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目覚めない夢

「沙織、はっきりしたね。絶対に現実じゃないね、これ」

どうして言い切れる?

どうして?


「沙織、冷静に考えてみて。もしもこれが現実だとしたら、世の中の電話番号が突然に変わってしまったことになる。でなければ、電波があるのに繋がらないはずがない」

「こっちが圏外なのかもしれない」

「冷静になって、沙織。圏外ならそもそもかからないでしょ」

うん、そうだ。その通りだ。そんな当たり前のこと、言われなくてもわかるはずだ。冷静にならなくては。

「現実じゃないとしたら、わたしたちは今、何処にいるんだろうね?」

わたしは答えられなかった。

嫌な予感だけは確かにあった。たぶん、きっとそうなんだろう。けれど、まだ認めたくない。

「まあ、いいや。先へ進もう。何処か明かりのある場所まで行かなきゃ」

リコは歩き出した。わたしはスマホをライトの代わりにするのはやめた。電源を入れておくことさえ恐ろしい気がした。

「廊下みたいだけど、学校の廊下じゃないよね。窓無いし」

ペンライトが廊下の先に階段があるのを照らし出した。上と下、どちらか。

リコは少し迷って下へ降りる方へ進んだ。

「さっきの部屋が使っていない教室だとすれば、ここは3階のはずなんだよね」

そう言いながら進んでいく。階段は踊り場で折り返した。さっきから窓はひとつも無い。一階分を降りる。リコは立ち止まらずにそのまま階段に進む。もう一階分を降りた。

「さっきが3階なら、ここは1階だよね」

感情のこもらない声だった。たぶん、リコも信じてなかったんだと思う。

「なんでそんなに冷静なの、リコ」

リコは笑ったように感じた。ふっと息を吐いた音がしたからだ。

「冷静ではないよ。けど、現実でないなら有り得ない事が起きても不思議じゃない。意味がわからなくても仕方が無いって思えるでしょ。本当の自分がどうなっているのかは心配だけど」

