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月の宴を《伍》

 セルグは寝室に戻るため、廊下をひた歩いた。もうだいぶ遅い時間だ、明日の旅立ちに寝ぼけ眼では格好がつかない。


(……?)


 早足で向かった一の間に入ろうとして、セルグは庭に視線を向けた。人の――リネアの気配を感じたのだ。

 迷うことなくセルグは庭に降り、気配のもとへ向かう。そこはリネアの部屋にほど近い、松林の中だった。


「リネア」

「セルグか。どうした?」


 松の大樹に寄りかかって、夜風にでもあたっていたのだろう。リネアは突然やってきたセルグに驚くこともなく、その訪問を淡々と受け入れた。


「……ちょっと、話が」

「ああ」


 セルグは一歩、また一歩と近づいていく。

 手を伸ばせばすぐにリネアを抱き止められるところまで近づいて、セルグはようやく歩みを止めた。


「セルグ?」

「あの、さ」


 ――ここまで無防備で。宴でも無反応で。

 リネアに心底惚れているセルグでも――いや、だからこそ、苛立ちすら感じてしまう。

 リネアの自分への無頓着ぶりに、荒ぶる想いが胸を焦がす。これは、怒りだ。どうしたって止められなかった。


(なんで、少しも俺を意識しねぇんだよ!)


「……砂漠の夜に言ったこと、覚えてるか?」

「――っ」


 まるで詰問するかのような、強い口調。これでも、出来るだけ平静を保って言ったつもりだ。怒りがあるとは言え、リネアを怯えさせたいわけではない。

 それでもリネアは何か思うところがあったのだろう。僅かな、動揺をみせた。

 それはセルグの告白を忘れてはいない、確かな証だった。

 セルグはそんなリネアの様子に胸の苛立ちが段々と収まっていくのを感じながら、語調を努めて抑えながら言った。


「――答えをくれ、リネア。俺はお前の出生のこととかを知ったけど、そんなの俺にとっちゃ何でもねぇんだ。関係ねぇんだよ」


 セルグはこれが最後だと、直感的に分かっていた。

 何度も求めた。何度も欲した。その度に、リネアは背負った秘密を盾に自分から逃れた。

 しかし、今はもう違う。盾となる秘密はない。如何にリネアの心を深く捕らえたか。自分がリネアの一番になっているか。判断に必要なのはそれだけだ。

 だから今、リネアの心を得ることが出来なければ、これから先も同じことだろう。

 そうだ。自分はあの男、賢者シャルーランすら越えなければ!


(三月も離れて、どんなに恋しかったか――!)


 ――その分だけ、もし断られたときに理性を保つ自信が、セルグには無かった。


「……と、に」


 数秒の間を置いて、唇を僅かに震わせ、消えそうな声でリネアは言った。


「リネア?」


 セルグは思わず手を強く握りしめる。その手は緊張のあまり、じっとりと汗ばんでいた。


「本当に、私でいいのか……?」


 微かに震える唇から紡がれる、いつもとは違う弱々しい声。その言葉の意味がすぐに分からなかったセルグは、やや遅れて破願した。


「俺はお前がいい。――お前が欲しい」


 そう言ってセルグはリネアを引き寄せ、力強く抱きしめた。


「私は、私、は……! 必ず、そばにいる人を不幸にする……!」


 セルグの肩に顔を埋めながら、リネアが掠れた声で叫んだ。

 ――愛し合っていた両親を引き裂いて、純粋な友情を捧げてくれた友を殺して。ルマの祭りでは自分の力に惹かれて魔竜カリオンが来た。ニーナの居場所も結局は自分が壊した。

 他にも、もっと、もっとある。あの師匠でさえ、自分がいなければもっと自由に生きていたはずだ。

 そんなリネアの悲鳴じみた叫びを、セルグは微笑みながら一蹴した。

 そんなの、どうだっていい。


「俺はお前が一緒にいてくれれば、それでいい。……俺にとっての不幸は、お前が俺を選んでくれないことだ。俺は今、すげー幸せだぜ?」

「セル、グ……」


 リネアがそろそろとセルグの背中に手を回し、きゅ、と服を掴んだ。


「俺から離れるな。俺はお前を放さない。だから、お前も俺を放すな」

「うん、お願い、一人は、もう、嫌だ……!」


 ――本当は分かっている。自分は一人じゃない。師匠、姉上、陛下、それにアルたち。他にも、私を気遣ってくれた人はたくさんいる。

 だけど違う。私を大切に思ってくれていても、大切だからこそ、真綿でくるむ様にして優しく扱って、誰も私の中に踏み込んでこない。

 だけど、そうじゃない。本当は傷付けることなど恐れずに、私だけを見てほしい。全てを拒み続ける私の壁を無理やり壊して、溺れるくらいに愛してほしい――!


