
ヴィンセントをよく見ると、うすく隈が見えた。
優しい殿下のことだ。あまり眠れなかったのかもしれない。
ベアトリスは少し胸が締め付けられた。
「ありがとうございます。殿下、今日はゆっくりお休みください」
「ああ、やはりわかるか。寝ても悪夢を見てしまってね、なかなか」
ヴィンセントはゆるゆると首を振った後、『でも、今日はよく眠れそうだ』と笑った。
ベアトリスの体調を考慮して、ヴィンセントは十分ほどで帰っていった。
ベアトリスはヴィンセントを好きだった。
婚約が決まったのは二人が八歳の時。
同年代の公爵家侯爵家の子どもたちを集めての交流が何度かあり、ヴィンセントがベアトリスと結婚したいとはっきり国王陛下へ伝えたことから婚約が結ばれた。
ベアトリスにとってもヴィンセントは初恋だったので、とても嬉しくて母へ抱きついたことを覚えている。
それから二人は何度も会い、交流を深めお互いを大切に思い合ってきた。
それが突然現れた聖女にあっさり持ってかれる。しかも自分は死ぬ。
初恋も命も奪われるなんて酷い話だ、とベアトリスは溜息をついた。
とりあえず、留学の話を進めてもらおう、今はそれしか道は考えられない。
ベアトリスは、王太子を見送ってからやってきた父へ話をした。
「お父様、ワイス帝国との留学の話はまだ間に合いますか?私、行きたいと思っていますの」
「あの留学の話かい?まだ間に合うが、ベアトリスは王太子妃になるんだから行かなくても良いんだよ」
「いえ、王太子妃になるのだから行ったほうが良いと思うのです。早くから交流を持ったほうがお互いを理解しやすいと思いますし、王太子妃になってからでは長期間の滞在は難しいでしょう?」
「ベアトリスはいろいろと考えているんだね。素晴らしい自慢の娘だ。お前がそこまで考えているのなら、この話はお受けしようか」
「ぜひお願いします、お父様」
我ながらよくまあペラペラと出てくるな、とベアトリスは自分に呆れながらも、父からの返事に安堵した。
公爵である父が言うのなら、ほぼ決定だろう。
その日のベアトリスは、とても良く眠れた。
翌日から、ベアトリスは登校を再開した。
周りは皆心配しながらも登校を喜んでくれて、ベアトリスは声をかけられるたびに感謝を伝えていた。
貴族だけが通うこの学園は、男子クラスと女子クラスに別れているので、ヴィンセントは隣のクラスだ。それでもベアトリスが登校したと聞き、わざわざ女子クラスに顔を出して声をかけてくれた。
周りの女子生徒は二人の姿に、うっとりと憧れの視線を向ける。
お似合いのお二人が、やっといつものようにいらっしゃる。
ヴィンセントが自分のクラスへ戻っても、女子クラスの空気は甘く柔らかく感じた。
その日の夕食時、ベアトリスは父から留学決定の言葉をもらった。
出発はベアトリスの誕生日翌日。
十六歳になるとデビュタントを迎えるが、留学するとなるとそれは叶わない。せめて誕生日だけは祝いたいとの家族の気持ちを、ベアトリスはありがたく思った。
留学先へはマーサがついて行ってくれると言われ、それも嬉しかった。
「少しずつ準備いたしますが、留学先はワイス帝国ですもの。あちらの方がお品物は良いかもしれませんね」
マーサが冗談めかして言うが、実際そうかもしれない。我がバルフォア国よりもワイス帝国は強大だ。属国にならずに済んでいるのは、偏に今までの国王と皇帝の関係性が良かったからだと言われている。
その良好な関係を維持するために、留学制度があり、時には両国の貴族間での婚姻もあった。
今回の留学でベアトリスの身元引受人となったソニア・アリソン公爵夫人は、ベアトリスの父の妹であり、ワイス帝国皇帝の皇弟夫人である。今回はそのアリソン公爵の息子がこちらへ留学する。
簡単に言えば、いとこ同士が交換留学する。
そういった経緯があるので、留学の話は早かった。
母は、ワイス帝国へ持っていくためのドレスや宝飾品を作るために、早速翌日には公爵家出入りの服飾屋を呼び、数着デザインを選び、それに合わせた宝飾品も選んだ。
三歳下で十三歳になるベアトリスの弟ライノルトは、嬉々として準備している家族の姿を見て、一人不安を感じていた。
いつも遊んでくれる優しいお兄ちゃんは実は王太子で、いつの間にかベアトリスと婚約して、『私達は兄弟になるんだよ』と教えてくれた。
ライノルトには優しいが、実はとても嫉妬深いと気がついたのは二年ほど前のこと。
学園入学前は、ベアトリスが城へヴィンセントに会いに行ったり、ヴィンセントが公爵家へいらしたりして交流していた。
いつものようにヴィンセントが公爵家へいらした時のことだ。
