月の宴を《弐》
紅の夕日に染まるジーパの都、ナフア・ディーヤ。
碁盤の目のように整然と鎮座するその都を、アルフォンスは高い山の上から眼下に収めていた。
馬を駆った一行は都を南北に突き抜ける大路は通らずに、東へ抜けて猥雑な力に満ち溢れた町を横断してきた。
「この山は越えられないから、今度は山裾を下った先の宿場まで行くぞ。リューンは無理すんなよ、って言いてぇとこだけど……。宿まで我慢してくれな」
「ええ、大丈夫ですよー」
ローザンと相乗りしているリューンは、初めての経験にかなりぐったりしていた。
当初の予定では、近いが急な山際の道ではなく、回り道でも平坦な街道を進むはずだった。その行程がジーパでは一般的だ。しかし街道の先にある川が先日の豪雨で氾濫しており、橋が通行止めになっていたのだ。
そのため一行は急遽予定を変更し、曲がりくねった山際の道にて宿を目指した。
「運が悪かったわよね。まさかこんな荒療治になるとは、流石のあたしも思わなかったわ」
乗馬の特訓を『荒療治』という何とも言い得て妙なローザンの言葉に、アルフォンスは思わず笑ってしまった。他の面々もつられるようにして笑いをこぼす。
「っと、やばい、日が沈んじまう。急ぐぞ!」
また少し地平線に近づいた夕日を背に、一行は再び馬を走らせた。
何とか日が沈みきる前に山道を抜けたが、目的の宿場町に着いたのはもうすっかり辺りが暗くなった頃だった。一行は適当な宿を探し、明日の旅路に備えた。
迎えた明くる朝は雲一つ無い、気持ちのいい青空が広がっていた。
「後は平坦な道だからな。安心していいぜ」
「お昼過ぎには着けるんだよね? 楽しみだなぁ」
「ただ無駄にデカイだけだぜ? ま、こんな大人数の客を迎えるには都合がいいか」
そう快活に笑うセルグを見て、アルフォンスはこっそり微笑んだ。
最初、実家に帰ることをセルグは拒んだが、それは実家が嫌いだからではない。気恥ずかしいとか踏ん切がつかないとか、そんな理由でしかなかったのだ。
(きっと、最高の思い出になる)
友達の家に寄る。突き詰めればそれだけのことなのに、アルフォンスの胸は弾んだ。
しばらく馬を走らせ、県境である小高い丘を越えた頃。そこには大きな湖と、その湖を囲むように町があった。
太陽は今、中天を過ぎたばかり。
「見ろよ! あれが俺の町、ザウィル・レントだ!」
湖を取り囲むようにできた町の中心には、一際大きな屋敷が一つ。その遥か後方には目指す扉がある、レント山脈がそびえている。
町名のザウィルとは、ジーパの古語で『へそ』。この町はレント県、すなわちレナード家領の中心である、ということを意味している。
町名のみならず、県名すらレナードの家名が語源になっている。そんな由緒正しき家柄だと、到着寸前で事も無げに話したセルグに、一同は呆然とするしかなかった。
「セ、セルグって一人っ子なんでしょ……!?」
「武闘家の職を選ぶとは、随分と大胆な決断だな」
「ああ、けど俺は本家じゃねぇから。領主やってんのは親父の兄貴、伯父上だよ。流石に俺が本家嫡男なら、武闘家になるのも躊躇したと思うぜ?」
あっけらかんとしたセルグの物言いに、一行に微妙な空気が流れた。アルフォンスたちは、つい苦笑いしてしまった。
「それでも『躊躇』なのね……」
「セルグさんらしいです……」
「では領主の家系ならば、お父上はご自分で商いを始められたので?」
「いんや。俺の家は特殊でな。もともとが隊商で、そこから今の地位を手に入れたんだ。だから本家と分家に分かれて、領主と隊商を継いでる。親父は先代の都合で本家の出身だけどな」
馬の速度を緩め、丘を下りながら話を続ける。セルグは自覚がないようだが、自然と笑顔が浮かんでいる。実家のことを語る姿は、とても嬉しそうだ。
「それは珍しいですねぇ。そういった謂れのある家系でも、なかなかご商売を続けるのは難しいでしょう?」
「そうねぇ。それに隊商というのも島国ではあまり聞かないわ。海運が多いのではなくて?」
「まあな。だけどクレアの質問は最もとはいえ、小さな島国の陸路を抑えるってのも重要なんだぜ」