「嫌だって言っても、もう放さねぇよ。お前は俺のもんだ、リネア」

「う、ん……!」


 泣きじゃくり出したリネアを、セルグは一層強く抱きしめた。

 旅立ちの時に一目で心を奪われてから、何度も太陽は登り、沈んできた。セルグはようやく、自分だけの女神を手に入れたのだった。


(リネア……)


 この手に抱いていることが、未だに信じられない。リネアが自分を選んでくれたこと、リネアが自分のものになるのだということが。

 自分は月の女神を、あの高き天から引きずり下ろしたのだ。そうして二度と天に戻れぬよう、地に縛りつけた。例えそれが――。


(孤独につけこんだ、卑怯なやり方だとしても、俺はお前が――)


 だから、その代償に捧げよう。この心も体も、命さえも、俺の全てはお前のものだ。

 セルグは涙に濡れるリネアの頬に、愛しむようにそっと手を添えた。

 まるで真珠のようなその涙を指で掬い上げ、恍惚とした表情で口に運ぶ。


「愛してる。愛してる、リネア……。愛してる――」

「セルグ……」


 リネアはセルグの熱に浮かされた囁きに、眩暈のようなものを感じながらも、体中から愛しさが満ち溢れてきた。

 ――セルグは自分を一番に、絶対の存在として想ってくれている。この想いに、喪失を怯えることはない。この想いは、永遠なのだ。

 セルグはリネアの手をとり、その指先に軽く口づけた。それに反応して、リネアがピクリと身体を震わせる。


「っ……」

「愛してる」


 その反応に気をよくしたのか、セルグはリネアの僅かな抵抗を、肩を抱く手に力を入れることでいとも簡単に封じ込め、熱のこもった口づけを次々に降らせていった。

 リネアの額に、瞼に、頬に、首筋に。熱い熱い口づけを、劣情入り交じる胸の想いとともに、余すところなく。

 不可侵の、女神に――。


「これで永遠に、俺だけのもんだ。――愛してる、リネア――」


 出逢った時の衝撃は、今も忘れられない。

 導かれるようにして出会った、あの美しい星月夜。その時と同じように、夜の光をうける木々の中――。

 二人の唇が、静かに重なった。

 一方、明日の旅立ちに緊張して眠れないアルフォンスも、庭をフラフラと歩いていた。美しい月明かりも、もしかするとこれで最後かもしれない。そう思うと、無性に愛おしかった。

 ふと、誰かの泣き声が聞こえた気がして耳を澄ませる。


(どうしよう、探しに行くべきかな)


 そう考えて、すぐに止めた。声の主の感情が高まるとともに、その気で見当がついたからだ。


(リネア、セルグ――)


「……アルフォンスさん?」

「っ、ニーナ!?」


 思わず声を強めてしまい、慌ててアルフォンスは自分で自分の口を塞いだ。


「? どうなさったんですか?」

「えっ、あー、ほら、もう夜も遅いし」

「あ、そうですよね。馬鹿なこと聞いてしまってすみません」

「いやいや……」


 まさか砂漠の夜と同じ状況なんだよ、などと言えるわけもなく、アルフォンスはおざなりに言葉を返すしかなかった。


「あ、の……。アルフォンスさん、せっかく二人きりになれたので、お伝えしたいことが……」

「? なに?」


 砂漠の夜と同じようにで、今日は全く違う夜。

 あの夜、セルグはリネアに想いを伝えた。アルフォンスもニーナに。けれど、今夜は。


「砂漠の夜のお返事を、したいんです」


 ニーナがアルフォンスに、率直な気持ちを伝える夜だった。


「え? ――あ、はい!」


 思わず敬語になってしまったアルフォンスは、顔が茹で蛸のように真っ赤になった。


「あれからずっと考えてました。何で私なんかを――って。だけどそんな考えは、私を好きになってくれたアルフォンスさんに対して失礼でした」

「ニーナ……」

「好きになるのに、理由なんて要らないんですよね」


 ニーナも顔を真っ赤にして、じっとアルフォンスを見つめた。

 宴の最中も、どうしてか気になった。アルフォンスはいつも明るくて、みんなを楽しませてくれる。なのに、時たま、ああやって夜露のように儚い表情を見せるのだ。

 その理由は、たった一つだ。視線を奪われる、唯一の理由は。


「私、アルフォンスさんのことが……。好きです」

「ニーナ」


 抱きしめたかった。アルフォンスはこの愛しい、率直な想いを告げてくれた少女を、強く強く抱きしめたかった。

 だけど自分は隠している。界王の血族だということを、ニーナに隠している――!


