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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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87 奇跡の連鎖

 

 雲にまで手が届きそうな上空はとても肌寒かった。しかし内側からあふれ出す熱のおかげで流音は震えることなくマジュルナと薫を見つめることができた。


「キュリス! お願い! 毒を全部浄化して!」


「心得た」


「おいらも手伝う!」


 水薔薇の精霊姫はさらに激しく地上に雨を降らせた。そこにヴィヴィタが暴風を巻き起こし、マジュルナや薫、古の魔物たちが崩れるように落ちていく。

 流音はぎゅっと拳を握りしめる。今の攻撃は不意打ちだったから効いたかもしれないが、これで彼らが終わるわけがない。


 ――きっと、もう時間がない……。


 心臓が張り裂けてしまいそうなくらい痛かった。単純に刺された痛みなのか、緊張のせいなのか、ユラに対するドキドキなのか、もはや流音にも分からなかった。

 悪い予感が滓となり、どんどん心に堆積していく。

 ただ、どうすればいいのかは不思議と理解していた。

 目覚める前、夢の中でニーニャカードの女性たちに会ったときから、流音は自分のすべきことを悟っていた。


「ルノン、本当に大丈夫ですか? 体が熱いです」


 耳元でユラが心配そうに囁く。ますます体温が上がる。


「平気」


 頷いて、体に回されたユラの腕にすがる。

 ユラにもチェシャナとヒルダにも戦場に向かうことを反対された。つい先ほどまで生死の境をさまよっていたのだから当たり前だ。


 ――でもわたし、ユラに幸せになってほしいんだもん……。


 せっかく闇巣食いが治ったのに、この世界が滅んでしまっては意味がない。


 ――ユラとずっと一緒にいたいから……いてくれるって言ったから……。


 流音は胸騒ぎをこらえて微笑んだ。


「行こう、ユラ」


 ユラは推し量るように流音の瞳を覗き込んだが、やがて折れたように小さく息を吐いた。


「……はい。俺も同胞を救いたいです」


 ユラの言葉とともにヴィヴィタが吼え、急降下した。キュリスの降らせた雨によって地上の毒は浄化され、兵士たちが歓声を上げていた。

 反対に〈魔性の喚き〉の構成員たちは怨嗟の声を吐いている。

 ユラの指示で、ヴィヴィタが闇巣食いの赤目集団にめがけて突っ込んだ。


【――親愛なる闇よ、応えよ】


 いつもと同じ詠唱だったが、これまでの魔術とはまるで違った。悪しきものを祓う〈オニキス〉のカードがユラの隣に現れる。

 古の闇から解放されたユラ本来の魔力の波が伝わってきて、ますます流音の鼓動は高鳴った。


【淀んだ帳を脱ぎ去り、清き闇の輝きとともにあれ】


 その瞬間、強烈な波紋が周囲に広がり、闇巣食いたちの体を通り抜けた。黒い煙がじゅわりと立ち昇り、彼らは力なくその場に倒れ伏していく。そしてぼんやりと開かれた彼らの瞳はもう赤くなかった。


