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ハナミコの村-4




 太陽が南中してしばらく経った。学人は気分転換に征義さんの家を出た。


 時計は二時を指している。刻限は迫っていた。藤島さんによると、例年は夕方五時から、あらぞめ祭の始まりを告げる太鼓が打ち鳴らされるという。


 出かけ際、学人は大晴にひょんな投げかけをされた。


「ぽっと出の大学生が解ける謎じゃなかったのかな」


 思ったことを、ふと口にしただけだろう。


「どうだろうか」


 その時「でも」と言いかけたのは、確かである。一見すると散らばったように見える欠片。あと一つ、それも中核を占める何かが見つかったなら、砂鉄が引き寄せられるように、欠片と欠片の端部が迎合していくように思われる。


 しかし、学人は虚ろだった。押田先生の遺したメモ書きを持っていながら、未だ全ての手がかりが、自分の少し奥方で、浮遊しているのである。潔く白旗を上げても良かった。学人は「どうだろうか」と口にした自分自身を、少し歯痒く感じた。


 十方村の棚田は、通常のそれより褶曲しているように見える。傾斜が強いためか、ひとつの区画が細長く作られているようである。村の端部からは全体が見渡せるが、少し視点が変わるだけで、水田の数がずいぶん異なるように錯覚してしまう。


 その光景をぼんやりと眺めながら、学人は頭の中で十方村の謎を整理した。


 六十数年前、村は抗争の最中にあった。原因は藤島出岡両家による、ハナミコの継承争いである。時を同じくして、押田先生がマムシによる不審な死を遂げ、『紅の村は』のメモ書きを遺した。メモ書きの意味するあらぞめ祭と花美枯。そして宮司である田辺は、何かを知っている。


 学人はゆっくり目を閉じた。鼻からたくさん取り込んだ空気は、頭に届かないほどの冷たさで、終いには瞼の裏にも、平穏な春の風景が浮かんだ。そこにかつての抗争の面影はない。


 そうやって二歩、三歩と進んでいると、四歩目で学人の足音が消えた。


「あいった……!」


 道路の曲がりに気付かず、田んぼの畦に落っこちてしまったのである。階段を踏み外すように落下したため、臀部の辺りを痛めてしまった。枯草がクッション代わりになったのが幸いだった。


 畦には黄色いタンポポがぽつりと咲いていた。春満開の時候といえど、咲き誇っているのは桜ばかりではない。学人は、落下による心拍数を抑えるように、タンポポの花弁を見つめた。手に届くか届かないかの所に咲くそれは、寝転んだ学人の目線と同じ高さである。


「一度離れるか」


 ポケットから大晴の謝罪文を取り出す。これでも見て頭を休めれば、何か思いつくかもしれない。


 学人はゆっくりと紙を開いた。大よその文面はこうである。


「藤島ハナミコ様へ、昨日は酔いに感けて無礼を働き申し訳ありませんでした。僕はほろ酔い、挙句に藤島さんの振舞い、薄紅色の装いに、ひと時の夢を見てしまったのです。誠に軽率でした、どうかお許し願います」


 学人はそっと紙を閉じた。


 いやはや酷い内容である。黙って謝罪だけすればいいものを、ひと時の夢だの妙に気取っているのが滑稽である。韻を踏んでいる辺りも癪に障る。


 だが少しの後、学人は思い直して再度謝罪文を開いた。何かが神経を詰まらせる。声にするだけでは分からない、文字に起こして初めて見えたものが、ある気がする。


 暫し考え込んでいると、来た道の方から、自分の名を呼ぶ声が届いてきた。それも聞きなれた声である。


「学人」


「……大晴か」


「ずいぶん探したよ。こんな所で寝そべって」


「悪い悪い。田舎の雰囲気に浸ってた」


「珍しいね。転んで動けないのかと思った」


「そんなヘマはしないさ」


「まあいいや。ところで、さっき出岡さんが訪ねてきたんだ。今ここにいるよ」


 学人はくいっと顔を上向けた。収納された寝袋のような体格の男の向こうで、ビール瓶のような肩幅の女性が佇んでいる。


「どうしたんですか」


「昨晩のことで……」


 相変わらず風に押し戻されるような小声である。


「昨日のことで謝りたい、だってよ」


「はて」


 学人は畦から道路へ這い上がった。出岡さんは白のカーディガンを羽織っていて、両手で藁の束のようなものを抱えていた。


「何か、気を揉むようなことがありました?」


「全てが知りたい、なんて言ってしまって」


「ええ……」


「藤島さんに聞きました。田辺さんにまで、会いに行かれたようで」


 フィールドワークの邪魔をしてしまった、と言いたいようである。謎を探究するのも踏査の延長だから、一向に構わないのだが、それよりも彼女に頭を下げさせた自分が嘆かわしい。