「……アルフォンスさん?」


 表情を曇らせたアルフォンスをいぶかしんだのか、ニーナが恐る恐るといった風に手を伸ばしてきた。


「ごめんね、ニーナ」

「え」


 ぴたりと、その手はアルフォンスに触れることなく止まって、宙をさ迷う。

 アルフォンスの唐突な言葉を理解出来なくて、ニーナの思考は停止した。


(いま、ごめんね、って……?)


 なにを、あやまるの。なんで、あやまるの。 続く言葉が恐ろしくて、ニーナは視線を地に落とした。


「きゃ!?」


 しかし突然抱きしめられたために、ニーナは思わずよろけてアルフォンスに身体を預けるかたちになってしまった。


「ごめんね、ごめん。ニーナ」

「アルフォンスさん?」

「僕は、君に隠していることがあるんだ。それを聞いて――その上で、どうかもう一度好きって言って欲しい。……大好きだよ、ニーナ」


 抱きしめられた温もりの中で、ニーナはその言葉を反芻した。

 この人は私には分からない悲しみを背負い、苦しみにもがいている。そうして、私を求めてくれている。


(そんな貴方の助けになれるのなら――)


「話して、くれますか?」

「……うん」


 賢者様にはまだ早いと言われたけれど、明日、扉をくぐる前に、絶対みんなにも話そう。自分でも感じる変化に、誰も気づかないわけがないのだから。

 ――秘密なんかまっぴらだ。

 アルフォンスはそう心に決めて、ゆっくりと語り始めた。

 賢者から告げられた事実、エルネストからもたらされた真実。――自分の血にまつわる話を。


「つまり僕はリネアやクレアと同じ、界王の血族。人王様は僕の母さんなんだって。――そして僕は、次代の人王となる」

「……人王様に?」

「うん。この世界……ううん、この世を変えたいから。だから僕は、この血とともに闘うと決めたんだ。どんなに、永くても」


 界王は『転生』という、特別な命の引き継ぎ方をもっている。

 民と同じく男女の交わりによって子を成すことは可能だが、それでは次代の界王が誕生しない場合もある。

 そうした時、死を迎えた界王は老いた肉体という殻を捨て、魂だけの存在となる。そして再び自らの力で若い肉体を再生し、『転生』を果たすのだ。

 こうすればたった一人でも――永遠に界王で在り続けられる。アルフォンスはその覚悟を既に決めていたのだった。


「だから、ニーナには物凄い負担を強いることになる。それでも……一緒にいてくれる?」


 ニーナには、ただ一度の人生。自分とは、違う。

 繋いでいた手を強く握りしめれば、ニーナはわずかに瞠目した。


(そうだ。それでいい――)


「ありがとうね、ニーナ」

「……アル、フォンスさん?」

「僕を好きと言ってくれて、ありがとう」


 今も、好きです。大好きです。

 そう言いたかったのに、ニーナは何故か声が出なかった。

 まるで別れの時がきたかのように、アルフォンスは繋いでいた手を離した。


「君の気持ち、とっても嬉しかった。ありがとう。……大好きだよ」


 しかしその手を、縋るようにニーナが握りしめた。


「それなら……!」

「?」

「それなら、なんでもっと強く求めてくれないんですか!?」


 瞳を潤ませて、ニーナは自らアルフォンスの胸に飛び込んだ。

 あの一瞬は、拒否なんかじゃない!


「好きなら、放さないでください! 私の心を奪っておいて、今さら逃げるなんて卑怯ですっ……!」

「ニ、ニーナ……」

「確かにアルフォンスさんのお話には驚きました。だけど、それでも一緒にいたいんです……!」


 アルフォンスの胸を、何度も責めるように拳で叩く。こんな形で二人の想いがすれ違うなんて、絶対に嫌だった。


「アルフォンスさんは、ずるい、ずるい……っ!」


 ポロポロと、とめどなく涙が零れだす。次第に打ち付ける拳にも力が入らなくなり、ただその胸に縋ったとき、ニーナはアルフォンスに強く抱きしめられた。


「ありがとう、ニーナ」

「アル、フォンスさん……っ」


 強く抱きしめられていて顔は見えなかったが、アルフォンスも泣いているのだとその声でわかった。


「そうだね。僕は卑怯で、意気地無しだった。――お願いだよ、ニーナ。どうか一緒にいて。僕をずっと好きでいて。僕は、そうしたら何だってやり遂げられる気がするんだ」

「はい――!」


 大好きな人。愛してる人。

 弱くて卑屈だった私を支え、変えてくれた優しいあなただから――。


(ずっと、そばにいます)


 ニーナはアルフォンスの鼓動を、喜びと共に感じていた。

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