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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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番外編 流音十六歳、ユラ二十一歳

※本編ネタバレあり


エピローグの数か月前のお話です。

 


 八月一日。今日は流音の十六歳の誕生日である。


 小学生の頃は夏休みに生まれたことを恨んだものだ。学校で友達に祝ってもらえず毎年損な気分になる。 しかしそんなことで拗ねるほど流音は子どもではなくなった。病院で過ごさずに済むだけで随分マシだし、今は自宅で家族に祝ってもらえる。


 誕生日の夜。


「姉ちゃん、誕生日おめでとう!」

「おめでとう流音ちゃん!」


 弟と妹の祝いの言葉で誕生日会が始まり、一斉にクラッカーが鳴った。母がにこやかな表情で拍手をし、父が眉間に皺を寄せながらものすごい勢いでカメラのシャッターを切る。

 幸せな瞬間に、流音の頬は自然と緩んだ。


「ありがとう。陸くん、椎ちゃん」


 縁あって家族となった弟妹は、それぞれプレゼントをくれた。ピンクのシャーペンとメルヘンチックなデザインのノートだ。新学期に学校で自慢することを心に決める。

 新しい家族と同居を始めて一年と少し。すっかり姉バカになっている流音だった。


 両親から贈られたプレゼントは腕時計だ。

 高校に入学して、周りの子が急に大人っぽくなった。時間を確認するとき、携帯ではなくて腕時計を見るのが何だかカッコいい。その話をしたことを覚えていてくれたらしい。

 心からお礼を言って「ぶつけて傷をつけないようにしなきゃ」と流音は文字盤をそっと撫でた。


 母は今日わざわざ有給を取り、腕によりをかけて料理を作ってくれた。子どもたちの好物ばかりで自然と食事は盛り上がる。その後はホールケーキにロウソクを立て、お決まりの歌を歌ってから火を吹き消す。


 きっと、十六歳にもなって家族に盛大に祝ってもらう子どもは少ない。友達の中には父親と口を利いていなかったり、顔を合わせる度きょうだいと喧嘩をしていたり、誕生日は彼氏と過ごすものだと豪語していたり、小学生の頃とはだいぶ変わった。

 家族で仲良く誕生日会をした、なんて言えば表面上では羨ましがられても、内心小馬鹿にされるかもしれない。


 ――でも、やっぱり嬉しい。


 生まれてきたことを家族が祝ってくれる。当たり前のようで特別なことだ。

 流音は、不幸な幼少時代を過ごした少年を三人知っている。


 一人は家族と別れて森を彷徨い、闇巣食いとなって幽閉され、その後ずっと忌み嫌われてきた。

 一人は赤ん坊の時にクーデターで両親を失い、奴隷となって過酷な労働を強いられていた。

 一人は魔力のせいで家族に化け物扱いされ、召喚された世界でも散々な目に遭った。


 彼らと自分を比べて優越感や罪悪感を抱くつもりはない。ただ家族が祝ってくれる幸せを蔑ろにせず、大切にしたいと思う。


 ――うん、私は幸せ。


 流音は何度も自分に言い聞かせて笑った。






 誕生日会が終わり、片づけを手伝って、お風呂を済ませてから自室に戻った。


「十六歳、かぁ……」


 ベッドに寝転がって、流音はオレンジ色のぬいぐるみを抱きしめた。

 お手製のヴィーたん人形である。


 この世界に戻ってきてしばらくは心の整理がつかず、泣き暮らしていた。失踪した間も散々心配をかけたのに、母にはさらに迷惑をかけてしまった。異世界を救ってきたというとんでもない話ばかり娘が口にするのだから、随分肝を冷やしただろう。


 やがて閉じこもっていてもしょうがないと涙を拭き、でもどうしても寂しくて、流音はモノ作りを始めた。手を動かすことで喪失感を誤魔化したかった。

 そしてヴィーたん人形を作った。娘が急に縫い始めたオレンジ色のドラゴンに母はさらに苦々しい顔をしていたが、材料や手芸の本を買ってくれた。迷走気味でも前に進もうとする流音を応援してくれたのだ。その甲斐あって人形はなかなかの出来だ。本物と並べても可愛さは劣らない。