ペンライトが揺れた。辺りをライトが照らし出す。さっきと変わらない廊下に見えた。

「出口っぽいところはなさそうだね」

リコが再び歩き出した。わたしは手を引かれて歩いていく。


ドアがあった。

「開けてみる?」

リコがペンライトで照らしながら言った。

「けど・・・」

言いかけたけれど、リコはドアノブに手を伸ばした。

ガチャっとドアが開く。

金属の軋む音がして光が廊下に差し込んだ。

まぶしくてわたしは目を細めた。

「入ろう」

リコはドアの内側へ進んだ。わたしは恐る恐る踏み入れた。最初に見たのはすごく太いパイプだった。天井に何本ものパイプが通っていた。薄暗い蛍光灯が照らしている。

「天井がない部屋なんだね」

リコが感想を述べる。

「ビルなんかだと、天井裏はこんなだよ。内装工事前の状態」

リコはペンライトを消すと先へ進む。

わたしは辺りが見えるようになって少し安心した。

「どこへ行くの、リコ」

「わかんない。わかんないけどさー、なんか調べないと出る方法もわかんないじゃん?」

部屋の真ん中まで来るとリコが立ち止まった。

それほど大きな部屋でもない。

教室の半分くらいだろうか。壁に本棚がある。上半分はガラスでいくつかの本が並んでいた。

その傍らに古いタイプの冷蔵庫があった。

リコは本棚の方へ歩いていく。ガラス戸を引くが開かなかった。

「本を読むことは出来ない、か」

リコは納得したように頷く。傍らの冷蔵庫をちらっと見ると、わたしの方へ向いた。

「沙織。何か、知ってるよね?」

「え?」

「さっきから、何か言いかけてはやめてるよね?」

わたしは黙ってリコの顔を見ていた。

「ここが何処なのか、沙織はわかってる、そうでしょ?」

少しリコは怒っているように思えた。

「うん」

小さな声で答える。

「わかってる、と思う。けど、言うのが怖かった」

リコはほっと息をついた。

「そっか。まあ、なんにもわかんないよりはいいね。それで、ここは一体何なの?」

わたしはどこから話していいのかわからなかった。

「沙織、うーん。じゃあさ」

そう言って冷蔵庫を指差した。

「アレの中身、答えてみて」

わたしはその白い冷蔵庫を見た。

中身なんかわかるわけないじゃん、と思って、でもその中に何があるのか容易に想像ができてしまって恐ろしかった。

「沙織、何が入ってるの?」

リコが問い詰める。わたしは小さな声で答えるしかなかった。

「死体」

リコはため息をついた。

「やっぱりね。わたしもそうだと思ったよ。確かめることはしないよ」

リコはそういって本棚から離れた。もちろん引っ張られるようにわたしも部屋の中央へ戻る。

「これってさ、夢でしょ。なんかわかんないけど、沙織の夢の中でしょ」

リコが断言するように言った。

「夢の中では本は読めないんだよね。情報量が多すぎるから、無理なんだってさ。だから夢を見てるって思った。けれど、それにしては沙織がリアル過ぎなんだよね。手の感触とか息遣いとか、本物過ぎるっていうか。だから、沙織の夢の中にいるんじゃないかって思ったわけ」

そこでリコは言葉を区切る。ちょっと考えて続けた。

「なんでわたしが沙織の夢の中にいるのかはわかんない。というか、二人とも同じ夢の中に迷い込んだっていう感じなのかな?」

「うん」

わたしは頷いた。

「リコには話してなかったんだけど・・・」

「なにを?」

「これは佳奈って言う子が見ていた悪夢なんだと思う」

「はあ?」

リコはあきれたように言った。

「誰の夢だって?」

「去年のクラスメート。去年の夏に佳奈は悪夢を見続けていて、それで学校に来なくなった。その後、病院で治療していたんだけど良くならなくて」

「それから?」

「詩乃が、それを助けたらしい」

「ごめん、よくわからないわ」

「詩乃は他人の夢に自由に入れるらしいんだよ」

「それ、本気で言ってる?」

リコは驚いた顔でわたしを見た。そうだよね、そんな話、信じられないよね。

「詩乃は他人の悪夢を持ち去ることが出来るらしいの。それで佳奈も詩乃に悪夢を持っていってもらって」

リコは笑い出した。

「おかしいよね。おかしい話だってわかってるんだけど・・・」

リコは空いている右手でわたしの言葉を遮った。

「いやいや、おかしいなんて思ってないよ。わたしを誰だと思ってるん?桜木リコ様だよ?どんだけ怪談やら不思議な話を集めていると思ってるの?」

リコは嬉しそうにわたしの腕を振った。

「いやあ、散々いろんなスポット行ったのに。こんな近くに興味深い人物がいるとは思っていなかったわ。そうか、詩乃はそんなに凄いやつだったのか」

「信じてくれるの?」

「まあ、いちおう。確かに変な夢っぽいところに現実にいるわけだし?」

現実っていうのも、おかしいか、とリコはつぶやいた。

「それで、佳奈っていう子から夢を持っていって、それでどうなったの?」

「なんか、その悪夢をみんなが見るようになった」

「みんなって、誰のこと?」

「去年のクラスメート」

「ふーん。そういえば聞いたことあるわ。夢の中に出てくる女の子に学校で出会う話。そうか、あれって詩乃のことだったのか。都市伝説っぽくってイマイチよく調べなかったけど、掘り下げるべきだったのか」

「それで、そのうちの何人かの夢に入って、詩乃が連れ出したって聞いた」

「それは誰の話?詩乃本人からっぽく無い話し方のような気がするんだけど」

「うん、佳奈から聞いたの」

「つまり、悪夢は拡散していっている、と。そりゃあ佳奈っていう子が怪しいよ」

「佳奈がわたしに話してくれたのも、そう言われたくないからだって。拡散しているのは詩乃なんじゃないかって」

リコは考えているように見えた。

「そうか、それもそうだね。だって実際にさっきいたのは詩乃なんだもんね」

「それとね、詩乃が悪夢から連れ出した先で事件とか事故とかが起きている」

「なにそれ」

リコが興味深そうなトーンで聞き返した。

「クラスメートの男子の時、どっかの道路へ出たって言ってた。悪夢から抜け出す先は、どうも現実にある場所らしくって。それで、その時刻、同じ場所っぽいところで交通事故で人が亡くなっている」

