少年、出会う
魔法を使えることが発覚した結果、《神の寵児》などと呼ばれるようになって三年後。
成長したアロウンは故郷から遠く離れた王都で、豪奢な門の前に立っていた。
「ここが《スパルトイ学園》……神に選ばれた子らを戦士に育て上げる学び舎、か」
スパルトイ、という名にはハーデスの記憶で聞き覚えがあった。確か元々は、大地に巻かれた竜の歯から生まれた戦士たちと、その血筋を引く一族を指す名だ。
偶然の一致、はまずありえない。なにせ、学園の名前だけではないのだ。
王都の名がオリンピア。王国の名がゼウス。他にも主だった地名や組織名の多くが、前世でハーデスたち神々と関わりのある単語ばかりに由来していた。誰が名付けたかなど、火を見るよりも明らかだろう。
「うわぁ。入りたくない」
この門を潜れるだけでも大層な名誉らしいが、一歩も足を踏み入れたくない。
ないが、ハーデスの記憶と力を持つ者として避けては通れない道だ。
三年の間にできる限りの準備はした。山に籠もっての修行で神の力を引き出し、人間アロウンの肉体に馴染ませた。また神の力抜きでも戦えるよう、人間としての地力も研鑽を重ねてきた。山には《魔物》も生息していたので実戦経験も多少は積んである。
覚悟を決めたアロウンは非常に重たい足を上げ、学園の中へと踏み込む。
荘厳な雰囲気の学舎はハーデスの故郷、古代ギリシャを思い出させる建築様式だった。流石に神殿というほどではないが、少年少女の学び舎にしては仰々しい。
「さて、儀式を行う場はどこかなっと」
村長から貰った案内状を片手に、とりあえず通路の奥へ進む。
どうもふるいにかけるほど『神に選ばれた子』とやらの数は多くないらしく、いわゆる入学試験の類はなかった。代わりに『儀式』で魔力の属性を測り、同時に魔力の有無で本当に選ばれた者であるかを確かめるそうだ。
アロウンがここ三年間で調べた限り、魔力はこの世界の誰にでも備わっているモノなのだが……なんとなく想像はつく。
「オイ、見ろよ」
「やだ、下民じゃない」
「あの汚らわしい黒髪黒目」
「邪神の血――」
「穢れた下等人種――」
「学園長はなにを考えて――」
同じ新入生と思しき、通路を同じ方向へ進む少年少女たちの囁き声。
嫌悪、忌避、嘲弄、聞こえよがしな声量がまた卑しい陰口だ。
しかし、アロウンには全く堪えない。黒髪黒目が疎まれるなど、《チキュウ》では人間の創作でありがちな設定。この程度は予測済みだった。
とはいえ、酷く煩わしい。神経が焦げつくように苛立ちが募る。
冥府の神ハーデスの記憶と力を持っていたところで、人格の主体は人間アロウン。
外見相応の、生まれて十年と少ししか生きていない子供だ。
――こんなくだらない連中、その気になれば皆殺しにしてやれるのに。
なまじ力があるだけに、短絡的な衝動がふつふつと煮えてくるのを感じた。
それを努めて押さえ込みながら、ますます気分が沈む。明るい学園生活が全く見えてこない。これでは青春ラブコメなど夢のまた夢か。
尤も、『彼女』以外の誰かと恋ができるとも思えないのだが。
そんなことを考えながらアロウンは歩き続け、気づけば通路が中庭を横切る場所へ差しかかり……。
「――――っ」
呼吸が、止まった。
中庭にそびえ立つ大樹の下に、少女が一人。
若葉色の瞳と、肩にかかる長さの桜色の髪。
顔立ちは儚げながら、表情と眼差しには利発で活発な印象を強く受ける。
ピンと背筋を伸ばした佇まいは、芯の強さを感じさせた。
初めて見る顔だ。見覚えなど全くない。
しかし、わかる。
魂の奥底に宿る《神核》が、ハーデスの記憶が叫んでいるのだ。
自分が彼女を見間違えるはずがないと、痛ましいほど切実に。
「ペルセポネ」
それは、冥府の女王を指し示す名前。
冥府の神ハーデスが愛した、いや今も愛し続けている伴侶に他ならない。
そのペルセポネの魂を、神核の波動を彼女から感じるのだ。
泣き出したくなるほどの懐かしさと愛しさが、胸の奥から溢れ出しそうになる。
……が、その感傷に冷や水を浴びせるかのごとく、汚い怒声が耳に入った。
「断るだと? 私を飾る花として、隣に侍る栄誉を与えてやろうというのだぞ! 跪いて感謝に咽び泣くのが当然の態度だろうが! それを断るなど、この私が誰かわかっていての狼藉「あなたが何者かなんて興味もないわ」なっ!?」
少女以外が目に入らず気づくのが遅れたが、少女は数人の男に取り囲まれていた。
代表らしき人物は、如何にも高慢ちきな貴族といった感じの金髪男。一応は美形の部類に入るだろう顔だが、人を見下した嫌な目つきだ。逞しい体格の配下を背後に従え、数で少女を威圧している辺りに性根の卑しさが丸見えだった。
しかし少女はまるで恐れを見せず、毅然とした態度で卑劣な脅迫を一蹴する。
「私は物言わぬ花とは違う。誰の隣で咲くかなんて、自分で決めるわ。あなたみたいに女性を装飾品扱いするような男なんて、金銀財宝を積まれたってお断りよ!」
春野に咲く花のように愛らしき顔が、凍てつく吹雪の圧を発する。
そこにさえ、冥府の女王として君臨した頃の面影が窺えるようで。
「貴様ぁ、女の分際で私に恥をかかせるかああああ!」
