月の宴を《参》
「では夕食の用意ができるまで、部屋でお寛ぎ下さい」
そうパティに言われて一行が大広間を出た時、廊下の曲がり角には先客がいた。どうやら反対側から出て走ってきたらしい。少しばかり息が切れている。
「あれ、カイル君?」
「あ、あの、あの……」
「おう、どうした?」
また真っ赤になった顔で、必死に何かを言おうとしている。何を言おうとしているのかは分からないが、誰に言おうとしているのかは、一目瞭然だった。
ただ、その本人は気付いていないようだ。
「セルグ、あんたお兄ちゃんでしょ~? もうちょっと察し良くなりなさいよ」
「え? 俺?」
「そうだよ。カイル君、セルグと話をしたいんだよね?」
「は、はい。あの、俺……」
「うふふ。二人だけのほうが気兼ねなく話せていいんじゃないかしら。セルグ君の部屋に行くのはどう?」
「俺は構わねぇけど……。ええと、カイル。お前はどうしたい?」
「部屋、行きたい……」
「そうか。じゃあ俺は自分の部屋に行くわ。また後でな」
そう言って二人はアルフォンスたちと反対側に曲がって行ったが、その姿が見えなくなる寸前、カイルが早速セルグの――心待ちにしていた兄の手を握りしめたのが見えた。
「ほんっと、似てるのに似てない兄弟よねー。あれで顔が瓜二つじゃなきゃ、血が繋がってるか疑っちゃうわ」
一の間に戻ってすぐ、ローザンがそうもらした。一同はそれに次々と同意する。
「あはは、確かにね。カイル君もお父さんにそっくりで、びっくりだよね」
「ですねぇ。あれほどそっくりな家族も珍しいですよー」
「さっきのセルグさん、弟さんと手を繋いだの、嬉しそうでしたよね。いいなぁ、私も弟か妹、欲しいです」
「ニーナ殿はご兄弟がおられないのですか」
「はい、私も一人っ子です。だけどセルグさんみたく、旅から帰ったら新しく兄弟がいるかもしれませんよね!」
「……いや、ニーナ。アレはそう起こり得ないだろう」
「けど可能性はありますよ! 私の両親も若いんです」
楽しそうに鼻歌まで歌い出したニーナに、これ以上突っ込むことの出来る者はいなかった。
廊下でアルフォンス達と別れたセルグはカイルを連れ、懐かしい自室へとやってきた。そこは旅立つ前と、何も変わらないまま在った。
変わったのは自分だけ。
「あの、ね。母さんがいつも掃除してるんだよ」
「……そうか」
「うん。いつ兄さんが帰ってきてもいいように、って」
「……お袋には悪いことしたよな。たった八歳で初めての商売に出掛けて、それだけでも心配だったろうに……。それきり十年も帰らなかったんだからな」
「そんなことないよ! 母さん、いつも兄さんのこと話してるもん。兄さんは立派な武闘家になって帰ってくるから、待ってようって!」
気落ちした兄を、必死に慰めようとするカイル。その無垢な言葉が、セルグの胸をついた。
嬉しく、そして切なかった。
「わっ、兄さん?」
「ありがとうな、カイル」
照れ隠しにカイルの頭をわしゃわしゃと撫で、セルグは大丈夫だ、と言った。
カイルが言った母の言葉は、『寂しい』の裏返しだ。あの気丈な母が唯一こぼした弱音。自分のことを話した数だけ、自分に思いを馳せたということだ。
その言葉を額面通りに受け取った弟が、無性に愛しかった。
(お袋、せめてその期待に応えることが、俺に出来る唯一の親孝行だよな?)
