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勧誘活動は昼の休憩を挟んで、午後まで行われた。

昼食は湯島さんが予め用意して置いてくれた弁当を、人気のない場所でこっそりと食べた。マスクだけは外すことを許されたが、

そして午後も立ち続けた。写真を求める学生の頼みに応じてポーズを取ったり、握手をしたりを繰り返した。

日が傾きはじめ、新入生の姿もまばらになり、周囲の勧誘の声も収まった頃になって、ようやく僕たちは撤収を始めた。終盤は脳が思考を止め、体が勝手に動いているような状態だった。


トーダインのマスクを外し、その下に被っていた面出しマスクも脱ぎ捨てる。

新鮮な空気が、僕の顔の周りに一気に流れ込んだ。汗にまみれた僕の顔面を冷やしていく。最高に気持ちの良い体験だった。

「おつかれさま!」

先に怪人の装いを脱ぎ捨てタイツだけになった湯島さんが、僕の全身からトーダインの部品を外してくれる。タイツの部分が空気に晒される度に、風の心地よさを文字通り肌で感じることが出来た。

全ての部品が外されると、僕はすとんとその場に座り込んだ。わずかに枯れ葉が敷かれているだけの土の上だったがどうでもよかった。座っていられるというだけでも十分だった。

「ほら!」湯島さんがペットボトル入りのスポーツドリンクを手渡してくれる。

荷物の中にあった分は飲み切ってしまったので、戻り際に生協の売店で湯島さんが買ったものだ、もちろん怪人姿で。僕は流石に店の中には入らず外に立っているだけだったが、周囲の客や店員さんは一体どんな反応を見せたのか気になる。

そうして買ってもらったスポーツドリンク、僕は受け取り様にその中身を口に注ぎ込んだ。買ってから時間が経っていないので冷たさはしっかり残っていた。飲むと同時に液体が体中に染み渡る。口を離すと、残る液体の量は一センチもなかった。

湯島さんもペットボトルに口を付けると、僕の方に向き直った。

「いやぁ、上々の出来だった。言いたいことはもちろんいろいろあるが・・・初めてにしては上出来だったぞ!」

「そりゃ、どうも・・・」流し込んだ液体が絡む喉から出るかすれ声で僕は返事する。

「やはりキミには才能がある。これからも、よろしく頼むぞ!」

「えっ・・・」

当然のように告げられた湯島さんの言葉。

これからも、こんな馬鹿げたことをやれというのか。

体中が悲鳴を上げていた。朝から晩まで異物をまとわりつかせたまま、長時間に渡って立たされ続けたのだから当然だ。

もうこれ以上やるなんてゴメンだ。ヒーローの中身をやるなんて身体を酷使し、その結果得られるものは周囲からの奇異の目だけ、身になるものなど何もない。

もうイヤです、もう二度とやりません。そう告げろ、身体が告げてくる。

「・・・」

でも、僕の口から言葉は出なかった。

その代わりに、僕は小さく、風に揺られたのと見紛う程度に、こくりと頭を動かした。

どうして、言葉が出なかったのだろうか。拒否の意志を表出出来なかったのか。

他人に流されやすい一面があるのは確かだ。小学校の休み時間、一人で本を読んでいたいのに、声をかけられるとあっさり一緒に遊びに行ってしまった。

他人の勢いに負けて、

でも、今湯島さんの言葉に何も言い返せなかったのは、それだけが原因じゃない。

今の僕の心には、何の凝りもない。身体が悲鳴を上げても、心はそれを受け入れようとしている。拒否する意志を示そうとしない。

一体どうして、悪い気がしないんだろうか。

たぶんその理由は、今僕の目の前に立ち、満面の笑顔を浮かべている女性だった。

僕に向けられた、湯島さんの笑顔。元々常人よりも遥かに整っていて綺麗な彼女の美しさが、笑顔によって何倍にも増している。そんな笑顔を見せてくれたことが、僕の気持ちを高ぶらせた。

そうだ、僕はこの人に笑顔を与えられたんだ。今目の前にいる女性の笑顔にするために、僕は役立てたのだ。

その事が、それを思うことが、僕にこれまでほとんど体験したことのない達成感を与えてくれた。

これまで僕は、自分のためだけに生きてきた。東大に入るために、ひたすら勉強を重ねて、知識を吸収し、試験で一点でもいい点を取り、東大合格という目標点に向かってガムシャラに走り続けた。

