その夢から覚めてはいけない(1)
気がつくと白いシーツが目に入った。
顔をちょっと動かす。
銀色のアルミサッシの窓。
白い壁。
どこだろう、ここは。ゆっくりと起き上がる。
カーテンに仕切られた小部屋のようだった。
病院?
制服のままだった。
ベッドから這い出すと、そこにあった靴に足を通す。
そっとカーテンを引いて外の様子を伺う。
薄暗い。
常夜灯の明かりを頼りにして周りを見渡す。
4人部屋、いや6人部屋だった。
目が覚めたんだ。
きっと詩乃が連絡して病院に連れてこられたんだ。
隣のベッドからガサガサと音がしてカーテンが開かれた。
「沙織、おはよう」
リコが顔を出した。少し茶色い髪に寝癖がついていた。
「リコ・・・」
「出られたね、あの夢から」
そう言うとリコはあくびをして、うーんと背筋を伸ばした。
「寝た気がしない」
そう言うと立ち上がって周りを見回す。
「病院にいるみたいなんだけど、そうなんだよね、やっぱり」
「そうみたいだね」
「どのくらい時間が経っているのかな。時計とかある?」
わたしは首を振った。
「じゃあ、とりあえず病室を出ようか」
リコは立ち上がると履きかけのスニーカーを引きずりながら出口へと向かった。
ガラッとドアを開く。
夜の病院。
抑えた照明が廊下を照らしていた。
静かだ。
「消灯時間過ぎているのかな?」
リコが言う。そのまま振り向きもしないで歩き出した。
わたしは置いていかれるのも心細くてついていく。
すぐに待合室というか、椅子のある空間があった。
こういうの、なんて言うんだろう。
ロビー、じゃないよね?
自動販売機がブーンと音を立てていた。リコは簡易テーブルの傍のソファーに腰を下ろした。自動販売機の上の壁に時計があった。
「夜の11時かな」
リコが誰に言うともなくつぶやいた。わたしも時計を見上げた。
「ねえ、沙織。愛理香っていう子も入院しているんだったよね?」
わたしは、うん、と頷く。
「じゃあ、同じ病院かな?」
「そうかもしれないね。詩乃の知り合いの医者がいて、その人が運んだって聞いたし」
「探してみよう」
リコが立ち上がり、わたしもそれに続く。
廊下に人の気配はない。病室には小さな名札が付いていることに気がついた。暗めのLED灯が廊下を照らしている。清潔に清掃された床が人工的な白い光をぼんやりと反射していた。いくつかの病室の前を通り過ぎたところでリコが立ち止まった。
ちらっと目配せして、音を立てないようにそっとドアを開いた。病室の名札は一つだけ。
水崎愛理香、と書かれていた。
病室の中は月明かりが満ちていた。
窓のカーテンは全て開け放たれていた。
病室内を仕切ったカーテンの一つが乱雑に開かれていて、そのベッドは乱れていた。
点滴のチューブがベッドの上に置き去りにされていた。
愛理香は、いなかった。
リコは病室内を見回した。
「愛理香は目覚めたんだね」
「何処に行ったのかな?」
リコはそれには答えないで病室を出た。わたしも後に続く。足早に歩くリコは何かを探していた。深夜の病院だということで、わたしはリコに話しかけるのを躊躇った。廊下の端までくるとリコは階段を上り始めた。
「どこへ行くの?」
リコは振り向かずに「上」とだけ言った。1階分上がると、そこは6階の表示があった。そのまま次の階段へ進む。7階、8階と上がり、いったい何階建てなんだよとわたしは心の中でつぶやいた。11階の表示の次は屋上だった。飾り気の無い鉄の扉を押すと、それはあっさりと開いた。
「11階建てとか、大きな病院だね」
わたしは少し息切れした。屋上は月明かりで明るかった。
「違うね、沙織。9階建てだったよ」
「え?」
振り向きもしないでリコは屋上へ出た。
「ちょっと待ってよ、リコ」
わたしもリコに続く。そこには小柄な少女が月明かりの中に立っていた。モノトーンの景色は時間が止まったように感じられた。
「愛理香?」
わたしがそう言うと、リコがかすかに振り向いて目配せで否定した。少女はゆっくりと振り向いた。
「詩乃!」
わたしは詩乃に駆け寄って、手を握った。
「良かった、詩乃に会いたかったよ。もう大変だったんだから」
詩乃は返事をせずに、かわりにリコの方を向いた。
「詩乃、愛理香は何処に行ったんだ?」
リコは少し怒っているような感じがした。
なんだろう?なんで怒ってるの?
詩乃はじっとリコを見つめていた。リコも詩乃から視線を外さなかった。
「ねえ、なに?どうしたの?」
詩乃がゆっくりとわたしのほうを向いた。
「さっき、愛理香が、飛び降りた」
は?
何を言っているの?
飛び降りた?
どこから?屋上から?
