少年、憤る
――そして、決闘当日。
決闘の場として選ばれた訓練場には、大勢の生徒が集まっていた。
どうやら一週間の猶予期間は、学園中に決闘のことを吹聴するためだったらしい。
観衆の中には教師の姿まであり、諫めるどころか生徒主導の賭博に金を出す始末だ。
その賭博も『平民が何秒まで持つか』という内容で、大半が決闘ではなく一方的な虐待ショーを目当てにしている。なんという悪趣味か。
だが、しかし。
決闘の戦況は、大多数の予想を大きく裏切る展開になっていた。
「う、らああああ!」
「この、卑しい平民の分際で……ぐへぇ!?」
レイジが一方的な攻勢を見せて、相手の神民生徒を圧倒しているのだ。
今も相手はレイジの拳を顔面に喰らい、潰れたカエルのような呻き声を漏らす。
「平民ごときが、調子に乗るなああ!」
相手が魔力を風に変換して、風の刃をレイジに向けて放った。
風を圧縮することで刃に仕立てた分、雷を垂れ流すだけだった金髪二号よりは一段上等な攻撃だ。とはいえ鉄も断てない、肉を裂くまでがせいぜいの切れ味。
それでも生身の人間相手なら十分な凶器だが――今のレイジには通じない。
「おらあ!」
「なにぃ!?」
【強化】を付与したレイジの拳が、正面から風の刃を粉砕した。
魔術で強化された拳はまさに鉄鎚。それに比べれば、相手の風刃など薄っぺらなガラス細工の刃物に過ぎなかった。
そして間合いを詰めたレイジが、相手をタコ殴りにする。
「凄い。いくらアロウンから魔術を教わったとはいえ、こうも一方的に……!」
「レイジが今まで苦渋を舐めてきたのは、神民生徒の高い魔力が鎧の役割を果たして、拳が届かなかったせいだ。【強化】魔術を覚えたことで、レイジはそれを突破できるようになった。魔力の壁さえ無意味になれば、レイジの方が圧倒的に喧嘩慣れしている」
現に、相手の動きは素人同然。今まで、高い魔力をそのまま投げつけるだけで敵を圧倒してきたのだろう。それでは戦闘経験などないに等しい。
一方でレイジは幼い頃から周囲に疎まれ、敵が多く喧嘩三昧の日々で育ったという。それだけに体は鍛えられてるし、勘も働く。アロウンが《チキュウ》の武術から基礎的な技を教えれば、あっという間に吸収してしまった。
アロウンもこの三年間で相当に鍛えたつもりだが、やはり年季の差は大きい。魔術抜きの組手だと、素手の勝負は既にレイジの方が上手だ。
ましてや魔力頼りの素人では、レイジに触れることさえできやしなかった。
「だけど、相手もあれだけ一方的にやられながら、全く倒れる気配がないわ。流石はペルセウス――《守護英霊》を授かった当代の英雄ってことかしら」
「ペルセウス、か」
またも聞き覚えのある名に、アロウンの声音が低くなる。
コレーの話によれば、魔力に目覚めた《神の寵児》の中でもさらに選ばれた者は、神から過去に伝説を残した英雄の力を授かるという。《守護英霊》と呼ばれる英雄が残した半身と一体化し、自らが当世当代の英雄そのものとなるのだ。
故に相手は英雄ペルセウスの力を受け継ぐ、当代のペルセウス。
ちなみに《守護英霊》は後天的に、ある日突然天啓と共に授かるらしい。授かった者はそれまでの名前を捨て、英雄の名を名乗る習わしだとか。
「くそ、変に頑丈な体してやがる……!」
レイジは優位に立ちながらも、違和感に対する警戒を抱いていた。
実際、ペルセウスの肉体は、神の血筋を差し引いても『不自然』だ。
レイジの強化された拳を、これだけ無防備に喰らいながら耐えるタフネスもそうだが、見かけがあからさまにおかしい。
一見して細身ながらも筋肉で引き締まった、彫刻のごとく美しい体躯。しかし数多の英雄を見たハーデスの記憶でわかる。ペルセウスの肉体は明らかに、鍛練や実戦経験によって鍛えられたものではない。
あたかも、最初から「そう在れ」と造られた人工物のような……。
「雑魚が……いつまでも調子に乗るなああああああああ!」
「ぐっ!?」
ペルセウスが叫ぶと同時、今度はレイジが呻き声を上げた。
どう見ても殴り返された様子なのだが、ペルセウスの拳が見えない。
ペルセウスの両腕がかき消えたかと思えば、レイジが打撃音と共に仰け反る。
「どうだ! 本気を出した僕の拳は、凡人どもの目では決して捉えられない超スピードになる! ましてや下等な黒混じりの平民ごときには――!?」
余裕を取り戻したペルセウスの顔が、またすぐに引き攣る。
レイジの手がなにもない虚空で、しかしなにかを確かに掴んでいた。
「なーにが超スピードだ。目に見えないだけ。どういうカラクリか知らねえけど、拳を透明にしているだけで、ノロノロのままじゃねえか。だがなあ、見えなくても実体があるなら、全身透明になろうが殴れるよなあ!」
ギッチリと左手でペルセウスを捕らえ、レイジは拳を振り被る。
しかし突然、中途半端な体勢でその動きが止まった。
「ぐ……! なんだ!? 今度は、体が動かない……ぐふ!」
「は、ハハハハ! どうした、体が竦んで動けないか!? どうやら、ようやくこの僕に刃向かうことの愚かしさを実感したようだね! 魔力に目覚め、小細工を学んだところで所詮は平民! これが真に選ばれた血統である神民との、格の違いなんだよ!」
