違和感の行方
やはりドアの向こうでは誰かが盛大に暴れているらしく、ドタバタ、ドスン。ガチャンといった音が鳴り止まない。
近寄ると声もはっきり聞こえて来た。
「くそっいつもいつもっ!チクショウ!!」
この部屋の住人に何かがあったらしい。初老男性は俺と顔を見合わせると、ドンドンと力強くドアをノックした。
「おーい太田さん、またやられたんか?大丈夫なのかね?」
パキャッという音を立ててドアが開く。俺の部屋とは大違いで重厚そうな扉だ。
そしてその隙間からボサボサ頭の気が弱そうな中年男性ー太田さんーが、にゅっと顔を出した。
「いやぁお恥ずかしい。そうなんです、またなんですよ管理人さん。」
「やっぱりなぁ太田さん、近所迷惑ではあるんだけれどもさ、そりゃお気の毒に。早く止めてくれると良いんだけどねぇ。」
管理人さん?この人が?俺の知っているのはもっと若くて痩せている人だ。いつの間に変わったんだろう?それにこの太田さんって…そんな住人居たかな?
少しだけ部屋の中が見える。家財道具は少なめで小奇麗にまとめられており、住人である太田さんの几帳面さが伺える。窓も高級そうでしっかりした物だ。
…ん?あれだけ大騒ぎしていたのにもかかわらず部屋には全く乱れた様子が無い。どれだけ器用な暴れ方したんだよ?
するとその太田さんが俺を見つけて話しかけてきた。
「いやぁご迷惑をお掛けしてしまい申し訳無い。僕の部屋、よくイタズラされるんです。今もそれで困っていまして。」
「ああ、そうなんですか……。」
このアパートでそんな事が起きていたとはまるで知らなかった。しかし大問題には違い無い。
俺は続けて訊ねてみた。
「あの、警察には届けてあるんですか?もしくは警備会社とか…被害にもよるでしょうけど。」
「ありがとうございます!警察はたまに取り締まっているみたいなんですが殆ど効果が無いんです。警備会社は無理なので、それに僕が追い払おうとしたら逆に面白がられてしまい余計に来る様になってしまったんです。」
ではそれで何か物に八つ当たりしていた、という事なのか?勿論このままで良い理由は無い。何とかしなければ。
「それってストーカーなんじゃないですか?悪質ですよ!それにこんな頑丈そうなドアや窓で戸締まりもしっかりしてそうなのに…入って来るなんて…えっ?これで入れるって一体どんな奴なんですか?。」
俺の問いかけに太田さんは少し言い難そうな顔をして答えた。
「何者か分らないんです、何人もいますし。」
特定の人物では無い?ストーカーとは違うのか?それって…。
「うーん、それじゃあまるでお化けですね。」
ふと口から出た言葉だった。しかしそれを聞いた二人は肩を震わせながらクスクス笑っている。
失礼な!そりゃあ真面目な話の最中に“お化け”は無かったかも知れないが、クソッ。
それにしても何かがおかしい。この人達との会話にしても態度にしても、こう何処か噛み合っていない感じがする。
その上もう面倒臭いし、これ以上は関り合いにならない方が良いのかも知れない。
さっさと部屋に戻ろう。すっかり損した気分だ。
視線を廊下に向ける。しかしそこには、いつものアパートの光景は無かった。
今しがた初老の男性ー管理人さんーと一緒に歩いて来た範囲だけは辛うじて建物の体を成してはいるものの、その他については壁にしても床にしても何れも靄がかかった様にぼんやりとしていて輪郭すらも確認出来無い。建物の反対側に見える筈の外の景色もぼやけてしまって薄明るいだけの何だか分からない物になっている。
廊下は遥か彼方まで続いていて、先の方は真夏の陽炎みたいに空間が歪んで見える。
パニックを起こしそうになるのを必死で堪えつつ頭の中で状況を整理する。もしや異世界にでも迷い込んでしまったのだろうか?ていうかそんなの本当にあるのか?でもあの部屋は確かに俺の住まいだし。
…訳が解らないよ。とにかく今この場所が一体何なのかを確かめなくては。
俺が慌てているのを察知してか、二人がこちらを見ている。いや、しかし今度は“異世界”だなんて言った日には死ぬ程笑われてしまうに違い無い。ここは何とか誤魔化しておかねば。
「そういえば外も廊下も、霧が出てますねぇ?かなり天気が悪いみたいだ。」
その言葉に顔を見合わせる二人。
「ああ、やっぱりそうか。忘れちゃったのね。」
そして管理人さんが一言、俺に告げた。
「いゃあね、あのさ…君もう死んでるんだよ。」
「はい?」
「だから、お亡くなりになられたの!」
えっ? 俺、死 ん で る の ?