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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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86 光救う少女

【――ニーニャの守護者よ】


 その不思議な声に顔を上げると、光の洪水に目が眩んだ。ユラは咄嗟に流音を庇った。

 やがて光が萎み、目の前に黒髪の女性が現れた。装いまでも黒一色の女性は、新たに誕生した白い空間で一際くっきりと浮かび上がった。


「あなたは……?」


 どことなく流音に似ているその女性はユラに向かってにっこりと微笑み、自らの首を飾っている黒い石が連なるネックレスを外した。そしてそれをユラの首にかける。

 その瞬間、体がふわりと軽くなった。何年も囚われていたものが解放されたような清々しさにユラは目を丸くする。


 黒髪の女性は、同じく驚いて硬直していた流音の頭をそっと撫で、後ろを振り返る。


 ライオンを連れた乙女。

 剣を携えた女騎士。

 王冠を手にした神々しい女性。


 そして、青い薔薇のドレスを纏ったキュリスローザがいた。


【無垢なる少女の心とともに】


 女性たちが慈愛に満ちた声で囁いた。






 はっと目を覚まし、ユラは体を起こした。

 ひやりとした空気に一気に頭が冴える。眠りに落ちる前と同じ、セミレイ山の洞窟にいた。


「ルノン……」


 洞窟の中央に横たわっていたはずの少女。しかし今は体を起こし、きょとんと首を傾げている。


「あ、あれ……ここどこ?」


 戸惑う流音に構わず、ユラは思い切り小さな体を抱きしめた。あり得ないと思った。夢の続きかもしれない。


 ――いえ、現実です。奇跡です。


 淡いぬくもりを手繰り寄せるようにぎゅっと力を強めると、腕の中から悲鳴が上がった。


「ユラ、痛いよっ。それに……恥ずかしい!」


「すみません。でも無理です。我慢してください。夢の中では嫌がらなかったじゃないですか」


「えぇ!? え、ユラ……泣いてるの?」


 言われて気づいた。瞳から涙が溢れていた。

 さすがに自分の涙で流音を汚すのは申し訳なく思い、渋々体を離す。流音の頬は桃色に染まっていた。

 ユラが涙を拭っている間、流音はおどおどと体を震わせた。


「あ、あのね、ユラ。変なこと聞くけど、もしかして今……」


「さっきの夢は夢であって夢ではありません。俺とルノンの精神が共鳴したようですね。おかげできみを現実に取り戻せました」


「嘘っ。じゃあ……わたし――」


 今度は流音が泣き出してしまった。


「どうして泣くんです?」


「だって、絶対言わないつもりだったんだもん! ユラを困らせるだけだって……」


「確かに少し困りもしますが、それ以上に俺は嬉しかったですよ。誰かに愛してもらうのは初めてです。とても胸が温かいです」


「あ、あい……!?」


「俺はきみのおかげで幸せです」


 流音は顔を手で覆って隠した。ひょっとして照れているのだろうか。その様子がとても愛らしく思えて、ユラがもう一度抱きしめようか迷っていると、


「ルゥの声がした!」


「ユランザ! 今何か奇妙な魔力が――!」


 ヴィヴィタとチェシャナ夫妻が洞窟の中に飛び込んできた。そして目覚めている流音を見て歓喜した。


「ルゥ! おいらすっごく心配した!」


「素晴らしい! ルノンが起きてるぜ!」


「良かった……本当によかったわ……」


 ヴィヴィタは流音にわぁんと張り付き、チェシャナとヒルダは目元を拭った。流音はまだ混乱した様子だったが、「心配かけてごめんなさい」とみんなを見まわした。


「奇跡だ……一体何があったんだ? てかユランザ、お前、その目……闇巣食いが治ってる!?」


