月の宴を《壱》
アスケイルと同じ瓦葺きの屋根に、木造の宮。
ここが、ジーパ。小国ながらも数千年の歴史を持つ、世界最古の国でセルグの故郷。
「皆様、此方へ」
案内人であろう女官の指示に従い、アルフォンスが陣を出ようとしたとき、セルグがそれを慌てて止めた。
「え?」
「ちょっと待てっ。――女官殿、申し訳ありませんがしばしお待ちを!」
「……。かしこまりました。では廊下に控えておりますので、御用がお済み次第、お呼び下さいませ」
突然の申し出にも驚くことなく、女官はセルグの言葉に頷き、部屋を出ていった。ただ、何か含みがありそうだが。
「どうしたのさ、セルグ?」
「いいか、『ここ』はまだアスケイルだ。ジーパの法は適用されない。だから何かやらかす前に、重要なことは話しておく。聞き漏らすなよ」
「う……ん」
珍しく真面目な表情をしたセルグに、アルフォンスは何も言えなかった。
「いいか、まずジーパは室内で土足厳禁。建物の中は絶対に靴を脱げ」
「えぇっ!? ちょっ、今、靴……!」
「だから、『ここ』はまだアスケイルだからいいんだ」
そう言って、セルグは靴を脱いで手に持った。セルグに習い、一行は履き物を脱いでいく。
「何か、妙な感じがしますねぇ。建物の中を、靴を脱いで歩くのは初めてですよー」
「だろ? 俺は逆にジーパを出たとき、靴を履いたまま家で過ごすってのに驚いたけどな」
「けどさ、さっきの女官さんも言ってくれれば良かったのに」
「……ジーパは、そういう国だからな。何も言わないで、相手の出方を伺うんだ」
「やーねぇ、その陰険なやり方。ジーパってそんなとこなの?」
「口を慎め、ローザン!」
思わぬセルグの一括に、ローザンを筆頭に全員が驚いて押し黙る。
「いいか、『ここ』はアスケイル領とは言え、もう大内裏だ。天子様の居わす御所近くなんだぞ、不遜な物言いはするな!」
いつもの飄々としたセルグと全く違う物言いに、全員が暫くポカン、としてしまった。
ローザンの言動を注意したことより、セルグの激しい言い方が信じられなかったのだ。いくら故郷のこととは言え、まさかこんなに激昂するとは。
段々と思考力が戻ってきたローザンは、怒りに身を奮わせた。
「な、何よ! あたしはただ――!!」
「ローザン、落ち着いて下さい」
「止めないでよリューン!」
「ですが……。えー、ジーパの国民は、古来より君主への忠誠心と畏敬の念が強いので有名ですしー」
「だからって……!」
「そうですねぇ、先ほどはセルグが強く言い過ぎたと思いますよー。ですが、郷に入れば郷に従え、です。まず尊重すべきは、相手の文化ではありませんかー?」
間に入った穏やかなリューンの言葉に、セルグとローザンの二人は急速に鎮まっていく。
「……。そう、ね。そうよね」
「……あの、悪ぃ、ローザン。俺もついカッとなっちまって……」
「ううん、いいのよ。で? 他に気をつけなきゃいけないことは?」
「お、おう。あのな――」
いつもの調子を取り戻したローザンに、セルグも安心したらしい。激昂した時の気迫が嘘のように、いつもの穏やかな雰囲気に戻った。
「まず、ジーパの君主は『天皇陛下』で、ジーパ以外にはない尊称だな。『国王陛下』じゃないぞ」
セルグの話を聞きつつ、そういえばセルグはアスケイル王にもいつもとは違う、畏まった物言いをしてたな……、とアルフォンスは思った。あれは自国で君主への対応の基礎が、出来上がっていたからなのだろう。
「え? けれどセルグさん、先ほどは『天子様』と言ってましたよね」
「あ、それはな、ジーパ特有の尊称方法なんだ。ジーパじゃ対象が高貴な方の場合、本来の御名を呼ばず、違う呼び方をするんだ」
「んー……。ごめんなさいセルグ、やっぱりその感覚ってわかんないわ」
「そりゃ仕方ねぇよ。ま、大抵は天子様か主上とお呼びするもんなんだ。よろしく頼むぜ」
「分かったよ。他には?」