「成る程なぁ。ねぇ、ところでセルグはあの大きなお屋敷に住んでたの?」
「おう。屋敷の東が本家、西が俺ら。んで、周辺は他の親戚の家だな」
「へえ……」
もう一度、アルフォンスは町の中心に佇む屋敷を眺める。それはどこか、初めてアスクガーデンを見たときのような――そう、高揚感が確かに生まれていた。
町の中心部に到着し、馬をおりてレナード家の屋敷に近づく。しかし屋敷は端から端までが見えず、近づけば近づくほど屋敷のだだっ広さをまざまざと見せ付けられた。
立派な白壁に囲まれた屋敷の門には門番までいて、セルグの姿を見るなり屋敷に飛び込んでいった。途端に、大勢の家人が飛び出してくる。
先に若宮様から連絡が行っていたらしく、一行は予想以上の大歓迎を受けた。
「セルグ坊っちゃん! お帰りなさい!」
「お待ちしていました!」
「坊ちゃん、お久しぶりでございます!」
到着早々、セルグはこんな『歓迎』を家人たちから何十回と受けることになった。その度セルグは、決まり文句のようにして言い返す。
「だから坊っちゃんって言うな! 何べん言やぁ分かんだよ!」
そのやり取りのおかげで、アルフォンスやローザンは腹がよじれるんじゃないかと思うほど爆笑した。勿論、他の面々も差はあれど似たようなものである。
特に屋敷の面々のうち、ロイという剣士はセルグの帰りを人一倍喜んだ。隊商の用心棒で、幼いセルグがよく懐いていた人物らしい。
「いやぁ、セルグ坊っちゃんも大きくなられて……。何と、俺よりでかいときた。これにゃあ驚きだ」
「ロイ、二回目だ。坊っちゃんって言うな!」
「ああ、すいやせん。どうもあの小さい坊っ……、いえ、小さい頃のお姿が、その、焼き付いてやして」
「ちぇっ、いつまでもガキ扱いしやがって。で? 親父たちは本家か?」
「ええ、すぐに戻られまさぁ。では坊っ、あーいや、みなさん。こちらにどうぞ。俺が部屋までの案内を仰せつかってますんで」
ロイの案内で、一行はレナード家の西側の建物に案内された。こちらはセルグたち分家の住まいだ。
隊商の面々の一部は、普段はレナード家の雑事を手伝いながらこの屋敷で生活を共にしているという。ロイも隊商の活動がないときは、館の警護を引き受けているとのことだ。
しかし客人を案内するくらいだから、彼は隊商の中でも信頼されている人物なのだろう。
「女性には個室を用意してありまさぁ。ただ、男性は一室になっちまいやすが……」
「そんな、構いませんよ。部屋を用意してもらえただけで嬉しいのに」
「そう言って頂けるとありがてぇんで。さ、男性の方々の部屋はこちらになりやす」
「って、広!」
アルフォンスが驚きの声を漏らしたのも無理はない。用意された部屋は、ゆうに十人以上が寝泊まり出来る広さがあったからだ。
ここを四人――実家なのでセルグが自室ならば三人――で使うのは、少し心許ないぐらいだ。
「ロイ、ここじゃなくて三の間とかは空いてないのかよ」
「はぁ。その、旦那様が、是非とも一の間をと……」
同じことを考えたであろうセルグとロイの、そのやり取りで簡単に想像がついた。恐らくここは客間で最上級の部屋。そのためセルグの父親はここを用意してくれたのだ。
(けど、だだっ広くて寂しいんですけど……)
まだリューンやラルフが一緒だからいいが、一人だったら寂しくて半泣きだ。うん、絶対。
「女性の方々は、奥の部屋を使って下せぇ。全て違う造りの庭に面した造りになってまさぁ」
「あら、素敵。それぞれ窓から見えるお庭の景色が違うのね」
「おう。池に面した部屋に、枯山水、松林、橘や梅の部屋。好きな部屋を選んでくれよ」
ロイの案内で女性陣の部屋割を決めつつ、庭を軽く散策させてもらう。見たところ、昨日の宿より庭も部屋も立派だ。流石は領主のお屋敷。
誰もがそう思ったところで、頭領たちが戻ったとの報せが入り、一行は屋敷の中央にある大広間へと案内された。ここは一の間よりさらに広く、数十人が一同に会すことができる。
その大広間にセルグが先頭で入ろうとしたとき、室内から矢のように一人の人物が飛び出してきた。
「セルグ!」
「親父!」
(ええっ!? 若い!)
