青木佳奈のこと
「あの夢を、あたしに見させたのは、何度も同じ悪夢を見させたのは・・・詩乃なんだよ」
詩乃が?
「沙織、詩乃は言ってたでしょ?あの悪夢はあたしが広めているって」
わたしは、ううん、そんなふうには聞いてないよ、と言った。
「うそ。北島とか言う医者には、もう会った?あのインチキ精神科医。もう思い出すだけで腹立つ」
「うん、会ったけど・・・」
「なにを企んでるんだろうね、あの医者。わけわかんない」
わたしは、そんなに怒る佳奈を見たことがなかった。
まあ、そんなに長い付き合いでもないけれど、記憶の中の佳奈は、どっちかというといつも冗談ばっかり言っているイメージだ。
「何があったの?佳奈」
ふう、と佳奈はため息をついた。
「もう終わったことだからね。今さら何を言っても仕方ないていうか、一方的に悪者にされたくないっていうか。だからちゃんと説明しておくよ。だから詩乃の言うことは信じちゃ駄目。あたしの言うことが真実だから」
麦茶を一口飲むと佳奈は向き直った。
「去年、ちょうど今ぐらいの時期だった。あたしはさ、変な夢をみるようになって不眠症になっちゃったんだ。夜に寝られないから、昼間も眠たくてさ」
そう言われてみると、佳奈はよく居眠りしていた気がしてくる。
ちょうど、わたしの席から佳奈の後姿が見えていた。
「それで親が心配してさ。一度、病院に行こうって。それであいつの病院に行ったんだ。大きな病院だし」
「あいつって、北島?」
「本当の名前は北島じゃなくて竹田とか言うんだけどね。それも意味わかんないよね?なんで北島なんだか」
「それは思った。詩乃ってさ、勝手に人の名字変えるよね?」
「沙織もなんかつけられた?あたしはさ、南原だよ。意味わかんない」
「わたしは西風って言われた」
「なにそれ。詩乃は東雲でしょ?全部あわせたら東西南北じゃん」
「あ、すごい。本当だ」
東雲、西風、南原、北島・・・並べてみるとわかりやすい。
でも、なんでわたしの西が2番目なんだろう。
一番古い知り合いは北島のはずなのに。
偶然かな、というか適当だったりして?
「ひょっとしたら、名字は全部方角の漢字を入れてつけるのが詩乃ルールなのかもよ。なにが西風よ。藍沢のほうが全然いいよ、沙織」
うん、まあわたしも藍沢っていう名字は嫌いじゃない。
「まあ、名前はいいとして、病院で何があったの?」
「うん。最初は問診?それで、なんとか無呼吸症ではないとか言ってた」
なんとか無呼吸症ってなによ?
睡眠時無呼吸症のこと?
なんかニュースとかで居眠り運転の原因で、とかいうやつ?
「でも違ってて。あたしが怖い夢を見るから何度も起きちゃうんです、って言ったら、じゃあ夢を見なくなるようにぐっすり眠れる薬を出しておきますねって」
「夢を見なくなるくらい良く寝ちゃえばいいってこと?」
「なんかね、夢を見るのはレム睡眠ていうのらしいの。寝てるうちの8割はノンレム睡眠っていって脳が休んでいる状態なんだって。残りの2割が脳は起きていて体が休んでいる状態。それがレム睡眠。脳は動いているから夢を見るって言われてるんだってさ。睡眠薬を使えば、そのレム睡眠の時間が短くなるから夢を見なくなる」
「詳しいね、佳奈」
「そりゃ詳しくなるでしょ。半年、あの夢を見ないで済むことばっかり考えてたんだよ」
「それで良くなったの?」
「ならなかった。相変わらず怖い夢は見るし、そのうち目が覚めていても夢の続きを見るようになった」
目が覚めていても?
「それってどういうこと?」
幻覚を見るようになった?
