目覚めない夢(3)
「あの部屋の扉を開けたら、この夢から覚めるかもしれないんだよ?」
「でも、無理。今は自分の意思で動けるんだもん。あの中、見たくない」
リコはため息をつくと、わかったよ、と言った。
「しょうがない。けど次のチャンスはいつになるかわかんないんだよ?」
そうリコが言った時、わたしは誰もいないプラットフォームの先に人影を見た。
「あ、人がいる」
わたしは玄関ドアから踏み出した。
「人?」
リコもつられて歩き出した。プラットフォームの端っこに人が立っていた。
「同じ制服」
リコがつぶやく。
「詩乃かな?」
「そうだよね。わたし達だけ迷い込んだわけじゃなかったのかも。詩乃や小早川君も別の場所に迷い込んでいたのかも」
ちらっと振り返ると玄関のドアが閉まるところだった。それは駅長室、と書かれたプレートがついていた。閉まったら最後、次は何処へ繋がるのかわからないのだ。
人影の方は線路を眺めているような姿勢で動かなかった。
薄暗いプラットフォームだった。音も無い、他に人影も無い。
「詩乃?」
リコが声をかけた。そっちの方へ歩き出す。人影が少し動いたような気がした。
その時、微かに列車の音が聞こえた。
人影は列車の来る方角を見た。それは前方からやってくるようだった。
「詩乃じゃないね」
リコが歩きながら言った。
「スカート、だいぶ短いし」
言われてはっとした。じゃあ、あの子は。列車の音が大きくなる。
プアーンと警笛の音が鳴り響く。列車のヘッドライトがまぶしい。大きな轟音を立てて列車が駅へとやってくる。
スピードが速い。特急だ。通過する。
その瞬間、信じられないことが起きた。
その人影が線路へと身を投げたのだ。すごい悲鳴を聞いた。
いや、それはわたしがあげていた。
わたしとリコは走り出した。助けられるはずはなかった。どう考えても間に合わない。間に合ったところで線路へ飛び出せるとも思えなかった。
けれど走らずにはいられなかった。
プラットフォームの中ほどまで走ったとき、特急は通過した。
ガンガンガン・・・と轟音を立て、目の前に人が飛び出したのに急ブレーキさえ掛けず、走り去っていく。
わたしとリコは立ち止まった。ただ呆然として列車を見送ることしか出来なかった。
「何が起こったん?」
リコがようやくそれだけ言った。
「今、飛び込んだよね?」
呆然と線路を見下ろす。そこには何も無かった。
「沙織、あれ・・・」
リコがプラットフォームの先を指差す。そこにはさっきの人影が立っていた。
「錯覚だったの?」
「そんなはずない。沙織も見てたよね?飛び込んだよね?」
わたしは頷く。けれども人影は再び線路を見下ろすような姿勢で立っていた。リコとわたしは動けずにいた。
さっき身を投げたはず。なのに、また立っている。
「確かめよう、沙織。考えるのは後にしよう。夢なんだから、これは」
リコは大きく息を吸い込むと歩き出した。わたしも引っ張られるように歩き出す。
「リコ」
近付くにつれてわたしは人影が誰なのか確信していた。
「あれ、愛理香だ」
「愛理香?あの、目が覚めないって言ってた1年?」
「うん」
わたし達が近付いても愛理香は線路を眺め続けたままだった。
表情はない。ただじっと線路を見つめたまま動かない。
「愛理香?」
声をかけた。反応はない。わたしはそっと手を伸ばして愛理香の肩に触れた。
「愛理香」
ゆっくりと愛理香が顔を上げる。その表情に変化はない。無表情のままだった。
「大丈夫?愛理香?」
愛理香の目が大きく見開かれた。
「さ、お、り、さん?」
あ、っと声を上げる。
過呼吸のように息遣いが激しくなると愛理香は唐突にわたしに寄りかかるようにして倒れこんだ。
わたしは抱きかかえるようにしてしゃがんだ。リコは手を離し、少し遅れてしゃがむと愛理香の反対側の肩に手をかけた。
「わ、わた、わたし。もう帰れない」
愛理香が泣くような声で言った。
「なに?なにがあったの?」
リコが愛理香に話しかけた。
「詩乃とはぐれた。気がついたらここにいたの」
リコは目配せでベンチを指した。わたしは頷いた。
「あっちのベンチに行こう、愛理香」
わたしとリコで支えながらベンチへ移動した。愛理香はうつむいていた。
「頑張ったね、愛理香」
わたしは愛理香の肩を抱き寄せながら声を掛けた。リコも反対側から愛理香の左手を握っていた。ふと愛理香の右手に血が付いているのに気がついた。
「怪我してるの?愛理香?」
