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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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エピローグ

 

 ふとした拍子に誰かが言った。

 もうすぐ春休みが終わっちゃう、と。

 その場にいた少女たちは一斉にため息を吐いた。流音も足並みを乱さず、その輪の中で憂鬱さを露わにした。

 断じて演技ではない。昔と違って体調は良好で、毎日学校に通えるありがたさもやや薄れている。


 高校に入学して一年。

 新しい生活に慌ただしく振り回されているうちに季節は巡り、いつの間にか進級の節目を迎えていた。


「いろんなことがあったなぁ」


 久しぶりに集まった中学のときの仲良しグループの子たちは、苦労話をするふりをして高校での楽しい思い出を話してくれた。

 部活で他県に行った、たった三か月で彼氏と別れた、初めて赤点を取って居残った、英語の先生がモデルの誰々にそっくり云々。


 そのうち中学時代までさかのぼり、懐かしい思い出話が始まる。ファミレスに来てからもう二時間以上経っていたが、まだまだ帰れそうにない。


「そう言えば、流音はまだアノ人のことが好きなの?」

「ああ! そうそう。ファンタジーの国の魔法使いのお兄さんだっけ?」


 からかう視線にはもう慣れた。

 流音は堂々と答えた。


「もちろん。この初恋は永遠だもん」


 くすくすと場に笑いが起こる。

 この場にいる子は流音の初恋の相手について嫌というほど知っている。知っていて、全く信じていない。それでも不快に感じることはなかった。笑ってくれるだけありがたい。


 実際、こちらの世界に戻ってきてからしばらく、「異世界で魔術師と生活して世界を救ってきた」と言い張る流音は周囲からは腫れ物のように扱われた。

 しばらくは精神科に通ったし、マスコミから取材の申し入れもあった。


 一年もの間神隠しに遭い、重病から奇跡的に回復した少女。

 センセーショナルなのは分かる。


 真実をこちらの世界の人々に告げたところで信じてもらえない。それどころか気味悪がられたり、馬鹿にされたり、周囲を刺激することは百も承知だった。

 母を不安にさせてしまうのは申し訳ないが、それでも流音は向こうの世界で体験したことを何一つ偽らなかった。


 言葉にして言い続けなければ、夢だったのだと自分で錯覚してしまいそうだったからだ。

 忘れたくない。

 ただその一心で、流音は向こうの世界について語り続けた。次第に周囲が根負けして、「ああ、メルヘン天然キャラでいくんだ……」と諦められてしまった。それは多少不本意だったが、全面否定されるよりはいい。仕方がないことだ。


「流音ー、そろそろ彼氏作りなよ。せっかく可愛いのにもったいない」

「そうだよ。守屋先輩も中松もあんたのこと気にしてたのに」

「デートくらいしてあげれば良かったじゃん」


 流音は軽く笑って流した。


 ――無理だよ。そんな気分になれない……。


 あれから四年が経つ。

 変わったこと、変わらないこと、様々だ。


 背は十センチ近く伸び、電車の料金は大人と同じになった。しかし長い黒髪はそのままにしている。


 原因不明の体調不良は治ったものの、生来の運動音痴はそのままだった。よって運動部に入ることは断念し、高校では料理研究会に入り、日夜新メニューの開発に勤しんでいる。


 一番大きな変化と言えば、苗字が変わったことだろう。

 二年前に母が再婚し、新しい父とその連れ子の弟妹とともに五人で暮らしている。父は寡黙な人でお互いまだぎこちない時もあるが、弟妹とはすぐに仲良くなった。


 学校にも家にもちゃんと居場所がある。

 毎日が楽しくて幸せだ。


 だけどやはり物足りなさはある。


 ――だってユラがいないもの……。


 自分でも困惑するくらい、流音はユラのことを想い続けていた。






 ファミレスでみんなと別れ、流音は帰路についた。

 今日は母が早く帰ってこられるので、久しぶりに外食をする。結局どこに食べに行くのか決まっていない。ハンバーグかお寿司かで意見が分かれている。


 ――みんなで食べたシチューは美味しかったな……。


 一つ思い出すと連鎖的に様々な味が甦ってきた。

 カラス貝の蒸し焼き、鈴リンゴパイ、とろとろチーズのサンドイッチ、ユラが作ったどろどろのフルーツスープ。


 ――ものすごく不味かったけど、もう一度食べたいな……。


 そう思うと同時に呟いていた。


「会いたい」


 胸の奥に封印していたものが弾け、流音は駆け出した。


 ――会いたい! 戻りたい! もう一度ユラのところに……!


