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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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90 永遠の時間

 

 灰色の荒野で天使が喚く。


 フェルンから広がる魔力の圧でヴィヴィタは吹き飛ばされた。

 天使は大地に足を降ろし、世界と繋がろうとしていた。周囲にいる人間を取りこみ、この辺り一帯の魔力を吸い上げるつもりだろう。今はその準備をしている。


 ――もう無理だ……。


 このまま逃げてしまいたい。

 胸が苦しかった。わだかまりが消えないまま薫と永遠に別れてしまったことが辛く、このまま天使に世界ごと滅ぼされることが恐ろしい。

 涙がとめどなく溢れ、体の震えが止まらない。


「大丈夫です、ルノン」


 流音の冷え切った手をユラが優しく握りしめてくれた。

 この状況でユラがどうして落ち着いていられるのか、流音には分からなかった。


「ルノン! ユランザさん!」


 アッシュとスピカ、そして満身創痍のシークが近づいてきた。魔力がすっかり空っぽだし、みんなボロボロだったが、無事な姿に流音は胸を撫で下ろした。一旦ヴィヴィタから降りて地上で再会を果たすと、三人は思い思いの表情を見せた。

 アッシュは流音の無事を心から喜び、スピカは泣き出し、シークは珍しく不機嫌そうだった。


「再会を喜んでる場合じゃないでしょ。せっかくいい感じだったのに、このままじゃ全滅だよ」


「どうしたらいいの? ウチたちにできることはもう……」


「やって見なきゃ分かんねぇだろ。全員で突撃すれば――」


「俺なら何とかできるかもしれません」


 ユラの言葉に全員が目を見開いた。


「現状、倒すことも、浄化することも不可能です。なら俺が魔術球で天使フェルンを封印します」


「は? 本気? ユラにそんなことできるわけ?」


 ユラは神妙な表情で頷いた。


「むしろ俺にしかできないことでしょう。ずっと考えてきた術式がちょうど使えると思います。魔力を内側に循環させることで、球体の封印結界を半永久的に持続させます。天使の膨大な魔力を逆手に取り、強く縛り付ける術です」


 外に逃げようとする力を球の中に閉じ込め、渦を巻くように封印する。天使の力が強ければ強いほど、自らをきつく縛り付ける枷となるという。

 流音を含む子どもたちはユラの説明はぼんやりとしか理解できなかった。シークだけが顔色を変えた。


「それ……術式の発動に必要な初期魔力はどうするわけ?」


「術者が魔術球の内側にいれば問題ありません。反転させて利用します」


 淡々と語るユラに対し、シークは肩をすくめた。


「はは、お前に自己犠牲の精神があったとは驚いたねぇ。らしくない」


「全滅よりはマシでしょう。合理的な俺らしい答えです」


 シークが小さく舌打ちし、二人はお互いに目を逸らした。流音は恐る恐るユラの袖口を掴んだ。何となく話の流れが読めた。


「ねぇ……もしかして、ユラもフェルンと一緒に封印されるってこと?」


 ユラが小さく頷き、流音は首を横に振った。


「そんなのイヤ。ユラ一人が犠牲になるなんて絶対――」


「そう言うと思っていました。だから……ルノンにはどうするか選んでほしいです」


 膝を折り、目線を合わせてユラが問う。


「実は、チェシャナに頼んできました。『俺に何かあったらルノンを元の世界に帰してほしい』と。きみを召喚したときの座標も伝えてあります。元の世界に帰ることが一つ目の選択肢です」


「……他の選択肢は?」


 今更そんなこと考えられない。縋るように尋ねれば、ユラは苦々しく口を開いた。


「封印魔術に必要な魔力ですが、ぎりぎり足りるかどうかです。きみが手伝ってくれれば安定します。つまり、俺と一緒に封印の中に入る……最悪死にますし、封印の中で生き延びても自由になれる保証はどこにもありません。永遠に苦しい思いをするだけかもしれない」


