少年、ひと暴れする
コルネリアと共に通路を進むと、やがて教師に誘導され、アロウンは儀式を行う広場にたどり着いた。見上げれば青空が見える開けた広場は周囲を石柱で囲われ、中央の台座には巨大な水晶が浮遊している。
「あの水晶は?」
「《選別の水晶》っていう、魔力の総量と属性を測定する装置よ。魔力総量が生徒としての基準を満たさない場合、そもそも起動さえできないらしいわ。逆に言えば、最低限起動さえできれば入学できるってことね」
《神民》……いわゆる貴族階級に相当する身分らしいコルネリアは、儀式についても事前にある程度の情報を知っていて、アロウンに教えてくれた。
新入生が集まり終わると、学園長だという老人から長話が始まる。これがまた右耳から左耳へ素通りするかのようで、全く頭に入らない。《チキュウ》の学生もこんな苦行を味わったのかと考え、ふと前世では学び舎に通う経験などなかったことに思い至る。
とりあえず、ひたすら神々を大仰に賛美し、神に選ばれたことがどれほどの名誉か、過剰に修飾語を盛って熱弁する内容だったのはわかる。
……そしてその神々とやらが、やはり聞き覚えのある名前ばかりだったことも。
「よっし! 無事に合格! これで俺も、神に選ばれた戦士の仲間入り!」
「いやぁ、神民様の魔力はやっぱり桁違いねえ。血統が違うわ、血統が」
「ふん! あんな低レベルの平民まで合格扱いとは、学園も堕ちたものだな!」
「くそがっ! 私の魔力が、あの下級神民の娘に劣っているとでもいうのか!」
いよいよ選別の儀式が始まり、広場が俄に騒がしくなった。
地区ごとに平民、神民の順で呼び出され、水晶に触れていく。
下民の入学は非常に珍しいのか、アロウン以外には見当たらなかった。
どうやら水晶に浮かび上がる映像で、触れた者の魔力の性質と規模が表れる仕組みらしい。オマケに魔力量が高いほど、映像も演出が壮大になるようだ。
今は引き離されてしまったコルネリアも問題なく合格し、水晶には色彩豊かな一面の花畑が映し出されていた。
ちょっと照れ臭そうにはにかむ顔が、またなんとも愛らしい。
そして、ついにアロウンの番が回って来る。
「オイオイ、なんで下民が神聖な学園にいるんだ?」
「あんな薄汚い黒髪黒目、儀式を受けさせるまでもないでしょうに」
「どうせゴミに等しい魔力で、肉壁ほどの役にも立つまい」
「あの下民も身の程を弁えて辞退すればいいものを、恥という言葉を知らないらしい」
すれ違いざま、聞こえよがしに囁かれる耳障りな声。
水晶の近くに立つ教師までもが、嫌悪と蔑みの目を隠そうともしなかった。
その全てを黙殺して、アロウンは水晶に触れる。
……後に振り返って思うに。ここで周りの不愉快な連中を見返してやろうと、余計な気を起こしたのが失敗だった。
広場一帯のマナを掌握・吸収した上で、水晶に軽く注ぎ込んでやったのだ。
結果、一拍の静寂が広場に満ちた後――暗黒が水晶から溢れ、広場全体を包み込んだ。
「な、なんだぁぁぁぁ!?」
「あの暗黒の中に煌めく光、まさか《宇宙》!?」
「神々の王が支配する天上の領域、星の大海……!」
「いや、なにか違う! この魂が凍るような寒々しさは、一体!?」
無数の輝きを内包した暗黒に包まれ、生徒も教師も怯え切った顔で縮こまる。
アロウンは、懐かしい眺めに自分のやらかしも忘れて見入っていた。
これは、宇宙ではない。
ハーデスの記憶にある彼の領域、《冥府》の光景だ。
星々のように見えるのは、冥府が位置する暗い地下世界に、せめてもの明かりとして散りばめた宝石の輝きだ。大地に降り注ぐ太陽の光を地下に眠る宝石が吸収し、太陽の光及ばぬ冥府を僅かばかりに照らしている。
そして死者の世界である冥府は、死者が生前に味わった苦しみや痛みや嘆き、それら怨念で満ちていた。死者は冥府でその濁り淀みを洗い流し、真っ白な魂で生まれ変わる。だから冥府は昏く、寒く、生者の誰もが忌み嫌う場所なのだ。
