新世界《参》
アルフォンスは青年と距離を詰め、手を伸ばせば簡単に触れられるところまで来て、ようやく歩を止めた。
青年はもはやアルフォンスに飲まれ、微動だにしない。
「僕は妖力や妖力が強い人を嫌うな、なんて綺麗事は言わない。けど、その理由は? ――理由が無いなら、あなた方が嫌う『短慮な人族』の歴史と何が違う!」
妖力や術者を一律に厭うなら、明確な理由があるべきだ。アスケイルの神殿で泣き明かした夜、アルフォンスはそれを悟った。
なぜ彼らは『妖力が強いから』嫌われる? なぜ『人を傷つけたから』ではないのか。『骸を操る力は怖いから』でもなく、『自分と敵対する立場だから』でもないのか。
みんなが嫌っているから嫌う。理由は知らないままで蔑む。根拠のないまま感情論だけで厭う。
「そんなのは絶対におかしい!!」
アルフォンスの一喝が場を制した。草獣族の青年たちも、ラルフたちも、誰もが言葉、思考を失う。ただ一人、クレアを除いて。
(界王力の扱い方は、やはり天性の才なのね……。導く血族がいなくても、アルフォンス君はこんなにも絶対的な王の気質を現している)
クレアがアルフォンスの一喝に思考を奪われなかったのは、その理由が界王力にあるからだ。
アルフォンスは意図したわけではないが、界王やその血族は己の意志を貫こうとするとき、必ず界王力を発する。それは強力な威圧となり、周囲に影響をもたらすのだ。
当然、属する界王の力に接したほうがその威圧は絶対的なものとなり、自然と膝を屈することさえある。だが、他世界の界王の力でも決して不足はない。
まさに、今。
「……どうか考えてほしい。思ってほしいんです。違うだけで拒まれる寂しさを。変えられないものを蔑まれる気持ちを。そうすれば、ゆっくりでもきっと変わっていけると思うんです」
閃光のように煌めいた強烈な光――界王力も、今は穏やかな、それでいて確かな春の日差しとなる。
光にくらんで閉じた目をあけるように、草獣族の青年はゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「……あなたは、私たちが頭を垂れて迎えなければいけない存在だったようだ」
「え?」
青年の視線は、目を一度開いた時から一方向に固定されていた。その先にあるものは、剣。
「これまでの無礼、どうかお許しを。剣に選ばれし者よ。あなたのお言葉、まことに痛み入る」
頭目格の青年がいきなり膝を屈したことで、周囲にどよめきが広がる。
アルフォンスも突然の変化に狼狽えてしまったが、何よりもアルフォンスを驚かせたのは、青年の言葉だった。
「剣のこと、草獣族のみなさんも知っているんですか!?」
「我々は獣界の智の司。朧気な話であれば全員が、詳細となればムラの上役達が存じ上げております」
「そう……ですか。すごいな、僕は教えられるまで、何も知らなかったのに。――あ、それと、敬語」
「は?」
跪いた青年が、不思議そうな顔でアルフォンスを見つめた。
「さっきの言葉通り、ここは僕らの世界じゃない。僕らはお邪魔してる身だし、お互いに気楽な関係でいきたくて。堅苦しい敬語はやめましょう? それを、ずっと言いたくて」
そういうと、アルフォンスは屈んで青年に手を差し出した。にっこり、屈託のない笑みで。
「いっぱい色んなこと、知りたいんです。それに、知ってほしい。だから――僕たちと友達になってください!」
ぽかん、とした青年はアルフォンスの言葉の意味を理解すると、少し困ったようにはにかみ――手をしっかりと握ったのだった。
アルフォンスは握った手を軽く引いて青年を立たせた。すでに草獣族を威圧する界王力の残滓はない。
「じゃあ、これでさっきまでの事は一区切りです! で、ずっと聞きたかったことがあるんですよ」
「はい、何でしょうか?」
「ええと。今更……だけど、皆さんの名前教えてください」
だって友達なんだから、と続けたアルフォンスに、今度こそ青年は破顔した。
周囲の青年たちも、いつの間にか笑っている。先ほどの威圧とは全く違う――いや、先ほどの威圧を感じたからこそ、アルフォンスの変わりように笑みを浮かべるのだ。
この青年は敵じゃない。敵と認識してはいけない、と。
「これは失礼。私はこのムラの長、ランディです。他のまとめ役――これから皆さんとご一緒する者を紹介しましょう。では、カントから」
「ああ。どうも、俺はカントです。先ほどの浅はかな真似をまず詫びたい。ラルフさん、でしたか」
カント、と名乗った草獣族はアルフォンスよりわずかに背の低い、眼鏡をかけた青年だった。ウサギの一族出身らしく、白くて長い耳が可愛らしく垂れている。しかも毛はフサフサだ。
(さ、触ってみたい……!)
いやいやいや、お友達になりましょう宣言した直後に、そんなことしたら絶対に変人扱いだ。それにラルフへ謝ってくれるみたいだし邪魔したらいい機会を逃すことになるぞ自分……!!
カントの耳に触れたいという衝動を胸の内で吐き出すだけにして、何とか抑え込ることに成功したアルフォンスは、おそるおそる事の成り行きを見守った。
一方で目はランディに向け、彼が何の一族か考えることでカントの耳から気持ちを逸らした。
(ランディさんは多分、鹿か馬、かな……?)