「話、長くなるけどいい?」
本当は怒っていたのかもしれない。あんまり思い出したくないのかも。佳奈にとっては高校生活の1年を失った事件。
留年することになってしまった大事件。怒って当然だと思う。
「いいよ。話して。わたしは知りたい」
パラパラと雨がベランダに降り始めた。気付けばさっきよりも外が暗くなっている。
ひどい雨になるかもしれない。
梅雨も終わる頃、佳奈は悪夢を見るようになって眠るのが怖くなっていた。
それは何処かの自然の多い山の景色で、片側一車線の新しい道を歩いていた。
どうしてそこを歩いているのか何度も考えたけれど見覚えのある景色ではないらしい。とにかく上り坂を歩いていくとトンネルがあった。佳奈は山の向こうの町に行かなくちゃと考えていてトンネルに入っていく。それは普通の道路トンネルに見えたけど、中は照明が点いていなくて真っ暗なんだそうだ。
「作りかけのトンネルなのかな?」
と聞いたけれど、佳奈にはわからないらしい。とにかく、そのトンネルを通らないと向こうには行けないから進むのだという。トンネルの中には何か落ちているのだけど暗くてわからない。そのうちに光が漏れてくる扉があって、佳奈はそれを開く。そこはまた別のトンネルだった。
そっちには明かりが点いていて、今通ってきたトンネルの中が照らし出される。
「でね、何が落ちていたんだろうと思って振り返るんだよ」
うん、とわたしは相槌をうつ。嫌な予感がした。
「それさ、足とか腕とか・・・バラバラ死体なんだよ」
うわ、やっぱりそう来たか、とわたしは思った。なんか予感がしたんだよね。ただのトンネルを歩く夢なわけないよね。
「それを見ちゃったら、もうそのトンネルには戻れなくて、あたしはその明かりのある小さいトンネルの方へ逃げ込むの」
それはトンネルというより作業通路のようで、配管が剥き出しで通っていたり電線があったりで何かの機械音も聞こえる。
「黄色い照明で、通路は明るくないんだけど先は見通せるくらい?」
そこで佳奈はため息をついた。
「夢ってさ、色がないじゃん、普通」
「え?そうなの?わたしは色付いてるけど」
「あ、そういう人もいるらしいけど、あたしは普段の夢は色つきじゃないんだよね。でも、その夢はカラーなんだよ。まあ、普段の夢もカラーで見てるんかもしれないけど、あんまり色は覚えてない。でも、その夢の時は電器が黄色だったとか、山の緑が夏っぽいなとか、すっごく覚えてる」
「でね、その通路?みたいなとこを進んでいくと突き当たりになっちゃって、そこに金属のドアがあるから、それを開けてみるんだ」
その扉の向こうは事務所みたいな物置部屋みたいな部屋でダンボール箱が積まれていたり、仕事用の机があったりするらしい。とにかくその部屋以外に進む道はないから部屋の中に入って、別の出入り口を探すと入ってきたのと同じようなドアがあって、佳奈はそれを開けるのだそうだ。するとその先は薄暗い廊下でいくつもドアがある。
「明かりのない廊下なんだよね。で、適当にドアを開けるんだけど、そこでまた血塗れの死体とか出てくる」
嫌な夢だな、と思う。
生きている人間は一人も居ない迷路のような夢だと思う。
「あんまり聞きたくなるような夢じゃないでしょ?」
「まあ、ね」
「詳しく話しても仕方ないから、雰囲気だけでいいよ。とにかく何処まで行っても死体ばっかりのひどい夢なんだよ。それ、毎晩見るんだよ。もう何度も同じようにトンネルに入っていくの。何度も繰り返していると、トンネルに入る前から何が起きるのかわかってるの。夢の中の自分がわかっていて入っていくの。最初のトンネルの中も真っ暗ななはずなのに、明かりが差し込む前からバラバラ死体の中を歩いているのがわかるようになるの」
佳奈は涙目で話し続けた。
「睡眠不足になってもしかたないよね」
「睡眠薬を飲んでも、ちっとも夢は無くならなかった」
最近の研究ではレム睡眠以外でも夢を見ているらしいとか、いろいろ調べたけどなんの解決にもならなかった、と佳奈は言った。
どんどん寝られる時間が減っていき、学校に行っても授業中に意識を集中することが出来なくなっていって学校を休むことが増えていった。