地下道の幽霊
その夜、久しぶりにあの夢を見た。
わたしの悪夢。
それは子供の頃からずっと見続けている悪夢だ。
わたしの実家は田舎にある。
本当の田舎だ。
山が近くにあって、家のすぐ裏には小川が流れている。
田んぼの向こうに家が一軒建っていて、わたしはその家に向かって歩いていく。
裏山の傍に建つ家。
こんなところに家なんてあったっけ?とわたしは思っている。
外から見ると普通の家だ。
すごく古い感じでもない。
玄関のドアを引くと鍵はかかっていない。
わたしは靴を履いたまま中へ入る。
空き家だと知っているからだ。
手前の部屋には誰も居ない。
がらんとしている。
畳は湿っぽい匂いがする。
窓の外には庭木が見える。
扉を閉める。
次の部屋にも誰も居ない。
こっちは畳の部屋ではない。
でも家具も何も無い。
カレンダーが壁に掛かっている。
遠くて日付は見えない。
この家は二階建てだ。
外から見た印象では、そうだ。
でも2階に行ったことはない。
何故なら次に開ける部屋でわたしはあれを見てしまうからだ。
わたしは暗い廊下を先へ進む。
わたしはそこに何があるか知っている。
知っているけれど、夢の中のわたしは知らない。
ドアを開ける。
血まみれの壁。
重なり合う死体・・・
布団を蹴っていたらしい。
いつも一瞬で目が覚める。
真っ暗な自分の部屋だ。
カーテンの隙間から外の街灯の光が見える。
何も異常は無い。
ただ恐怖だけが纏わり付いているようで動けない。
あんな家は無かった。
実家の裏に、あんな家は存在しない。
夢なんだ、ただの夢なんだ。
そう自分に言い聞かせていると、少し落ち着いてくる。
何度も同じようにやってきたことだ。
あんな家は無かったのだから、本当にあったことではない。
ただの、夢。
そう自分に言い聞かせていると、夕方の出来事を思い出す。
北島は、繰り返し見る悪夢は無いか、と聞いた。
わたしは嘘をついた。
そんなことは、ありません、と。
それならいいんですが、と北島は言った。
でも、もし同じ悪夢を繰り返し見るようになったなら連絡してくださいね、と名刺を渡された。そこには北島とは違う名前が書いてあった。
北島という名字は詩乃が勝手につけたものなので、と言う。
愛理香が見続けた悪夢はトンネルに入っていく夢だ。わたしのとは違う。青木佳奈が見た夢も愛理香と同じだと言っていた。わたしの悪夢とは違う。きっと関係ない。
詩乃とはしばらく話さないようにしようと思う。怖い夢を見るのは、嫌だ。いつも通りに起きて、いつも通りに学校へ行った。昨日の出来事はなんだか現実感が無かった。
なんか変な人に会ったな、くらいで。そう思ってることにしよう。おかしなことに付き合うのはよくない。夜中に目が覚めたせいで少し眠たかったけれど、そんなに体の調子が悪いわけでもない。
うん、大丈夫。
教室に入り、自分の席に着く。詩乃はまだ来ていなかった。
「沙織、おはよう」
桜木リコが声を掛けてきた。
「おはよう、リコ」
リコはいつも元気がいい。明るくて女子にも男子にも人気がある。怪談にはまっているのはちょっとあれだけど。でもリコが始めたことだからクラスで流行っているとも言えた。話の中心にいつもいる。
一人の男子がリコに声を掛けた。
小早川優人はリコに気があるんじゃないかって時々思う。けっこういつも声を掛けている。
「本、借りてたやつ返すわー」
書店のカバーのかかった単行本をリコは受け取った。
「面白かった?」
小早川は微妙な笑顔で、ああ、うん、と返事をした。
「リコ、なんの本?」
「あ、これ?稲川淳二の怪談」
小早川の返事の意味が理解できた気がした。
「沙織も読む?これ」
「いい、読まない、読まない」
怪談は苦手なんだってば。というか、わたし一人暮らしだよ。夜が怖すぎる。
「慣れたら、もう怖くなんか無いって」