 ――ううん、ヴィーたんの可愛さには敵わないか。


 人形を撫でながら、流音はくすりと笑った。


「初めて出会った頃のユラと同い年……」


 ユラはすごかったんだな、と改めて思う。

 十六歳のユラは森の奥で一人と一匹で暮らしていた。権威ある魔術学院を既に卒業し、生活費は研究で稼ぎ、闇巣食いを自力で治そうとなりふり構わず頑張っていた。

 もしユラと同じだけの魔術の才能があっても、今の自分に彼と同じことができるとは到底思えない。

 自立していて、目的のために邁進して、自分の境遇に対する泣き言は一つも言わなかった。

 そうならざるを得ない状況だったとはいえ、心から尊敬する。


 ――ユラは今日で二十一歳だね。おめでとう。


 ユラはもっともっと大人になっている。五つの歳の差は永遠に埋まらない。毎年一緒に歳を取るのだ。

 彼はどんな大人になっただろう。きっとかっこよくなってる。でも、中身は相変わらずかな。


 ――ちゃんとご飯食べてる? 研究ばっかりして休んでないんじゃないかな。闇巣食いが治ったんだから、もう一人で頑張らなくていいんだよ。


 ずきり、と胸が痛んだ。

 もしも今、ユラの隣に誰かがいたら。

 そう考えるだけで堪らなくなる。どうして自分じゃないんだと叫びたい。


 流音は起き上がって、クローゼットの奥の宝箱に手を伸ばした。

 宝箱、といってもただの鍵付きの収納ボックスだ。誰にも――母親にも弟妹にも触らせたくないから鍵をかけた。この中には十二歳の思い出が詰まっている。


 スピカに教えてもらったモノリス語をつづったノート、アッシュにもらった紙の花、切れてしまったミサンガ、シークが買ってくれたマフラーのロゴ、キュリスの精霊紋、《魔法の杖》のニーニャカード。

 そして、ユラがプレゼントしてくれた赤いリボン。


 向こうの世界での冒険ですっかりボロボロになったモノたちを、流音はずっと大切に保管していた。

 リボンを手に取ると、強引に執り行ったお誕生日会のことを思い出す。

 料理を作りすぎて呆れられたこと、ヴィヴィタのとっておきの果物ジュースがびっくりするくらい甘かったこと、ホールケーキをそのまま食べるという夢が叶ったこと、プレゼント交換にものすごくドキドキしたこと。


 ――ユラはまだ、プレゼントを持っていてくれてるかな? わたしと同じように、今、あのときのことを思い出してくれているかな?


 儚い願いだと分かっている。

 ただ願わずにはいられない。

 同じように胸を痛めていなくても構わないから、ほんの少しだけ思い出して懐かしんでほしい。

 今誰かと笑い合っていても、あのとき二人と一匹で笑い合ったことを忘れないでほしい。


 ヴィーたん人形を抱きしめて、流音は泣いた。

 今日だけは我慢しないと決めている。思う存分ユラを、向こうの世界を想って泣く。


 このまま大人になれば、誕生日が来るたびに泣くこともなくなるだろうか。大人が昔を懐かしむように笑えるだろうか。

 そんな日は想像できない。


 ――会いたいよ、ユラ……。


 昔は病のせいで大人になることが怖かった。ユラと出会ってからは早く大人になりたいと思った。

 でも今はまた、歳を重ねることに恐怖を覚えている。

 ユラとの思い出が霞んでいくのが怖い。

 だから流音は毎年のように強く言い聞かせる。


 ――わたしは絶対に忘れない。


 ************



 八の月の一日。今日はユラの二十一歳の誕生日である。


 そのことを覚えている人間はごくわずかだ。昼に研究のことでチェシャナ夫妻を訪ね、たまたまランチの席で祝ってもらえた。それだってユラにとっては珍事だ。


 ――いえ、そう言えば去年……。


 七の月の終わりにいきなりシークから高価な酒が贈られてきた。これをやるから代わりに厄介な魔物討伐に協力しろ、という腹の立つ手紙とともに。

 酒をどうやって処分しようか迷っている間に迎えが来て、渋々協力せざるを得なくなった。

 魔物は騎士団が手こずるだけあって珍しい個体で、良い経験になった。報酬も酒以外に正式に金銭で支払われたので、全く収穫がなかったわけではない。

 とはいえ討伐に明け暮れ、最悪の誕生日を迎えたのは確かだ。シークと酒を飲んで下らない話をした気がする。思い出したくもない。


「今年はゆっくり過ごしましょう」


 夜、ユラは森の家にやってきた。数年前、流音と暮らした場所。最近は研究のためにあちこち移動することが増え、この家に帰るのは久しぶりだった。改めて見渡すとこんなにがらんと寂しい場所だったかと、密かに首を傾げた。


