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「何アレ!」「アレじゃない?何とかレンジャーみたいなの」「うわっ、前歩いてる化け物キモいなぁ」「てか、何で怪人がヒーローを引っ張ってるの?」
喧騒の中に混ざる僕たちに向けられた声、マスク越しでも聞こえた。
気になってそちらを見ようとするが、首を向けたってたぶん見えない。
僕の前を歩いているのは、異形の怪人。
黒い全身タイツの上に、銀色の胴当てを纏い、その上には刺々しい装飾が施された目だしマスクを付けている。
そいつが、足下の覚束ない僕の手を引いてくれている。
今僕が進んでいるのは、人通りの真っ直中だった。多くの学生が僕の横を通り過ぎていく。多くは僕たちの姿に驚きの表情を向けていた。マスクを被っているとは言え、恥ずかしい。
怪人が、声の方に向けて両腕を高く掲げた威嚇のポーズを取り、奇声を上げる。
「ゲーッ!」
小さな悲鳴が上がる。どうやらアピールは成功したようだ。
しかし僕はといえば、手を離され、その場に一人で立たされる。そして後ろから来た学生に、肩の部分が思い切りぶつかった。
「コラ!何をしている、ヒーローならもっと堂々と、胸を張って歩け!あぁもう、パーツが落ちちゃってるじゃないか」
「そんなこと言ったって、前は全然見えないし、身体も腕も脚も自由に動かないし、息も苦しいんです・・・おまけにこんな人混みだし」
「気合いでどうにかしろ!」無理難題をおっしゃるな。
怪人ー湯島さんは、仕方ないといった様子で僕の手を引き、再び進み始めた。
声に混じって、携帯のシャッター音も聞こえてくる。こんな目立つ姿だ、写真を撮るなという方が難しいというものだ。
それにしても、頼りなさげに歩くヒーローと、そしてそれを犬のように引っ張る怪人。ヒーロー好きの子供には見せられない光景だ。
服を脱がされ、全身タイツを着せられ、その上から次々にパーツを取り付けられることで、僕の姿は変わった、大学戦士トーダインに。
「うむ、体型もばっちりだ!」湯島さんはご満悦な様子だった。
しかし僕の方はと言えば、早くもスーツの下の身体が悲鳴を上げはじめていた。着用した感触は、快適とはほど遠いものだった。
まず第一に、寒い。全身を覆う黒タイツは伸縮性があるだけの薄い布で、保温性は皆無に等しい。10度に満たない朝の空気に対しては何の防寒もされず、
第二に、全身を覆う拘束感だ。胸から腹部にかけてを覆う赤門を模した鎧は想像以上に重く、僕の全身の各所に湯島さんはピッタリだと言っているが、実際はかなりキツい。元々は細身で僕よりわずかに小柄な湯島さんが着ることを前提に作られたものだからだろうか。
手は生地の分厚い白い手袋に覆われていて、自由に動かない。
足は湯島さんが用意した黒いブーツを
そして第三に、マスクに覆われた頭部の状態だ。正直これが何よりも苦しい。まず暑い。マスクは硬質の素材で出来ていて、通気性は全くない。頭部が発する熱は逃げずにマスク内部に溜まっていく。マスクを付けてすぐに、顔が変な汗を発するのが分かった。
加えて空気の逃げる場所がないので、吐いた息もなかなか入れ替わらない。自然と呼吸も荒くなった。おまけにマスクの内側には、鼻をつくような独特の刺激臭が漂っていた。マスク自体の素材が発する臭いだろうか。
極めつけは視界だ。トーダインに眼に当たるバイザーの部分にはごくごく小さな穴が空いていて、中の僕はそこから外をみる構造になっている。しかしその穴は小指の先も通らないほどの小さな穴だ。そこから見えるものなどたかが知れている。マスクを付け終わったとき、目の前に立っていた湯島さんの姿を捉えるのも困難だった。
僕の着替えが完了すると、湯島さんはガサゴソと動き始めた。何とか顔を動かしてそちらの方を見ると、湯島さんが荷物を取り出しているらしいことは分かった。
湯島さんは見る見るうちに取り出したパーツを自分の身体に取り付けていき、あっと言う間に怪人の姿が目の前に現れた。マスクのせいで姿ははっきりと見えなかったけど。
そして彼女はその場に散らかっていた荷物をひとまとめにすると、
「さぁ、行くぞ」堂々と歩き出した。
その後を追おうと一歩目を踏み出した瞬間、僕はよろめいてしまう。顔は異様な者に覆われてまともな視界は確保されず、全身に障害物が付いた状態なのだから当然だ。
「う、わああああ!」倒れる直前に僕は声を上げた。そのおかげで湯島さんは僕の様子に気づき、瞬時に僕の身体を支えてくれた。
「気をつけろ!」
「・・・だって・・・こんなんじゃ・・・歩けませんよ」自分の声がマスクの中で反響した。
「はぁー、仕方ない」
荷物を持っていない右手が差し出された。
「とりあえず場所までは連れて行く。それまでに歩き方を身体で覚えるんだぞ!」
主人に忠実な犬のように、僕は彼女の手を掴んだ。お互いに手袋を付けているのでほとんど感触はなかった。
人の話し声がマスク越しに聞こえ始めると、目の前の怪人はいつの間にか手を離していた。
そして、「ゲーッ!」という奇声を上げながら左右に向けて威嚇のポーズをとった。周りからは歓声や悲鳴が上がる。
しかしそうして歩き回っている内に、僕の身体はしっかりと歩くことを覚えはじめた。それどころか、マスクや胸当てといった全身を覆う障害も、障害とは思えなくなっていた。狭い視界もいつしかそれが当たり前のものとなり、見ることに不自由を感じなくなっていた。人間の適応力というのは恐ろしいものだ。