「慣れたくないよ、そんなの」
始業のチャイムが鳴って、授業が始まる。
そういえば詩乃の席は空いたままだった。何か、あったのかな。
昼休みになった。
詩乃は休みらしい。
気にはなるけど理由を知るのも怖かった。
先生も詩乃は風邪で休み、と言っただけで誰も気にはしていない。
わたしだけが昨日のことを知っていて。
詩乃は、たぶん風邪なんかじゃない。
1年の教室に行って水崎愛理香を探せばわかるかもしれない。
でも、知りたくないような気もした。
教室の前の方では、またリコの周りで怪談が始まっていた。よくそんなに話が続くよ。
「小早川くん、それって本当なの?」
リコの声は妙に通るというか、遠くにいても聞こえてくる。
「駅に地下道なんてあったっけ?」
ああ、昨日の地下道のことだな、と思う。
たしかにあの暗さなら怪談が作られても不思議はないかも。噂とか知らなくても不気味だし。
「地元の子っている?地下道なんてないよね?」
リコの声以外は聞き取れない。リコは周りを見回している。目が、合ってしまった。
「沙織、地元だよね?」
わたしは手を振って違う、と伝えた。
「えー、でもチャリ通だよね」
リコが歩いてくる。小早川達も一緒についてくる。
「リコ、わたしは高校入ってから引っ越してきただけだから」
「あ、そうなんだ。転勤とか?」
「ううん、わたし一人暮らし。家が田舎過ぎてさ、通うのが遠すぎで」
「えー、そうなの。めっちゃすごいじゃん。一人暮らしとか憧れる」
「そうでもないよ。狭い部屋だし。自炊とかしんどいし」
「それでもいいよ。一人暮らし。好きなだけテレビ見れるし。ネットもし放題じゃん」
「いや、そんなことしてたら引きこもりになっちゃうから。ていうか朝起きられない」
「あ、まあそりゃそうか。沙織ってあんがいしっかりしてるんだね」
しっかりはしてないけどね。今朝もパジャマ脱ぎっぱなしで床に落としてきたし。
「それはそれとして、沙織は駅の地下道って知ってる?」
「知ってるよ、駅の裏路地を入っていくとあるよ」
「そこって霊が出るって噂あるの?」
「いや、そこまでは知らないけど」
知らないも何も存在自体を昨日まで知らなかったわけで。
「なんかね、小早川くんが教えてくれたんだけど、そこで腕を見たんだって」
「腕って・・・」
小早川がリコに替わって答えた。
「地下道の壁から腕が生えていた、って聞いた」
なにそれ。腕って生えるものなのか?別の男子が割って入る。
「ソースは?」
「ソース?食べるのか、腕」
小早川が変な顔で聞き返した。
「ソースって、情報源っていう意味だろ。ネタ元はなんだ?」
「最初からそう言えよ、吉田。3組の鈴木から聞いた。夜に通ったら腕を見たって」
「意味わかんねえよ。腕だけなのか?それも生えてたってどういう意味なんだ?」
「そんなこと言われてもな。俺も聞いただけだし」
リコがストップ、と間に入った。
「そういうことだからさ、今日の帰りに見に行こうってなったんだけど。誰もその地下道が何処にあるのか知らなくて。沙織、今日は何か用事ある?」
「え、無いけど、いや行かないし。てか行きたくないし。腕とか見たくないし」
「でも場所知ってるの沙織しかいないみたいだもん」
「いや、あんなの行けばすぐわかるっしょ。駅の向こう側の路地を入っていくだけだから」
リコは少し考えていたけど、スマホを取り出すと地図を表示させた。
「これのどっち側?」
場所を教えるとリコは満足げに地点登録した。
「よし、じゃあ今日行く人、手をあげて」
小早川は真っ先に手をあげた。他に男子が2人、女子が一人。
「みんなで5人か。ま、いっか。ありがとね、沙織。結果は明日、は休みか。じゃあ月曜に教えてあげるから」
「ま、幽霊なんて出ねえと思うけどな」
吉田がそう言うと、小早川も頷いた。
「でも、いちおう、鈴木に詳しいこと聞いとく」