同色の髪の毛に混じり、耳から生える茶色がかった短毛が、クセのあるランディの髪の毛の間から見え隠れしている。もう少し近寄れば判断できると思うのだが、今の時点では無理だった。
「何でしょう。カント殿」
「アルフォンスさんの言葉は正論だ。だから俺たちの心に波紋が広がった。考えるべきだ、との大きな波が。草獣族の特徴、優れた聴覚はご存じか? あれだけの力とともに発した言葉だ、獣界すべての草獣族が一緒に聴いたはずだ。きっと今の俺たちと同じ心境だろう。だが、それでも譲れないものがある」
「何を、おっしゃりたいので」
「どうか勘違いはしないでくれ。あなたへの対応が幼稚で、短慮だった、というのはここにいる全員が認めている。むしろ、そうでなければ同じ草獣族として俺は恥ずかしい」
「……」
「だが甲殻族は違う。奴らとは実際に諍いが何度も起きているからだ。鳥獣族も水獣族も牙獣族も、奴らとだけは一度も歩み寄れたことがない。だから、お詫びの意を込めて、一つご忠告申し上げる」
「おい、カント。もうそのへんで……」
ここにきてようやくランディが口を挟んだが、カントは止めるな、というような身振りをした。そしてラルフを見、アルフォンスたち三人に向かって言った。
「確かに妖力を持つ者は蔑まれている。ラルフさんのように不当な扱いを受けている者も多いだろう。だが、妖力をもつ者の多くはまた、我々を蔑んでいるのだ、ということをお忘れなく」
一瞬、ラルフが目を見開いて息を飲んだのがわかった。その理由を問うべきか判断つきかねているうちに、今度のカントは正面から、アルフォンスにキッパリと言った。
「最後にもう一つ。アルフォンスさん、心の波紋とは大きくなるか、消えるしかない。持続なんかしないものだ。――この偏屈の心にさえ波紋を生じさせたあなたなら、きっと何かを変えられると、俺は思う」
「え?」
「ラルフさんへの言葉は、誤解を生じる言い方かもしれない。だが、真実しか述べていない」
「……ええと。わか、りました。色々とよく考えてみます」
「ええ、よろしく」
カントが自分自身を偏屈と称したことには驚いたが、それぐらい偏屈というのなら、きっと彼の言葉はすべて真実なのだ。
確かに彼の言い回しは誤解されやすそうだ。というか、したくなる。甲殻族のことなどは特に。それでも、偽りではないのだ。
(なら、考えなきゃ……)
蔑みは、妖力をもつ者からもあるのだ、ということを。――ラルフの、あの瞠目の理由を。
そうしてカントが引っ込むと、もう一人の青年が紹介された。今度は小柄なカントと対照的で、かなりのっぽだ。仲間内で最も背の高い、リューンより上背があるように見える。リューンは人界でもかなり背が高いほうだったのだが。
ここで名乗るということは、この三人が草獣族の若者たちを取りまとめる存在なのだろう。
「僕はルーボと言います。キリンの一族ですよ。これからよろしくお願いしますね」
ルーボの穏やかな喋り方と優しい瞳に、アルフォンスは仲間内でも兄のように慕うリューンを見た。急に懐かしくなったが、今は追いかけることなどできない。
(僕もしっかりしなくっちゃ!)
気合を一つ入れなおしたところで、今度はルーボの自己紹介が始まった。
「僕は四位ですが、魔法使いでもありますので。何かとお役にたてるといいのですが」
「あら、草獣族で魔法使いとは珍しいですわね。他の方々は吟遊詩人なんかが多いでしょう?」
「ええ、僕は草獣族の中では突出した魔力の持ち主なんです。それでも人界に行けば、中の上ぐらいでしかありません。――ああ、そういえば牙獣族とともに行かれた魔法使いの女性は、本当に強力な魔力をお持ちでしたね」
その言葉を聞いた途端、アルフォンスたちに緊張が走った。
(まさか、気づかれた――!?)
自分の血筋のことや、剣のことは気づかれたって構わない。しかし、リネアの真実がばれてしまえば、ラルフ以上の問題に発展する可能性が高かった。
「どうかされましたか?」
「いえ、よく観察されてるんですね。すごいな、ねえニーナ!」
「は、はい!? そ、そうですね。私たちは皆さんのご職業なんて何もわかりませんでしたし」
かなり無理やりではあったが、アルフォンスはリネアから話題を反らそうとニーナに話をふった。ニーナも意図は察したようだったが、選んだ言葉がまずかった。また話題がリネアに戻ってしまったのだ。
「そんな。あの方の力が強すぎて、振り向かざるを得なかったのです。まるで磁石に金属が吸い寄せられるように。ああ、そういえばあの方は……」
「あ、あの! 申し訳ないんですが、今日は色々あって疲れちゃって……。早めに休ませていただけたらなー、と」
こうなれば無理やりだろうがやけくそだろうが、とにかく話を終わらせるしかない。アルフォンスはルーボの話を遮り、ランディに助けを求めように言った。
「ああ、そうでした。遅くまでお引止めして申し訳ない。カントとルーボは明日の用意を進めていてくれ。私は皆さまを案内する」
「ああ、わかった」
「ええ。それでは皆さま、おやすみなさい」
こうして草獣族の村についての一騒動は決着を迎え、アルフォンスたちは今夜の宿となる建物に通されたのだった。