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いざ進め《壱》

 翌朝。一行の旅立ちを祝福するかのような好天が、そこには広がっていた。


「リネア、準備は出来たー?」


 昨夜の出来事がたたって、珍しく寝坊してしまったリネアの部屋に、ローザンがやって来た。いつもは身支度に一番手間がかかるのに、今日はローザンが一番手らしい。もう準備万端のようだ。


「ああ。姉上たちも終わったのか?」

「クレアもすぐに来るわよ。けど、ニーナはまだ半分寝てるわ。ちょっと時間がかかりそう。昨日、緊張して眠れなかったんですって」

「……そうか」


 何の変哲もない、いつも通りの淡々とした返答。だが、ローザンはそこに何かを感じ取った。女の感、とでも言うべきか。


「……あんた、何かあった?」

「……別に、何も」


 うそつけ。ローザンは確信した。

 リネアは秘密を隠す根性は人一倍だが、その分、隠し事は下手だった。

 この頃わかってきたことだが、リネアは後ろめたいことがあるとき、視線を左下に向ける癖がある。

 ――今はバッチリ左下を向いている。


(もしかして、ニーナも何か……?)


 まさか、二人とも。


「あたしに隠し事しようなんて、百年早いわよ。リネア」


 特に色恋のことでは。

 他人の恋愛事情に出歯亀をする気はないが、その手の話に花を咲かせてこそ女というものだ。

 しかもかなり前から経過観察していたのだ、気にするなというほうが無理だろう。


「……」

「昨日の夜、セルグと何かあったわね?」

「……別に、何も」


 一字一句同じことをさっきも言った、と突っ込んでやりたかった。

 リネアは顔をぷいと背けたが、そんな行為はローザンの確信を深めるだけだ。


「……ま、ニーナもあんたも嫌な空気じゃないし。いいことがあったんでしょ? 詳細は後でセルグを……」

「……ローザン」

「なぁに?」


 自分を見つめる瞳に、思わずローザンは息を飲んだ。

 その瞳はまるで漆黒の宝石、黒耀石のよう。静謐な輝きを放ちながら、炎のような強い意志が煌いていた。

 瞬く間に、ローザンは理解した。これが本来のリネアなのだ。揺るぎなく、真っ直ぐに。怯むことなく己の信念を貫き通す。そんな強い意思の持ち主。


「私は……。未だに昨夜のことは夢だったのではないか、と思う」

「……。はぁ?」


 リネアの突飛な発言に、ローザンは思わず間抜けな声を出してしまった。

 昨夜の詳細は不明だが、予想はつく。ゆえに、それを聞いたらセルグは一生立ち直れないわよ、と思いながら。


「……でも」


 窓から差し込む朝日に、リネアの黒髪が柔らかに光る。そうして、顔を照らし出す。


「あれは真実なんだ。セルグは真実を告げてくれた。――だから私も、己を偽らずにいようと思う」


 誰よりも眩しく、どんな時よりも朗らかに、リネアは笑った。

 心から笑ったのは、あの『禁忌の変』以来、初めてなのではないだろうか。リネアはこちらが泣きたくなるくらい、幸せそうな笑顔だった。


「……いい笑顔ね。そうよ、リネアもそうやって笑ったほうがいいわ」

「――ああ」


 ただ、あまりリネアが周囲に笑顔を振り撒くと、セルグの心労は増す一方だろう。これまでのぶっきらぼうな態度でさえ、セルグを含め、何人の男の心を奪ってきたことか。


(しかもリネア、無自覚だものねー……)


 はっきり言ってタチが悪い。これで愛想までよくなったら、色々と大変ことになりそうだ。

 ――セルグが嫉妬と怒りのあまり、暴挙に出たりとか。


(簡っっ単に想像できるわソレ……)


「じゃ、あたしは先に一の間に行ってるわね」

「わかった。私もすぐに行く」


 わずかに、だが確実に軽やかな声音。昨夜、リネアは心の重荷を少なくすることが出来たのだろう。今のリネアは誰が見ても分かるくらい、様変わりしていた。


(そう言えばニーナも、何かぽわぽわしてたわよね……)


 かなり眠そうな顔をしていたので、そちらに気をとられてしまったが、あれもアルと何かあったからだったとは。

 一の間への廊下を一人歩きながら、ローザンはちょっぴり反省した。

 ――こんなネタを逃しかけるとは、一生の不覚!


