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ハナミコの村-1




 その名を聞いた糸美学人いとみまなとは動転した。


「ハナミコさん?」


「そうです。藤島ハナミコです」


 三月下旬。十方村は季節の変わり目を越えつつあった。まだ色褪せたチガヤが目立つものの、空へと混ざる煙のように、春の気配が村のあちこちへ溶け込んでいる。


「……珍しいお名前ですね。少なくとも自分は会ったことがありません」


 学人は水汲み場で手を漱いでいた。その時、よそ者を珍しく思ったのだろうか、薄紅色の着物に羽織姿の女性が、きょとんと首を傾げながら、声をかけてきたのだった。


 女性から名を訊ねてきた都合、学人も訊き返したのだが、「ハナミコ」という文字列には驚いた。女性で四文字の名は、京子とか翔子とかそういう名前を除けば、ほとんど見かけない。


「突然ごめんなさい。大学からお客さんが来られると、噂で聞いていたもので」


「なるほど合点がいきました。学生の下らない研究で、この村にはご迷惑になりますけども」


「いいえ、外からの方は大歓迎です。ここも例によって過疎集落ですから」


 ハナミコというその女性は、石組みからしみ出る流水へ手をのばした。指先は細く、冬の山中を巡った水に触れるには、ずいぶん心許なく思える。


「そういえば、お二人で来られると伺っていたのですが」


「もう一人は神社の方で桜を撮ってると思います。写真が好きな奴なんで」


 振り返って神社の方を向くと、傾いた日差しがぎらぎらとしていて、学人の目を焼いた。額の上へ手を翳すと、日光が四方八方へ分散して、叩き起こされた村の風景が澄明に映った。山あいの集落特有の、落ち着いた風景である。


「長閑な場所だ」


 学人は呟いた。たまに風流人のような口を聞いてしまう時があるが、この癖はしばらく直せそうもない。


 一方、女性は応答しなかった。半分独り言だったから仕方ないが、ウンとかスンも口にしないのは、どうも奇妙である。


 再び水汲み場の方を向くと、彼女は東西を失ったように、目を泳がせていた。


「すみません」


「はい」


「……そろそろ、失礼します」


 学人は「ええ」とだけ口にし、女性を見送った。草履の乾いた足音が、そそくさと遠ざかっていく。


 一体どうしたものだろうか。女性の行く先を窺うと、坂道の頂点で、壮年の男が腕を組んで立っていた。黒基調で白いラインの走ったジャージを着ている。彼が何を思っているか定かでないが、視線は鋭くこちらへ向けられており、それは獣が縄張りの中から敵を威嚇する光景と重なった。


 学人はそっと背を向けた。ハナミコという女性は、脳裏にイメージされる田舎の娘さんとは少し違ったが、着物の袖丈が丁度良く、小ざっぱりした人だった。しかしあの男は誰だろうか。言葉は悪いが、せっかく出向いてきたというのに、非礼な輩もいるものである。どうやら、よそ者を歓迎しない村人もいるらしい。


 学人は腑に落ちぬ胸中のまま、神社の方面へ歩き出した。




 面倒事を呼び寄せるカリスマは存在する。学人はそれが事実だと思っているし、自分がその第一人者であることを知っている。


 十方村へ至るまでの顛末は、まさにその好例である。


「僕もね、やる気はあるんだけど、なにぶん新しい研究室で、ゴタゴタしていてね」


 新任の迫田准教授は、研究室へ重たそうな段ボールを抱えて来るなり、間延びした口調で言った。大方、講義で宿題を課してきた時と同じ物言いである。研究の一翼を下請けに出そうという思惑が、学人には手に取るように分かった。


 学人の進んだ文化人類学コースは、学部に新設されたばかりの研究室であった。過去に文学部と法学部が再編され、法文学部になった際に消滅した分野が、数十年かけて復活したのだという。


 新設ということは、悉く一からのスタートとなる。研究室の旗揚げという名目で、机や本棚を運び入れ、骨折りの苦労をした段階で、既に嫌な予感を抱いてはいた。


「ご存じのように、ウチは社会基盤と人間心理の動向を調査していく。でもひとつ問題があってね、指導教員の僕がその社会のことを詳しく知らないんだ。したがって皆に課された使命は、かつて調査対象だった地域を調べ上げ報告する、ということ」


