エレクション
「わたしは生まれがよく
運よくよき魂に恵まれ、
あるいは善良であった故に、
汚れなき体に入ることが出来た。
神がそれを与え拾わなければ、
知恵を得ることは出来ないと知って、」
ソロモンの知恵 8章19-21節
◇
裸電球の灯りに照らされた、薄汚れたアパートの一室で、テレビの光と音が漏れていた。
『福岡県県知事選挙に、視覚障害を持つカリスマビジネスコンサルタントの倉部洋介さんが無所属で電撃立候補なさるということで、今から記者会見が行われようとしています! あ、今見えまた。白い杖を突きながら、倉部洋介さんが壇上に上がられます……! 慎重に、慎重に前へ進まれまして、席に、着きましたね、席に着かれました! いったいどんな言葉が跳び出すのでしょうか……!』
部屋で白のランニングシャツの男が一人、ナイフの腹で黙々と岩塩を砕いている。男の筋肉質な肩が盛り上がるたび、鈍い音が聞こえる。
『この混迷の時代、我が国は世界の中で輝きを失いつつあり、特に地方は力なく、中央に人材やビジネスを吸いとられるばかりで活気に乏しいのが実情です。そこで私は地方から国の在り方を変えていくという趣旨の下、地方の活性化、我が街福岡の起爆剤となるように、観光大使として、アドバルーンとしてこの私を使っていただきたく立候補します。私も私自身の知名度を生かして日本全国に、九州に福岡有りと、福岡県をPRしていきたいと思っています』
男は仕事を中断し、冷蔵庫からミルクと卵を取り出すと、コップにミルクを注ぎ、卵を割って落とした。
◇
曇天。
天上から光の射さぬ夜に、地上の光が瞬いていた。それは浮かびあがるネオン。バー『夜烏』。そのネオンに蝶はいなかった。
カウンターに琥珀色のグラスを挟んで男が二人、そして離れて女が一人。
灰色の背広を着た、黄金色に輝く目を持つ男。そしてその隣には、中折れ帽に黒のトレンチコートの男がいる。そして男たちから少し距離を置くように、雑誌に目を通している赤いルージュを煌めかせた、黒いスーツの女。
「倉部洋介。シールズ社の手の者だ」
「……そうか」
「政府の人間はこれで黙る」
男が一通の茶封筒を羽村に手渡す。
羽村が確かめると、中には免許証サイズのカードが入っていた。
「……これは?」
「殺人許可免許証だ」
「あれは人間じゃない」
「人のフリをしている。そこで、そいつがモノを云う」
「……わかった」
「羽村。止めておけ。あまりに危険だ」
グラスを磨いていた蝶ネクタイのマスターが口を挟んだ。
「俺の仕事だ。俺が決める」
「羽村、静華も思うの」
黒スーツの女、江戸川は雑誌を閉じる。ここにも、もう一人、羽村の行動に水を差す影がある。
「危険なことにあまり首を突っ込まないで。だけど、引き留めても──」
羽村は江戸川の揺れる目を真っすぐに見つめる。
「──あなたはやるのでしょうね。言っても無駄だとわかっていたわ」
羽村はグラスを持って江戸川に近づき、彼女のルージュに人差し指を軽く押し付けると、
「俺が決めた道だ」
と、ウィスキーを呷る。
◇
一台の選挙カーが県道をゆっくりと走る。
「倉部さーん!」
「倉部洋介です、宜しくお願いします!」
「倉部さん、倉部さん!」
黄色い声援に倉部が応える。
「キャー倉部さんよ!?」
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
ウグイス嬢の声にも力がこもる。
「皆さんの票は必ずこの倉部を県知事の座に推し上げます!」
「頑張ってください!」
「皆さんのお力さえあれば倉部は戦えます!」
「頑張って!」
倉部はにこやかに車内から手を振り続ける。まるで機械のように。
「倉部は県民の皆さんの力になります! どうぞ県民の皆さん、この倉部を使ってください!!」
操り人形のように、道具として使って欲しいと倉部は願い、沿道の聴衆に訴えた。
◇
『夜烏』の店内に、集まる男が二人。申し合わせたように、灰色のスーツの男が口を開いた。
