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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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92 さよならリトル・オニキス

 

 天使が封印されてから三日が経った。


 この世界の〈不適合者〉になり、流音の体はみるみるうちに衰弱した。周囲に害を及ぼすよりはマシだが、体の不調具合は元の世界にいたときよりもずっと辛く、起き上がるにも苦労する有様だった。


 あの日からユラは寝る間も惜しんで送還魔術の準備をしてくれている。

「元の世界へ帰す」という最初の約束を果たすために。


 流音はモノリス城で準備が整うのを待った。

 そして、寝たきりの状態でこの世界の人々と別れの挨拶をした。


 チェシャナとヒルダ、ゼモンとイティア、レイアとグライがそれぞれ見舞いに来て、感謝と労いの言葉をかけてくれた。

 ヒルダとレイアに至っては涙を流して別れを惜み、胸がじぃんと痺れた。


 世界の救世主、と大人たちは流音を褒め称えていった。流音本人はユラと大切な友人たちを守りたくて必死だっただけで、そんな大規模な志は持っていなかった。ゆえに大げさな扱いをされるのは居心地が悪かった。


 レジェンディア同盟国だけでなく、世界各地の国家からもたくさんの金品をもらった。元の世界に帰る流音が持っていても仕方がないので、〈魔性の喚き〉の被害に遭った土地の修繕や、封印の地の警備に使ってほしいと大人たちに託すことにした。

 しかし、嬉しいプレゼントもあった。


「はい、お嬢さん。精霊のお姫様からの餞別」


 毒花グラビュリアと一つになり、花園と化したキュリスにはもう会えない。しかしシークが代わりにと一枚の紙を差し出してくれた。


「これ……精霊紋だ」


 美しい青の手形に流音の頬は綻んだ。揺らめく波のような色合いをしている。

 戦場の後処理をしていたシークが試しに紙を空にかざしたところ、気づいたらこの精霊紋が押されていたらしい。


 キュリスはまだこの世界にいる。

 世界を見守っていてくれる。

 ちゃんとお別れできなかったことが心残りだったが、この精霊紋を見て憂いが消えた。


「ありがとう、シーク」


「どういたしまして。じゃあ僕は行くよ。バイバイ、お嬢さん。元の世界では元気に生きていってね」


「え、もう?」


 後処理が大変だという話は、寝込んでいるだけの流音でも察せられた。この部屋に訪れる人は疲れを顔に出さないが、それでも王宮がバタバタしているのは感じ取れるのだ。

 だからといってこれはひどい。あまりにも投げやりな別れに流音がしょんぼりしていると、シークはくすくすと笑った。


「きちんと別れの挨拶をしたら、どうせ泣き出すでしょ? お嬢さんの泣き顔は見飽きちゃったから」


「もう……シークの意地悪」


 知らず膨れていた流音の頬を指で突き、シークはついでと言わんばかりにわしわしと頭を撫でた。


「きみは笑っていた方が美しいよ」


 どきりとする言葉に面食らいつつも、流音は涙をこらえて笑った。






 アッシュも最後のお見舞いに来てくれた。

 この城で一番忙しい人物と言っても過言ではないのに、活き活きといろいろなことを語ってくれる。王様としてではなく、友人としての言葉が流音は嬉しかった。


「復旧は大変だけど、何とかなりそうだ。みんな喜んで働いてる。これからの不安がなくなったからな」


「そっか、良かった」


 メリッサブルに襲撃された高等学塾や、デューアンサラトに焼かれたメテルの町も着々と修繕が進められ、明るい活気に満ちている。その作業のため、アッシュは社会的に立場の弱い面々を雇ったという。今までまともな職に就けなかった闇巣食いや転空者、過酷な仕事に駆り出されていた奴隷たちだ。


「オレ、やりたいことがあるんだ。身分階級の差を改善する。つーか、最終的には奴隷を全員自由にしてやりたい」


 古の魔物が浄化されたことで、闇巣食いはいなくなった。〈魔性の喚き〉に与していた者は裁判を受け、相応の罰が与えられる。関わっていなかった闇巣食いも肩身の狭い思いをし続けるかもしれない。奴隷たちはいわずもがなだ。