 尚さら自分でやればいいじゃないか、という切り返しを許さぬかのように、迫田はいそいそと、段ボールから古本を取り出した。


「ご覧のように四か所ある。まあ、これから十年二十年とお世話様になる場所と思えば、やりがいもあるだろう。ひとまず好きな所を選んでほしい」


 本は三つの山に分けられ、一番端っこにメモ用紙が配された。その紙を指差し、迫田は「ここだけ例外的」と、あたかも地雷の場所を教えるように呟いた。


「じっぽうむら……?」


 ある学生が紙上の走りを読み上げた。


「そう、十方村。だいぶ昔に踏査されたらしいけど、まともな資料がなくってね。恐らく現地に行ってもらうことになる」


 例によって学生たちは「ここは絶対嫌だ」と、口々に言い放った。「春休みは葬式があるからな、嫌だ」と宣言する者さえいた。遅れをとるまいと、学人も「嫌だ、嫌だ」と漏らした。


 だがその時、不自然なことに学人の声が浮き立ち、嫌だの往来がぱっと鳴り止んだのである。室内にある視線という視線が、ちらちらと彼の方へ注がれる。


 憂き目に遭わされそうだという予感が、声帯の辺りで丸い筒をつくって、反響させたのかもしれない。学人は戸惑った。それと同時に「またか」と自嘲した。「糸美が行きたそうだな」という迫田の振りがやって来たのは、間もなくのことだった。


 昔から厄介事を頼まれやすい嫌いはある。覇気が足りないのかもしれないし、或いは生まれつきの垂れ目のせいかもしれない。加えて何かを断るときの、例えば「身内との用事が」という常套句を突きだすことへ、幾分か躊躇いがあるのだ。


「嫌なことは嫌と、はっきり言うべきだ。しかし自分は嫌と言えない」


 物の見事に自己完結した人生観は、既に出来上がっていた。


 だが学人も試行錯誤・独弦哀歌の暮らしをしてきた男である。素直に「踏み台でございます」と挙手しているわけではない。彼は頼まれた面倒事、引き受けた厄介事を、至極丹念にやり遂げてきた。学部の友人から、「日本神話の考証」というレポートの執筆を依頼され、わずか千円の報酬で、三十ページの論文を書き連ねたこともあった。


 殊さら不純な動機を抱えている訳ではない。相手の驚いた顔を見たい、ただそれだけの理由だった。そう思うと不思議なことに、作業が楽しくなっていくのである。


 何はともあれ、学人は自分を「跳ばしすぎる踏み台」と自負している。面倒な現地踏査とはいえ、引き受けたからには、その二つ名を汚すわけにいかない。




 岡田大晴おかだたいせいは鳥居の近くに座っていた。


「いやあ、ごめんごめん。探した?」


 相も変わらず頼りない風体である。小太りのせいか、石段から立ち上がる動作はアシカのようである。


「大晴が方向音痴なのは知ってるからな。必要なら電話してる」


「なるほど、最高にお呼びじゃなかったんだね」


「少しはゆっくりしたいんだ」


 眼鏡を上げ下げしてふざける大晴に、学人は冷たい言葉を浴びせた。新作のゲームがどうのこうの、日頃興味のない話を延々とされているから、遠回しに釘を刺した形である。


 そういえば村へ至るまでにもストレスがあった。電車でヒールを履いたOLに足を踏まれ、駅前で知らない老人に説教を食らい、おまけにタクシーでは熟睡する大晴に涎を垂らされ、実に多くの肉体的精神的苦行を強いられたため、つい憮然としてしまうのである。


「それなら、学人が見つけた十方村の謎ってのを教えてよ。大学の先生が関係してるってやつ。気になって落ち着かないんだ」


「まあそれは後だ。とりあえず挨拶だけさせてくれ。五時に伺うと電話してある」


 不満げに口を窄める大晴をよそに、学人は農道を歩き始めた。ひとまず上田征義さんという十方村総代の自宅へと向かう。


「ところで神社には何かあったのか?」


「明日お祭りがあるらしくてさ、その準備をしてたよ。写真撮ったんだ」


 大晴はポケットからスマホを取り出した。


「桜もいっぱい咲いてたけどね」


「一眼レフで撮ったんじゃないのか」


「撮ったよ。でも学人に見せる用じゃないんだ」


 首からぶら下がった重厚なカメラが、大晴の鳩尾の辺りで揺れている。しかし風光明媚なこの村でスマホの操作とは味気ない。都会の喧騒から離れたムードが、学人の体表面のどこかで、あっさりとひび割れていった。