 チェシャナに瞳を覗き込まれ、ユラは「ああ、そうか」と納得した。

 夢の世界から帰ってきてから妙に体が軽く、頭はすぅっと冴えていた。長年巣食っていた古の闇から解放されたらしい。

 妙な感覚だった。神経が昂ぶっているせいもあるだろうが、全身が温かくて心地よい。


 ――やっと、やっと念願が叶いました。


 今なら分かる。どれだけ研究を重ねても、自分一人ではこの結果は出せなかっただろう。流音との出会ったことで、ユラの運命は大きく変わったのだ。


「ユラ、本当? 本当に闇巣食いが治ったの?」


「そのようです」


「どうして」


 流音の問いに応えるように、一枚のカードが宙に浮かんだ。

 夢の中に現れた黒髪の女性が描かれた〈オニキス〉のカードだ。


「ルノン、このカードの持つ意味は確か……」


「えっと……あ、『悪いものを遠ざける』! じゃあ〈オニキス〉の魔法が古の闇を祓ってくれたの?」


「きっとそうです。ありがとう、ルノン。俺を救ってくれて」


 信じられないとカードを眺めていた流音だが、やがて首を横に振った。


「ユラがわたしを救ってくれたから、このカードが反応したんだと思う。……ずっと怖いと思っていたこと、ユラのおかげで怖くなくなった。ありがとう」


 少女の黒い瞳が宝石のようにきらりと光った。

 久しぶりに見る流音の笑顔に、ユラも同じく笑みを返した。


「あー、うん。二人の世界に入るのは構わないけど、先に検査しよう。私の秘密基地に移動だ。流音の怪我だって塞がったばかりだし、ここは冷えるだろ?」


 ユラは同意しかけたが、流音は薫に刺された胸を押さえ、そのまま問いかけた。


「それより……みんなは無事? 胸がじくじくして嫌な感じがするの。今の状況を教えて」


 ************


 戦況は最悪だった。


 デューアンサラト、メリッサブル、ザーザン、ジェレーゲン。

 四体の魔物が猛威を振るい、赤目の闇巣食いたちが暴れ、戦士たちは次々と荒野に倒れていった。


 レジェンディア同盟国の王の呼び掛けにより、この場には世界から選りすぐりの猛者たちが集められた。古の魔物にも対抗できる戦力である。

 実際、戦いが始まってしばらく力は拮抗していた。敵が目指す毒花グラビュリアの封印には近づけさせず、防御線を守れていたのだ。魔物たちに手傷を負わせることすらできていた。


 このまま数にものを言わせて攻めれば勝てるかもしれない。

 前線の戦士たちが希望を抱いたその時――。


「ふふ、最期の思い出づくりはできた?」


 突如純白の少女が戦場に降り立った。

 誰もが美しいと見惚れる神々しさだった。

 少女の背後には、顔を鎖で覆い、折れて歪んだ翼を持つ天使がいた。


「思い知るがいいわ。あなたたちが闇に突き落とした者たちの怨念を。彼が流した血の分だけ、今度はあなたたちが真っ赤に染まってね」


 瞬間、古の魔物たちが吼えた。

 赤目の闇巣食いたちも絶叫した。


 それから、一方的な蹂躙が始まった。






 口に入った砂粒を吐き出し、シークは口元に笑みを浮かべた。

 視界が霞み、足がふらつく。

 剣を杖替わりに立ち上がったものの、もうなす術はなかった。


 闇巣食い達が与えた憎悪に満ちた魔力が、魔物たちにさらなる力を与えた。拮抗していた戦線はちぎれ、味方兵士の悲鳴しか聞こえなくなっている。


「つまんないねぇ」


 シークは前方に燻る黒い液体を見て、舌打ちをした。

 彼が相対しているのは、幽鬼ジェレーゲン――形のない魔物だった。黒い水の塊の中に無数の赤い目が浮かぶ姿は、言葉にできないほどおぞましい。


 光属性の魔術を施した一撃ならば多少のダメージは与えられるが、そのほかの攻撃は効かない。攻撃すれば形を変え、シークを襲う。少しでも接触すれば肌を裂かれた上に魔力を吸収されてしまう。悪循環だった。