たまたまワイス帝国にいる従兄弟が一ヶ月遊びに来ていた。
従兄弟はベアトリスと同じ年で話が合うらしく、いつも三人で一緒にいた。
ヴィンセントは、従兄弟を紹介された時にはにこやかでいつもの殿下だった。
その日は暑い日だったので、公爵家の庭に流れる小川に、四人並んで足をつけて涼んでいた。
並びは、ヴィンセント、ベアトリス、従兄弟、ライノルトだったと記憶している。
母が、お茶にしましょうと声をかけたので、皆が足を拭き、母が用意した木陰へと移動した。
その時、ベアトリスが使用していた布巾を小川へ落としてしまい、従兄弟が何気なくベアトリスの足を自分が持っていた布巾で拭いてあげた。
ベアトリスは、そそっかしくていけないわね、ありがとう、なんて言って皆で笑ったが、ヴィンセントだけは笑っていなかった。
もう、射殺さんばかりの目で従兄弟を睨みつけ、うっかり見てしまったライノルトはすぐに目をそらした。
見たことがバレたら、絶対に殺される。
そんな恐怖を感じる一瞬だった。
その恐怖は、一週間後にも感じた。
その日はベアトリスが城へヴィンセントに会いに行った。
午前中に公爵家を出て、ベアトリスが帰ってきたのは夕方。
王家の紋章のついた馬車が馬車寄せへと入ってきたので、ライノルトと従兄弟が迎えに出た。
馬車の扉が開いた時、従兄弟が、『ベティおかえり』と声をかけた。
その時、先に降りベアトリスへと手を差し出していたヴィンセントから一瞬殺気がブワリと広がり、ライノルトは鳥肌が治まらなかった。
ベアトリスは全く気が付かず、『ただいま。ゆっくりしてきちゃったわ』と皆に笑みをふりまき、ヴィンセントは瞬時にいつもの王太子の顔に戻っていたが、ライノルトはさすがにヤバいと思うようになった。
ヴィンセントの悋気だとは理解した。しかし、従兄弟は翌週には自国へ帰る。
あと少し乗り切ったら平気だろうと思っていたが、対象者は従兄弟に限らなかった。
従兄弟が帰国して二ヶ月後。その日はベアトリスが城へと向かった。
ヴィンセントがライノルトに本を貸してくれるとの話だったので、その日は自分もついて行った。
昼過ぎに向かい、ヴィンセントの私室へと通されたライノルトたちを、殿下はいつもの優しい笑顔で迎えてくれた。
ヴィンセントの護衛についていた近衛騎士が扉を開ける。
「あら、前回もいらした方ですね」
ベアトリスがその近衛騎士に言った一言で、ヴィンセントは厳しい視線を近衛騎士に向けていた。
ベアトリスは全く気が付かず、にこにこと微笑んでいたけど、睨まれた近衛騎士は、『はっ、そうですっ』と答えるのが精一杯で顔色が悪くなり、正直かわいそうになった。
そんなことが何度か見られた。
もちろん相手は不特定多数。とにかくベアトリスに関わる男は、ライノルト以外が全て対象者になっていた。
そんなに思われているベアトリスが留学。
はたして本当に行けるのか。
ヴィンセントは黙って見ているのだろうか。
ライノルトは不安で仕方がない。
ヴィンセントがベアトリスの留学を知ったのは、公爵家に決定通知が届いた二日後。
夕方にその話を聞いて、ヴィンセントは翌日登校してきたベアトリスを優雅に誘い、空き教室へと連れ込んだ。
「ねえ、留学するって聞いたよ。本当に?ワイス帝国の皇都は遠いよ。会えなくなるのに、ベティは平気なの?」
「私はいずれ殿下に嫁ぐのです。ワイス帝国は我が国にとって大切な国ですから、今のうちに交流を深めたほうが良いと思いました。もちろん、殿下と会えなくなるのは寂しく思います。でも、それ以上に今は大切だと判断しました」
「ベティ、どうして相談してくれなかった?私はベティと離れるなんてできないよ」
「殿下······」
「ヴィニーって呼んでくれないのか?以前は呼んでくれたのに」
「······ヴィニー、わかって欲しいの。これからの為になることなの」
「ベティ、寂しいよ。このまま城へ連れ帰り、閉じ込めてしまいたい」
「ねえお願い、わかって」
「ベティ」
一見甘い恋人たちだが、ベアトリスの頭の中は生き抜くために留学しなくてはいけないと必死だった。
もちろん大好きなヴィンセントと離れるのは寂しい。
しかし、最終的に誰が選ばれるかはわからないが、攻略対象者は皆が聖女に夢中になる。
側にいると、ヴィンセントの心変わりを見なくてはいけない。
ベアトリスは、そんな状況になったら冷静ではいられないと思う。
だから、見ないためにも留学は必要なことなのだ。
ベアトリスが一粒涙を零すと、ヴィンセントは優しく抱きしめてくれた。
次話は続いて投稿します。
ぜひお読みいただけると嬉しいです。