立派な武闘家。自分の目指すべき道が、初めて見えた気がした。武闘家の道を選んで十年、これまで明確な目標を持っていなかった。
ただ力が欲しいと、強くなりたいと願うだけで。
だけど今、ようやく道を見つけた。
「なあカイル、俺は武闘神になる。次に帰るときは、祝いの席だ」
二位と三位は、努力の差。一位と二位は、才能の差。
これは職で昇級の難しさを表す言葉だ。皮肉を込めたその言葉は、非常に的を得ている。
どんなに努力しようと、『才能の差』で一位になれない人は大勢いるのだ。
(それでも)
「本当に!? セルグ兄さん、武闘神になるの!?」
「ああ、なってみせる。だけどな、カイル。これは俺たちだけの秘密にしてくれるか?」
「え? うん、いいけど、何で?」
「不言実行、ってな。あんまり言いふらしたくねぇんだ」
「? よくわかんないけど……。うん、わかった」
「ありがとな。そういや、カイルは九歳なんだよな? お前はもう商売に連れてってもらったか?」
「ううん。けど、次からは連れてってくれるって!」
「へえ。俺は途中までだけど、楽しかったぜ。……お前はちゃんと帰ってこいよ」
「うん、大丈夫だよ。父さんもロイもいるもん」
「ああ、そうだな」
怪我をせず、無事に帰るのは勿論のこと。けれど、セルグの真意は違う。
(お前は、ちゃんと帰ってくれ)
誰もが、二度と喪失を味わないように。
「あのね、兄さん。聞きたいことがあるんだ」
「ん? なんだ?」
「兄さんは、いつか家に戻って来る?」
「……。それは、まだ分からない。せめてこの旅を終えないと、答えは出ない」
「……そう」
「だからこそ、お袋たちを頼むぞ」
武闘家になることに迷いはなかった。けれど、後ろめたさはあった。
「俺の身代わりにしてすまない。……だけど、頼む。カイル」
「心配しないで。俺、みんな大好きだもん。兄さんの身代わりじゃなくて、『俺』がみんなとずっと一緒にいるよ」
「ああ」
「今日みたいに、近くに来たらちゃんと家に寄ってね。それは約束だよ」
「勿論。約束だ」
セルグのその言葉に、カイルは笑顔で小指を差し出した。
それは簡単だけど、重要な約束の儀。忘れればそれまで、だけど、永遠の。
後ほどセルグたちは一の間に合流し、やがて夕食の準備が整ったとの報せを受け、大広間へ向かった。すでに料理が用意された大広間には、先ほど紹介された人物以外にも、多くの人々が揃っていた。
「おう、客人が参られたか! それでは乾杯といくか!」
「えっ、あっ、僕はお酒……!」
「私も……」
「なーに、そんなこともあろうかと茶や果汁も用意してある。とりあえず何か杯を取ってくれ」
「は、はい」
席に着くや否や、アルフォンス達の前には酒と茶、果汁の杯がそれぞれ一つずつ用意された。
年少のアルフォンスやニーナは酒が飲めないので、前もってこうした準備を整えてくれたのはありがたかった。先ほどの言葉通り、もてなしに怠りはないようだ。
やがて各々が何らかの杯を手にしたのを確認すると、ブラッドが己の杯を高く掲げた。
「よし、それでは我が息子セルグの帰郷祝いと、御仲間のこれからの無事を祈って――乾杯!」
「「乾杯!!」」
乾杯の音頭とともに、大広間には賑やかな雰囲気に包まれた。
矢継ぎ早に会話が飛び交うが、当然ながらそのほとんどはアルフォンス一行への質問だった。
出身地、年齢、職、家族構成など、その問いは多岐に渡った。だがカイルが発したごくごく普通の――しかし際どいその問いに、場の空気が凍りついた。
「ねぇ、兄さんは好きな人っているの?」
アルフォンスは飲み物を吹き出さなかったことを、内心、よくやった自分と盛大に誉めた。レナード家は誰かが吹き出していたが、それほどカイルの問いは衝撃的だったのだ。
「え、あ、や、それは……」
「? いないの?」
「い、いや、それはだな……」
隣にチョコンと座ったカイルに見上げられ、セルグは冷や汗を流した。思わず向かいのリネアに視線を向けるも、そもそもこちらを見ていない。普通に食事を続けている。
……あれ、砂漠の告白は記憶の彼方?
セルグが助けを求めて仲間に視線を巡らせても、サッと視線を逸らされた。
(この薄情者ぉ~っ!!)