 学人はふと、出岡さんの持っている藁の束に目が移った。


「それは?」


「稲飾りです。あらぞめ祭で、籠天狗の役をする方が持つんです」


 藁にチガヤか何かの色褪せた葉が括り付けられ、先端では穂が揺れている。釣り糸をもみ殻に通して作られているようである。


「そういえば、どうして出岡さんが持ってるの?」


 大晴が訊いた。


「実は代々、出岡家がこの飾りをつくっていまして」


「天狗の飾りを」


「はい。最後はハナミコの手に渡ります」


 昨日の征義さんの話から組み立てると、恐らく村を荒らし、稲を手に踊り狂っている籠天狗を、ハナミコが撃退するという筋書きだろう。よく見ると稲の束は二つに分けられている。


 しかし、出岡家のみ稲飾りを作る伝統があるというのは、どうも訝しい話である。


「藤島さんの家には、そうした伝統がないんですね」


「……ええ」


 ともすればこれは「本当のハナミコはどちらか」の問いに直結する話かもしれない。出岡さんは謙遜したような、或いは躊躇したような、難しい表情を浮かべた。


「出岡さんは、ハナミコが二人いることを、どうお考えですか?」


 口をついて出たのは、先ごろ藤島さんにしたのと同じ問いかけである。


「フィールドワークのためじゃなく、これは僕自身の単純な疑問です」


 出岡さんは目を伏せた。まるで滔々と水路を駆け抜ける水の模様へ、心を任せているようである。棚田に沿って敷かれた水路では、花びらが止めどなく流れ去っていた。


「困ってはいるんです」


「自信がない、ということですか」


「それとは少し違って……」


 申し分ない春の気温なのに、出岡さんはカーディガンの裾を握って、寒がるような仕草を見せた。


「こんな気持ちでお祭りを迎えていいのか、すごく悩ましくて」


「こんな気持ち?」


「何か、もやもやしたままで……きっと、真実を知らずに起こってしまったのが、かつての争いだったと思うんです」


 絞り出すような声に、学人は思わずはっとした。彼女の「全てが知りたい」という言葉は、十方村全土を案じたものではないか。それはよそ者の学人が、察することのできなかった感覚であった。


「も少し調べてみようか、学人」


「言われなくてもそうするさ」


 二人が息を奪い合うように掛け合うと、出岡さんは微笑みを取り戻した。


「じゃあ出岡さん。この時期にマムシって見かける?」


「はい?」


「言葉足らずにも程があるだろ」


「ああ、そうか」


 学人は一度咳をした。


「例の大学の先生のことです。実は調べた結果、先生はあらぞめ祭の前後に、マムシに咬まれて亡くなられたようでして」


「マムシに?」


 やはり出岡さんは、不自然だと言わんばかりに、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「やっぱり妙ですよね」


「この時期は、マムシどころか蛇すら……でも」


「何か心当たりが?」


「はい……この先に、蛇の寝座(ねぐら)という所があって、そこには蛇がたくさんいて、マムシに咬まれた方も、多くいると聞きます」


「そこへ案内してもらえますか?」




 鬱蒼とした森に苔生した石積み。稲飾りを置き、破竹の繁茂した道をかき分けると、何やら有り難そうな場所へ辿り着いた。


「ここが蛇の寝座かあ。遺跡か何かなの?」


「元々は、祠が建っていたそうです。ずいぶん昔に、嵐で飛ばされたようですが」


「蛇の巣って感じが出てるね」


「俺の耳元で言うな」


 学人は身震いしていた。石積みの脇では水が湧いていて、いかにも蛇が好みそうな、じめじめとした空間である。


「祠があった場所はどこですか?」


「この上です。裏から回ると登れます」


「じゃあ学人が先頭だね」


「どうしてだ!」


「そこは、言われなくてもそうするさ、じゃないの?」


 何という猪口才な奴だろうか。鬼の首を取ったように笑う大晴を前に、学人はいつの間にか拳を握りしめていた。


「あの、私から行きましょうか」


「……いえ、俺が先を歩きます」


 学人は渋々、枯葉のたまった山道を歩き始めた。


 石積みは学人の背丈より一メートルほど高い。その隙間の一つ一つが、まるで配管の中のように暗んでいて、今にも蛇の細長い舌が出てきそうである。


 裏へ回ると、苔生した岩が複雑に交差していた。


「注意して下さい」


 出岡さんの言うように、手でどこかを掴まないと、岩の道はかなり不安定である。学人は慎重に岩の表面を探った。押田先生が、あらぞめ祭の時期にマムシに咬まれたという事実は、未だ否定しきれていない。