 人がいない道を選び、流れる涙はそのままに走った。


 別れ際にユラは言った。これからも同じ時間の中で生きている、だからずっと一緒にいられると。

 あのときは救われた気分になったけど、あれから誕生日が来るたびに切なくて死にそうだった。


 ユラが幸せなら見返りなんていらないと思っていたけど、嘘だ。

 隣にいられなければ意味がない。

 一緒に幸せになりたかった。心を砕いた分だけ報われたかった。

 自分がいない世界でユラが笑っているのは悔しい。


 ーーわたし、全然大人になれてない……。


 やがて息が上がり、足が止まった。

 そうすると後悔の大波も引いていく。


 ――わたしは大好きな人を幸せにした……ちゃんと頑張った。


 自己満足だけど、十分だ。

 初恋は綺麗なまま胸に残っている。この想いが消えることは一生ないだろう。もしかしたらもう誰も好きになれないかもしれない。一生一人ぼっちかもしれない。

 でも、それでいい。感傷と達成感に浸りながら生きていく。それは流音が今手にできる最上の幸福だった。


 息を整えながら再び家に向かって歩き出した。暗い顔をすると母がすぐに心配する。早く立て直さなくては……。

 ふと、目の前を桃色の花弁が舞った。


 顔を上げた瞬間、満開の桜並木に息を飲んだ。


「そう言えば、あのときもこの道を……」


 呟きかけて、言葉を失った。


 ――他人の空似? それとも白昼夢?


 淡い桜の景色の中にくっきりと浮かび上がる黒いコート。

 無造作に伸びた赤茶色の髪と、人形のように精巧な顔立ち。

 面影はそのままに、大人になった彼がいた。


「ルノン……俺の言葉が分かりますか?」


 抑揚のない淡泊な話し方は変わっていない。


「……どうして?」


 流音が愕然としたまま呟くと、ユラは小さく微笑んだ。


「闇巣食いが治り、平穏を取り戻して、これから何をしようかと考えたとき、真っ先に思ったんです。……もう一度ルノンに会いたい」


 躊躇うように一歩ずつ近づいてくる。ユラは初めて見る顔をしていた。緊張して怯えている。もう立派な大人なのに変な感じがした。


「四年もかかってしまいました。でも、魔力を封じて転移する方法も、失った魔力機関を再生させる術も見つけました。俺は今日、きみを迎えに来たんです」


 それは夢のような言葉だった。信じられない。

 流音の心をかき乱すかのように、春風が桜の花びらを攫う。

 目の前に手が差し出された。

 

「ルノン……もしもまだ間に合うのなら、選び直してくれませんか。俺と一緒にいる未来を」


 ユラの言葉が嬉しくて、本当に嬉しくて、流音は差し出された手を無視して彼の胸に飛び込んだ。不意打ちにもかかわらず、しっかりと受け止めてくれた。


 ーー温かい。夢じゃない……。


 紛れもなくユラだ。

   

「本当? ずっと一緒にいられる?」


「はい。今度は絶対に手放しません。そして間違えません」


 流音が顔を上げると、ユラは緊張がほぐれたのか目を細めた。


「ちゃんとご家族に許可を取ってから攫うことにします。俺も少しは成長したでしょう?」


 笑うところかどうか迷っていると、再びユラがぎゅっと腕に力を込めた。 

 愛しさと懐かしさが体中を満たしていく。細かいことはもうどうでも良かった。


 優しい春の光と美しい桜の下、流音の初恋はようやく実った。




 最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

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