まだ四十に手が届くかどうか。そんな男性――セルグの父親が、息子の到着を待ちきれずに飛び出してきたのだ。
開け放たれた障子の向こうには、数人の男性と一人の女性が座っていた。セルグの母親と、隊商の主だった面々だろう。
父と子の二人を笑顔で見つめる母親は、どちらかと言えば線の細い、たおやかな女性だった。しかし『紅茶』のことを知っているアルフォンスは、隊商の長の妻として、芯の強い女性だと知っている。
その母親が立ったままの夫に、苦笑しながら声をかけた。
「あなた、お客様を立たせたままだなんて失礼でしょう。まずは座っていただかなくては」
「お、おう。そうだったな」
(……これが未来のセルグ像か……)
大成するも嫁に尻にしかれ、暮らしは幸せだが、何年経ってもどこか子供のようなところを残したままで。
(うーわ、そうならない方が不思議って感じがする……)
その尻にしく嫁が、どうかリネアでありますように。
そんなことを願いながら、アルフォンスたちは用意された席についた。
「どうぞ足を楽にしてくださいな。今お茶をお持ちします」
ニッコリと笑うセルグの母親は、そう言うと部屋を出ていった。
「さてと、先ほどは失礼した。俺はセルグの父でブラッドという。いま席を外したのが、妻のパティだ。こいつらは隊商の上役だ。おい」
「コトルです」
「ジャンと言います」
「ミトです」
そうしてロイも含めて順々に挨拶をしてもらったのだが、最後の人物になってその流れが止まった。
「あ、あの……」
「? 親父、あの子は誰だ?」
「いやぁ、あいつはな」
「旦那、駄目ですよ。自分から挨拶させるって約束でしょう」
「そうですよ」
隊商の面々が、一番奥に座った子を見つめ、忍び笑いを漏らした。その笑みに嫌な感じはないので、子供の成長を眺める親の心境、といったところか。
渦中の少年と言えば、顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。十歳くらいの年齢だが、かなりの人見知りらしい。
「失礼します」
そこにパティがお茶を持って戻ってきた。
「おう、ちょうど良かった。今はカイルの番なんだ」
「あら。きちんとご挨拶できたかしら」
「いやぁ、それがなー」
「なぁ、お袋。だからあの子は誰なんだよ。本家の子か?」
「嫌ね、違うわよセルグったら。ほらカイル、きちんとご挨拶なさい」
「は、はい」
パティの声に顔を上げたカイル少年は、まだ赤い顔のままでこちらを見据えた。
(あ、れ……?)
少年の面差しは、一行を絶句させた。ーーだってこの子、そっくりじゃないか。
「カ、カイル・レナードです。九歳です。はじ、めまして。――セルグ兄さん」
「……。……は?」
「だから、そういうことだ」
「そういうことなのよ」
幸せそうに微笑む両親、『兄さん』と呼ぶ自分によく似た少年、空白の十年の歳月。
それらが示すものは――。
「はあぁああああ!!?」
セルグは絶叫して絶句し――、呆然となって両親を見つめた。
セルグの反応に、両親や隊商の面々は、してやったり、とばかりに大爆笑だ。
「あっははははは!! セルグ、驚いたろう。カイルは間違いなくお前の弟だ!」
「な、な……」
「だって、あなたがいきなり旅先で武闘家を選んでしまうんだもの。跡取りの問題もあったし、それなら、ってことよ」
「お前が戻って来る可能性もあったが、もう一人くらい子供がいてもいいと思ってなぁ。お前も兄弟が出来て嬉しいだろう?」
「~~っ」
何を、どう言えば。
セルグは絶句し、脱力するほかなかった。まさか自分がゴルディアスに弟子入りした後、両親が新たに子供を儲けていようとは。
(しかも九歳ってことは、弟子入りしてすぐじゃねぇか……)
あの時両親は三十、年齢的には何の不思議もない。が、なんでこんなに動機が破天荒なんだ。
(しかも一緒になって悪乗りしやがったなロイの奴等ぁああ!!)