「そうだな……。さっきお前『女官さん』って言ったよな? あれもやめろ。すみません、で済ませたほうが無難だな。あと、会話は必ず身分が上の方からだ。基本的に大内裏の中じゃこっちから話かけるな。そしていいと言われるまで顔は伏せておけ」
「わ、分かった」
「それと……」
「わーもう無理! もう覚えられないー!」
ここに来て、遂にアルフォンスの頭が容量を越えてしまった。
アスケイルの王宮では予想外に自由に振る舞えた分、礼儀や作法といったものへの緊張が爆発したのだ。
「安心しろ、これで最後だし簡単だから」
「うぅ……」
「あのな、ジーパじゃ椅子は滅多に使わない。普通は床に座るんだ」
「床、ですか。それはまた……」
「流石に直接じゃねぇよ。円座とか畳とか、席はきちんと用意される。で、問題は座り方な」
「あら、何か大変な座り方なのかしら。セルグ君」
「まあ、な。正座って言うんだ。えーと、こう、座る」
セルグは陣の中央で、床に両足の脛を真っ直ぐにつける形で腰を下ろした。
「慣れてないとキツイぜ、これ。ま、すぐに足を崩していいって言われるだろうけどな」
立ち上がりつつ苦笑したセルグが、一同を見回し、頭を下げた。
「色々と決まりがあって大変だろうけど、我慢してくれ。ジーパはこうして何千年も保ってきたんだ」
何も言わずに相手の出方を伺う。
ローザンには陰険と言われたが、確かにその通りだろう。しかしこの判断でジーパは数千年も支えられてきたのだ。
いかに相手を慮ることができる人間か、それを一目で判断するために。
「……あんたが謝ってどうすんのよ。ただし知らないことには対応出来ないから、ちゃんと教えなさいよ?」
「おう。じゃ、行こうぜ」
「うん!」
セルグが廊下にいる女官を呼ぼうと振り向いた途端、なんと彼女は呼ばれる前に室内へ入ってきた。一行の話をずっと窺っていたのだろう。
(そっか、だからセルグはずっと言葉に気をつけてたんだ)
対象が自分たちではないとき、常にセルグは敬語を用いていた。もちろん元来の忠誠心などもあるだろうが、女官が聞き耳を立てているのを見越してのことだったのだろう。
「では皆様、此方へ」
女官に先導され、アルフォンスたちは部屋の外に出た。そこで控えていた宮仕えの少年たちに各々の履物を預ける。
外から改めて見てみると、方陣が置かれていた離宮は、アスケイルと同じ造りだった。命の鼓動無き、静寂の離宮。ただし本殿とは敷石ではなく、簡単に取り外しが出来る渡し板が架けられていた。他の建物同士は、きちんとした渡り廊下で繋がれている。
(ここがジーパの王宮……、ええと、大内裏、か)
陣の離宮を出ると、途端にセルグの気が張り詰めた。アルフォンスがアスケイル王宮で感じたものと同じ、いや、それ以上のものを感じとっているに違いない。
大内裏は第一印象と違い、屋内はアスケイルの王宮とかなり造りが異なっていた。
決定的な違いとして、ここは全てが平屋建てなのだ。かといって地面に直接床が接しているのではなく、床下に人が潜り込めるくらいの隙間がある。通りすぎた廊下には、外から入るための階段が設けられていた。
セルグ曰わく、これは神聖な内裏を地につけないためのものらしい。同時に、木造建築物ゆえの湿気対策でもある。
やがて離宮から渡り廊下を二つ渡った建物の一室で、女官が足を止めた。
「この奥にてお待ち下さいませ。日嗣の御子がいらせられます」
「――!!?」
ヒツギノミコ、って誰だろう。
アルフォンスなどは呑気にそう思ったが、セルグはあまりの出来事に絶句し、真っ青な顔で口をパクパクさせていた。
(リネア、リネア!)
(どうした?)
(ヒツギノミコ、って、ええと……。どんな身分の方、なの?)
慣れない敬語に四苦八苦しながら、アルフォンスは声を殺してリネアに尋ねた。
(日嗣の御子は、天子の位を継ぐ者の尊称だ。つまり、アスケイルでの王太子だ)
王太子殿下!