一瞬気圧されるも、逆上した金髪男が拳を振り上げる。
その拳が雷を纏うのを見て、アロウンの中にまたも懐かしい感情が喚起された。
ただしそれは、少女に対するものとは正反対の感情。
ドス黒い衝動に突き動かされるまま、アロウンは地を蹴って二人の間に飛び込んだ。
突然、瞬きの間に現れたアロウンに拳を軽く受け止められ、金髪男は狼狽する。
「な、なんだ貴様!? 卑しい下賤の生まれの分際で、神の中でも最も偉大な雷神に選ばれた私に歯向かうか! その不敬、万死に値する……!?」
「花は摘み取るものでなく愛でるもの。踏みつけるのではなく慈しむもの。その違いもわからないようなヤツが、彼女に気安く触れるな。――殺すぞ」
我ながら、なんとも安い脅し文句だ。
しかし半ば無意識に漏れ出したハーデスの神気が、呪詛にも等しい言霊を込める。
金髪男たちには、アロウンの影が巨人のごとく膨れ上がって見えたことだろう。
「はっ、かひゅ、かぺ……っ」
結果、金髪男たちは口から泡を噴いて失神する。
特に眼前で冥府の神の威圧を受けた金髪男は、生気がごっそりと抜き取られた。金髪が白髪に染まり、全身が痩せこけ、数秒で老人としか思えない風貌に変わり果てる。
しかし、呼吸と鼓動まで止まっているのには流石にアロウンも焦った。
「うわー!? ちょ、威圧だけで魂抜けるとか、うわー!」
この後、必死に心臓マッサージした。
かろうじて金髪男たちは息を吹き返し、通りかかった教師たちの手で運ばれていく。
「なんだ、あいつら。下民の威嚇なんかで気絶したっていうのか?」
「なにそれ、幻滅なんですけど」
幸い、威圧の範囲は無意識に押さえ込めていたらしい。傍観していた生徒たちは神気を認識できなかった様子だ。それでも肉体はただならぬものを感じ取ったと見えて、好き勝手言いながらも顔色からは血の気が引いている。
しかし威嚇だけで魂を抜くとは、流石は冥府の神ということか。
やはり、軽々しく扱っていいような力ではない。そう改めて自分に戒めていると、背後から声をかけられる。
「ありがとう、と言うべきかしら?」
「……いや。こちらこそ、余計な手助けだったか?」
「まあ、自力でどうにかした自信はありますけど。助けられたことに変わりはないから、ありがとね」
振り返れば、少女は気の強い微笑みをこちらに投げかけている。
直接殺気を向けなかったとはいえ、彼女も間近でハーデスの神気を感じ取ったはず。
しかしアロウンを過剰に恐れたり、黒髪黒目に対して嫌悪や嘲笑の目を向ける様子もなかった。……逆に、それ以上のなにか特別な反応も見せない。
――ああ。やはりそうか、と静かに絶望する。
アロウンは悟ってしまった。彼女に、ペルセポネとしての記憶はないことを。
力と共に記憶も奥底で眠る、限りなく別人に近い存在なのだと。
――いいや、それでいいのだろう。そうアロウンは自分に言い聞かせる。
ハーデスとの婚姻は、ペルセポネの望んだものではなかった。地上から冥府にさらい、彼女の意思と無関係に女王の座へ据えたのだ。後に彼女はハーデスを受け入れてくれたが、生まれ変わってまで彼女を縛りつける権利があるはずもない。
それに自分は、ハーデスであってハーデスにあらず。今は人間アロウンなのだ。
前世の因縁を持ち出して迫ろうなど、図々しいにも程がある。
「それじゃあ、俺はこれで……」
彼女は今生こそ、自由に恋をして好きになった相手と添い遂げるべきなのだ。
大人しく彼女の前から消えようと、アロウンは未練を振り払うように踵を返す。
「待って!」
そのまま走り出しかけたアロウンの手を、少女が掴んだ。
少女自身、自分の行動に驚いたように目を瞬かせる。しかしすぐに表情を切り替えると、どこか強かな笑みが浮かんだ。
「さっきみたいに絡まれるの、初めてじゃないの。君、とっても強いみたいだし、よかったらエスコートして頂けませんか?」
「いや、その、俺も下心があって助けに入ったとは、考えないのか?」
「あるの? 下心」
「…………………………………………否定は、できない」
誤魔化すこともできず、羞恥で顔が熱くなる。
アロウンが若干涙目でプルプル震えていると、少女が思わずといった様子で噴き出した。
いよいよ泣きたくなるアロウンに、少女は「ごめんごめん」と謝りながら言う。
「君ってば正直というか、不器用というか。うん、とにかく悪い人じゃないのはよくわかったわ。さっきの失礼な人たちとは大違いだって。だから、そうね。まずは友達から、どうかな? 今後の進展は君次第ってことで」
毒入りの果実にも似た提案と共に、差し出される手。
なんという酷な提案だろうか。してはいけない期待を持たせる、罪作りな笑顔。
ああ、それでも……。
「わたしはコルネリア=スプリングフィールド。君の名前は?」
「俺は、アロウン。ただのアロウンだ」
「アロウンね。これから、どうぞよろしく」
「ああ。よろし、く」
――もしも。
――もしも、ただの人間であるアロウンとして、ただの人間である彼女と、また最初から関係を始めることが許されるなら。
祈るような想いを胸に、アロウンはコルネリアの手を握り返した。