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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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88/98

88 悲劇の先にあるもの

 

 闇の気配が光と混じり合い、この世界に適応していく。

 その気配を一つ感じ取る度、流音は激しい胸の痛みに歯を食いしばった。


「ルノン、やはりきみは相当の無理を――」


「本当に大丈夫だよ。これでこの戦いが終わるなら」


 どきん、どきん、とネジの外れた歯車が回るように体の中が軋む。恐怖を押し殺して笑えば、ユラが悲しそうに顔を歪めた。


「わっ、出た!」


 ヴィヴィタが空中で急停止する。

 前を見れば、黒い竜が行く手を阻んでいた。

 その背には泥だらけになった薫がいた。流音を睨み付ける彼の瞳には、これまでとは比べ物にならないほどの憎しみが浮かんでいる。


「薫くん、これ以上は」


「うるさい。言っただろ。俺は絶対に改心しない。……やれ、デュア」


 デューアンサラトが咆哮とともに赤黒い炎の弾丸を発射した。しかしスピードと威力の両方とも、以前襲撃されたときとは比べ物にならないくらい弱々しかった。ヴィヴィタの機動力で十分に回避できるレベルだった。


「ヴィヴィタ、反撃です」


「どんと来い!」


 流音が舌を噛まないようにしている中、ユラは魔術の詠唱を始めた。惜しむことなく、なみなみと注がれていく魔力の圧に流音はぞっとした。


【風と炎の翼よ、最果てまで一閃し、我らが敵を退けよ】


 瞬間的に周囲の温度が上昇した。


【てんぺすと・いんふぇるの!】


 ヴィヴィタの咆哮にユラの魔術による攻撃が上乗せされ、目にも止まらぬ速さで空を焼いた。

 あまりの衝撃に流音は「ひぃ」と小さく呻いた。


 ************


 手の平に収まった剣を見て、シークは噴き出した。


「やっぱりお嬢さんは規格外だねぇ」


 死にかけていたくせに、何もできないお子様のくせに、絶望のどん底にいた兵士たちの心を引き上げた。


「奇跡は起きた! まだ諦めるな!」

「取り囲め! 援護を!」

「世界に平穏を取り戻すんだ!」


 士気を取り戻した兵士たちが声を上げている。

 おそらくだが、古の魔物たちは負の感情を好物としている。反対にやる気やら熱意やらの暑苦しい感情は苦手なのだ。

 その証拠に近くに墜落した幽鬼ジェレーゲンは、戸惑うように液体の像を揺らし、無数の赤い目が逃げ場を探している。もちろん流音の降らせた癒しの雨の効果も大きいだろう。


「古の魔物を救え、ね」


 シークは手にした聖魔剣アンネイに意識を傾ける。すると鮮明な映像が脳裏を駆け抜けた。


 かつて、この剣を生み出した鍛冶師は、愛する女性を手にかけた。恋人が浮気をしたと思い込んだからだ。しかしそれは二人の仲を妬んだ男に仕組まれた罠だった。勘違いに気づいた鍛冶師は絶望し、恋人を殺した剣で自らの喉を掻き切り、あらゆるものを憎んで死んだ。