ぷち、とセルグから音がした(気がする)。
「親父っ、いい加減にしろよ! てめえらも一緒になりやがって、何のつもりだこの野郎!!」
ついに堪忍袋の緒がキレたらしい。セルグがブラッドに掴みかかった。
「お、落ち着け。何だ、いきなり弟ができたからって照れるなよ」
「違うっての! ああ、確かに家族が増えたのは嬉しいがな、十年ぶりの再会がこれか!? もうちょっと他の趣向はねぇのか頼むからよぉ!!」
「セルグ」
「あのな、お袋――!」
「セルグ、座りなさい。お客様の前ですよ、はしたないことは許しません!」
「……っ」
母は強し。パティの一喝に、セルグは渋々ながらその手を離した。
解放されたブラッドは『やり過ぎたな』といった表情を隊員たちに見せていたが、パティはそんなブラッドも叱り飛ばした。
「あなたもですよ! いつも一言多いのです。いい加減に勉強なさいな」
「う、だが……」
「お黙んなさい! ――さてみなさん、お恥ずかしいところをお見せしましたわ。息子がお世話になりまして」
「は、はあ」
「お名前はなんておっしゃるの?」
見事に父子を一刀両断にしてみせたパティは、アルフォンスたちにニッコリと微笑んだ。
「あ、僕はアルフォンス・ロッテカルドです。セルグとはアスケイルで会いました」
「アルと出会ったから、俺はお師匠のもとを離れたんだ。な」
「うん。で、その晩にリネアと会ったんだよね」
「ああ。私はリネア・ル・ノース。魔法使いです」
「その次があたしね。ローザン・ウェシャス、ルマの踊り子です」
「えー、私はリューン・スィーバル、精霊使いです」
「私はニーナ・キャズタ、チルト派の僧侶です!」
「……ラルフ・クロスと申します」
「クレア・リ・ネールです。吟遊詩人ですわ。どうぞよろしく」
「ええ、こちらこそ。こんなにたくさんのお友達が来てくれて嬉しいわ。どうせセルグは帰るの渋ったでしょう? 連れてきてくれてありがとう」
(うわぁ、読まれてんなー……)
家庭内の権力図が伺い知れるというものだ。ブラッドとセルグは気まずさから、パティと視線を合わそうとしない。
「我が家はジーパでも有数の商家ですわ。お客様に不自由させることはレナード家の名折れ。何か至らぬところがあれば、すぐに言って下さいね」
「お、おいパティ。それは当主である俺が……」
「あら、何か?」
「い、いや。うむ、その通りだ、お客人。レナード家はあなた方をいかなる時でも歓迎しよう。どうせこの時期は隊を動かさないから暇でな。ときに、お客人方はジーパは初めてか?」
「ええと、僕はそうです」
「内裏での反応を見る限り、全員そうだろう」
「そうかそうか! じゃあ今夜は大いに盛り上がるな!」
「は? 何のことだよ」
「ああ、そのだな、今晩は宴を催そうと思ってな。いいだろう?」
「そりゃまあ……」
やけに喜ぶ父をいぶかしみながらも、セルグは頷いた。確かに父は昔から酒の席が大好きだったが、何か含んでいる気がするのだ。
(まあ……、いいか)
どうせまた悪戯を仕掛けるつもりなのだろう。それなら今度こそ一発入れてやれば済むことだ。セルグはそう思い、じとりと父親を睨みつけた。