「おやー、ローザン。おはようございますー」

「あら、おはようリューン。どうしたの?」


 ローザンが一の間にたどり着く手間で、リューンが女たちの部屋のほうへやってきた。

 朝の集合は一の間、と昨夜のうちに決めていたのだが――。


「それが、三人はまだ準備に時間がかかりそうでしてー。そのことをお伝えに来たんですよー」

「あら、わざわざありがと。こっちも皆まだなのよ」

「そうでしたかー。あ、そうそう。昨夜の舞は本当に美しかったですよー。それをぜひお伝えしたくてー」

「ありがと。そう言ってもらえると嬉しいわ」


 素直な称賛は多少気恥ずかしいが、とても嬉しいものだ。だから舞を評価してくれる人に関して、ローザンは必ず礼を返すことを信条としていた。


「星月夜の舞とは、まさにイル・ターシャのようだと……。思わず見とれてしまいました」

「――っ! そ、それは褒めすぎでしょアンタ!」


 が、さらりと凄いことを言ってのけたリューンに、流石のローザンも動揺して赤面してしまった。


「いいえー。嘘はつかないのが精霊使いの信条ですしー」

「だ、だからって……」


 イル・ターシャ。それは古代シェルマスで信仰された、美の女神だ。

 イル・ターシャが双子の妹神を脇に従えて一差し舞えば、誰もがその美しさに魅了されたという。天上の神々でさえ、その舞に心を奪われたのだ。

 現在はその信仰も絶えたが、イル・ターシャの名はシェーマスでの最高の女性の代名詞として、確固たる地位を築いている。


(~~っ! あー、もう! 何なのよ何なのよ何なのよー!!)


 あまりにもタチが悪すぎないか。

 そうだ、この無自覚ぶりはリネアよりタチが悪い。この無自覚で殺し文句を吐く男を、誰かどうにかしてくれ――!

 ――そう考えて、ローザンはハッとした。


「?」


 リューンはローザンの作り出した間に、わずかに首を傾げる。

 いつも通り柔和な笑顔を浮かべるリューンを凝視してしまう。ローザンは思い至った事実に、ただ困惑した。


(ちょっと待って――、そうよ、あれは舞への褒め言葉であって、他意なんかは無いわけで……)


 この目の前の人物が、その方面を意図して言うわけがない。

 意識、してしまった。自分への褒め言葉だ、と思ってしまった。


「ね、ねぇリューン」

「はい、何でしょう?」


 この、のんびりゆったりほんわりな、自分とは正反対な人。今は仲間として仲良くなったが、出会った当初、クルツァータでの第一印象は最悪だった。


「――っあ、後で皆と一の間に一緒に行くから! 伝えといて!」

「は、はい。では、また後で」


 くるりと踵を返し、ローザンはもと来た道を駆け出した。

 嘘だ、と思いたかった。相手がリューンであることが嫌なのではない。

 ただ、自分の情けない意地が、素直に認めることを許してくれなかったのだ。誰かが自分に情熱的で盲目的な愛を捧げるのではなく、自分から必死に愛を求めるということを。


(……馬鹿みたい)