「忍ばせた草によると、倉部は夜九時に、事務所の鍵を自分で閉めて家に帰っている」
「わかった」
琥珀色のグラスが揺れる。男たちが消える。氷だけを残して。
◇
羽村はV8エンジンに火を入れた。途端に吠えだす怪物の心臓。アクセルを踏むと、愛車の唸り声が聞こえ、やがて羽村は高速道路の人となる。彼は高速道路で『真珠の首飾り』のメロディーを口ずさみながら、緩やかに流れに沿って走った。
曇天の夜九時頃。
街の郊外に羽村は車を停め降りる。
そこは人気も少なくなった、倉部洋介選挙事務所の前である。
事務所の灯りが一つ、二つと落ち、やがて街灯の灯りのみが夜闇を照らす。
事務所の鍵を閉める男達、倉部洋介らにトレンチコートの男が近づいた。
「いい夜だな」
「……!」
羽村の声に、倉部が息を呑む。
「屑が消えるには相応しい夜だ」
「なんですかあなたは! 警察を呼びますよ!?」
今度は周りが噛み付いた。
羽村は問答無用でアーミーナイフを取り出すと、それを構えて、呼吸を整え、聖句を唱える。
「父と子と聖霊の聖名において──」
指で十字を切れば、
「──エイメン!」と一振りの長剣、アゾット剣が現れた。
倉部の顔が引き攣り口まで裂ける。
「誰かと思えば──」
倉部は羽村を見据え、
「──そうでしたか、あなたのそのなり、その得物。我らが同胞の敵!」言っては決めつけた。
わずかな電動機音と共に倉部の周りの二人の男たちの腕から剣が生える。
羽村は敵が動き出す前に、右の男の顎をサイコソードで貫いた。
「一つ」
左の男が羽村に向けて切りかかれば、羽村は膝と肘で男の腕を挟み、サイコソードを男の頭へと振り下ろす。
「二つ」
残る倉部に、地を蹴っては距離を取る。
「残りはお前だ、倉部」
羽村は宣告する。
だが──。
倉部の姿に重なって、透明で不気味な男が見える。
杖を持ち、尾を生やした手の長い鬼のような姿の男だ。
その男が倉部の体に染み込んだ。
倉部の目が赤く灯をともす。それはまさしく機械の目。
倉部が羽村に杖を突きつける。
「私がめしいているとでも?」
杖の中から細長い白刃が現れた。
「私は倉部洋介、皆の願いを叶える者」
白刃が羽村に振るわれる。
羽村の肩口から血飛沫が舞う。
白刃がなおも羽村を襲うも、羽村は痛みを堪えてサイコソードで流す。
倉部の剣を上に跳ね上げつつ、敵の腹に肘を叩きこむ。
「私は倉部洋介、皆の祈りを叶える者」
倉部がモノともせずに、懐に入った羽村目掛けて剣で突き刺そうとする。
一歩引いた羽村は、敵の空ぶった剣を持つ腕を手に取って、引き寄せざまに関節を腋に極め、固めては、サイコソードを倉部の首に突き刺した。倉部にとりついていた透明な男が苦しそうに呻く。
「バカな、あなたと私は友になれるはず」
「無用だ」
羽村は剣で倉部もろとも透明な男の頭から股まで切り下ろす。
二つに分かたれる機械の体と星辰体。羽村は煙草を取り出すと、火をつけては吸い、倉部に投げる。星辰体に火がついて、悪魔は断末魔の叫びと共に魔界へと帰って行った。
騒ぎに戻って来た関係者が、次々と機械の体へ転じ行く。
五人、十人、十五人──。
囲まれた羽村がサイコソードを片手に覚悟を決めた、その瞬間。
羽村の後ろに外車が滑り込んでは、けたたましいブレーキ音。ドアを開けて降りてくるのはスーツの女。
女が早口でまくし立てれば、
「吠えたてる雷よ、雷光の嵐となりて敵を抱き込め、蜘蛛の束縛!」
周囲の機械人形が一瞬蒼く白く浮かび上がっては潰え、焦げては倒れゆく。
「間に合った?」
赤いルージュが街灯の灯りに照らされ映える。
羽村は外車の傍らに立つ女に、
「礼を言う、江戸川」
と、告げて去ってゆく。
選挙事務所から火の手が上がる。暫くして遠く、消防車のサイレンが響いていた。
◇
バー『夜烏』で、琥珀色のグラスが揺れる。女が一人、琥珀色のグラスを揺らして、今日も現れるであろう男を待っていた。