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その夢から覚めてはいけない(2)

リコは歩き出した。

「とりあえず下まで降りよう」

階段へ向かう。

わたしはエレベーターで行けばいいじゃん、と言ったのだけど。

「やめといた方がいいんじゃないかな」

リコがそう言うと詩乃も頷いた。

「詩乃はなんとなくわかってるみたいだね。沙織、これが体外離脱している状況だとするとね、世界そのものは現実なんだってことなんだ」

「それってつまり?」

「エレベーターに乗ってボタンを押すと、実際の世界のエレベーターでは無人で動いているように見えるはず」

「うわ・・・気持ち悪い」

「でしょ?深夜の病院のエレベーターが勝手に動くとか、怪談すぎるでしょ」

あれ?なんかどっかで聞いた気がするな、そんな話。あれってなんだっけ?

「沙織、あたしも言ってて気付いたよ。ショッピングモールのエレベーター」

階段を下りながらリコは続けた。

「まあ、向こうは勝手に動くんじゃなくて、止まるはずないのに止まるんだけど。誰かが体外離脱して緊急停止ボタンを押したりすれば、勝手に止まるエレベーターが出来上がるのかもしれないね」

10階のフロアから階段を下りていくと、次のフロアは8階になっていた。あれ?9階は?わたし、ぼうっとしてた?それとも、これはやっぱり現実世界じゃない?

「沙織も言ってたけど、エレベーターの中には緊急停止ボタンなんて存在しない。事故が起きても近場の階に自動停止する。でも、エレベーターの外には電源を切ってしまう回路が存在してるのかも。ブレーカーとかね」

「そんなのあるの?」

「わかんないよ。けど、誰にも見咎められないなら警備室だろうとなんだろうと入れちゃうわけだから」

ものすごく現実感がないような気がした。今、まさに意味不明な世界にいるというのに、なんだか誰かに騙されているような感覚がしていた。

「意識だけの状態で世界を彷徨っている?なにそれ?宗教?ファンタジー?」

リコは笑い出した。

「だよね?いや自分でも意味わからんし。けど現実、誰にも会わないよね、この世界」

「でもさ、9階なかったし。おかしくない?まだ夢の中だっていうだけなんじゃない?」

リコは首を振った。

「詩乃は知っていると思うけどさ。病院なんかだと、4階と9階の表示はないところがあるんだよ」

「え?」

「死と、苦に繋がるからさ、表示上だけ4階と9階を飛ばして表記してたりするってこと。いやでしょ?沙織もさ、病気でやばいのに4階の402号室とかだったりしたらさ」

まあ、それはそうだろうけど。

「現実には4階だけど、表示は5階。それが誤魔化しとか建前だとかそういうもんだったとしても患者には重要なことなんだよ。気持ちの違いだけで人間は生きようと思ったり、それを諦めたりするんだ」

病院の建物から外へ。

駐車場には一台の車も停まっていなかった。


人の気配がまったくしない。

普通なら道路を走る自動車の音だとか、風の立てる音だとか、排水路を流れる水の音なんかが聞こえてくるはずだった。


けれど、なんにも音がしない。

「気味が悪いよ」

わたしは、誰に言うともなくつぶやいた。リコが振り向く。

「そう?あたしは面白いけど」

リコ、やっぱ変な子だよ。

道路の真ん中を歩き出す。リコは、ここは現実世界なんだと言っていた。

「ねえ詩乃、これってさ、なんか魂だけで世界を彷徨っているみたいな感じなの?」

詩乃は困ったような顔で振り向いた。

「わからない」

わからないって。

そういうこを言われると、めっちゃ不安になる。

代わりにリコが答えた。

「まあ、夢だと思ってればいいんじゃない?」

そんな適当な。

「シノは、誰かの夢に入ろうとする時、この世界を通っていく。それでその人の意識みたいな?そういうののところで、その人の夢に入る」

「通路なのかな、この世界は」

「わからない。でも現実と夢の間のような感じがする。通路っていうよりも、何重にもなっている階層?みたいな」

リコが頷く。

「夢ってのはさ、研究されているんだけど解明されていないことがたくさんあるんだよ」

「そうなの?」

「夢を科学する、なんていうことをいう人がいるけどさ。夢っていうのはそもそも個人的な体験で、他人と共有することが出来るものじゃないからさ。そうすると夢で見る内容ってのはさ、全部聞き取り調査っていうことになるわけじゃん」