いないと言えばリネアに『お前のことを好きじゃない』と暗に言うことに。逆にいると言えば『それは誰?』と純粋な目でカイルに聞かれるだろう。
どちらの答えも困り果てることは決まりきっている。
(あ、ヤベ、何か胃が……)
キリキリ痛む。……実家の宴なのに。
そんなセルグの様子を見兼ね、ブラッドが苦笑しながら年頃の息子に助け船を出した。
「くくっ、カイル。そういう話は男同士、二人きりでするもんだ。それ以上、兄貴を困らせてやるな」
「? 分かった。じゃあ兄さん、後で聞かせてね」
「お、おう……」
「えー? つまんねぇなぁ、坊っちゃんの武勇伝聞かせて下さいよぉ」
「そうですよ、遠慮せずに!」
「何が遠慮だ! つーか武勇伝ってなんだよ武勇伝って!」
「そりゃ旦那の息子だし――」
と隊商の一人が言った途端、両隣の面々が真っ青になってその人物を取り押さえた。
「……あなた?」
外面似菩薩、内心如夜叉。
まさにその言葉通りの気迫を備えて、パティはブラッドに言葉の真意を訊ねた。……部屋の気温は絶対零度に突入だ。
「な、なななななんだパティ!?」
「あら。いいえ、何でもないですわ。ほほ、お客様がいらしているのだもの。せっかくの宴ですし、楽しまなくては。ねえ?」
「そ、そうだよな!? よし、それではお楽しみの時間といくか!」
客人が来てなきゃこの場で――。そんな含みに怯え、ブラッドはパティと目を合わせられないないまま、裏返った声でそう告げた。
「おいおい、急に言うなよ親父。俺たちは何の用意もしてねぇぞ」
「え?」
「ああ、ジーパの宴じゃよく芸を披露するんだよ。ま、招かれた側はやらなくてもいいんだけどな」
「その通り。だから客人方は気にしないで大丈夫だ。ただ様々な技をお持ちのようだから、よかったらご披露願いたい」
「あ、じゃああたし踊ります! この場で踊らなきゃ踊り子の名が泣くわ」
「ほう、それは楽しみだ。だが、まずはこちらが芸を披露しよう。歓迎の宴だからな。おい!」
「承知!」
ブラッドの合図で大広間に持ち込まれたのは、大小様々な的が吊るされた器具だった。それぞれに数字が書かれているところを見ると、これで的当てをして点数を競うのだろうか。
「さて、そんじゃあ一番手は俺、ミトが務めさせていただきます。見ての通り、やるのは的当て。けど、ちょいと一工夫してやらせてもらいます」
そう言うとミトという中年の男性は、的当て用らしい、手の平ほどの大きさの矢を何本か手に持った。そのまま的の前に立つと、何故か的の反対側を向く。その上、さっさと目隠しをしてしまった。
「さあ、それじゃあいきますよ! 東西、ミト・グレーの秘技一発!」
威勢のいい掛け声とともに反転したミトは、目隠しをしたまま、手に持った矢を一息で放った。
カカカッ、と小気味のいい音を立てて、放たれた矢は全て的に突き刺さった。
「うわぁ、凄い!」
「ミト、腕を上げたなぁ」
「凄いです! 目隠しをされた上でこんなことが出来るなんて!」
一行から惜しみ無い賞賛の言葉が向けられる。それを成功の証としたのか、ミトは嬉しそうに笑いながら目隠しを取った。
「いやぁ、それほどでも。そうだ、よかったら的当て、どなたかやってみませんか?」
「ぼ、僕は無理です! あ、セルグは?」
「あのな、俺が道具使えるワケねーだろ!」
慌てて矢を押し付け合う二人を尻目に、他の面々は一つの意見にまとまっていた。
「ねぇ、ラルフは? あんたこういうの得意そうじゃない」
「私……ですか?」
「そうですねぇ。挑戦してみてはどうですかー?」
「そうですよ、せっかくですし。ラルフさんなら大丈夫です」
「私もそう思うわ。頑張って、ラルフ君」
「そうだ。単なる余興だ、気負う事はない」
「……では」
五人からの勧めに、ラルフは戸惑いから目をぱちくりさせた。まさかこうした席で自分が担ぎ上げられるとは、思ってもみなかったのだ。
しかし大切な仲間からの薦めを無下には出来ず、ラルフは申し出を受けた。
「お、挑戦なさいますか。では矢をどうぞ」
「ありがとうございます。……では、参ります」
そう言うとラルフは深く息を吸い、目を瞑った。
(無機物を的にするのは得意ではない、……が)