「属性は闇と土か。まあ、妥当なところだな」
冥府が地下深くに位置し、地下には豊富な資源が眠る。そのことから、冥府の神ハーデスは豊穣を司る神でもあった。それがアロウンの魔力に属性として表れたのは、想像に難くない。三年間の修練で把握済みだったが、確認の意味から声に出して呟く。
しかし、それを耳にした周囲が目の色を変えてどよめいた。
「闇属性だと……!?」
「邪悪なる暗黒の魔力――」
「邪神ハーデスの魔力と同じ――」
「血も涙もない地獄の支配者――」
「神々の敵――」
「人類を脅かす魔王――」
なにやら続々と羅列されていく、物凄く聞き捨てならない単語の数々。
《チキュウ》の創作でそうだったように、こちらでもハーデスの扱いが酷いらしい。
まあ、大方そんなことになっているだろうとは思っていたが。
「オイオイ、なにをビビッてやがるんだぁ? こんなヤツ、要は《七星神》の加護を与えられなかった、生まれつきの負け犬野郎だろうがよお!」
辟易するアロウンの前に、やたらふんぞり返った態度の男が進み出てきた。
中庭で失神させた男とはまた別人の金髪。神民とは思えないガラの悪さで、髪を染めただけの不良に見える。しかし半端に形だけ整った顔も、卑しい性根が透けて見える目つきも大差ない。金髪二号で事足りる変わり映えのなさだ。
手から派手に雷を迸らせる金髪二号に、周囲が感嘆の声を上げる。
「おお、あいつはサンダーボルト公爵家の次男坊じゃないか!」
「一族の中でも、特に強い雷の加護を授かったという、あの!」
「噂の神童に目をつけられるなんて、これは邪悪な下民もおしまいね」
どうやら有名人らしく、自分の評判を聞いた金髪二号は得意満面の顔だ。
それにアロウンがうっかり、タイミング良く水晶への魔力注入を切ったのも悪かった。
冥府の光景がかき消えたのを、自分の雷で闇を払ったと勘違いしたようで。
周囲はますます感心し、金髪二号はますます調子づいた。
「邪神に魂を売った汚らわしい下民め! 王国に仇名す前に、俺が退治してやるよ! 最も偉大な神々の王ゼウスに選ばれた証、この聖なる雷で灰になるがいい!」
またも無視できない単語を口にしつつ、金髪二号が手を天高く掲げる。
すると手のひらで雷が大きく膨れ上がり――それをそのまま投擲してきた。
「…………」
馬鹿にされているのだろうか。
とりあえず、アロウンは魔力障壁を展開。宙に刻まれる黒い紋様の魔法陣が、そのまま盾となって雷を防いだ。人一人を丸々呑み込める大きさの、しかし密度が紙風船並みの雷球は、バジュウウと虚しい音を立てながら四散する。
攻防と呼ぶには幼稚に過ぎるが、なぜか周囲の人々は大仰に驚いた。
「そんな、下民ごときが雷霆を防いだだと!?」
「最高神が司る雷の属性は、魔力の中でも最上位。他のあらゆる属性に対して優位に立つはず! ましてや、邪悪な闇に打ち負けるなんて!」
「ぼ、僕は悪い夢でも見ているのか!?」
キャッチボール未満のやり取りに、随分な驚きようではないか。
金髪二号も信じられないという表情をしながら、再び攻撃してくる。
今度は手から直接雷を放射してきたが、これも同様に魔力障壁で軽く防いだ。
いよいよショックの余り卒倒しそうな顔になって金髪二号が叫ぶ。
「こ、こんな馬鹿なことがあるかぁ! 俺の雷魔法を受け止めるなんて!」
「はあ? 魔法だと?」
なんの悪い冗談か、とアロウンは呆れ果てる。
金髪二号は体内魔力から生み出した雷を、ただ力任せにぶつけているだけ。
こんなそこらの石ころを拾って投げるのと大差ない、原始的攻撃を魔法などと称されては、魔術の女神ヘカテーも怒りを通り越して憐れむだろう。
一つ、本物を教授してやらねばなるまい。
「『法』や『術』を語るのなら、これくらいはやってもらおうか――!」
アロウンの足元に、新たな魔法陣が展開される。