 ともに戦っていた騎士は、黒い液体の中に飲みこまれてしまった。彼らの血肉と魔力も糧にして、ジェレーゲンはどんどん膨れ上がっていく。最初は人間大の大きさだったのに、今では見上げるほどに成長してしまった。


「気持ち悪いし、手応えはないし、勝てる見込みもない。本当、つまんない相手……」


 不満を吐き出し、代わりに肺一杯に空気を吸い込んだ。

 シークは剣を構え直す。

 もしも流音に授けられた魔法の剣――聖魔剣・アンネイが使えれば、目の前の魔物を討ちとることもできただろう。だが、剣はカードのままシークの騎士団服の内ポケットに収まっている。

 流音が死んだ瞬間、魔剣アラクレは元の姿に戻る可能性が高い。それでもシークはカードをこの場に持ってきていた。目の届かない場所に置いておく方が危険だからだ。


 ――もう、長くはもたないねぇ。


 シークがジェレーゲンを足止めしたところで、神子や他の魔物たちが毒花グラビュリアの封印に迫っている。毒の瘴気が解放されれば、味方は誰もこの場に立っていられないだろう。


 天に祈るのは性に合わないが、何もかも諦めて天を仰げたらどれだけ楽だろう。


 濃厚な敗戦の気配を感じつつも、シークはただ前を見据えた。


 ************


 デューアンサラトの背に乗り、薫は乱戦を眺めていた。

 幾度か旋回し、デューアンサラトが赤黒い炎の雨を降らす。それだけで地上の敵の陣形は崩れ、闇の炎の爪痕を残した。あちこちから消えない火の手が上がり、屈強な戦士たちが狂乱したように逃げ惑っている。


「破滅だ……」


 マジュルナが堕天使フェルンを引き連れ、毒花の封印に近づいていく。彼女を止められる者はいない。レジェンディア騎士団も、各大陸の猛者たちも、他の魔物の相手で手一杯なのだ。一太刀浴びせようと襲いかかってくる敵もいるが、マジュルナの魅了の力に囚われ、その場にひれ伏している。


 自らを守る結界の外に出て、マジュルナは進み続けている。

 本来は天界で生きるべきマジュルナは、この世界にとって〈不適合者〉である。その不和は自らの肉体に向かっている。つまり、かつての流音と同じように虚弱体質なのだ。本当は立っているのも辛いだろう。


 本来なら毒花の封印の解放など、他の者にやらせればいい。だがマジュルナはどうしてもこの手でこの地に絶望を与えたいと言った。他の者もこれに賛同した。


 ――ルナ……。


 薫は黒竜に指示を出し、敵を蹴散らしながら彼女の歩みに付き従った。

 彼女は一切後ろを振り返らない。仲間を信頼しているのではない。自分の歩みに絶対の自信を持っているのだ。女神の力を持つ自分を止められる者などいない、と。


 遠くから怒号が上がる。


 やめろ、誰か何とかしろ、悪魔め……。

 あらゆる罵声を鼻で笑い、純白の少女は進む。


 やがて、マジュルナは毒花グラビュリアの封印の目前に辿り着いた。


「これで終わりよ」


「終わらせてたまるか!」


 飛び出してきたのは、白と黒が混じった髪を持つ、若い王だった。わずかな護衛とともにマジュルナに斬りかかる。


「あははっ!」


 フェルンが醜く歪んだ翼を一度はばたかせただけで、彼らは四方に弾き返された。続いてマジュルナが手を振りかざすと、王の護衛たちは恍惚とした表情になり、恭しく地面に額をこすりつけた。