そして大通りの一区画で、僕たちは立ち止まった。どうやらここが目的地らしい。
ここは駒場キャンパスの中で一番大きな通りである。昨日のオリエンテーションでは、事務手続きを行う校舎に入るために、学生たちが長い列を作っていた。
そして今日も、多くの学生が行き来していた。
その理由は、サークルの勧誘である。
サークルオリエンテーションでは、大学内に存在する多数のサークルが、大学内の各所に用意された教室にブースを設置し、
しかし勧誘はそこだけにはとどまらないようだ。学生が多く行き交う通りの脇には、隙間なく学生が立ち並び、勧誘活動を行っているのだった。
ユニフォームを着て、十人ほどの学生が綺麗に整列して声を張り上げている光景も見かけた。おそらく運動部だろう、視界のせいで何の団体なのかは分からなかったが。
湯島さん演じる怪人と、僕が扮するトーダインも、通りの脇に空いていた空間に入り込んだ。
僕たちの異様な姿に、並んでいた学生が場所を渡してくれたようにも見えたのだが。
湯島さんは抱えていた荷物を下ろした。彼女の身体よりも大きな袋だ。ちなみにこの中はヒーローや怪人の部品に代わり、僕や彼女が今まで身につけていたものが入っている。
どちらもかなりの重さのはずだが、湯島さんはそれを軽々と抱えていた。その
さて、湯島さん演じる怪人は袋の中から、また別の部品を取り出した。
細長い棒の上に、両手を広げたくらいの大きさのパネルが付いたものだ。パネルの上には「東大特撮研」の文字が、整えられた黒字のフォントで書かれている。
怪人は組み立てたそれを両手に持って、人通りの方に近づいていく。「ゲーッ!」という奇声と共にそれを高く掲げた。
通りを歩く人々の視線が一同にこちらを向く。ただでさえ目立つ格好なのに、気勢まで上がればなおさらだ。
湯島さんは低くくぐもった怪人の声で、学生たちに向けて話し始めた。
「我々は東大特撮研!新入生の諸君!このヒーローを見よ!コイツこそ、我が」
マスクに覆われているにも関わらず湯島さんの作るダミ声は、勧誘争いの中に響きわたった。
そのとたん、様々な音が上がりはじめる。「カッコいい!」「うわっ、キモ」といった感想から、スマートフォンのシャッター音まで。
湯島さんはそれに答えるように、様々なポーズを取っている。
いったいどうして、怪人が敵であるヒーローの宣伝をするのか。そんな疑問におそわれながら、僕はぼんやりと立っていたが、突然怪人が
「ゲーッ!」という叫びながら僕に近づいてきた。
「ぼんやりと立っているんじゃない!ヒーローらしく、堂々と立つんだ!」
マスクとマスクがピッタリくっつき、それを通して湯島さんの声が聞こえてきた。
「ヒーローらしい立ち方って・・・?」
「まず足を軽く開く!胴はやや反らしながら前方に構え、そして顎を引き・・・」
怪人の指南に従い、僕は立ちポーズを変える。これがヒーローらしいポーズなのだろうか。自分からは見えないので、当然分からない。湯島さんから何の指摘も入らないのなら、これで合っているのだろう。
しかし慣れない立ち方だ、身体に負担がかかる。
シャッター音は鳴り止まない。新入生のみならず、周囲で勧誘を行っている人も、ビラを脇に抱えて写真を撮っていた。
カメラに向けてポーズを取っていた湯島さんは、ふとその内の一人に近づいた。
「ゲーッ!よければヒーローと一緒に写真を撮らないか?私がシャッターを押してやろう」
「え、いいんですか?ありがとうございます!」
若干戸惑いの混じったその返答は、聞き覚えのある声だった。昨日会ったばかりだが、話す機会が割とあったので、声は印象に残っていた。
大前晶さんが、湯島さん怪人に連れられ、僕の方に近づいてくる。
全身に変な汗が流れるのが分かった。まずい、こんなことをやっていると知れたらどうなるか。知らない人間ばかりだったから周囲の視線はさほど気にならなかったが、知っている人間が目の前に現れたとたんに、不安が蛇のように身体を巻きはじめた。
大前さんは笑顔でこちらに近づいてくる。そして横に並ぶ前に、大前さんはヒーローの顔を正面に見据えた。僕と彼女の目が合う。胸を圧迫されたような感触が走った。
しかし、彼女は何事もないまま、僕の横に並ぶ。
僕に気づいた様子はない、当たり前だ。僕の方はマスクを被っているのだから。そうだ、今僕はマスクを被っているのだから、顔が分かることはない。おまけに湯島さんと違って言葉も発していない。僕だとバレる要素がどこにあるというのか。自分にそう言い聞かせるが、不安は消えない。
「ゲーッ!」怪人は写真を撮るのかと思いきや、さっと僕に近づいてきた。そして耳元に顔を近づけ
「ほら、ポーズが崩れてるぞ!」湯島さんの声で囁いた。大前さんに聞かれたらという重いから、返事の代わりにビシリとポーズを直した。
前に戻った怪人によって写真が撮られ、スマートフォンが返却されると、大前さんは大満足という笑顔を浮かべて、再び僕の方に近づいて、
「ありがとうございます!がんばってください!」と、僕の右手を握りしめた。
されるがままに、僕も軽く彼女の手を握った。そして去っていく大前さんを、そっと手を上げて見送った。
彼女が去ってしまうと、安心と疲れからか、急に全身の力が抜けていくのが分かった。
「ゲーッ!」鎧に覆われていない、全身タイツだけの尻を怪人に叩かれた。
もうどうにでもなれという思いで、適当にポーズを取った。