「ユラおめでとう! 二十一歳めでたいっ!」


「ありがとうございます、ヴィヴィタ」


 人間ではなくとも、ユラには毎年誕生日を祝ってくれる存在がいた。オレンジ色の竜は森から集めてきた色とりどりの果実を並べ、どれでも好きなものを選んでいいと太っ腹に言った。

 その後一人と一匹は食事に夢中になり、静かな晩餐となった。


 食後、ユラは懐からあるものを取り出した。

 流音が贈ってくれた香り袋だ。ヴィヴィタの刺繍が施されている。香りはすっかり飛んでしまったが、中身を入れ替えることをせずそのままにしている。ただでさえところどころほつれてきているのだ。下手に触って寿命を縮めたくなかった。

 この香り袋と古代語の辞書に隠した手紙は、ユラの一番の宝物だった。仮初でも家族だと言ってくれた人からの初めての贈り物だからだ。


「懐かしい。ルゥの手作り」


 ヴィヴィタがユラの肩に飛び乗り、瞳を輝かせて香り袋を覗き込む。その背を撫でながら、ユラは目を細めた。


「ルノンは今日で十六歳ですね」


 おめでとうございます、と心の中で呟いてから、遠い時空に想いを馳せる。

 どのような少女に成長しただろう。

 いつか夢の中で見た女神のごとき姿になっているかもしれないと思いつつも、やはりそれは美化しすぎている気もする。

 なんにせよ、心優しい少女のまま健やかに過ごしてくれていることを祈る。


「来年はルゥも一緒? もうすぐ会える?」


「分かりません。時空移動の目処は立ちましたが、ルノンがこちらに来てくれるとは限りませんから」


 ユラには三年と少し経っても変わらない想いがある。

 ずっと心残りだった。自分とこの世界を救ってくれた少女の望みを叶えてあげられなかったことが。

 流音はこの世界で生きたいと言ってくれた。お別れは嫌だと思ってくれていた。

 だが、最終的には選択の余地なく、元の世界に戻らざるを得なくなった。

 だからユラは研究した。流音の魔力機関を復活させ、再びこの世界の住人になれるようにする方法を。

 彼女にもう一度、未来を選び直す機会を与えたかった。


 ――いえ、違います。俺がもう一度彼女に選び直してほしいんです。


 流音のいない日々を過ごし、ユラは寂しいという感情を抱いた。闇巣食いから解放され、魔術師として確固たる地位を築き、自由に生きていけるようになっても、ちっとも満たされず気が滅入るばかりの日々。これは由々しき事態だった。


 ならば会いに行こうと結論を出し、研究を始めてからはあっという間だった。

 一目会って言葉を交わしたい。できるならこちらの世界に連れ帰り、また一緒に暮らしたい。今度は研究にかまけて放っておいたりはしない。買い物でも祭りでもいくらでも付き合うつもりだ。

 そうしてどんどんと願望は膨らんでいき、同時に焦りが迫ってきた。


 流音が自分を選んでくれなかったらどうしよう。

 彼女は元の世界の家族をとても大切に思っていた。再び別れることを望むだろうか。

 それに、流音はしっかりしていたが、十二歳の子どもだった。子どものときの願いは移ろいやすく、思い出が色褪せるのも早い。

 彼女はもうユラのことなど覚えていないかもしれない。覚えてはいても、一番ではなくなっているかもしれない。

 新しく好きな異性ができていても、ちっとも不思議ではないのだ。今日の誕生日だって恋人と過ごしている可能性がある。なんだかものすごく面白くない。


 ――これは嫉妬なのでしょうか。ということは、俺はルノンに恋をしている……?


 分からない。もしそうだとしたら、冷静に考えて五つ年下の少女に固執する自分は異常だ。

 だが、会いたいという心は紛れもなく本物だった。自分の心を確かめるという意味でも、やはり流音に会いに行かなければとユラは思う。


 流音の幸せを望みながらこちらの世界に恋い焦がれていてほしいと願う。身勝手で矛盾した心を自嘲しながら、ユラは香り袋を懐に仕舞った。


 ――ルノン。どうか、俺のことを覚えていてください。


 必ず会いに行く。

 彼女が大人になりきる前に。

 




再会後のお話も今後投稿していく予定です。



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