少年、すっぽかす
アロウンがある意味で鮮烈な学園デビューを飾ってから、早一週間。
「ふああああぁぁぁぁ」
アロウンは今日も授業をすっぽかし、図書室に入り浸っていた。
木製テーブルの上で山積みにされたのは、主に神話や魔法に関わる資料。中には子供に読み聞かせるような、児童向け絵本の類もあった。しかしどれも神々に対する賛美がくどいほど羅列されており、流し読みするだけでも欠伸が出るわ出るわ。
とはいえ、アロウンが知りたい情報は十分に集まった。
「やはり、歴史まで改竄されているか。神々にとって都合よく、な」
千年前にハーデスたちが《チキュウ》からやって来るまで、この世界に『神』という概念は存在しなかった。人間はただ自然の恵みに感謝し、自然界のマナから誕生する霊的生命体《精霊》を崇拝していた。
しかし現代では、《七星神》なる神々が世界の創造主だと崇められ、精霊は神に仕える眷属という位置づけになっている。
神々の王ゼウスを頂点に、ポセイドン、ヘラ、アテナ、ヘルメス、アポロン、ヘスティア――いずれも神話に於いて、神々の中でも代表的な十二神に数えられた内の半数。そして一人を除いて、千年前もゼウス側についてハーデスと対立した神々だ。
その全員が千年前の戦いで神核を破壊され、滅んだはずなのだが……いや、単に名前だけ伝わっているだけという可能性もあるか。
しかし金髪二号の存在から、ゼウスの復活だけは確定的だ。
「あの愚弟め。俺と同じように転生したか、あるいは神のまま蘇ったか」
後者の場合、アロウンにとって最悪に不利となる。あくまで人間の身に過ぎないアロウンでは、どうしたってハーデスの力を十分に引き出せないからだ。
それでも、アロウンはハーデスとして戦わなければならなかった。
神々の悪意に弄ばれる、今の歪んだ世界と。
これは、愚弟たちの兄だった自分が果たすべき責任なのだ。
「しかし……こっちの世界でも悪役扱いなんだなあ、俺」
重いため息を零し、アロウンの背中になんとも言えない哀愁が漂う。
《七星神》を讃える神話の中で、ハーデスは闇の力で人間を脅かす、悪しき邪神とされていた。そして正義の神ゼウスの雷霆により、古代の戦いで完膚なきまでに叩きのめされ、地下深くで封印されたことになっているそうだ。
ただでさえ《チキュウ》でも、死を象徴する神ハーデスは人々から恐れられ、創作物では残虐非道な悪役扱いも珍しくなかった。そしてこの捏造神話でも扱いがコレだ。
慣れていると言えばそれまでなのだが、やはり悲しい。
地味にアロウンがへこんでいると、そこへ不意打ちに声をかけられる。
「見つけたわよ、不良生徒くん」
「――そういう君こそ授業はどうしたんだ、コレー?」
軽く心臓が飛び出しそうになったのを億尾にも出さず、アロウンは冷静に振り返った。
そこには呆れ半分、そしてなぜかちょっと楽しそうな顔のコルネリアが。イスに座ったアロウンの背後に立っているため、上から覗き込んでくる大きな瞳にドギマギする。
コルネリア――コレーはクスクスと、くすぐったそうな笑い声を零した。
「なんだか変な気分ね。新鮮なのに、不思議と凄く耳に馴染むの」
「いやその、コレー……コルネリアが気に入らないようなら、無理には」
「嫌よ、結構気に入ってるんだから。コレーって呼んでくれなくちゃ、返事してあげないんだから」
ぷいっと顔を背ける仕草も愛らしく、しかしアロウンはいよいよ困ってしまう。
コレーというのは、実はペルセポネの本来の名前だ。ペルセポネはハーデスが贈った、冥府の女王としての名前である。
アロウンはなんでもない会話の最中、うっかりこの名でコルネリアを呼んでしまった。慌てて訂正しようとしたのだが、コルネリアが愛称として気に入ってしまい、こちらで呼ぶことを義務づけられていた。
おかげでアロウンは、ハーデスの記憶がごっちゃになりそうで四苦八苦だ。
「コレーさんはてっきり優等生だと思ったんだがな。成績とか、平気なのか?」
「いいのよ、もう別に。……こんなこと言いたくないけど、あんな授業から得られるモノがあるとは思えない。君もそう思ったから、こうしてすっぽかしているんでしょ?」
「まあな」
コレーが言うように、学園の授業は酷い内容だった。
『この世界に於いて、人間の優劣は魔力の総量が全てである』
『神は偉大であり、偉大な神に選ばれた者だけが高い魔力を授かる』
『神が定めた、魔力による人間の序列は生まれた瞬間から絶対。人間の如何なる努力も創意工夫も、これを覆すことは不可能だし許されない』
歴史、芸術、語学、魔法学……授業科目の全てが、この三点を喧伝することに終始していた。どの教師も神の偉大さを賛美し、神に選ばれた者の貴さを誇示し、選ばれなかった者の卑小さを侮蔑するばかり。
強いて言うなら、喧伝の方針に多少の違いがある程度だ。
身分の序列をそのまま魔力の序列と同一に扱う『階級主義』。
身分は問わないがやはり魔力の序列を絶対視する『魔力主義』。
より敬虔な信者こそ魔力を授かると主張する『信仰主義』。
これら三つの派閥が、学園に留まらず国中で熾烈な勢力争いをしているらしい。
アロウンからすれば『馬鹿馬鹿しい』の一言に尽きる話だった。