もちろん親や学校の先生は、僕がよい成績を取る度に僕をほめてくれたが、それは目的ではない、偶然に得られた過程に過ぎない。

結局は、僕自身の満足しか得られなかった。高得点も高偏差値も、中学や大学の合格通知も、それを獲得した僕自身に帰結して終了してしまう。

他人のために、他人を満足させるために行動するという経験は、僕には皆無といってよかった。

今目の前で湯島さんは笑っている。これからの僕の行動に期待を向けてくれている。大学のヒーロー、そして彼女にとってのヒーロー、大学戦士トーダイン

それなら僕は、その期待に応えずにはいられない。

僕の中には、そんな決意が生まれていた。もしかしたら、これは湯島さんの狙いだったんだろうか。嫌々だった僕に半ば強引にトーダインのスーツを着せて、

「さぁ、早く片づけて帰ろう!明日に備えて、ゆっくり休んでくれ」

その言葉に僕は思いだした。確かに、サークルオリエンテーションは今日一日では終わらない。東大の新入生は約3000人。それが一斉に押し寄せることの無いよう、昨日の入学手続きも、今日のサークルオリエンテーションも、二日間をかけて行われ、新入生を分散させるのだ。

明日も早朝に起床し、今日と同じ事をするのかと思うと、さっき立てたばかりの決意は早くも揺らぎそうだった。


翌日の事については、特に言うことはない。やったことは、起こったことは、八割方今日と同じだった。

トーダインのスーツを身につけ、その名前の記された襷を下げ、トーダインの存在を新入生に対してアピールする。

立っている間は、常に誰かのスマートフォンを向けられている状態だった。気を抜いた状態で写真を撮られると、湯島怪人が奇声と共に僕の尻を叩く。

握手を求められる機会は、昨日よりも多かった気がした。「頑張ってください」などと声をかけられると、少し気分も盛り上がった。

そうして一日が終わり、僕はまた疲労しきるのだった。


全てを脱ぎ終えたとき、ふとそのことに気付いた。

「あの、湯島さん」「ん?」

僕の問いかけに、全身タイツ状態の湯島さんが振り返る。

聞くべきか聞かないべきか、一瞬だけ躊躇したが、やっぱり抑えられる疑問じゃない。

「昨日と今日やったのって、新入生を勧誘するための活動ですよね?でも、特撮研に入ろうという人は昨日も今日も一人もいなかったんですが、大丈夫なんですか」

そうなのだ。新入生に対する勧誘を行っていたと思ったのに、入部の意志を示してくれた新入生は一人もいない。

写真は山ほど撮られた。握手も、相手の顔を覚えきれなくなるくらいにはした。

でも、僕たちの活動に興味を持ってくれる人はいなかった。僕たちに向けられるのは色物に対する視線だけで、純粋な興味を示してくれる人はいなかった。

「それは違うな。今回の活動の目的、それはトーダインの存在を、新入生に知ってもらうことさ!ヒーローの雄姿を!」

「つまり、新入生を呼ぶことはどうでもよかった・・・?」

よく考えたら、僕たちの格好も、新入生を誘おうとする態度ではなかった。

ヒーローを表に出すのはいいにしても、周囲に対してアピールしているのはその存在と名前だけ。ヒーロー・トーダインの背後にある組織については、ほとんど表に出していない。湯島怪人がもっていた看板に小さく「東大特撮研究会」の文字が入っていただけだ。最初から、勧誘などは考えていなかったのか。

僕の問いに、湯島さんは取り繕うように

「・・・まぁ、ああしてトーダインを見てくれた新入生の中で、一人でも入ってくれればいい方だと思ったがな。でもいいんだ!」

僕の手をぎゅっと握ってきた。もうお互いに手袋はしていない。ひんやりとした湯島さんの手の感触が、僕の手に直に伝わってきた。

「キミが入ってくれたからな、本郷三四郎君!こうしてトーダインと怪人を並び立たせることが出来たし、新入生にも大評判だった!ありがとう、本当に感謝している!」

目をキラキラと輝かせて告げられるその言葉に嘘はないと思った。ヒーローについて話すこの人は、完全に子供だった。悪く言えばバカ、よく言うなら純粋。数日ふれあうだけでも、その事は十分に分かった。