「難しいことは分かってるけど、でも、オレだからこそできることかもしれねぇ。お前に言っておけば、絶対にくじけない気がするからさ」


 照れて笑うアッシュ。


「アッシュなら絶対できるよ。だって、アッシュはいつだって物語の中の主人公みたいだったもん」


「……それを言うならルノンの方だろ。お前と出会ってから、オレの運命は劇的に変わったぜ」


 目の前に日に焼けた少年の手が差し出された。灰色のミサンガを見て、流音は黒いミサンガをした手で握り返した。


「今までありがとう。これからもアッシュのこと、ずっとお友達だと思ってていい?」


「あ? ああ、うん……お友達、な」


「え?」


 アッシュは自らを律するように首を振り、太陽のような笑みを見せた。


「もちろん! オレにとってルノンは最高で特別なダチだぜ。これまでもこれからもずっとな!」






 数日後、モノリスの王城を辞し、流音はユラやヴィヴィタとともに元々住んでいた森の家に向かうことになった。送還魔術を執り行うためだ。

 その途中、復興途中のメテルに立ち寄ってもらった。


「ルノンちゃん……どうか元気で」


「うん。スピカちゃんも」


 町の復興を手伝っていたスピカと最後の挨拶をする。彼女の足元には豹柄の猫がすり寄っていた。


「この子が例の……?」


「レグメリーちゃんっていうの」


 スピカが抱き上げると「みっ」と小さく鳴き、目を細めた。

 レグとメリッサブルが融合して生まれた新しい生命だ。魔術学会で何度も検査をしたが、闇の魔力どころか魔力そのものが弱く、古の魔物の片鱗はどこにも見当たらないらしい。


「良かった。わたしの魔力がなくなっても、この子が消えなくて」


「大切に育てるの。それに、カードも消えなくて良かったの。ミサンガとこのカードはウチの宝物だったから」


 スピカは〈力〉のカードを取り出して見せた。

 もう二度とこのカードが光り輝くことはない。ただの子ども用のカードゲームに戻ってしまった。


「本当にもらってもいいの?」


「うん。アッシュにもシークにも持っていてもらうことにした。きっと〈薔薇〉と〈死神〉のカードもあの二人のそばにあると思うから」


 もちろんユラには〈オニキス〉のカードを残していく。ただ一枚、目覚めることのなかった〈魔法の杖〉のカードを流音は元の世界へ持ち帰ることにした。

 七枚がそれぞれの手にあることが絆の証のように思える。


「じゃあ、そろそろ行くね……」


 あまり別れを長引かせると、ユラが流音の体調を心配する。後ろ髪引かれる思いで立ち去ろうとすると、スピカが抱きついてきた。


「ルノンちゃん、ウチのこと忘れないでね!」


「もちろんだよ。絶対に忘れない」


 凪の市で石鹸を売ったことも、図書館で勉強したことも、一緒に戦ったことも、全部忘れられない思い出だ。


「お別れは寂しいけど、でも、ルノンちゃんが封印に囚われなくて良かったって心から思うの……だから、もう泣いたりしないの」


 スピカは瞳に涙を溜めつつも笑顔を見せてくれた。

 流音もそれに応えた。


 ――ああ、寂しいな。


 みんなのことが大好きだった。

 この世界のことも大好きになった。


 ――泣いちゃダメ。そんな必要ないんだから。


 もう二度と会うことができなくても、みんなとの関係は変わらないから。

 大好きな気持ちは何もなくならない。



 ************



 最後の日、彼女は穏やかに微笑んでいた。

 旅に出る前のままになっていた家を黙って眺め、いろいろなことを思い出しているのだろう。触れれば今にも崩れてしまいそうで、ユラは声をかけられなかった。


 この数日、上辺の会話しかできていない。

 もう最後なのに、話したいことはたくさんあるはずなのに、想いを言葉にすることがひどく難しく思えて実行できなかったのだ。

 心の動揺を悟られぬよう、ユラは必死に送還魔術の準備に打ち込んだ。元の世界に帰すのが遅れれば遅れるほど、流音の体は蝕まれていく。

 躊躇っている時間はなかった。


「おいら、もうルゥ以外の女の子は背中に乗せない!」


 家の前で別れを惜しむヴィヴィタがそんなことを言い出しても、流音は優しく抱きしめていた。


「ありがとう、ヴィーたん。でも困ってる人がいたら助けてあげてね」


「分かった!」


「ユラのことも、無理しないようにちゃんと見ててね」


「任せてっ!」


「ヴィーたん……大好き」


「おいらもー!」


 そうして一人と一匹は別れの挨拶を済ませた。

 送還魔術は繊細な術式で構成される。絶対属性のドラゴンが儀式場にいるのは何かと不都合だった。


 夜の森、ユラは片手に荷物を持ち、もう片方で流音の手を引いて歩いた。

 二人きりになっても会話はなかった。流音は大人しくついてくる。


 ――ルノン……どうして……?