成る程、それではセルグがああなるのも仕方あるまい。
(確かジーパの君主って神様の子孫、って言い伝えがあるんだよな)
それを頭から信じているわけではないだろうが、あんなに激昂するほどの想いをセルグたち、ジーパの人々は君主に抱いているのだ。
そんなセルグが、次代の王に会うのだ。その胸中は如何ほどか。
蔀戸という、上に開く珍しい扉をくぐり、アルフォンスたちは部屋に入った。
ここがどんな建物の、どんな部屋なのかは説明されていないが――。奥行きのあるこの部屋は、アスケイルの王座の間と同じく、面会用の場なのだろう。奥に見える一段高くなった席に、ヒツギノミコが座るに違いない。
「しばしのお待ちを」
女官はそれだけ言い残すと、早々に部屋を退室してしまった。
残された面々は、何とも言えない微妙な空気が漂った。
何せこの国の事情に一番詳しいセルグは、用意されていた席――板敷きの床に置かれた、緑の草で編まれた長方形のもの――に座ったまま、顔を伏せぎみにして微動だにしない。そのため、何か話すのも憚られる雰囲気だ。
仕方なくアルフォンスたちは席に座ったが、セルグが言った通り、正座という座り方はすぐに足が痛くなってきてしまった。
(や、ヤバいだろこれ……!)
でもこれが作法だしヒツギノミコはすぐに来るだろう、いや、すぐ来て下さい!
心の中で必死に叫ぶ。だがもう駄目だ。アルフォンスの頭がグルグルと回り出したとき、シャーン、と綺麗な鈴の音が響き渡った。
同時にバッ、とセルグが平伏した。
(――入室の合図!)
誰も何も言わなかったが、みんなも気づいたようだ。今回も見よう見まねで礼をした。
やがて奥の簾が巻き上げられ、衣擦れの音とともに誰かが入ってきた。仄かに涼やかな薫りもする。香の薫りだ。
「――面をあげなさい」
静かで、それでいて強く、柔らかな。発したのは、あの奥の席に座った一人の男性。
アルフォンスたちは『顔をあげろ』と言われたのでそうしたのだが、セルグは床に擦りつけるくらいにした頭を、まだ上げていなかった。
(えっ、もしかして上げちゃいけなかった!?)
けどセルグも『顔を上げろと言われるまでは』と言っていたし、いいんだよな……?
アルフォンスのそんな不安を読み取ったのかは分からないが、日嗣の御子はもう一度その言葉を、今度は彼の言葉で述べた。
「顔を、上げて。そのままでは話がしにくいから。レナード家の」
「……!」
驚愕の面持ちで、セルグは顔を上げた。まさか自分の家名を呼ばれるなんて思いもしなかったのだろう。
「では、ご挨拶といきましょう。はじめまして、私が当代の日嗣の皇子です。ジーパの皇族は真名を明かせませんので他にも呼び名はありますが、アスケイル風に言えば王太子ですね」
ジーパに古来から伝わる衣装を身に纏い、柔らかに微笑む日嗣の皇子。年の頃はリューンと同じだろうか。
「どうぞ、足を楽にして下さい。みなさんには慣れないことで大変でしょう」
ほっ、と安心の溜め息を誰かが漏らすのが聞こえた。セルグも二度も逆らうのは良くないと思ったのか、正座は崩さなかったが、足を少し横に動かした。
そのことは日嗣の皇子も良しとしたのか、話題にすることなく次へと進んだ。
「アスケイル王からのお客人となれば、本来ならば父である主上がお相手するべきなのですが、運悪く昨日より物忌みでして……」
返事を、すべきだ。そう思ったが、誰がどう言うか――。その逡巡で、思わぬ間が出来てしまった。
「……畏れ多いお言葉でございます。若宮様にそのようなお言葉をいただけましたこと、恭悦至極に存じます」
「おや。レナード家の、そんなに畏まらないで。今は私たちだけなのだから」
「は、しかし……」
「せっかく人払いをしたんだ。主上が物忌みで籠っているからこそ、私はこうしていられる。……外の話を、君たちの言葉で聞かせておくれ」
――彼もまた、賢者のようにその特別な立場ゆえ、孤独なのだ。
それを感じ取ったセルグが、何を思ったかは分からない。
「――はい。若宮様」
だけど何かを吹っ切ったセルグの力強い笑みに、日嗣の皇子は破顔した。
そうして日嗣の皇子の願い通り、これまでの旅路での出来事や、これからの目標などを語った。
「――そうですか、みなさんは本当に大変な旅をしなければならないのですね」
日嗣の皇子――今は若宮様と呼んでいる――は時に為政者の、時に若者の問いを投げ掛けながら、その話に聞き入ったのであった。
そのため一行は、まだ緊張が残るとは言え、かなり若宮と打ち解けることができた。