ゆっくりと目を開け、チラリとアルフォンスたちを振り返った。
(あの方たちの前で外すわけにはいかない)
「――散」
呟くような掛け声とともに、ラルフの手から矢が一息に放たれた。
「「――!!」」
ダダダン! と先ほどとは違う、大きな音を立てて矢が的に突き刺さった。
矢は今回も全て的に命中していたが、ミトと違って綺麗に中心を貫いたわけではない。だが、そのほとんどは的を貫通しかけている。放たれた矢の威力、それが一目で分かるというものだ。
「ほお、こりゃあ素晴らしい! さすがセルグ坊ちゃんのお仲間だ!」
「おい、あとで一発入れるからな、ミト!」
一瞬の間を置き、さっき以上の歓声と拍手が巻き起こった。
ミトも自分の見せ場が奪われた形になったというのに、誰よりも強く喝采をあげていた。
「俺ももっと修行しなきゃな。いや、いいものを見れた。感謝しますよ」
「ですが……。私は……その、目隠しもしていませんし、特殊力で得物に補正をかけていますので」
「特殊力で? ……ああ、そうか。あなたは妖力がお強いんですね?」
ミトのその言葉に、ラルフが硬直した。次に何を言われるのかと――恐怖に怯えた顔で。
そんなラルフの心情と立場を知っているアルフォンス達も、ミトの言動に注目する。
「あ、ああ、失礼しました。その、今の言い方、お気に障りましたかね?」
「……え?」
「いや、俺らみたいな業師連中は、妖力を使うヤツが多いですから。知り合いにも多いんですよ。ほら、今みたいに小道具を使うとき楽でしょう?」
ただ俺は妖力が弱いのでほとんど使いませんが、と続けたミトを、ラルフは信じられないものを見るように凝視した。
そのまま視線をさ迷わせ、何も言おうとしないラルフに、盛り上がっていた宴も静まり始めてきた。
「その……、色々とご苦労があるでしょうけど、ここにはそんなことを言う人間はいませんよ」
「……」
おずおずと、一つずつ言葉を探すようにミトが言った。妖力を使う業師の仲間内で、ラルフのように酷い扱いを受けた人物に心当たりがあるのだろう。
無反応なラルフに、どうしたものかとミトは困り果てたようだ。が、間を繋ぐようにローザンがラルフを呼んだ。
「ラルフ、お疲れ様! 今度はあたしの番よ、さあ戻って戻って」
「……は、い」
ローザンはラルフを半ば無理矢理に引っ張って、場をこれ以上壊さぬよう席に戻した。
一見、酒に酔っての傍若無人ぶりにも見えるが、ローザンのいつもの力強い瞳がそれを否定した。彼女は場の雰囲気もラルフの心も、みんな守ったのだ。
「先ほど言った通り、踊りを披露したいんですけど。いいですか?」
「ああ。是非ともお願いしたい。そうだ、せっかくだし、舞台を外に用意しよう。他には何か必要だろうか?」
「そう、ね……。ねぇ、クレア」
「勿論、弾かせてもらうわ。リネアも一緒にどうかしら?」
吟遊詩人であるクレアは、踊りの演奏を言わずとも快諾した。その上で演奏者が少ないとでも考えたのか、リネアにも声をかけた。
「構いませんが、私には楽器が……」
「ご心配なく。一通りのものは揃ってるぞ。何でも言ってくれ」
「では、笛を貸して頂けますか」
「あら、笛なら私のものがあるわ。どうぞ使って下さいな」
いま持ってきますね、と言ってパティは部屋を出て行った。
「クレア、リネア。曲目なんだけど」
「そうね、ジーパの宴ですし……」
「楽器も考慮しなければ」
突然の出番とはいえ、流石は音の専門職たち。すぐに演奏する曲目を決めたようだ。
やがて屋敷の人手によって、広間から見渡せる庭に即席の舞台が用意された。
その前にパティが笛を手に戻って来ており、笛はセルグ曰くパティの愛用の品らしい。遠目にも分かる漆や金箔などの立派な装飾が、持ち主に相応しい繊細な意匠で施されていた。
「では、ルマの踊り子、ローザン・ウェシャス。踊らせてもらいます」
「伴奏はクレア・リ・ネールと」
「……リネア・ル・ノースが務めさせていただきます」
そうして、三人が舞台に立った。
ローザンを中心に向かって右にクレア、左にリネア。伴奏の二人はこちらに一礼すると、楽器を奏でるために床に腰を下ろした。
やがてローザンが愛用の扇を夜空に掲げたとき、澄んだ笛の音が空気を切り裂いた。