トンネルの先は迷宮になっている
土曜は洗濯して掃除して一日が終わった。
一人暮らしなんて楽しいものではない。けっこう遊んでいる時間がなくて楽じゃない。
そんなこと言いながら、普段は遊びに行っちゃって洗濯ため込んだり、部屋が散らかったりしてるんだけど、今日はそんな気にもなれなかった。
なんか疲れていた。
どっちにしても天気予報で晴れるのは土曜だけって感じだったし、梅雨だし。
遊びに行くのも雨の日はちょっと面倒。けど、晴れてないと洗濯できない。乾燥機能付きの洗濯機だったら良かったんだけど、そうじゃないし。
1年の時に、結構外へ出て近所は回りつくしていたし、電車に乗って遊びに行くのもお金の方が足りなくなってしまうのもわかっていた。
バイトは禁止じゃなかったけど、正直、そこまでしてしまうと、今度は部屋の中がどうにもならなくなりそうで怖かった。
遊んでいられるのも、親がいるからみたいなところ、あるよね。
ああ、なんか楽しいことないかな。
そう思って、ふと一昨日のことを思い出した。
いや、あれは楽しくはなかったし。
北島さんは、ちょっとかっこ良かったけど、やっぱ怖いし。
詩乃の電波っぷりも怖いし。
そういえば、水崎愛理香はどうなったんだろう。無事に帰ったのかな。そこまで考えて、わたしは自分がさっきからベッドの上から全然動いていなかったことに気が付いた。
気になってるんだ、わたし。
そもそも、というか、一番肝心なところを聞いていなかったからだ。きっと。
詩乃は、どうしてわたしを連れて行ったんだろう。
まあ、一人で知らない子と会うのは不安だし、そういう時はやっぱり誰かと行きたくなる気持ちはわかる。でも、どうしてそれがわたしなんだろう。青木佳奈でも良かったはずじゃないか。だって、愛理香は佳奈の紹介で詩乃に会いに来たって言ってたじゃないか。
そうするのが自然なはず。
なのに、どうしてわたし。
詩乃は、なんて言ってた?
わたしにも関係のあること、とか言ってなかったか。
関係?
なんの?
佳奈と同じクラスだったから?佳奈の見ていた悪夢が同じクラスの人に伝染していっているってこと?
それで、わたしも同じ夢を見るようになるってこと?
どうしてわたしが?
というか、どうして次はわたしなの?
同じクラスの子なら、他にもたくさんいるはず。
詩乃には順番がわかるっていうの?
ものすごく、不安になる。何もわからない。詩乃は怖い。
なんだか電波っぽいところだけじゃなくて、何が起きているのかわからないことが怖い。
そもそも佳奈の悪夢ってどんなだったのか。
愛理香は怖がっていた。睡眠薬を飲まされるっていうのに、すぐに従ってしまうくらいに。
普通、飲まないっしょ。
北島は医者かもしれないけど、病院で処方してもらったわけじゃない。本物の医者だって確認したわけじゃない。それなのに、あんなに簡単に従ってしまうなんて。
睡眠薬だよ?飲まないよ。
なのに・・・
そんなに怖い夢なの?
トンネルに入っていく夢だと北島は言っていた。トンネルに歩いて入って行くのは怖いかもしれないけれど、所詮、夢だ。それだけならあそこまで怖がるはずがない。トンネルの先に何があるって言っていたっけ・・・忘れた。
でもそれだけじゃないはずだ。
きっとすごく怖い何かがその先にいるんだ。
モンスター、とか?