 だが存外、何の発見もなく三人は石積みを登りきった。


「あー、手が冷たい。蛇もやってらんないね」


「まあ確かにな。ここは日陰だし、気温も幾分か低い」


 鬱蒼とした森では、届く日光の量が少なく、わずかに斑模様が揺れているだけである。学人はふと石積みの奥、山の斜面の僅かなスペースに配された石碑に目が移った。


「猿、田、彦……」


 経年劣化して読み取り辛いが、石碑の表面には確かに猿田彦という文字が彫られている。


「出岡さん、この石碑なんですけど」


「あ……実は私も、疑問だったんです」


「何? どうしたの?」


「石碑の文字だ。猿田彦とある」


「誰だよそれ」


 大晴は物憂げな表情を浮かべた。


「日本神話の神さ。天狗のモデルだ」


「天狗の!?」


 いつか日本神話のレポートを依頼された時、猿田彦のことを調べただろうか。顔が赤く鼻の長い、変わった面持ちの神である。猿田彦は何百年か前に既に、天狗と同一視されていた、そんな文脈に触れた覚えがある。


「じゃあここでは、天狗が信仰されてたってこと? 出岡さん」


「少なくともこの石碑は、そう示しています」


 十方村では、天狗は忌み嫌われる存在である。それがどうして、立派なお城付きで信仰されていたのか。畏怖の対象として祀られたのだろうか。


「あらぞめか……」


 ふと、頭の中で奇妙な振動が起きた。


 学人はそのまま、一筋の太陽光を浴びて深呼吸した。


 山あいの集落に眠った謎。奥まった歴史の語る真相。三度ほど呼吸をした時、奇妙な振動は消え失せ、学人の脳裏に美しい写実画のような額が残された。どうやら自分の仕事は全うできそうである。


「蛇の寝座を利用して、誰かが押田先生を殺めたのを、事故に見せかけたのかな」


 ふと、大晴が耳打ちしてきた。


「大晴」


「何?」


「後で、話すことがある」


 額に手を押し当てながら、学人は囁いた。


「……ショータイムの予感だね」




 午後三時。山から降りると、太陽はまだ燦々としていた。だがもうハナミコ達が巫女装束を着付ける頃合いである。


「私は、神楽の準備に」


「色々と迷惑をかけました」


「いえ、あまりお役に立てなくて。神社で、待ってます」


「ゆっくり着替えて下さい。僕らもふらふら向かいますから」


「……ありがとうございました」


 そう言ってお辞儀をした後、出岡さんはバネのような勢いで後ろを向き、小走りに去って行った。


「変わった人だね」


「まあ確かにな。年頃の女性にしては口が重い」


「そうじゃなくてさ。学人にこんな先行き不透明な仕事をさせるなんて、珍しいなって」


「難しいことを言うんだな」


「そうかな。学人は他人の喜ぶ顔が好きなんだって、勝手に思ってたけど」


 学人は空気を吸い込みきらないまま、中途半端な溜め息をついた。


「実に勝手な見立てだ」


「まあ、それはいいや。話ってのは?」


「……検閲の結果だ。こいつは返す」


 例の謝罪文を取り出して開き、大晴の鳩尾へ押し込む。すると大晴は「ええ! そんなあ」という具合に不満を漏らした。


「この芸術が分からないって言うの?」


「分からないな。でも今の俺にとっては実に羨ましい。無知は特権だからな」


「特権ねえ」


 大晴は腹を擦りながら、遠方を見つめた。


「もしかして十方村の謎も、掘り返さない方がいいって言うの?」


 無知な癖に相変わらず察しだけはいい男である。学人は途方に暮れるように俯いた。


「でも思うなあ。無知が特権なのは、岡田大晴が阿呆だからだって。阿呆じゃない人は、自分の無知に傷ついてしまうだろうからね」


 それを聞いてふと、出岡さんの言葉を思い出した。真相を知らぬまま起きたのが、かつての抗争だったと。


「ひとまず感謝はしておこう。藤島さんへは俺が上手く謝っておくさ」


「本当? いつにも増して気前がいいね」


「まあ仕方ない。その謝罪文も一役買ったからな」




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