 恋は突然で、理想通りなんかにいかない。それはよく理解していたはずなのに。

 しかもこの気持ちに納得したとしても、リューンは自分を恋愛対象として見ていない。あの熱の籠った想いは、どんなに激しくても、恋じゃない。


「――馬鹿みたい」


 もう一度同じ言葉を、今度は実際にぽつりと口から零して、ローザンは目を潤ませた。

 時間は少し遡り、廊下でリューンとローザンが話し始めた頃。用意を終えたクレアは、一の間に行こうと部屋の障子を開けた。


「あら」


 その目に飛び込んできたのは、庭でキョロキョロと何か探しているラルフの姿だった。しかもいつもとは違い、髪を下ろしたままだ。


「ラルフ君、どうかしたの?」

「あ……。その、髪紐を風に飛ばされまして。この辺りのはずなのですが……」


 その答えに成る程、とクレアは一人ごちた。

 塔で暮らす間、ラルフはいつも身だしなみをきちんとしていたが、持ち物は本当に最小限で、どれも使い込んであった。きっと髪紐の替えなど無いのだろう。


「ラルフ君、私のを貸してあげるわ」

「ですが……」

「見つかれば後で返してくれればいいし、そうでなければ差し上げるわ。まだ余分に持っているもの」

「……」

「ね? そろそろ皆も用意を終えてしまうと思うのだけれど」


 このままでは皆を待たせてしまう、という含みをラルフは理解したらしい。借りるのが髪紐という、たいした品でないことも手伝い、コクリと頷いた。


「じゃあラルフ君、こっちへ来て」


 そう言うとクレアはラルフに似合う、落ち着いた色合いの髪紐と、櫛や鏡を取り出した。そして、未だ庭に立ちぼうけているラルフに、縁側に腰掛けるよう声をかける。


「さあ座って、やってあげるわ」

「いえ、そこまでして頂くわけには――」

「いいから、ね?」


 優しいが強いその言葉に、ラルフは一瞬だけ迷うも、すぐに従った。この一月でクレアが信用に足る人物か、既に承知していたからだ。


「……では、お願いします」

「ええ、任せて」


 クレアはにっこり笑うと、ラルフの癖のない真っ直ぐな髪に、てきぱきと櫛を通し始めた。

 特別に手入れなどしていないようだが、生まれつきなのだろう、とても滑らかで触り心地のいい髪だ。


「……クレア殿」

「なあに?」


 とかした髪を一纏めにしているところで、ラルフが言った。


「クレア殿は普段、ご自分の髪を結ってらっしゃいませんが、なぜこうした道具をお持ちなのです? それに、かなりお上手ですし……」

「あら、ありがとう。でも、やっぱりラルフ君は男の子ね」


 ラルフがこんな疑問を持つとは思いもよらなかったため、思わずクレアは苦笑してしまった。

 きょとんとしたままのラルフの髪を漉きながら、話を続けた。


「櫛なんか女の子の必須品よ。やり方なんて友達や自分の髪を適当に結んで、遊びながら覚えるの。女の子ってそういうものよ」

「そうですか……」


 あまり納得していないのか、ラルフの言葉が濁る。その理由を察し、クレアは少しだけ補足をした。


「ただし、リネアは別ね。……あの子はシャルーラン殿しかいなかったもの。シャルーラン殿と同じように髪を伸ばして、あとは邪魔にならなければいい、ってところかしら」

「成る程」


 リネアは例外的な存在だということに、ラルフは初めて気付いたようだった。

 『世間一般』や『女の子』の定義は、塔でクレアとリネアを通じて作られていたらしい。

 ――流石にシャルーランは規格外だと本能的に認識していたようだが。


「ただ……。私も、少し特別かもしれないわ」

「?」


 振り向きそうになったラルフの頭を軽く抑え、さっ、と紐を髪に巻き付けてクレアは髪を結い終えた。


「はい、終わったわ」

「あ、ありがとうございます。……その」

「今の話? そうね……。私は血族で唯一、リネアと会っているわ。でも何の力にもなれなくて、この三年は会いにくることさえ出来なかった……」


 今も軟禁される哀れな叔母。その存在を無きものとする、母や血族たち。

 ――リネアの存在を知ったのは、天界まで轟いた『禁忌の変』の余波があったからだ。

 あり得なかった。あの時、目覚める血族がいるなんて。

 界王の血族は誰しも、三歳で『覚醒の儀』を迎える。成長するほどに増す界王力の扱いを覚えるため、厳重に結界を張ったうえで、強制的に目覚めさせるのだ。

 あの時、天界で最も幼い血族は自分。精霊界と魔界に血族はなく、獣界には幼い双子の血族がいるが、覚醒の儀を終えたばかり。

 それなのに、誰かが目覚めた。


「そうしてお祖父様――天王様を問い詰めたの。天界で私だけが真実を知らなかったのよ? ……子供だったから」


 アルフォンスは、奇跡的に穏やかな目覚めを迎えられた。しかし、それは首飾りのお陰だ。

 あれは、界王石を加工したもの。純粋な界王石ならば力の暴発を促進した可能性があるが、加工品だったために上手く抑制作用だけが働いたのだ。

 それは我が子に首飾りを託した、人王の切なる願いが叶ったということ。

 そして何よりも本人の強い意思――『守る意思』。助かりたい、ではなく、助けたい。命の危機に直面して、どちらを心から願ったか――。


(そう願える人など、居るわけがないと思っていた)