そして僕は、そんな彼女の期待に応えたい、そう思ってしまった。

「さぁ、今年の東大特撮研の活動は、まだまだこれからさ!」

思わず夕日を見てしまいそうな、そんな台詞だった。実際はもう日は既に傾いているうえに、今いるのは林の中なので、太陽は隠れて全く見えなかったけど。

僕は恥ずかしさを隠すために、周りに散らばったパーツの片付けに専念することにした。

「そうだ、キミの協力によって、一つ可能になったことがあるんだ。聞いてくれるかな?」

純粋に、僕にお願いをする目だった。一体何を頼まれるのか、僕は心の中で身構えた。


家に着いたのは19時頃だった。春分を過ぎて一週間とはいえ、この時間はもうかなり暗い。

部屋の窓からは灯りが漏れている。どうやら母は既に帰ってきているらしい。

僕は両肩に抱えた巨大な荷物と共に、扉を開けて玄関の中に入った。無言のままそっと部屋へ向かおうとしたが

「おかえり・・・どうしたのその荷物」

出迎えてくれた母が、僕の姿を見て驚く。自分の胴体ほどの大きさがある袋を、二つも抱えて帰ってきているのだから、当然の反応だ。

どう説明すればいいものやら。出来れば母の目に触れることなく、自室まで運びたかったのだが、見つかってしまった以上仕方がない。

「えぇと、先輩から預かり物頼まれちゃって。あ、部屋に置いておくから気にしなくていいよ」

事実を端的に伝える形になった。確かに事実だ、嘘はない。

そして僕は母から逃げるように階段を上がっていった。

「重そうね・・・気を付けなさいよ」母の気遣いに心の中でそっと感謝した。


部屋の隅に、その荷物たちをそっと置いた。

「くれぐれも丁寧に扱うように!」湯島さんの言葉が頭の中で反響する。

部屋の隅に、袋に入れられた状態で置かれていても、何となく威圧感を感じてしまう。

二日間僕の身体を包んでいたトーダインが、パーツ毎にバラバラになって、今僕の部屋の一部分を占めている。不思議な感覚だった。そしてその横には、湯島さんが着ていた怪人のスーツが入った袋も

湯島さんの指示で、僕はこのスーツを持ち帰り、干さなければいけなくなった。

二日間連続で着たため、スーツにも汗やら何やらが染み込んでしまっているからだということ。大学には保管場所はあっても、スーツを干しておける場所はないらしい。

幸い、僕の家は両親が共働きで昼間は家にいないことが多い。時間さえ見計らえば、目を留められる事なく干せるだろうということで、僕はその指示を承諾した。

とりあえず、スーツの処理は後回しにして、ベッドに横たわった。このまま寝入ってしまいそうだったが、まだ夕飯も食べていない。

僕は目を覚まそうと、携帯を見ることにした。昨日は夕飯を食べてそのまま寝入ってしまい、翌朝も慌てて登校したので、携帯を確認する暇はほとんどなかったのだ。

SMSで、湯島さんからメッセージが入っていた。「おつかれさままたこれからもがんばろう」メールを打ち慣れておらず、SNSはおろかEメールすら知らないのだろうか。今度教えて上げよう。

次に見たのは、lineのメッセージ一覧画面だった。

一番上に「東大ドリームクラブ」の文字。

忘れていたことが一気に思い出された。

新入生勧誘の状況や、昨日行われたコンパの状況がノートに書かれている。そして今現在もコンパは行われていることが、メッセージにより伝えられていた。

そうだ、二日前の飲み会の時に、北沢さんから団体に是非来て下さいと誘われ、そしてlineまで登録してもらったのだった。

結局、行くことは出来なかった。僕はずっとヒーローになりきって、周囲から奇異の視線を向けられ、写真を撮られ、立ち続けていたのだった。

北沢さんや大前さんの顔が頭に浮かんだ。

後悔がないと言えば嘘になる。

しかし、最初は流されたとはいえ、今は自分で選んだ。ヒーローとして活動していく道を選んだ。

その事を誇りに思おう、僕は自分にそう言い聞かせた。

「ご飯出来てるよ~」

母の声が聞こえた。僕は飛び起きて部屋を飛び出した。


結局僕は、心の中に若干の葛藤を残しながらも、道を進むことになった。

東大特撮研の一員として、そして大学戦士トーダインとして、大学の中で活動し続ける道を。

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