ハナミコの村-3
「あらぞめ祭はこちらであるんですよ」
藤島さんはツアーガイドのような調子で手のひらを上向けた。普段着なのか、灰色のパーカーは派手とは言えないが、これはこれで落ち着いた趣がある。
学人は昨日、酒の席で村人からとある提案をされていた。
「田辺君と話してみたらどうだい」
それが避けては通れぬ道だということは、薄々分かっていた。大学の人間を忌み嫌う理由と、押田先生の不審死。田辺が、かつて古文書の見つかった神社の宮司であることを加味すれば、真っ先に切り込まねばならない人物であることは明白である。
でも気は進まない。藤島さんが仲介を申し出てくれたのはいいが、彼女も難儀には思っているだろう。昨日の様子から察するに、田辺から「奴らは悪の源流だ」とでも吹き込まれているに違いない。
昨晩は出岡さんへ聞こえの良いことを言ったものの、今朝起きた時から、それが言い知れぬ重圧になっていた。よく考えれば、また面倒事を引き受けてしまった恰好である。加えて今回の案件は謎解きであるから、解明できなければ最後、「跳ばしすぎる踏み台」という二つ名すら失ってしまう。
学人は「楽しみにしてますよ、ハナミコさん」、などと口にした時の自分を俯瞰した。何と生意気な顔をした男であろうか。
「藤島さんは、ご準備とかないんですか?」
「お祭りは宵から始まるので……十五時から白衣と緋袴に着替えます」
「緋袴?」と疑問符を打つと、藤島さんはとっさに「すみません。巫女装束のことです」と加えた。
山桜が踊り場の両側に配されている。枝のひとつが不調和に石段の方へと垂れこんでいて、その花弁が学人の鼻に当たると、清らかな生命の香りが頭の隅々にまで行き渡った。
「いい匂いですね。何と言うか、香水から石鹸を引いたような」
「ふふ、面白い発想ですね」
藤島さんは両手で口を覆った。昨晩、酒に酔った大晴に言い寄られ、平手打ちを見舞った人物とは思えない。
石段を登りきると更にたくさん、二十本近い山桜が咲いていた。
「この境内の桜は、樹齢二百年と言われています」
「山桜ってそんなに長く生きるんですね。桜は百年そこそこで枯れるものってイメージだったんですけど」
「種によって違うのかもしれませんね。ですが、こうして先祖が守ってこられたので」
藤島さんは山桜の一本にそっと手をかけた。ソメイヨシノに比べて枝の色が目立つが、幹には布が巻かれていて、枯れないように大事にされていることが分かる。
「神楽はこちらであります」
神社全体は割りあい平凡な造りをされていた。参道の脇に手水舎があり、先へ進むと柿葺きの拝殿が構えている。
拝殿の脇に、男が一人佇んでいた。
「田辺さん」
中肉中背だが、その男は熊のような顔つきをしていた。面持ちに変化はなくとも、悲しみや怒りが表立って窺えるような、そんな印象である。「君がか」という素っ気ない語気を聞く限り、学人は「取っ付き辛そうな人だ」と改めて感じた。
「糸美学人と申します」
「よく来てくれたね」
田辺の語気には、およそ感情が込められていなかった。歓迎の言葉でさえ、遠回しな皮肉のように思えてしまう。
「糸美さんには、あらぞめ祭を見てもらいます」
藤島さんが伝えると、田辺は「いいんじゃないかい」と言って、参道に落ちていた小石を拾い、脇へ放った。普段から難しい人と聞いていたから、想像の通りではある。
「田辺さん、ひとついいですか」
「何だい」
「僕は地域調査をしていまして、その関係上、大学の書庫で昔の資料を漁っていたのですが」
何と言われるか知らない。だがもう後には引けない。
「……かつて大学にいた、押田という先生をご存じですか」
田辺は山桜を見ているだけで、顔色ひとつ変えなかった。だが、何となく空気の様子が変わって、実に多くの事実が学人の頭の中で構築された。恐らく田辺は押田先生のことを知っている。そして今、自分を虫の好かない男だと感じている。
「村の歴史は知っているだろう」
「……はい」
「今さら掘り返すことじゃない」
また小石を拾うと、田辺は先ほどより強くそれを放り投げた。
「よそ者は黙っていればいい」
春といえど、まだ三月である。桜の風景には似合わない冷えた空気が、この時、学人の胸へと押し寄せた。
二人は石段を下った。
「どうせダメ元でしたから、気にしないで下さい」
精一杯に体を縮めて謝る所作は藤島さんらしく、それを止めさせようと、学人はひたすらに優しい言葉をかけ続けた。
「宮司さんのおっしゃることも最もですから」
「普段はもう少し柔らかい人なんですが」