「学園ってもっとこう、お互いが競い合って高め合って、切磋琢磨するための場所だと思っていたのに……」
「連中にとって、魔力は高価な宝石と同じなんだ。学園は学ぶためじゃなく、宝石の値段を見せびらかして互いに張り合うための場所でしかない。俺みたいな下民や平民まで迎え入れるのも、石ころと見比べて最低限の優越感に浸るためだろうさ」
我ながら酷い例えだが、コレーも得心がいったようで苦々しい顔をする。
この世界の人間にとって、魔力や魔法とは『神からの贈り物』であり『神に定められた絶対不変の才能』だ。故に努力してより強く鍛えたり、新しい形に発展させるといった発想がそもそもない。それを許さない思想が、社会全体に根深く浸透しているのだ。
――言うまでもなく、これはゼウスたち《七星神》の企みに違いない。
理由は容易に想像がつく。ゼウスは、人間の進歩と進化を恐れているのだ。
《チキュウ》の人間たちはいつしか神々に縋ることをやめ、自らの知恵と欲望で文明を発達させた。天空や深海といった神々の領域に進出し、神々の想像を超えた光景をいくつも築き上げ。挙句にゼウスの雷霆をも上回る、恐ろしい兵器まで生み出してしまった。
神々の地位は失墜し、星との接続も断絶。自然や概念を支配する権能も失った。
僅かな力と、限りなく不老不死に近い肉体だけが残った神々は、それ以降人間に混じって生き長らえてきたのだ。
ハーデスはなんだかんだ、神でなくなってからの余生を満喫した。しかし一方でゼウスは、ずっと耐え難い屈辱に身を焦がしていたらしい。生き残った神々の力を結集して異世界に渡る術を見つけ出し、新天地で再び神の座に返り咲こうとした。
そして神の座を永遠とするため、ゼウスは人間の進歩を永遠に停滞させる気だ。
文明や技術が一切発達せず、『マナの掌握』という概念さえ知らないままなら、この世界の争いは体内魔力の総量だけが全てを左右する。
神の血が混じった《神民》や、神から直接『力』を授かった者。そういった、神に贔屓された者だけが絶対強者として君臨する。
力を与えるか、取り上げるか、神の機嫌一つで人間の優劣が決定される。
それが、この神に支配された世界の現状だ。
可能性こそが人間の真価。そう結論づけた神として、アロウン……ハーデスは人間の可能性を閉じる今の世界を断じて容認できない。
「俺に言わせれば、反吐が出るよ。顔も知らない神様に選ばれるのが、そんなに偉いことなのか? 神様が自分を選んでくれるまで、ただ座り込んで餌を待つような人生がそんなに楽しいか? 俺は、自分の人生は自分の手で勝ち取りたい」
他の神民が聞けば発狂するであろう、不敬極まりない天に唾を吐く発言。
しかし、コレーの反応は違った。
「……その『自分の手で人生を勝ち取る力』が、アロウンの言う《魔術》なのね?」
「やっぱり、それについて訊きたくて俺を探してたのか」
ここで言う《魔術》は、ギリシャ神話で用いられた代物ともまた違う。
十二神の他にこちらへ渡った神――ちなみにハーデスやペルセポネも十二神には含まれていない――の一人にして、ハーデスの部下でもある魔術の女神ヘカテー。彼女がこちらで新たに体系を構築した、この世界の人間たちに向けた魔術だ。
それは人間が神秘を味方につけて進歩するための、人間のための魔術。
「アロウンが儀式の場で見せた、あの見たこともない術。あれが生まれ持った魔力量に囚われない、努力すれば誰でも使える技術って話は本当?」
「ああ。神なんかには頼らない、人間自身の力で行使する神秘。それが魔術だ」
勿論、成長度合いの個人差、才能の格差はどうしたって生まれるだろう。
それでも、少なくとも『神に選ばれた者だけが強い』などという理不尽はない。
……最初の授業で学園の教育に見切りをつけたアロウンが、そう魔術について語って聞かせたところ、教師は「フケェェェェイ!」と奇声を上げて卒倒したが。
「――わたしは生まれてからずっと、鳥籠に縛りつけられているような窮屈さを感じてきた。神様が用意した道の上を歩かされるだけの人生。そこから飛び出して、自分で生き方を選べるくらいに、わたしは強くなりたい。だからお願い、わたしに魔術を教えて」
強い決意に満ちた光が、コレーの瞳に輝いている。
それはハーデスの手で冥府に縛られた、前世の体験が無意識に影響しているのか。
だとすれば尚更、アロウンに否と言えるはずがなかった。
「喜んで。……君は強くなる。俺よりもずっとね」
「――っ」
笑顔で快諾すると、なぜかコレーはピンと背筋を強張らせた。
なにやら頬も朱に染まっていくし、可愛いが体調不良ではあるまいか。
「ゴッホン」
アロウンが心配していると、横からわざとらしく咳払いする声。
それに今度は表情を強張らせたコレーが、声の方へと視線を向ける。
「そういえば聞きそびれていたんだけど……その、君の向かいで見たこともない文字の書き取りをしている彼は?」
「えっと、俺の生徒一号?」
「誰が生徒だ。俺は俺の目的のために、てめーを利用しているだけだ。そこのところ、間違えんなよな」
そう言って、狼の目をした少年は不機嫌そうに舌打ちを鳴らした。