「そんなっ」


 スピカが口を覆った。アッシュも険しい表情を見せた。


「どちらを選んでも構いません。ただ俺は、ルノンには元の世界に帰ってほしいと思っています。心の底からそう思います」


 真剣に悩まなければいけない問題なのに、自分でも呆れてしまうくらい即答だった。


「ごめんね。わたしは、ユラとずっと一緒にいたい。一緒に行く」


 ユラの手をそっと掴めば、彼は複雑そうに目を伏せた。後悔しているのかもしれない。

 彼には申し訳ないが、流音は嬉しかった。

 一緒にいる方法を提示してくれた。問答無用で引き離されるよりずっといい。流音にとって、ユラと一緒にいられなければ、ここにいる意味がないのだ。


「みんな、今までありがとう」


 スピカは泣き、アッシュは怒った。シークはため息を吐き、そして笑った。


 自分勝手な選択をしたことを許してほしい。

 皆が傷つくことを分かっていて、流音は母親よりも友達よりも好きな人を選んだ。

 だけどユラと一緒に天使を封印すれば、この世界も、それ以外の時空も、大切な人たちの未来も全て守れる。

 流音にとっては幸せなことばかりだった。


「おいらは? おいらも一緒?」


 詰め寄ってきたヴィヴィタをユラはそっと撫でた。


「きみを封印の中に取り込むことはできません。俺たちとは魔力の波形が違うので」


 ヴィヴィタはきゅるるんとした瞳で流音とユラを見つめた。


「……じゃあおいら待ってる! ユラとルゥのこと、ずっと待ってる!」


「うん。ヴィーたん、ありがとう。絶対にまた会おうね」


「うん! 約束!」


「……時間がありません。行きましょう。みんなも早く逃げてください」


 短い別れを済ませ、流音とユラは仲間を振り返らずに駆け出した。






 周囲には既に人影はなかった。大地はひび割れ、空に淀んだ靄がかかっている。

 天使を前に、流音とユラは手を繋いだ。


「本当に、いいんですか?」


「うん。一緒にいられて嬉しい。わたし、本当にユラのことが大好きなんだよ」


 恐怖を打ち消すくらい、流音は幸せでいっぱいだった。今まで恥ずかしくて言えなかった言葉も素直に伝えられるほどだ。

 ユラは呆れたように、困ったように笑った。


 あんなに痛かった胸も、今はユラへのドキドキの方が大きくて気にならない。


「始めます」


 ユラが深呼吸して、鮮やかな術式を紡ぎ始めた。流音はその術式を一緒になぞる。

 これでよかった、と安堵しながら。


 ――ううん。違う。本当は、わたし……。


 薫に刺された傷は致命傷で、魔力機関もボロボロだった。

 無理に無理を重ねて戦場にきて、ニーニャの魔法を使った。古の魔物を一対ずつ無効化する度に寿命を縮めているのが分かった。


 流音はもう、自分が長くないと知っていた。


 だからこの選択は正しい。

 ユラと一緒に封印の中に入れば、すぐに死ぬことはなく愛しい人と永遠に近い時を過ごせる。スピカたちに真実を告げずに済む。


 これが今選べる最良の選択肢だったのだ。

 ユラも薄々気づいていたから、ともに封印されることを良しとしたのかもしれない。


 ――本当は、ユラを犠牲になんてしたくなかったけど……。


 本当はユラとヴィヴィタと一緒に暮らし、スピカやアッシュと遊んで、シークにからかわれて、キュリスの花園に行って、薫のことを悼んで、そうやってこの世界で生きていきたかった。


 せっかくユラの闇巣食いが治ったのに。

 これから彼は明るい未来を生きるはずだったのに。


 瞬く間に球体の檻が展開し、流音とユラ、そしてフェルンを包み込んだ。空間が真っ白に染まり、何も見えなくなる。


【万物の牢よ、悠久の時を巡り、閉じよ】


 術式が完成した瞬間、世界の時間が『停止』した。天使も純白に染まり、凍りつく。

 封印魔術は成功したらしい。


 流音がしがみつくと、ユラはぎゅっと抱きしめてくれた。

 音の波が引いていき、意識が徐々に薄れていく。体の感覚も痺れてなくなっていった。

 このまま眠ってしまうのだろうか。そして二度と目覚めなければ、それは死と同じだ。


 ――ユラを幸せにしたかったな……。


 流音は欲張りな自分を笑った。

 どこかで選択を間違えなければ、最良の未来を掴むことができただろうか。


「……やっぱり流音は馬鹿だな。最後の最後で後悔するなんて」


 流音は顔を上げる。

 聞き覚えのある声に期待すれば、目の前に黒装束に身を包んだ“死神”が立っていた。


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