愛理香は自分の右手を見下ろすと、わっと泣き出した。
「どうしたの?痛いの?」
「違う、これは違う」
愛理香は泣きじゃくり始めた。何故血が付いているのか不思議だったけれど、愛理香は怪我をしているわけではないようだった。さっき列車の前に飛び出したはずなのだけど、やっぱりこれは夢なのだ。そう思って納得する。
「とにかく、この子が落ち着くまで待とう」
リコの言うとおりだと思った。予想外だったけど、そもそも愛理香を探しに来たわけだし。問題はどうやって目を覚ますか、だけど。
愛理香はまだ泣いている。右手の甲に血が付いている。
それは飛び散ったような跡で、よく見ると制服にも少し血痕があった。でも怪我はしていない。その時、再び列車の音が聞こえてきた。
愛理香の体が、びくん、と反応した。
泣き声が止む。
「愛理香?」
呼びかけに答えなかった。
愛理香は立ち上がろうとした。
「だめ、動かないで」
リコが左肩を鷲掴みのような形で押さえた。
愛理香は虚ろな目でリコを見つめ返した。
リコは目をしっかりと見て言った。
「列車に飛び込んでも目は覚めない。同じことを何度もしても無駄だから」
愛理香の体の力がすっと抜けていく。
列車が駅を通り過ぎていった。
列車の音が遠ざかるのを待ってリコが言った。
「通過列車しか来ないのか、この駅は」
愛理香は何も言わなかった。
「沙織、見た?さっきの列車」
「え、なに?」
「人、乗ってた」
それって、つまりどういうこと?
「ひょっとして、と思うんだけどさ。これが沙織の夢だったとして、そこにわたしがはいってきたことになるよね?」
「うん、そうだね」
「でもさ、それっておかしくない?詩乃とかみたいに変な能力があるっていうのならともかくさ。どうして沙織の夢に入っていけるん?」
わたしは確かに、と思った。最初からリコがいたから変な気してなかったけど、考えてみたらおかしい。
「愛理香って名前だっけ?ねえ1年。愛理香って呼んでいい?」
リコは愛理香の泣き腫らして赤い目を見た。
愛理香は頷いた。
「愛理香は、えーと5日間目覚めていないわけだけど、これまでに別の誰かと出合ったことはあった?」
愛理香は首を振る。
「詩乃さんには会いましたけど・・・はぐれた後は・・・」
「じゃあさ、詩乃に相談する前はどうなんだ?夢の中で誰かに出会ったことはある?」
「ない、です」
リコは頷く。
「沙織、もう一度詳しく佳奈って子の夢について話してくれないかな。この悪夢から出る方法を考えてみたいんよ」
それはトンネルに入っていく夢だ。
田舎の道を歩いていくとトンネルがある。
トンネルには照明が点いていない。
そんな真っ暗なトンネルに入ろうと思うわけがないのだけど、佳奈は入っていく。
愛理香も同じように入るのだという。
トンネルの中にはバラバラ死体が転がる。
その先は迷宮のように部屋や通路が繋がっていて、そのあちらこちらに死体が転がっている。
生きた人間は一人もいない。
佳奈から聞いた話をしながら、愛理香にも確認をとる。
同じ夢だという。
ただ迷宮で見る通路や部屋は必ずしも同じではないという。
同じ場所にも出ることがあるがいつも同じルートというわけではない。現実にある場所らしいところに出ることもあるけれど、そこは密室で。ドアは別の密室に繋がっている。
そのあたりは、さっきリコと二人で通ってきた感じに良く似ている。
「でもさ、沙織。わたしら、トンネルには入らなかったよね?」
わたしは頷く。
「言ってみれば夢の途中へいきなり入っちゃった感じだよね?」
「そうかも」
「てことはさ、これは沙織の見ている夢でもわたしが見ている夢でもないってことにならない?」
「どうして?」
「そのトンネルに入るっていうのがさ、この夢の導入なわけでしょ?佳奈って子も、愛理香もこの夢に入るときは必ずそうするわけだから。なのに、わたしらは違った。てことはさ、これは誰かの夢に入っちゃってるってことにならないかな」
確認するようにわたしの目を見た。
「じゃあ、誰の夢なの?」
「普通に考えれば、愛理香の夢だよね」
そう言いながら愛理香の方を見た。
けれど、とわたしは思った。
「さっき、わたし、自分の見ていた夢そっくりの空き家に・・・」
「そうなんだよね」
リコは頷く。
「沙織の生まれた日のカレンダーがある家だよね。愛理香、その悪夢の中で空き家に入ったことは無い?」
愛理香は困惑した目でリコを見返した。
「空き家っぽいのはありましたけど・・・」