 夢の中の少女は、一緒にいたいと泣いていた。この世界に留まることを決めてくれた。

 魔力機関が壊れた今、流音がこの世界に残ることは不可能になった。彼女は断腸の思いで元の世界に帰るのだ。

 なのに、彼女は理不尽な別れを受け入れ、落ち着いている。


 ――一人で勝手に大人にならないでほしいです。


 流音が何も言わない以上、ユラが帰したくないと叫ぶわけにはいかない。

 頭では分かっているのだ。

 天使とともに封印に籠らずに済み、流音を生きて家族の元に返せる。これ以上に喜ばしいことはない。彼女の幸せを考えれば一番の結末だ。流音本人もそれを望んだからこそ、薫に封印を託したのだろう。

 ユラにとってもこれからの未来は明るかった。闇巣食いが治り、先の戦いの功績により魔術師としての地位も高まった。報奨金も貰った。これからは誰にも気兼ねせず好きなことができる。やってみたい実験は山ほどあるし、行ってみたい場所もたくさんあった。


 しかし、どうにも寂しかった。ワクワクしない。

 あれほど切望した未来が色褪せたように思えるのは何故だろう。

 たった一人、流音がいないだけなのに。



 儀式場には丘を選んだ。

 魔術円の中央に立ち、流音は夜空をぼうっと仰いでいた。


「寒くないですか?」


「大丈夫」


 冬の寒さは緩み、再び春が訪れようとしていた。

 流音を召喚してから約一年。

 いつの間にか彼女を中心に日々は巡っていた。その瞬間は気づかなかったが、振り返ればかけがえのない時間だった。

 彼女の笑顔、彼女の言葉、全てが鮮やかに甦ってくる。

 記憶力の良い自分の頭を生まれて初めて憎らしいと思った。


「ルノン……お別れです。きみにはどれだけ感謝しても足りません。本当に、ありがとうございました。きみと過ごした日々はとても幸せでした」


 目を合わせるため身をかがめると、小さな少女が首にすがるように抱きついてきた。


「ユラ……わたしも、とっても幸せだった。ありがとう。ずっとずっと大好きだからね。この気持ち、絶対に忘れない……本当は、ずっと一緒にいたかった」


 耳元で聞こえる震える声に、目頭が熱くなった。

 抱き返せば流音の小ささがよく分かる。この小さな体でたくさんのものを守ってくれた。


「……そばにいられなくても、ずっと一緒です。時空は果てなく広がっていますけど、この世界と流音のいた世界は限りなく近い。同じ時間の流れの渦にあるんです」


「そうなの?」


「はい。だから流音が一つ歳を取れば、俺も一つ歳を取ります。誕生日が来るたびに、お互いの成長を祝えます。ずっと一緒です」


 流音は涙を拭って微笑み、頷いた。


 ユラは術式を紡ぎ始めた。

 入念に準備しただけあって、あっという間に組み上がってしまう。


 もう流音からは同じ波形の魔力を感じることはない。

 その代わりに心臓の鼓動を感じた。

 どきどきと忙しない音はすぐにユラにもうつった。


【――大いなる英知よ、この地を去る小さき命に清き加護を与えたまえ】


 やがて流音の体が発光し、ふわりと軽くなる。

 流音はゆっくりと浮かんでいく。艶やかな黒髪が広がり、宝石のように美しい瞳がユラの目線を追い越した。


 ーー失ってしまう。


 さよなら以外の言葉が言いたいのに、何も出てこなかった。未練で手を離すこともできない。きっと今自分は情けない顔をしているだろう。


 見かねたのか流音がぎゅっと手を引き寄せた。


「ユラ……幸せになってね」


 ふいに額に柔らかい感触が降ってきた。

 あ、と思った瞬間、手の感覚が消え、流音の姿を光とともに見失った。


「…………」


 夜の闇の中、ユラは静かに息を吐いた。

 流音の死を覚悟したときとはまた違う絶望が胸を衝いた。


 ーーああ、俺は今……。


 生涯で最愛の人を手放したのかもしれない。

 後悔で視界が歪む。


 冷たく美しい夜空を仰いだまま、ユラは涙を流し続けた。



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