田辺の言い分にも無理はない。何十年かけて築き上げられた村の平穏。それはもう伝統なのかもしれない。もし虚構の上に成り立ったものだとしても、伝統を上塗りする資格が自分にあるのか、甚だ疑問ではある。
しかし田辺は、総代の征義さんすら知らぬ押田先生について、何かを心得ているらしい。恐らく宮司の家系に伝わっていることがあるのだろう。そしてそれは何にせよ、口外できない事実なのである。
石段の数は百近い。木々が、石段を避けるようにトンネル状に植わっていて、独特の奥行きを与えている。
「押田先生という方は、何か重要なことを知っていらしたのでしょうか」
「うーん」
山桜のある踊り場まで下った時、学人は足を止めた。
「あらぞめ……」
「はい?」
「あらぞめ祭って、寂しいようですけど、どこか温まるような響きですよね」
「本当ですか。そうおっしゃる方は初めてですよ」
藤島さんは笑っている。出し抜けに妙な口を聞かれ、苦渋しているような笑顔である。
何かを切り出す時、この粋人ぶった語りは実に使い勝手がいい。というのも、藤島さんには改めて訊かねばならないことがあった。それは昨晩、出岡さんと話した時から、ずっと喉の奥に引っかかっていたことである。
「紙が重なって……」
山桜には祭り用の紙垂がぶら下がっている。藤島さんが背伸びをして、花の中へ身を埋めていた時、学人は口を開いた。
「藤島さん」
「は、はい」
「実は昨夜から気になっていたことがあって。失礼を承知で訊きたいことがあります」
「何でしょうか?」
身を翻した藤島さんの服には、何枚か花びらが付いている。
「ハナミコさんって、本当に花のお巫女さんなんですか」
単刀直入の問いかけで、薄化粧に華やいだ表情が、どんより陰った。その曇りを隠すかのように、藤島さんは踊り場の先端まで歩を進めた。
「……最初からお話するべきでしたね」
石段から吹き上がる風で、彼女の後ろ髪はふわりと靡いている。
「もちろん巫女の意味もあるでしょう。でも、それは本来ではありません。初めて知る方はいつも驚かれるんですが……」
藤島さんは一度呼吸を置いた。
ところで、この時学人の頭にあったのは、押田先生のあのメモ書きである。
『紅の村はあらぞめに、花は美しく枯れてゆきました』
昨日からこの一文に引っかかりがあった。
「実は、『花が美しく枯れる』と書いて、ハナミコと読むんです」
疑念は事実であった。学人は無意識に、地面へ落ちた花びらを見回した。枯れるという字を使って花美枯さんとは、何か深い意味がありそうである。
「伝統的に受け継がれた名前のようですね。初めは先入観で花のお巫女さんだと思ってしまって……」
「もちろん言葉遊びもあるでしょう。ですが花は必ず枯れるもの……そんな季節の移ろいが、この漢字に当てられたんだと思います」
藤島さんは「よく気付かれましたね」と続けた。勿論、押田先生のメモ書きがなければ素通りしていたところである。学人がそのことを話そうとした時、花びらが二枚ほど藤島さんの手の平へ舞い込んだ。
「でも私は花の巫女さんのつもりですよ」
藤島さんはまた笑顔に戻った。
「なら良かったです」
「でしょ?」
心なしか、今までより気の抜けた様子だった。
「藤島さんは、ハナミコが二人いることをどう思ってるんですか?」
「いっちゃん、いや出岡さんもハナミコの漢字のことは分かっています。真相がどうであれ、彼女が受け止められる伝統なら、私に拘りはありません」
藤島さんは花びらを握った。
真相という響きが学人の脳裏を刺激し、「全てが知りたい」と言った出岡さんの表情がぼんやり浮かんだ。
昼、部屋に戻ると大晴が寝転んでいた。
「暇じゃないのか」
「忙しい時間が全てを忘れさせる、と言いたいんだね」
「いや別に」
昨日、藤島さんに叩かれたことを引きずっているらしい。学人は一部始終を見ていなかったが、パチンという無情な音だけは記憶にある。
「ひとまず大晴に伝えておこう」
藤島さんからは大晴に言伝してもよいと許しを得ている。彼女の名前を聞くなり大晴は意気消沈したが、構わずハナミコの表記について話すと、彼は驚いた様子で目を見張った。
「じゃあ、押田先生の残した言葉って、あらぞめ祭とハナミコのことだったんだ」
「まあそういうことになるな」
「田辺って宮司の人も、良からぬ秘密を持っていると」
メモ書きの事案は一旦落ち着いた。しかし核心に行き着いたわけではない。『花美枯』という表記には依然として奇妙な後味がある。押田先生の死と関連があるのだろうか。
「ところで学人。家にスマホの充電器を忘れて来たんだけど」
大晴がふと、どうでもいいことを切り出した。
「どうせ明日帰るんだ、我慢できるだろ」