「やった!」


 ユラは小さく微笑み、それからは淡々と敵から闇の力を削いでいった。

 チェシャナの言っていた通りだ。


『闇巣食いを治せるなら、勝機はあるぜ。古の魔物たちは闇巣食いがいなければ十分に力を発揮できない。闇巣食いの魔力を生命力に変換してるからだ』


 荒野にバラバラに墜落した魔物たちは苦しそうに吼えた。しかしまだまだ力が残っているらしく、周囲を魔力で圧倒している。


「ルノンちゃん!」

「ルノン!」


 眼下に大きく手を振るスピカとアッシュの姿があった。少し遠くには苦笑するシークも見えた。


「みんな! お願い! 力を貸して!」


 この方法しかない、と半ば確信した流音は祈るように魔力を放った。


【ニーニャの守護者よ、もう一度お目覚め下さい!】


 その声に応えるように三つの光が強烈に瞬く。


 スピカの傍らにライオン・レグが、アッシュの頭に王冠が、シークの手の中に一振りの剣が現れた。


「うぅ……っ」


 心臓がずきりと痛み、流音は歯を食いしばった。


「ルノン!?」


「だ、大丈夫……大丈夫だから」


 我慢できない痛みではない。まだ戦える。

 流音は叫んだ。


「みんな! 古の魔物を救って!」



 ************



 煌めく雨が地上に降り注ぐ。充満していた毒の霧が浄化されただけでなく、戦いで負った傷まで癒され、痛みが和らいでいく。


「すげー……」


 アッシュは感動していた。敗北を悟って絶望し、俯いていた周りの兵士たちも顔を上げ、歓声を上げた。中には涙を流している者もいる。

 奇跡の瞬間だった。


 曇天を食い破って現れたオレンジ色のドラゴン、年若き魔術師と幼い聖女。


 この場にいる全員、この空を生涯忘れることはないだろうと確信できた。


 ――ルノン、お前は本当にすげーよ。


 まだ子どもなのに、何度も恐ろしい目に遭っているのに、こうして逃げも隠れもせずにこの場に現れ、みんなに希望を与えている。

 何より、生きて帰ってきてくれたことがアッシュは嬉しかった。


「俺だって……負けてられねぇ! なぁ、スピカ!」


 傍らで蹲っていたスピカも顔を上げ、深く頷いた。

 その瞬間、全身に力がみなぎり、失った魔法が戻ってきた。

 頭上に現れた王冠に触れると、流音の意志が伝わってくるようだった。


「古の魔物を救って!」


 アッシュは困惑しつつも、流音らしいと思った。彼女は「敵を倒す」ことなんて望まない。

 正直甘いと思うし、たくさんの命を奪ってきた相手に情けは無用だ。殺された仲間たちも納得しないだろう。

 だが。


「行くぜ!」


「うん!」


 アッシュはスピカの手を取って走った。巨大獅子のレグも一緒だ。

 そして墜落した二体の古の魔物の元へ辿り着く。


 凶獣メリッサブルと悪魔皇帝ザーザン。


 二体は地に伏しながらも周囲に睨みを利かせていた。闇巣食いから供給されていた魔力をそがれ弱体化しつつも、迫力は健在だ。強烈な憎悪の念がたぎり、空間が震えて見えるほどだった。


 ――こんなに……。


 アッシュは奥歯をかみしめる。かつて自分も卑劣な方法で国を乗っ取ったガーウェイやザーザンを憎んだ。当時の話を詳しく知るほどに憎しみは増殖していった。

 亡き父母やきょうだい、彼らを守るために死んでいった臣下達、十年も苦汁を舐めたゼモンや一座のみんな。彼らを苦しめた者たちを許すことはできない。


 しかし、憎しみだけが心を占めているわけではない。

 何気ない日々の中で得た、安らぎや喜びもアッシュは知っている。

 友や忠臣たちがいてくれるおかげで、心は癒され負の感情に支配されることはなかった。

 彼らが支えてくれなければ、憎悪で復讐に走り、身を滅ぼしたかもしれない。古の魔物たちのような悲しい存在に成り果てたかもしれない。


「同情なんて、望んでねーだろうけど……」


 周り全てに牙を剥こうとする魔物たちが心底哀れだった。

 アッシュはザーザンたちに向かって足を踏みだした。周囲が慌てふためくが気にしない。


「もうやめようぜ。しんどいだろ」


 憎しみはなくならない。だが、減らす努力はすべきだとアッシュは思う。この世界にはもっと素晴らしいものがあるのだから。


 敵意や悪意以外のものを、できれば希望や祝福といった温かいものを彼らにも――。


 そう願ってザーザンに手を差し伸べた瞬間、頭上の王冠が眩い光を放った。


「あ……」


 そのときアッシュの脳裏にある映像が浮かんだ。


 こことは違う世界のとある国、信頼していた臣下の裏切りに遭い、国を追われた孤独な皇帝がいた。民のために強い力を身につけたが故に恐れられ、破滅する羽目になった皇帝はあらゆるものを深く憎み、狂ってしまったのだ。


「そうか、お前は……」


 王冠から溢れる光がザーザンを包み込む。

 兜の奥に光る赤い目がアッシュに問いかけていた。

 明日自分が同じ目に遭うかもしれない。それでもお前は人を憎まずにいられるのか、と。


「もしそうなっても、オレは憎しみに囚われたりしねー。オレの心はいつだって自由だ!」


 アッシュの答えにザーザンは深く項垂れた、ように見えた。がっかりしたのか、呆れたのか、しかし抵抗なく光に身を委ね、彼は粒子になって霧散した。

 その場には一本の古い矛が残された。闇の気配は一切感じない。その代わり、頭上の王冠がずしりと重みを増したように感じた。


 騎士シークが魔剣アラクレを〈剣〉のカードと融合させた話が脳裏をよぎった。

 そこでようやくはっきりと理解した。流音が守護者たちに何をさせたいのかを。


「危ないのっ!」


 目の前に白い閃光が走った。


「レグちゃん!」


 矛を拾い上げようとしたアッシュに向かって、メリッサブルが牙を剥いた。寸前のところでレグが割って入り、事なきを得る。

 弱っているメリッサブルはレグの前足に首根っこを押さえつけられた。それでもなお低く唸っている。


「ウチの、お、お友達に、これ以上ひどいことしないで!」


 スピカの懇願はガウガウと一蹴された。大丈夫かとアッシュはハラハラしたが、スピカは屈せず涙目で訴えた。


「ウチ、見えたの。メリッサブルは大切なお友達を人間に殺されて……だからって無関係の人たちを傷つけるのは許されることじゃないけど、でも……」


 その場に膝を付き、スピカが恐る恐るメリッサブルの頭を撫でた。その手は震え、瞳からは涙が溢れていた。


「ウチも、大切なお友達を守りたいの。分かってほしいの。もう傷つけあうのはやめたいの」


「…………」


 しばらくして、メリッサブルが頭を垂れた。

 レグが前足を降ろしても大人しくその場に伏し、やがて目を閉じた。途端にレグとメリッサブルの両方が光り輝き、粒子となって混ざり合った。


 そしてスピカの膝元に一匹の豹柄の子猫が現れた。

 これにはスピカはもちろん、アッシュも目を丸くした。周囲の兵士からもどよめきが起こる。


「レグちゃん? それともメリッサブル?」


「みー!」


 ツンとそっぽを向いた子猫だったが、スピカが抱き上げると大人しく腕に収まった。


 どうやらスピカも成功したらしい。

 流音は古の魔物たちとカードを融合させ、全て無害化させたいのだ。これ以上誰も傷つかないように、少しでも憎しみが安らぐように。


 流音の意図を知ってか知らずか、スピカはアッシュを振り返り、小さく笑った。

 また素敵なお友達ができたの、と。


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