ナイトストーカー
「神は言われた。
『光あれ。』
こうして、光があった。」
──創世記 1章3節
◇
車から転がり出ると、赤い眼をした怪物に青い風船を投擲する。
ぴしゃり。
頭に当たった風船がはじけ、水を垂らした怪物は肉が削げ落ちて行く。
怪物の悲鳴が夜闇に吸い込まれては消える。
男はアーミーナイフを引き抜く。
怪物の赤い眼に、炎が灯る。
男は息を吐いて、怪物へと切りかかれば、怪物の首が跳ぶ。
怪物だったモノは、ぐちゃりと崩れ落ち、そのポケットから包装されたカプセル剤がこぼれた。
◇
しとしとと、とぎれとぎれの優しい雨の降る夜に、切れかけたネオンの明かりが灯っている。バー『夜烏』。『素敵なあなた』の音が流れ、一組の男女を乏しい灯りが浮かび上がらせる。共に黒服の二人は、ウイスキーのグラスを揺らしている。
「新しいアパートの住み心地はどう?」
「悪くない」
グラスの中で氷が細やかに光を照り返す。
「静かでしょう。人を寄せ付けないおまじないを掛けておいたから」
「君のおかげだ」
男はグラスを呷る。
「薬の出所はわかった? なんなら、静華が調べても──」
彼女が笑顔を向ける、だが男は、
「俺の仕事だ」とにべもない。
「強情なのね。あなたはいつもそう」
今まで黙っていた、グラスを磨いていたマスターも口を挟む。
「羽村、この件はいい加減、組織に任せてはどうだ?」
男、羽村は静華の唇を奪って席を立つ。万札を置いては、彼女をそのままに店を出た。
扉につけた、ベルが鳴る。
彼女はグラスを一気に空けて、
「マスター、もう一杯」と、赤いルージュが告げていた。
◇
ベルが鳴る。
羽村が店から出ると、湿った空気がまとわりついた。
羽村は足早に歩を進める。
気のせいか、足音が被った。羽村が裏路地に入ろうとすると、足音が二つに増える。羽村は裏路地に入るのを止めた。
羽村は表通りの角を曲がった直後、全速力で駆けた。濡れたアスファルトを靴裏で叩きながら、羽村は暗がりに入り、息を潜める。追っ手の荒い息遣い。それは羽村の目の前で二手に分かれ、やがて涙雨の夜闇にまぎれた。
◇
ベルが鳴る。夜闇を切り裂くベルの音。それは三回鳴った。
羽村は固いベッドから身を起こし、受話器を取ると、静かに「アルファだ」と告げる。
『俺だ』と返り、
『──お前が伝えてきた人間たちの住み家を洗ったところ、お前が渡してくれたカプセルと同じものが出てきた。鑑識の結果、カプセルと包装の刻印から、アカツキ製薬の九州工場で作られたものだ分かった』
「ああ」
アカツキ製薬。国内でも有数のシェアを誇る製薬会社である。
『アカツキ製薬の九州工場では上部の意向でシールズ社から出向した研究員が働いているらしい』
「シールズ社?」
『そうだ。シールズ社を洗ってみたが、こいつらの前は警察内部で何者かに消されていて、白とも黒とも分からない。怪しいが、そういうことだ。上がいつ、どんな目的でそんなことをしたのか。家族のいる俺には分かりたくもし、知りたくもない。そんな奴らが工場で何をしているのかと言えば、奴らは別棟で、夜通し生産ラインを動かしているそうだ。ともあれ、捜査はここまでだ。上から圧力がかかってね。これ以上お前の力になれそうもない。だからこの件に関しては、俺とお前さんの糸電話ごっこもこれまでと言うことになる──』
電話は切れ、羽村はそっと受話器を置いた。
◇
次の日、羽村はアパートから出、車のキーを回す。V8エンジンの咆哮が轟く。羽村はモンスターを駐車場からゆっくりと転がす。途端に漂う、異質な空気。羽村は嫌な予感を感じつつも、ハンドルを回した。
熊本県へ向かう高速道路に乗っても、ルームミラーに映り続ける怪しい車。羽村はアクセルをべた踏みにする。鋼鉄の馬は鞭を打たれて加速した。追いすがる不審な車。一瞬、ミラーに目をやれば、追っ手の窓から男が顔を出している。途端、後部座席の窓に蜘蛛の巣が。羽村はハンドルを左右に振って、車線をそらす。追いすがる相手の車。羽村は追い抜き車線からトレーラーを抜き去れば、追っ手もピタリとつけてくる。距離が詰まり、追っ手が車線変更したその瞬間、羽村はブレーキを踏んだ。追っ手は羽村の車に追突し、追っ手はスピンして壁に激突、大破横転する。トレーラーの長く高いクラクション、追っ手はトレーラーとキスし、トレーラーを停めた。
◇