そう考えて北島が言っていたことを思い出した。トンネルの先は迷宮になっている、だ。
いや、迷宮にモンスターって完全にRPGだし。
それ怖いっていうより、楽しいし。
まあ、素手でラビリンスに挑んだら駄目っぽいけどさ。
剣とか魔法とか装備していけば・・・
ていうか、そういうことじゃない。
わたしは、ふっと笑っていることに気が付いた。
目の前に畳み掛けのシャツがあった。
考えても駄目だ。
詩乃は電波だけど、わからないことは解決しとかないと気になって仕方ない。それに、わたしはトンネルの夢を見たことがない。それってつまり、わたしはまだ安全ってことじゃん。もしも詩乃や北島の言うことが本当だったとしても。わたしには直接関係ない話じゃん。
それからわたしはせっせと洗濯物をたたむとベッドから降りた。
なら、その怖い夢とやらを見る前に終わらせればいいんだ。
詩乃はその夢から抜け出す方法を知っていると言っていた。
別に詩乃の力を借りなくても、抜け出す方法がわかっているなら簡単なことじゃないか。
わたしってRPG得意な方だし?
佳奈のラインは知っていた。
入院する前にけっこう話していたし。
2年になってからは一度も連絡とっていなかったけど別にいいよね。
さっそくラインで送ろう。なんて書こう。
いいや、適当で。
愛理香って子に会いました、でいいか。
既読の表示はすぐについた。
[詩乃と仲いいの?]
ひさしぶり、とかそういう挨拶のあと、すぐにそう返ってきた。
[仲いいってほどじゃないんだけど、たまたま?]
[そっか、じゃああんまり関わらない方がいいかも]
[なんで?それって夢の話と関係ある?]
直球すぎるかな、と思ったけど。
[知ってるの?]
[詩乃が夢の中に入れるってことは]
[沙織もあの夢を見てるの?]
[いまは、まだ]
[なら、関わらない方がいいよ、詩乃には]
[どうして?]
なかなか返事が返ってこなかった。
なんか怒らせたかな、と不安になったころ、ようやくラインが返ってきた。
[明日、会える?]
1年の頃、佳奈と話すようになったきっかけは忘れた。
けれど何度か学校の外でも会ったことがあった。
佳奈もチャリ通だったし、同じ街に住んでいることがわかったからだ。佳奈は昼過ぎくらいに部屋に訪ねてきた。
「雨、やんで良かったよ」
佳奈は部屋に上がると当たり前のように座椅子に座った。
「懐かしいね、この部屋」
佳奈はどことなく嬉しそうだ。
まだ1年の初めのころ、まだ一人暮らしにも慣れない頃に佳奈は部屋に来たことが何度かあった。
わたしも一人暮らしに少し浮かれていたこともあって、けっこう友達を部屋に呼んだりしていた。
「なんか飲む?佳奈」
「おかまいなくー」
麦茶に氷を浮かべるとグラスを二つ、テーブルに置く。
テーブルっていっても、ほとんどチャブ台なんだけど。
「片付けられてるよね、いつ来ても」
「そんなことないよー」
「もう1年前かー。実はさー、けっこう散らかってるのをイメージしてたんだ、本当は」
そう言って笑う。
「なんでよー」
「あの頃は沙織、一人暮らし始めたばっかじゃん。だから頑張ってるんだなーて思ってたんだよ。でももう1年過ぎたじゃん。だからもう慣れてきてて、あんまり片付けとかしなくなってそうだなーって」
「うん、実は、そうなんだけどね。昨日、あれから片付けた」
そう言って、二人で笑った。
「でさ、沙織は先輩になってしまいました、と」
佳奈は少し寂しそうに目を逸らした。
「そんなこと言わないでよ」
「でも事実だからさ」
「大丈夫だよ、そんなの大人になったらたいしたことじゃないって」
「そうかもしんないけど、やっぱ気にするよ。高校の1年間は大きいって。ちょうど1年前、あたしはここに来てた。それで、1年後の今日、またここにいる。沙織は2年になってるけど、あたしはまるでタイムスリップしたみたいに1年のままなんだ」
「病気だったんだもん、仕方ないよ」
佳奈は水滴が付いてきたグラスをぎゅっと握った。
「病気、じゃなかったんだよ」
え?病気じゃない?
「今日はそのことで来たんだ」
「どういうこと?」
「詩乃、なんだよ」
佳奈はグラスを見つめたままだった。
「あの夢を、あたしに見させたのは、何度も同じ悪夢を見させたのは・・・詩乃なんだよ」