雪解け
「もうすぐ春ですねぇ」
そういいながら僕の近くの窓を全開にする。
「70年代のアイドルの曲を口ずさみながら開けないでよ」
まだ寒いのに。
僕が口にするより前に彼女が言う。
「違うよ!それならもーすぐはぁーるですねぇ、でしょ?」
彼女は口ずさんで笑う。
こんなやり取りをするのも、後どのくらいなんだろう。
長かった受験戦争が終わり、あとは卒業式を待つのみだ。
僕は進学のため、必死に勉強した。そして合格した。
だけども、そこまで喜べなかった。僕が行きたい大学じゃなかったからだ。
「春になったらお互い大学生だね!」
「そうだね」
「その時は私も都会の女というわけですよ!」
彼女は東京の大学に進学する。普段から学業成績も良く、親しみのある彼女が推薦をもらうことは疑いようがなかった。
一方で僕は推薦をもらうこともできたけど、私立の学費をすべて免除してもらえる様な立場ではなかった。親の負担なども考えた結果、国立大学以外の進路はあり得なかった。
「え?別に大きな災害とか起きてないのに行くの?」
「それは"疎開"!私が言ってるのは都会!たくさんお店とかがあって賑やかなとこ!」
言いながら笑う。僕は彼女の笑顔が好きだ。
「はーっ。あなたって本当に面白いよねえ。」
そう言われると、心がくすぐられたような気分になる。だけども、そのやり取りもあと数えるほどしかない。
「僕が面白いのは元から」
「えーっ!最初の方とか"話しかけるなオーラ"が出まくりだったのに!」
「失礼だな君は!それに、そう言いつつも最初に話しかけたのは君からだったよ。」
「そうだっけ?」
そう言いながらこめかみに人差し指を当てる。彼女が考え事をするときの癖だ。
「そうだよ」
僕は窓の外を眺めながら言う。
初めて彼女に会ったのは2年の1学期だった。隣の席になって彼女から挨拶されたのが始まりだった。そして授業中に話し合う際、ちょっと僕が冗談を言ったら彼女は吹き出してしまい、国語の石村に怒られた。そこから彼女とはよく話すようになった。
「にしても国立かぁ。あなたってやっぱりすごいんだねぇ」
「推薦だってすごいことだろ」
「あなただって推薦もらえたじゃない!」
「なら君だって国立の勉強ぐらいできるよ」
「急に褒めてくるね!殺す気か!」
彼女はわざとらしく声を上げる。そういうリアクションも楽しくて好きだ。
接しているうちにこんな彼女のいいところがたくさん印象に残った。話すときはいつも笑顔なところ。食べ方がきれいなところ。ノリがいいところ。掃除のときは丁寧に机を並べるところ。落とし物を見て見ぬ振りしないところ
そして僕は、いつしか彼女のことが好きになっていた。そして、彼女と対等でいたいと思った。そこで自分が頑張ったのは勉強だった。学校の試験は常にトップだったし、本をたくさん読んで様々な知識を蓄えた。だけれど、いくらやっても彼女には届かない気がした。
「そろそろ帰ろうか」
「あ!待ってよー!もっと褒めてー!」
「...そこまで死にたいとは」
「殺す気で褒めても死なないけど褒められなかったら死ぬー!」
「じゃあ褒めるのやめるね」
「死にたくないってば!」
言いながら彼女はカバンを持って立ち上がる。僕も席から立ち上がった。
彼女と一緒にいるために対等になりたかったのに、いまだ僕は彼女の遥か下にいる。僕のこの気持ちはどうすればよいのだろう。
「グラウンド濡れてるねー」
「霜が解けたんだよ」
「雪解けだねぇ」
「正しくは霜解けじゃない?」
「あれ?そっかーやっぱりあなたって頭いいねっ」
そう言ってまた彼女は笑う。悩み事なんかないように。
僕は水たまりのできたグラウンドを眺めながら、窓を閉めた。