「関係あるのかな?」

「たしかね、リコの怖い話にあったやつだよ。高速道路の高架下で、直線道路なのにハンドルを切り損ねてっていう」

「よくあるパターンだけど、この街限定ということなら場所はわかる」

「たぶん、それ。今年の1月21日」

「飛び出してくる男女を避けようとしてドライバーが死んだやつだよね。けど、飛び出したやつはいなくて」

「その飛び出したのが悪夢から出てきた詩乃たちだって思うんだ」

「すごいな、それは。それでどうやって消えたんだ?」

「消えたというか、悪夢から出てきたら目が覚めるらしいんだよ。目が覚めたら消えるんじゃないかな、そこでは」

「そっか」

「それともうひとつ。ショッピングモールのやつ。緊急停止してしまうエレベーター」

「あれも詩乃のせいなのか」

リコは驚いて声を上げた。

「詩乃に助けてもらった子が翌週にエレベーターに乗っているときに閉じ込められた」

「ああ、遠藤サツキって子でしょ。本人に会いに行ったことあるわ。たしか2-1にいたよね」

「たぶんなんだけど、佳奈がそのエレベーターで死体を見た。腕とか足が無い死体だったって」

リコが入ってきたほうのドアを見た。

「さっきの部屋で見た男の死体みたいなやつかな?」

わたしはぞくっとした。そんなこと思い出させなくてもいいのに。

「遠藤って子に聞いた話じゃ、死体を見たとかっていうのじゃなかったな。ただの故障だって。ただ、何度も故障するんだよね、あのエレベーター。調べた限りじゃ建設中のイワクもなかったんだけどさ。そうか、誰も知らないところでイワクつきになっていたんだね。他にもあるのかな?」

「その二つしか知らない。けど駅の地下道も愛理香っていう子の時に詩乃が連れ出そうとした場所なんだ」

リコは、え?という顔でわたしを見た。

「どういうこと?」

「先週の木曜日に、詩乃はわたしを連れて愛理香っていう1年の子に会ったんだ。それで悪夢から助けるって言って詩乃のマンションで睡眠薬を飲んだ。それから愛理香は目が覚めてない」

「失敗したのか、詩乃は」

「わからないけど、そうみたい。それで出てきたのが駅の地下道で」

「翌日、駅構内で人身事故・・・偶然なのかな?」

リコは本棚の方を見ていた。必然的に冷蔵庫に目が行く。

あの中身は見てはいけない。

「詩乃が悪夢から出てくるところは、同時にこっちからも入り込みやすい、ということになる」

リコは言葉を切った。

「つまり、悪夢が現実に繋がってしまっているのかもしれない」

だとしたら、とリコは続けた。

「現実に繋がっている場所からなら目覚めることが出来る。詩乃はどうやって現実へ戻るの?」

「佳奈は、なにもない壁に向かって詩乃が手を引いたと言ってた」

「何も無い壁?」

「詩乃以外には見えないんだって」

「それじゃあ・・・お手上げじゃないか」

リコは悩むように目を閉じた。

「仕方ない。先へ進もう」

リコは入ってきたのとは違う扉へ進み始めた。わたしは仕方なくついていく。


扉の向こうは洞窟のようだった。

けれどなんとなく明るかった。壁に白熱電球が取り付けられていた。

「ああ、これはなんかの鍾乳洞だね」

リコがため息をついた。どこかで水の流れる音がしていた。空気が冷たい。

「ねえ、リコ。あれ見て」

わたしは頭上を指差した。先のほうに光が見えた。電気の照明ではない、太陽の光だと思った。


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