「アスケイル王の強い推薦でしたから、これは良き御仁が来るのだろうと思っていたのです」
「国王様は……、その、僕らのことを何て言っていましたか?」
「みなさん一人一人のお人柄を、アスケイル王の率直なお言葉で、文でいただきました。ですが、これは国政にも関わること。残念ながら、詳細を申し上げる訳には参りません」
「あ、そうか……。すみませんでした」
「どうかお気になさらず。――それと、賢者様からの推薦状もお預かりしていますよ」
若宮のその言葉に、リネアが反応した。
「……若宮様」
「主上と私以外は見ておりませんし、見せることも致しません。……このような立場ゆえ、全てを口に出来ませんが……。貴女に光が見つかるよう、祈っております」
「……。ありがとう、ございます」
居住いを正したリネアが、深く頭を下げた。言葉の奥底で確かに告げたーー禁忌の子であることを厭わない、心優しき若宮に。
一息の間が空いた後、若宮が静まった雰囲気を仕切り直すかのような明るい声で言った。
「さて。あなた方になら、もう言ってもいいでしょう。獣界への扉は、レント県の山中にあります」
「……。レント県、ですか……」
「ふふ、やはり運命なのだろう。そなたが扉をくぐるのは」
「え? セルグ、どういう意味?」
「……俺の実家、レント県なんだよ」
「ええ~っ!?」
まさかそこまでの一致があるとは思わず、アルフォンスは驚きの声を漏らした。
しかし、他の面々は『やっぱり』とか『だろうと思った』など、さほど驚いた様子は見せなかった。
(……え、何で?)
「だって、そんな気がしたのよねー」
「ですよねっ! 私もそうだったら凄いなぁって」
「……では、セルグ殿のご実家に寄ってから扉に?」
「ちょっ、それ止めろ!」
「おや、どうしてだい? 親御に顔を見せてあげればいいだろう」
「うっ……」
「そうですよー、位も上がったのですし。いい機会ではありませんかー」
「うう……」
「セルグさん、どうして嫌なんですか?」
部屋中の視線がセルグに集まる。だが、セルグは押し黙ったままだ。それは――。
(『坊っちゃん』って呼ばれるのが嫌だから、なんて言えるかぁああ!!)
自分はもう十八、いつまでも子供じゃない。けれど隊商の奴らは自分を『坊っちゃん』呼ばわりする、その確信があった。
百歩譲って、親になら子供扱いされるのは見られても――いや、やっぱりそれも嫌だ。
「セルグ、僕は帰ったほうがいいと思うよ? だって、この三月でも里帰り、してないよね?」
アルフォンスに言葉を返そうと、改めて向き直ったところでセルグは動きを止めた。
まるで稲妻が走ったが如く、それはセルグを襲ったのだった。
(俺は、何を悩んだ……?)
親や隊商の奴らに子供扱いされる、それは愛されている証拠じゃないか。なんて贅沢な、満たされた者の悩み。
両親を知らない仲間もいれば、幼い頃に失った仲間もいる。
(こいつらの前で、一体俺は何を悩んだ!!)
「……そうだな。いい機会だ、寄っていくか」
「うん、それがいいよ!」
まるで自分のことのように喜ぶアルフォンスに、セルグは心の中で密かに詫びた。
若宮は最後に馬を借そう、と約束すると、一行との別れを惜しむように、ゆっくりと退室していった。
アルフォンスたちは再び女官に導かれ、内裏の外へと向かう。少年らから靴を受け取ると、ジーパに来て初めて土を踏んだ。
そこからは武官に案内され、初めて見るような、とても立派な騎馬を借り受けることができた。目的地が『レナード家』というのが馬を世話する武官の安心材料になっていたのは、かなりの驚きだったが。
その武官に見送られ、一行は大内裏を退出した。
ギイイ、という木の門が擦れる音を聞きながら、アルフォンスは改めて大内裏を眺めた。
――ここからは、誰の保護もない旅路が始まるのだ。
「おっしゃ、みんな俺について来いよ。最短経路で行くからな」
「その、到着は明日のいつ頃でしょうかー?」
「普通は昼過ぎに着く。ってなワケで、頑張れよリューン!」
「は、はいー……」
まだ出発してもいないのに弱りきったリューンの声に、一行から笑いが漏れる。
馬を借りている時に判明したのだが、一行でリューンだけが馬に乗れないのだ。そのためリューンは、最も馬の扱いに長けたローザンと相乗りしている。
「よーし。みんな、行こう!」
アルフォンスの声に一同が頷く。
そして元気な嘶きとともに、七頭の馬が走り出したのだった。