「そんなことだろうと思ったよ」
リコは苦々しげに言うと月明かりに照らされた屋上を歩き出した。
「いや、ちょっと待ってよ。飛び降りたってどういうこと?それってやばいでしょ?」
リコは振り向かずに歩いていく。フェンスがあった。高いフェンス。
「なに?こんなの乗り越えたの?」
わたしはフェンスを見上げた。
「てか、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?携帯、誰か持ってないの?詩乃は、携帯は」
「沙織、落ち着きなさいよ」
「いや、意味わかんないし。落ち着けるはず無いじゃない」
リコが振り返った。
「こんな高いフェンス、乗り越えられると思う?」
2メートル、いや3メートルくらいある。しかも上の方は手前に傾けて作ってあった。
乗り越えるのは無理だと思う。
思うけど!
「詩乃が嘘をついてるっていうの?」
「沙織、飛び降りたのは愛理香の本体じゃない。言ってれば夢の中の愛理香が飛び降りただけなんだよ」
「え?」
「さっき、駅でさ、愛理香はさ」
リコがため息を一つ。
「手を離しやがったんだよね。あの子、目覚めたくないみたいなんだよな」
「リコ、沙織」
詩乃が近くまで来ていた。
「とにかく、一度戻った方がいい。シノ、案内する。あの男の子も待ってるし」
リコは少し怪訝な顔をした。
「男の子?ああ、小早川君か」
詩乃がさっと顔を曇らせた。
「名字は言ってはダメ。取り込まれてしまう」
「何言ってるの?意味わかんないんだけど」
「この夢はもう普通の夢じゃなくなってきている。気がついてない?リコ、沙織。二人ともまだ目覚めてないってことに」
「え?」
目覚めていないって、どういうこと?これもまだ夢の続き?
「シノ、あの男の子と一緒に沙織とリコをシノの部屋まで運んだ。それからここへ来た」
「そうか、沙織と一緒に目覚めたつもりだったんだけど、そうじゃなかったのか」
リコは一人で納得したようにつぶやいた。
「どういうこと?目が覚めたわけじゃなかったの?」
「沙織、シノは夢から覚める方法を知ってる。安心して」
そういうと優しい顔でわたしを見た。
「でも、でも、この病院は、すごく本物みたいだった」
詩乃は頷いた。
「シノも驚いてる。ここは本当にシノの知っている病院と同じ。人がいないことを別にしてだけど。本当なら夜中でもたくさん人が起きてる。こんなに静かなはずはない」
「そうか」
リコは何かを考えているようだった。
「でも、わたし、この病院に来たことないし。なんで詩乃が一緒にいるのかわからないし。リコと一緒にいるのも夢とは思えない」
「沙織、詩乃が言っていることが本当なら、これは一種の幽体離脱みたいなものと考えた方が合ってそうな感じするよ」
「幽体離脱?」
「そう、幽体離脱。最近は体外離脱って言うんだけど」
「信じられないよ、リコ。目が覚めていないなんて思えない」
「まあ、あたしも目が覚めているって思いたいけど。でもさ、実際に詩乃以外に誰にも会わなかったわけだし、実際に来たことの無い場所へ来てるのに、すごくリアルだし。夢でも現実でもないとしたら、体外離脱してるって考えるのが一番しっくりくるんだよね」
わたしは、わけがわからなくて混乱しそうだった。
「まあ、とにかくさ、沙織。現実なのかそうじゃないのか、一旦、置いといてさ」
いや、それ一番重要じゃないか、とちょっと思った。
「とにかく、これからどうするかを決めないか?」
詩乃は、とにかく一度、目を覚ますことを提案した。
リコは、このまま続けてみることを提案した。
わたしは、なにがなにやらわけがわからないままだった。
「詩乃の言う通り、一度目覚めたら、もう一度ここへ、というか体外離脱状態になれるかどうかわからないわけじゃん?じゃあ、やれることはやっといたほうがよくない?」
「でも、シノは不安なの。リコも起きなくなっちゃったらどうするの?」
リコは詩乃の肩をポンと叩いた。
「大丈夫だって。やばくなったら詩乃の言うこと聞くからさ。今はまだ、もう少し続けさせて欲しいかな。愛理香のこともあるし」
愛理香、か。
愛理香もまた体外離脱しているんだろうか。それともあの悪夢の中を彷徨っているんだろうか。
それにしてもリコ、体外離脱してるって考えて、なんで平気なんかな。
「ねえ、リコ。前から思ってんだけど、なんかホラー系すごい知ってるよね?というか、なんでそんなにホラー系好きなの?」
「え?だって面白いじゃん。科学法則無視なところとか、直感的な感じとか。今もさ、ネットとかでしか知らなかった異世界に迷い込んでいるようなもんでしょ?それってさ、めっちゃ新鮮で楽しいと思わない?」
いや、思いませんけど。
「とにかくさ、あたしは病院を出ようかと思うんだけど、詩乃はどう思う?愛理香はどうして飛び降りたんだと思う?」
「わからない。けど、シノを避けているように見えた。何度もシノは愛理香を探しに夢に入った。でも見つけられなかった」
「ひょっとしてさ、愛理香は目覚めたくないんじゃないかな」
「なんで?愛理香って、元々あの悪夢から逃げ出したくて詩乃に連絡してきたんじゃないの?」
「そうなんだけどさ。さっきの駅でのこともあってさ。なんか、目覚めたくないように感じちゃったんだよね」
ま、それはともかく、とリコは続けた。
「まずはあの駅に戻ってみない?なんかずっとあの場所に拘っているみたいだしさ、愛理香は」