 鍛冶師の怨念が宿った剣はアラクレと呼ばれ、持ち主に力を与える代わりに不幸にした。時に持ち主が疑心を抱く度、意に沿わぬ殺しをさせてきたのだ。


 魔剣アラクレは知っていた。

 鍛冶師が最も憎んだのは、愛した女性を信頼しきれなかった自分自身だ。


「滑稽だね」


 剣は言った。

 もう二度と信頼を裏切りたくないと。


 剣から伝わってくる決意をシークは鼻で笑った。


「でもまぁ、とりあえず今は利害が一致してるか」


 流音の帰還によって、この戦いが面白くなってきた。圧倒的不利な状況からの大逆転だ。このまま勢いで押し切って終わらせる。


 兵士たちの間をすり抜け、シークは幽鬼ジェレーゲンの元へ向かった。

 ちょうど顔見知りの騎士が周りに指示を飛ばしていた。


「前衛は近づきすぎるな! 奴は魔力を吸収する! 光魔術を集中させて弱らせろ!」


 他の魔物とは違い、闇巣食いからの魔力供給がなくともジェレーゲンは動けるようだった。液体の触手を伸ばし、兵士たちを攻撃し、魔力を奪おうともがいている。


「どいて」


 シークと対峙したジェレーゲンは一瞬動きを止め、即座に全身を針のように尖らせて突撃してきた。


 ――ごめんね、お嬢さん。きみの望みは叶えてあげられない。


 彼女は「魔物たちを救って」と言った。

 しかしこの幽鬼を救う手だてはない。


 剣が教えてくれた。

 幽鬼ジェレーゲンは異界の戦場で死んだ戦士たちの結晶体だ。意志も望みも希望もない。あるのは周囲への憎悪だけ。ただの亡霊だ。

 彼らを癒し、救済する術はない。アラクレの時のように融合して無害化しようにも、守護者とカードの数が足りないのだ。


 ――望みを叶えられない代わりに汚れ役を買ってあげるよ。


 シークは痛む体を無理やり動かし、触手一本一本を光る剣で焼き切った。


【我が剣に、清浄なる風の引導を】


 そして全身から魔力を絞り出し、最後にとどめとなる一撃を繰り出す。

 流音によって力を与えられた剣は、ドロドロに燻ったジェレーゲンを浄化した。黒い液体が弾けて蒸発していく。

 無数の赤い瞳が見開かれ、絶叫が響く。異世界の怨霊たちの恨みつらみの声たちだ。

 聞くに堪えない醜い声。


 その中からシークの耳は微かな声を拾った。


『ありがとう……ようやく終わる』


 他の兵士には聞こえなかったのだろう。ただ気味が悪そうにジェレーゲンの最後を見届けていた。そして完璧に黒い粒子が消え去った瞬間、勝鬨をあげた。


 感謝されるとは思わなかった。

 虚を衝かれたせいか、胸の内に張りつめていた糸が切れてシークはその場に倒れた。体に力が入らない。魔力は底を尽き、血を流しすぎたらしい。


「後味悪いんだけど……まぁ、いいか」


 消滅することが救いだなんて、さすがに笑えない。


 ************


 戦場を駆け抜け、癒しの雨を戦士たちに届けたキュリスは、流音の願いを叶えるために毒花グラビュリアの元にやってきた。上空から見下ろした魔物の姿は、精霊の感覚を以てしても醜いものに思えた。


 歪に膨張した蔦と根、毒々しい色の葉と棘の奥に、今にも萎れそうな赤いマダラ模様の黒い花が咲いている。

 根から大地の魔力を吸って回復しようとしていたが、先にキュリスの降らせた雨が浸透しているため、上手くいかないらしい。

 孤立したグラビュリアに、人間たちが次々と魔術を放つ。


「周囲全てを害してしまっては、自然の理から外れるのは当然じゃ」


 大地から魔力を吸い尽くし、毒を放つ花。倒れた者はまた大地の肥やしとなって、グラビュリアに吸収される。

 そうして最後には誰もいなくなってしまう。


「哀れな同胞よ」


 キュリスには分かった。

『彼女』が自分と似た境遇の持ち主だと。


 毒花グラビュリアは異世界の花園に咲く、名もなき一輪の精霊だった。

 周りには珍しく美しい花々の精霊が栄え、彼女は地味で凡庸だった。人々にも他の精霊にも見向きもされない。

 ところがある日、一人の青年が彼女の元を訪れ、絵を描き始めた。青年もまた地味で凡庸な絵描きであり、二人は互いを他人とは思えなかった。やがて心を通わせ、幾年月を共に過ごした。二人は人間と精霊という異種族であったが、確かに愛し合ったのだ。

 しかし、青年は彼女の元を去った。突然音沙汰もなく現れなくなってしまったのだ。


 どれだけ待っても彼は来ない。グラビュリアは深く傷つき、憎しみに囚われた。結果、劇毒の魔物へ身を落としてしまった。


 キュリスはぽつりと彼女に告げる。


「彼の者はそなたを見捨てたわけではない。愛を失くしたわけでもない」


 グラビュリアも分かっているはずだ。人間と精霊の間には寿命の壁がある。

 だが、どうしても認めたくないのだろう。

 愛しいヒトにもう二度と会えないことを。世界にたった一人取り残されてしまったことを。


 キュリスは自らがかつて愛した男を思い出す。

 彼が水薔薇の園を去り、しばらくは悲しみに明け暮れた。彼の帰る先にいる婚約者に嫉妬したこともある。精霊に生まれた身を恨み、いっそ死んで人に生まれ変わりたいと切に思った。

 しかしキュリスは思い出とともに生きることを選んだ。


 忘れたくない。

 あの愛しい時間を失くしたくない。


 毒花グラビュリアは愛した人と本当に長い時間を共に過ごした。その分、別れの辛さも一入だったのだろう。

 彼女と同じ立場なら、自分も狂い咲く花になっていたかもしれない。


「わらわたちは痛みを分かち合える。今、そなたに安らぎを」


 キュリスは花に近づき手を差し伸べる。


「この地に根を張り、大地を潤し、皆を癒す園を造るのじゃ。そして思う存分に恋バナに花を咲かせようぞ」


 その呼びかけにグラビュリアは身を震わせ、応えた。

 キュリスとグラビュリアが共鳴するように輝くと、戦士たちは攻撃を止めた。

 流音の魔法で生まれ変わった体が、また造り替わっていく。

 根が伸び、芽が息吹き、葉が青々と生い茂る。そしてキュリスとグラビュリアの今の気持ちを表すかのように、色とりどりの花が咲き乱れていった。そのあまりの美しさに戦いに疲れた男たちが息を飲む。


 キュリスは幼い友を想った。


 ――ルノンや、そなたの恋も報われることはないかもしれぬ。


 彼女はもう間もなく残酷な選択を迫られる。本人も薄々気づいているはずだ。


 ――わらわはこの地で祈り続けよう。


 どの道を選んでも、少女の心が安らかであるように。


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