今度の魔法陣は、広場全体に及ぶ大きさだ。
アロウンが軽く手を上げると、効果はすぐに現れる。
「な、なんだこれはぁ!?」
「石柱が宙に浮いて……いや、俺たちもぉぉ!?」
石柱が宙へ舞い上がっただけに留まらず、足が大地から離れて生徒や教師たちは大混乱だ。悲鳴を漏らし、水中で溺れたかのように手足をバタつかせている。
いわゆる重力操作で、石柱の重みを失くしたのだ。生徒や教師たちが浮いたのは、その余波を受けたに過ぎない。
自身も垂直に浮遊しながら、アロウンは掲げた手を軽く捻る。
すると頭上で石柱が、渦を巻くように飛び回り始めた。
互いに激突し合って石柱は無数の瓦礫に変わり、それが一点に集まっていく。
やがて出来上がったのは、巨大な石の天球。
「え、なに? いや、まさか!?」
頭上の光景が信じられず呆けていた金髪二号が、なにか悟ったように慌てふためく。
良い勘だが、遅い。
アロウンは非常に悪い笑みを浮かべながら、掲げていた手をスッと下ろす。
天井から吊るす糸を切られたようにして、石球が金髪二号目がけて落下した。
「ギャアアアアアアア!?」
憐れ、金髪二号はプチンと潰れ――いや、潰れていない。
反射的に両手で石球を受け止め、かろうじて持ち堪えていた。
まあ、こちらのある推測が正しければギリギリ堪えられるよう、石球の大きさと重量を調整したのだが。
「かつて大罪を犯した巨人は、その身で天球を支える罰を課せられたという。天球に比べれば軽いものだろう?」
まあ、その天球を支えた巨人アトラスは、厳密に言うとゼウスたち神々と覇権を争った敵の一人でこそあれ、大罪人という表現はあまり適切でないのだが……そこは場の流れ、言葉の綾ということで一つ。
なお、石球には『わたしはバカです』と表面に彫り込んどいた。それを見た生徒や教師の何人かが、堪え切れずに噴き出す。
「一方的な決めつけで人を中傷したこと、威張り散らすために暴力を振りかざしたこと、そして喧嘩を売る相手を間違えたこと。以上の三点、自分が犯した過ちの重みを骨身で味わって、たっぷり猛省するんだな」
「ふざけんな、ちょ、待て。いや待ってください……!」
生まれたての小鹿のごとく、足をプルプル震わせる金髪二号。
助けを乞う声も綺麗に無視し、アロウンは踵を返した。
ちなみに――魔力障壁も重力操作も、冥府の神ハーデスの力は一切使っていない。
三年間の月日で研鑽した、あくまで人間アロウンの力。
石球にしたって、町を消し飛ばす隕石のような大きさでもなし。
神秘で満ち満ちたこの世界なら、これくらいは人間にも容易に可能な芸当なのだ。
しかし……少なくともこの時代では、常識から逸脱した所業だったらしく。
「あの神童が、まるで赤子扱いだなんて。なんというバケモノなんだ!」
「なにか、怪しい紋様を操っていたわ! きっと邪神から授かったおぞましい邪法よ!」
「悪魔め! 聖なる雷霆で傷一つつかないとは、神をも恐れぬ不敬者が!」
また随分な言われようである。ただの人間が凡庸な魔術を使っただけだというのに。
しかし、これでアロウンは確信した。この世界が陥っている深刻な状況を。
決定打は金髪二号の雷。一号のときは脆弱が過ぎて確信に至らなかったが、二号からは自分が……ハーデスがよく知る神気の残滓を感じ取った。
すなわち千年前に葬ったはずの愚弟――ゼウスの雷霆。
それはつまり、金髪二号にゼウスの血が流れているということ。
しかも力の脆弱さはともかく、石球を支える肉体の強度からして、血の濃さは遠い末裔というレベルではない。祖母か曾祖母の代、つまりハーデスがゼウスを葬った千年前よりも、ずっと後で手を出されたのは確実だ。
ここまで証拠が揃えば、アロウンも理解する他ない。
どういうわけかアロウン……ハーデスより先んじてゼウスが復活を果たしたこと。
ゼウス率いる神々によって、人間たちの世界がすっかり支配されてしまったことを。