指先まで動かないのか、捕らえていた手もあっさり外されてしまう。
今度は、レイジが一方的に殴り倒される番だった。
ペルセウスの拳は技術の欠片もない稚拙なものだが、膂力だけは異様に高いようで、レイジは瞬く間に顔が血塗れになっていく。
「ハハハハ! 神民に逆らう平民に相応しい、愚かで滑稽で無様な姿じゃないか! 抵抗もできずされるがまま、惨めに汚い血と泥に塗れて! 下賤な身の程も弁えず、我らが姫君に近寄る汚らしいハイエナめ! これが神民に逆らう愚か者が受ける報いだ!」
周囲の悲鳴と歓声、そしてペルセウスの嘲笑が響き渡る。
レイジはなんとか反撃しようとするが、やはり動きが酷く鈍い。
ここまでの努力と奮闘を嘲笑い踏みつけるようにして、ペルセウスの攻勢が続く。
「一瞬で戦況が覆された……今までは遊びだったってこと? これが英雄になるべくして選ばれた者の、英雄の力――」
「そんなわけがあるか」
底冷えした声が、自分のものだと一瞬遅れて気づく。
顔を青褪めさせたコレーの反応さえ気に留まらない。それほどの憤りで、アロウンは腸が煮え繰り返る思いだった。
神気を操り、ハーデスの眼で『視る』ことで確信した。
単に名前を被らせただけではない――あのペルセウスは神々によって、英雄ペルセウスの力を植え付けられているのだ。
「これが英雄だと? ふざけるな、ふざけるなよ愚弟ども。貴様らは、一体彼らのなにを見てきた。『私』たちが見てきた英雄は、こんな愚劣の極みではないだろう……!」
《チキュウ》のギリシャ神話に名を刻んだ英雄ペルセウスは、母に横恋慕した領主からの理不尽な命令で怪物退治に挑んだ戦士。神の助けで強力な武具を授かったとはいえ、石化の魔眼を持つ恐ろしいゴルゴーンに単身で立ち向かった。
母を守るため、命懸けの苦難を乗り越えて。試練の果てで美しき妻と王座を勝ち取ったペルセウスは、まさに人間が思い描く王道的な英雄像だ。
「ハハハハハハハハ! どうだ、これが僕の力だ! 選ばれた英雄の力だ! お前ら下等な愚民どもは、僕を崇めて平伏していればいいんだ! ハハハハ!」
しかし目の前の『偽』ペルセウスは違う。まるで違う。
なんの苦労もなしに神様から授かった、貰い物の力を我が物顔で振りかざし。
なんの危険も冒さず、ただ楽をして勝利の優越感に浸ろうという醜悪さ。
どれ一つとして、本物のペルセウスとは似ても似つかない。
身に余る力に酔い潰れて、完全に心が腐り切っていた。
「このような、胸糞悪いだけの茶番が貴様らの望む物語か。懸命に生きる者を理不尽な力で虫けらのごとく踏みつけ、指差し嘲り笑うのがそんなに愉しいか! ならば私は、貴様らの悪趣味な思惑をこそ、完膚なきまでに踏み砕いて嗤ってやろう!」
アロウンの手中に神気が、神の力が集い、《ハーデスの兜》を顕現させる。
そこに在るだけで大気を震わす神器を前に、しかしすぐ隣のコレーはなんの反応を示さない。……否、反応どころか動きが完全に停止している。コレーだけでなく周囲の観衆も、レイジとペルセウスも、風に舞った木の葉の一枚さえ空中で止まっていた。
アロウンが《兜》の力で、周囲の『時間そのもの』を停止させたのだ。
「神から力を授かったインチキ野郎と、神の記憶と力を引き継いだインチキ野郎。こっちの方が対等な対戦カードだろう? さあ、選手交代と行こうか!」
我ながら屁理屈だな、とアロウンは内心でぼやく。
――アロウンが冥府の神ハーデスそのものであったなら、こんな行動には出なかったかもしれない。ハーデスはあくまで死者を裁く神として、地上の生者には善悪に関わらず非干渉に徹した。冥府に侵入した生者や、冥府を脅かす生者は例外だったが……。
しかしここにいるのは、ハーデスの力と記憶を持った人間アロウンなのだ。
だからアロウンは一人の人間として怒りを燃やす。自分の生徒一号に圧し掛かる、神の理不尽に。それを打ち砕くためなら、人間らしく屁理屈だってこねてやろう。
アロウンは《ハーデスの兜》を頭上に掲げ、被った。
「さあ、これでトドメだ――あ?」
ボロボロのレイジに決着の一撃を浴びせようとしたペルセウスが、呆けた顔になる。
目の前からレイジの姿が、突如として煙のように消えてしまったのだ。
逃げ出したかと周囲を見回し、ペルセウスは仰天する。
「こ、ここは一体どこだ!? 学園はどこに行ってしまったんだ!?」
気づけばペルセウスは、草一本生えていない荒野の真ん中に立っていた。
前後左右、どちらを見渡しても果てがなく、学園などどこにも見当たらない。
ここは《兜》の力で形成された隔絶空間。鏡に映る鏡像のごとく次元を隔てた、時空の異なる場所なのだ。
ペルセウス一人だけがこの異次元に放り込まれ、彼の時間だけが再始動された。
そして正確には、この隔絶空間にいるのはペルセウスと、もう一人。
「来たか。英雄の力に溺れた、愚かな人間よ」
「な、なんだ貴様!? 神民の中でも選ばれた存在の僕に向かって、不敬だぞ!」
首を一周巡らしたペルセウスの眼前に、いつの間にか立っている人影。
兜と黒衣で姿を覆い隠した謎の人物は、穏やかなのに寒気が止まらなくなる男の声音で、静かに名乗った。
「我が名はハーデス。愚かな神の不始末は、同じ神であった私が片づける」