 画面を覗くと、数本の桜と神社が写っていて、その脇に祭具が入っているであろう段ボールが山積みになっていた。中年の男性が、紙垂を通した縄を木に括り付けている様子も見て取れる。


「この辺の桜は、ソメイヨシノと違う種類なんだって」


「どおりで散るのが早いんだな」


 学人の足元では、薄紅色の花びらが渦巻いている。大学の桜はまだ開花直後だったから、早咲きの品種らしい。


「まあ、桜は散り際が一番美しいって言うからな。ちょうど良かった」


「花の大学生って感じだね」


「それは皮肉と受け取っておこう」




「いやあ、遠い所からご苦労だったなあ」


 学人が呼び鈴を鳴らすと、中から初老の男性が現れた。


「こちらこそお世話になります」


「おっ、礼儀正しいなあ。村に住むかい?」


 男性は首にタオルを巻いていて、如何にも農家さんという出で立ちをしている。「わはは」と笑う声を聞く限り、この人が例の上田征義という人らしい。電話口で話した時と同じく、大らかで気の良い人という印象を受ける。


 挨拶の後、二人は中へと入れてもらった。靴を脱ぐ所では土が固められていて、いかにも古風な民家を思わせる。開いた襖の向こうには二間続きの和室が見えており、畳の香りと芋煮の匂いが混ざったような香気が漂っていた。


「広いですね!」


「そりゃあなあ。羨ましいだろう」


「都会の暮らしに飽きたら、こういう所に住んでみたいです」


 大晴は初対面の人でも難なく打ち解けるから、連れて来て良かった。


「電話で言い忘れたんだが、ちょうど明日お祭りがあるんだ」


「ええ。先ほど知りました」


「年に一度のことだから、しっかり見て行くといい。今日の晩御飯も楽しみにな」


「ご迷惑になります」


「まあ気にする必要はないさ。こう見えて金持ちだからなあ」


 家の広さを見る限り、冗談か本当か判然としないが、征義さんには格別な気を遣わなくて済みそうである。口の中で銀歯が幾つか見え隠れしている。



「それより、祭りを見るなら紹介しておきたい」


 征義さんが和室から出て行くと、二人もそれに続いて行った。廊下は焦げ茶色で、どの柱にもこぢんまりした水彩画が吊るされていた。


 廊下を曲がった後の突き当たりに、襖があったかと思うと、征義さんは小声で「いいかい」と囁いた。都会育ちの学人にとって、奥まった日本家屋は何だか迷路のようで、眼福を得たように周囲を見回してしまう。ここは一番裏手のようで、脇には立てつけの悪そうな勝手口が半開きになっていた。


「入るよ」


 八畳間には顔を毛糸で埋めた時のような香りがしている。鴨居の下をくぐってみると、卓袱台の向こうで、またも着物姿の女性が、顔を俯けて座していた。


 着物の色あいは相変わらず薄紅色だが、紋様は些か単純で、鮮やかな菱文様である。彼女が蚊の鳴くような声で、恐らく「こんにちは」と会釈すると、学人と大晴は「どうも」と返した。


「この子は明日の祭りの主役さ。村の象徴ってとこだ」


「象徴?」


「そう、古くからの伝統でな」


 すると征義さんは女性に、自己紹介を促した。


「……出岡いずおかハナミコと言います」


「ハナミコさん!?」


 ほぼ同時に口を走らせた。部屋の隅には古風な化粧台があり、彼らの少し間抜けな表情を捉えている。女性の方は、俄かに困惑した仕草を見せるでもなく、下の唇だけを緩めて、躍動感のない笑みを浮かべた。


「あの」


「何だい?」


「ハナミコさんって、二人いらっしゃるんですか」


「……何だ、君はもう会ったのか。あの子はまだ、田辺君と村歩きの途中だからなあ」


 征義さんは箪笥の上に乗った真鍮の時計を見た。大晴は案の定、「二人ってどういうこと?」と興味津々である。勝手に居なくなったくせに、その後の出来事をずけずけと詮索する。大晴にはそうした悪い癖があった。


 毎度の報告かと思っていたちょうどその時、勝手口が「きい」という音を立て、ゆっくり開いた。「ただいまです」という声は、先ほど会った方のハナミコさんのものに違いなかった。


「いい時に来たな」


 小さい歩幅で勝手口から中へ入ると、彼女は事態が飲み込めないのか首を傾げ、鈴の簪をりんと鳴らした。


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