 しかし、少年王だけは歯を食いしばって顔を上げた。魅了の力に抗っている。


「そうだったわね。あなたも一応、女神の加護を受けているのよね。モノリスの王様?」


「んなもん関係ねぇ! オレは絶対にお前らに屈しない!」


 くすくすとマジュルナが妖艶に笑う。


「あなた一人が頑張っても、結果は変わらないわよ」


「アッシュくんは一人じゃないの!」


 泣き叫ぶように声をあげ、少女が少年王の傍に駆け寄った。見るからに気の弱そうな少女だが、涙を浮かべた瞳でマジュルナを睨み付けた。

 少年王も彼女も流音の仲間だ。薫の口に苦いものが広がる。


「わざわざ無惨に死ぬために出て来たの? 隠れていればいいのに。馬鹿な子」


「馬鹿でもいいの! ウチは、ウチは、逃げて隠れてる間に大切なものを失う方がずっと怖いもの! だから一緒に戦うの!」


 少女は少年王を支えて立ち上がらせた。二人で握る剣がマジュルナに向く。


「ああ、そう。でも、付き合っていられないわ。ごめんなさいね」


 マジュルナは嘲るように笑うと、堕天使フェルンが周囲の光を吸収し、闇の魔力に変換する。その力が凍りついたグラビュリアに向かって放たれた。


 びきびきと大地が割れる音が聞こえた。

 徐々に大きくなるその音ともに、凍りついた花が動き出す。


 地上から敵の声が消えた。

 代わりにマジュルナが笑う。


 辺りに毒の霧が広がり始める。〈魔性の喚き〉は古の魔物たちの魔力に守られ、その毒を無効化できる。しかし、敵はそうではない。

 一番封印に近かった少年王と少女が膝をつき、呻き苦しみ始める。


「二人一緒に仲良く死ねること、私に感謝してね」


「く……っ」


 全てが終わる。

 この地にいる人間の魔力と生命を糧に、六体の魔物たちが時空を渡る。魔剣アラクレが抜けたことで他の六体の負担は重くなったが、ウロトの計算ではぎりぎり魔力は足りるとのことだ。

 大量の魔力の消費が引き起こす歪みにより、世界は破滅に向かうだろう。


「さぁ、今行くわよ、お母様!」


 フェルンと手を取ったマジュルナが宙に浮かぶ。他の魔物たちも続いて浮上を始め、薫もデューアンサラトに乗ったまま、マジュルナの背を負う。

 振り返ると、折り重なるように倒れた人々がマジュルナを見上げていた。

 毒に苦しみながら、魔力を吸い取られながら、苦しそうに、恨めしそうに、絶望と憎しみに満ちた目を見開いていた。


 ――やっと、俺たちと同じ気持ちが分かったか。


 嫌悪され、虐げられ、世界から疎外されてきた。

 思い知らせてやりたかった。幸せそうな連中を奈落の底に突き落として、同じ気持ちを味あわせてやりたかった。

 そうして後は一緒に破滅する。それが薫の願いだった。


 不思議と、喜びも達成感もなかった。火傷のようにじくじくとした痛みにまとわりつかれ、息が苦しい。


 薫は歯を食いしばって、地上の人間から目を逸らした。そして嬉々として空を昇るマジュルナを見つめた。


 そのとき。


 分厚い雲が割れ、眩い光が差し込んだ。

 女神が造った時空の檻が壊れる兆候かと思われたが、違った。


 光り煌めく雨が地上に燦々と降り注いだ。


「ああ……」


 薫はふいにオセロの盤上を思い出した。全てが覆される。

 戦慄した。

 どうしてここに現れる。あのときナイフを介して心を破壊し、魔力機関を侵食した。彼女は死を待つだけの人形と化したはずなのに。


 雲間の光から現れたのは、神々しい光を纏った黒髪の少女だった。

 オレンジ色の竜の背で魔術師の少年に抱えられ、少女は――流音は漆黒の瞳で薫とマジュルナを見下ろした。


「もうこれ以上、あなたたちにひどいことはさせない!」


 その姿は奇跡を体現しているようだった。


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