「うん」

「それってつまり、嘘や勘違い、記憶違いが混じりこむ可能性がすごく多いってことでさ。研究しにくいってわけ。詩乃にとって、夢には階層があるんだよ。沙織やあたしには夢は階層のあるようなものではないけれど」

リコはそこで何かを考えるように言葉を切った。

病院の敷地外へ出た。道路にもやっぱり動くものは何も無かった。オレンジ色の街路灯が誰もいない空間を照らし出していた。


月が見えていた。

三日月が浮かんでいた。

幽かな雲がたなびいている。

紫色の空が静かに誰もいない街を包んでいた。


「シノはね、シュンイチの研究に協力してる」

「シュンイチ?」

リコが「誰それ?」と尋ね返した。わたしが代わりに答えた。詩乃の主治医の北島のことだ。

「シュンイチが言うには、睡眠メカニズムの研究なんだって」

「専門家の意見か」

「睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠があるんだって。睡眠のほとんどの時間はノンレム睡眠で体も脳も眠っている。レム睡眠の時は脳だけ起きている。その時に夢を見るみたい。レム睡眠の状態なのか、ノンレム睡眠の状態なのかは脳の活動状況をセンサーかなんかで計測するとわかるんだって。それで、シノの場合は、レム睡眠の状態が普通の人の何倍も続くんだって」

「それって夢を見ている時間が長いってこと?」

「たぶん。脳波測定をすると、起きている状態と変わらないのに眠っているって言っていた」

狸寝入りじゃないの、それ。

「意識のある状態で眠っている、という感じ。その時、シノはこの世界にいる。誰もいないけど現実と同じ世界。ここからは好きなところに行ける。誰かの夢にも入れるし、目覚めようと思えばすぐに目覚められる。でも所々に空間が不安定になっているところがあるの。普通に歩いていたつもりなのに、突然、誰かの夢っぽいところへ入ってしまったり。そこはこの世界と違っていて、何が起きるかわからない不安定な世界。たぶん誰かの夢なんだと思う」

「そこには人がいるの?」

「いることもあるし、いないときもある。たくさんの人が出てくる時は、大抵、誰かの夢。誰もいないのは、たぶん、夢の廃墟」

「夢の廃墟?」

「誰かが見ていた夢なんだと思う。それが残っているだけのもの。たぶん少しづつ薄れて消えていくんだと思う。消えかかっている夢もあるし、鮮明に残っているものもあるの。誰かが繰り返し見る夢なんかだと、わりとはっきりしてたりするよ」

それってつまり、佳奈の悪夢も繰り返し見てるから消えないってことかな。それもたくさんの人が見続けているから。

「詩乃はどうやって他の人の夢に入るの?今も、そういうの見えてるの?」

詩乃は頷いた。

「見えてる。けど入れない。覗くことは出来るけど、たぶん向こうの人からはシノは見えないと思う。夢を見ている人に影響することは出来ないの。すごく近くにいれば別なんだけど」

 線路まで歩いてきて詩乃は立ち止まった。

「ここから移動できる」

「移動?歩いていくの?線路を?」

詩乃は大袈裟に両手を振った。

「歩いて行ったら一晩かかってもつかないよ。手を繋いで、沙織、リコ」

リコはわたしの顔を見て、両手をわたしと詩乃に向かって伸ばした。

「シノが真ん中。柵の向こうに入ったらすぐに両手を繋いで。一人で行ってはダメ。どこに行っちゃうかわからないから」

「どういうこと?」

「後で説明する。とりあえず柵を乗り越えよう」

わたしは「いや、だって電車来たら危ないし」と言い返した。

「大丈夫だから。電車は来ない」

「でも愛理香の時は電車来たし」

詩乃は首を振る。

「覚醒レベルだってシュンイチは言ってた。現実に近いレベルなら電車や車が見えるらしいし、人も見えるかもしれないって。でも、今は大丈夫。それに、もう真夜中過ぎだし、終電も終わってるから」


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