 だからこそ、血族は覚醒の儀を行うのだ。そんな夢のような強さは、誰もが持ち得るわけではないから。


「天王様は……。リネア殿の存在をお認めになっていないのですね……」


 ポツリと、ラルフが乾いた声音で呟いた。


「……そう、かもしれないわね。それでリネアの存在を知った私は、みんなを振り切って会いに来たの」


 どんなに寂しいだろう、どんなに恐ろしいだろう。

 そう思って息急きながら訪れた先には、もう涙の跡など見当たらない、強い眼差しで自分を見据える少女がいた。

 ――泣いていいのよ。泣くのは罪ではないのよ。

 何度言ってもリネアは堅く口を引き結んだまま、首を横に振るだけ。

 せめてと思って、髪を結ってあげた。その美しい黒髪が前を覆い隠してしまわぬよう。


「その時、初めてリネアは笑ってくれたの。それがとても嬉しくて、私はたくさん練習したわ」


 天界を飛び出してきた手前、いつまでも居座るわけにもいかず、一度は帰ることにした。


「あの子、私の袖をひいたのよ。何も言わなかったけれど、引き留めてくれたの。少しでも力になれた、それが分かって嬉しかった……」


 そうして帰った天界で大目玉を喰らったが、後悔などしなかった。飛び出したことは謝っても、会ったことは絶対に謝らなかった。

 ただ、リネアの様子を伝えたら喜ぶだろうと思い、叔母に話をしたが、あの時は本当に困惑した。

 叔母は話を聞いた途端、大きく目を見開き、その細身でと思うほど大きな声で、半狂乱になって泣き叫んだのだ。

 あの子の幸せを願って身を引いたのに。それは間違いだった、我が子を不幸にした。恨まれているに決まっている、会う資格などない。そう言って。

 ――かける言葉が見つからなかった。


「想うが故のすれ違い……。リネアは少しも叔母様たちを恨んでいないわ。むしろ、『自分のせいで両親を引き裂いた』と気に病んでいるの」

「……そう、ですか。私などとは、比べ物になりませんね。リネア殿は……」

「あら、それは違うわ、ラルフ君」


 地面を見つめ沈んだ声で言うラルフを、クレアが優しく遮った。


「悲しさや苦しさは、人と比べては駄目。何も生まれないわ。それに誰かにとっては些事でも、その人には大切なことよ。……そうでしょう?」


 妖力を強く持つ苦しみ。

 その苦しみは、他人の苦しみを見つけても、消えるわけではない。

 苦しみや悲しみは、他人と比べようとしても、本来、比較の対象にはなり得ない。みんな、似て非なる存在だから。

 だから押し込める必要などないのだ、と。


「クレア殿……。――そう、ですね。ありがとうございます」

「ふふっ。どういたしまして」


 ――些末なことだと思った。リネア殿の問題は界王、ひいては世界の問題でもある。だから自分の苦しみなど、なんと小さな事かと。

 だがクレア殿は、全てを認めてくださった。


(なんだ、この気持ちは……)


 胸の奥が、あたたかい。

 アーサー様とも違う。アルフォンスたちとも違う。初めて知る、あたたかさ。


「……それでね、子供の私には難しい問題だったから、余計なことをしてリネアと叔母様の仲がこじれるのは大変、と思ったの。だから二人が巡り会うときを待ったわ。――その願いが、もうすぐ叶うの……!」


 どこか遠くを見るように、熱い眼差しをするクレア。

 そんなクレアに、ラルフは何も考えぬまま手を伸ばした。


「ラルフ君?」

「――っ!」


 指先がその肩に触れる寸前、ラルフはその場から勢いよく飛び退いた。


(いま、俺は何を――!?)


 心臓がバクバクと煩い。耳ざわりなくらい、激しい鼓動を響かせている。鳥肌がたつだけ血の気が引いたのに、嫌な汗も出てきた。

 自分の行動が信じられなかった。理由もなく他人に触れようとするなんて。


(今のは、なぜ……)


 クレアに視線を戻しても、不思議そうに自分を見ているだけで答えは得られそうになかった。

 ――ラルフはこのとき、自分でも知らないうちに、初めての感情を芽生えさせていたのだった。

 誰かに触れたい。

 ほのかで、それでいて誰もが持つ、絶対の欲求を。

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