「いや、学人の携帯が旧式のオンボロな以上、これは重要なキーアイテムだよ。充電はあと十パーセントほど残ってる」
「それで何ができるって言うんだ」
「押田先生のフルネーム、分かる?」
それを聞いて学人は舌を巻いた。昔の人と言えど、なるほど学者ならば検索で何かしらヒットするかもしれない。
「押田史雄だ。歴史の史に英雄の雄」
「りょうかい」
大晴は魔術師のような手捌きで指を動かした。検索結果を見回す。
「参考文献ばっかりだな」
「まあ六十年以上も前の人だからね。やっぱり文献の引用にちょこっと書いてあるくらいしか……」
「……いや、ちょっと戻ってくれ。今の」
流し見ている中、学人は一つだけ異質なページがあることに気付いた。
「ブログだな」
早速表示してみる。
「ネット初期の日記サイトって雰囲気だね。テーブルもフレームも、一からタグをつけて作成しましたって感じ」
大晴が日記を読み上げる。
「十五年も前の日記だよ。なになに。『今日は車に乗り込もうとした時、何かを踏んづけてしまいました、それは何と蛇だったのです、足元を見ていなかったので気付かなかった、しかもよく見るとマムシではないか……』」
そして重要な段落に差しかかる。
「『結局、咬まれませんでしたが、危ないところだった、夏は好きだけれど灯台下暗し、気を付けましょう、そういえば私の出身大学で、押田史雄という先生が、マムシに咬まれて亡くなったと聞いたことがある』……」
「マムシに咬まれた?」
学人は不審に思った。押田先生の遺したメモ書きに沿って考えると、彼はあらぞめ祭の前後に十方村にいたことになる。三月はまだ生物が活気づく季節ではないのではないか。現に昨夜、縁側にいた時も虫の音など聞こえなかった。
「大晴、マムシの生態を調べてくれないか」
「あいよー」
学人にはこれまで、爬虫類の生き様を知る機会がなかった。山村と縁のないシティで暮らしてきた身だから、蛇はあまり見たことがない。最後に見かけたのが、家のすぐ近くの側溝を這っているアオダイショウだったろうか。卒倒したのは学人の方だった。
「とりあえず爬虫類大百科ってページだけど」
そのウェブページを覗くと、日本の爬虫類・世界の爬虫類と区分けがされていた。見出しの隣にとぐろを巻いた大蛇の画像が載っている。学人は寒気を催しながらマムシの項を探した。
「あったあった、マムシ」
大晴の方は恐怖心がないようで、難なくマムシのリンクをタップした。
「どうした学人」
「いや爬虫類が苦手でな、どうも直視できない」
学人は俯いた。大学生にもなって克服できないということは、爬虫類嫌いは一生治らないのだろう。蛇やトカゲの肌質を一目見ただけで、全身がその質感に追いつめられたような感覚になって、身の毛がよだつのである。
「まあこのページを見てよ。マムシの活動時期が書いてある……一応四月には動き始めるみたいだ」
「そうなのか」
学人は深呼吸して画面に目を向けた。
「でも、春先は活動が鈍いんだってさ。気温二十度以下だと攻撃性も落ちるみたい」
「うーん、何とも言えないな。動物には個体差もある」
その後も他のページを開いたりしてリサーチを続けた。しかしネット上にある限りで、三月の死亡事故など見当たらなかった。無論、戦後復興期のデータまで載せているページはなかったが、押田先生の死因に対しては不信感を抱かずにはいられない。
「本土にいる毒蛇といったら、あとはヤマカガシだけだよ。毒性はマムシより強いけど、臆病な蛇で死亡例はほとんどないみたい」
ひと通り見終わったところで、スマホの電源が落ちた。
押田先生の死因は、あまりに不自然だ。仮に捏造されたものだとすれば、どうして先生の死因はでっち上げられたのだろうか。それこそ、かつての十方村の抗争が関係しているのだろうか。
「まあストレートに考えれば、ハナミコに関係する何かへ口出しをした押田先生が、何者かに殺められた、って筋書きになるね」
「仮に事実だとしても、そんなこと声高らかに言えるはずないな」
その後しばらく、沈黙の時間が続いた。もはやフィールドワークの枠を超えてしまっている。
「学人、頼みがあるんだけど」
ふと大晴が申し訳なさそうに正座した。人差し指と中指で一枚紙を挟んでいる。
「これ、藤島さんに届けてくれない?」
「何だこれ」
「謝罪文だよ。昨日の」
「自分で渡せばいいだろ、いい加減にしろ!」
「だってあの人怖いんだよ」
学人は溜め息をついた。そして大晴の絞り出すような「お願い」という声に負けて、謝罪文を受け取った。
「他人を便利屋だと思ってるだろう。でも検閲はさせてもらうからな」