熊本県阿飛田市にあるアカツキ製薬の九州工場。
月明かりの元、羽村はフェンスを越えた。本館とは離れた場所、今も窓から赤い光を零している機械音の元。羽村は物陰に隠れつつ、犬を連れた巡回をやり過ごそうとする。
一抱えはありそうな大きさの犬が吠え、弾かれたように飛び出しては羽村の隠れる茂みにリードを引いた警備員を走らせる。
羽村はアーミーナイフを取り出した。犬が茂みに跳びかかる。羽村は迷うことなく犬の首筋をアーミーナイフで描き切っては排除した。懐中電灯で照らす男に跳びかかり、首に腕を巻いては締め上げる。五、六……。警備員は、落ちた。警備員を縛り上げ、粘着テープで口を封じては、羽村は稼働中の別棟へと、テープでガラスを保持し、窓を割っては忍び込む。
そこで羽村は冒涜的な光景を見る。
部屋の中央の赤い円、魔法陣には白い羽を生やした人がいて、赤い光がその存在を覆っていた。赤い光はで覆われた翼の人は、苦しそうに身じろぎしている。羽村に気づいた人は、羽村に向けて『兄弟よ、光あれ』との形に口を動かすと、次の瞬間ヒトガタに光って堆い灰となる。
凶事に釘付けであった羽村に、突如、男が殴り掛かる。
気配を察した羽村、体が覚えてパンチを避けると、足を踏む。動けない相手がバランスを崩せば、顔面目掛けてアーミーナイフの柄を叩きこむ。顔面の皮膚が大きく破け、電子部品を剥き出しにされた男はよろめき、驚き恐れる羽村に、これでもかと鳩尾を蹴り込まれて泡を吹く。しかしそこまでされながらも、男は何事もなかったかのように羽村につかみかかると、頭突きをした。羽村は必死でナイフを顎に突き入れる。男はスパークを繰り返し、羽村が執拗に顔面へ何度もナイフを叩きこむと、やがて沈黙した。
荒い息の羽村は、天使の灰を前にして、円内に足を踏み入れれば、どこからともなく唄が聞こえる。それは清らかで神聖な響きを持つハミングの合唱であった。羽村はそれを聞いては心を奪われていると、次の瞬間、建屋の照明が明滅し、激震が襲う。羽村は頭を押さえ、膝を突く。魔法陣の円内に稲妻が落ち、一体の異形が現れる。巨大な鷲の翼をもった牡牛。やがてそれは人の姿を取り──。
「この装置、定命の者の分際で、不遜な」
彼の手に炎が現れ、四方に飛ぶ。炎は可燃物に燃え移り、そして──。
「蟲よ。余を呼び出し、つまらぬ仕事を止められなかった愚者よ、どうやってその罪を贖う?」
炎の中、異形の者は羽村に問うた。羽村はアーミーナイフを構えなおすと、呼吸を整え、聖句を唱える。
「父と子と聖霊の聖名において──」
指で十字を切れば、
「──エイメン!」と一振りの長剣、アゾット剣が現れる。
途端、炎の弾丸が羽村を襲う。
羽村はそれを剣で切り払っては異形に近づき切りかかる。
異形はそれを手で受けて、己の手が裂けるのを見、羽村を向き直っては言葉を口にする。
「そなた、これほどの力を持ちながら、惜しいこと。余に与せぬか?」
「断る!」
羽村は光の奔流を手に、異形に向かって切り降ろしては、異形はひらりと脇に避け、炎の球を羽村向かって撃ち出した。
炎の球は羽村の胸でバチリと弾け、その勢いで羽村は床へと転がり込む。
炎に四方を囲まれながら、それでも羽村は再び立った。
「なにが貴様をそこまで突き動かすのだ。富か、名誉か、それともただ戦いの末の悦楽か──」
羽村は最後まで言わせない。
彼は剣を下段に構えると、切り上げる。掬いあげるようにエネルギーの渦を異形にぶつけ、敵もろとも施設の壁を吹き飛ばしたのだった。
異形は力の奔流に呑まれながら、
「惜しい、惜しい」と繰り返しつつ、自らが生み出した炎の中に消えてゆく。
「化け物に応える謂れはない」
建屋が炎に呑まれる。羽村は煙草を取り出すと、口に咥え火をつけた。
一息吸うと、彼はそれを炎の中へと投げ込んだ。
消防車のサイレンが聞こえる。
彼は炎を背に、悠々とその場を立ち去った。
◇
車の向かう先、山手に太陽が見え始める。大手製薬会社の火事を伝えるトランジスタを聞きながら、車は走る。一路、曽良場市へ向けて。
◇
雨の上がった光る夜に、切れかけたネオンの明かりが瞬いている。バー『夜烏』。『ペンシルヴェニア 6-5000』が流れる店内で、一人の男を乏しい灯りが浮かび上がらせる。マスターがウイスキーを羽村のために注げば、彼はそれを受け取って、一気にその琥珀の液体を飲み干した。