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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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85/98

85 救済


 スピカは分厚い雲に覆われた空を仰ぎ、ぎゅっと胸を手で押さえた。

 怖い。でも目を逸らしてはいけないと思い直して前を見据える。


 地平線上に五体の黒い影と、白い衣の大群が見えた。

 恐ろしい古の魔物と、神子率いる〈魔性の喚き〉の構成員たちである。


 スピカの背後には、凍りついたように封印された毒花グラビュリアがある。

 この封印を守り、魔物と神子マジュルナを討つ。そのためにレジェンディア騎士団、同盟各国の兵団の他、民間の傭兵や魔術師や、東と南の大陸の猛者たちが応援部隊として駆け付けていた。亡き勇者ラムレットの仲間や、世界最強と名高い魔女も味方だ。銀狼、まだら蛇、セイレーンなど、魔術師の使い魔の姿もある。


 人数だけで言えば、防衛軍の方がずっと多い。こちらには十万人近い味方がいるが、敵軍は千人足らず。


 ただ、向こうには古の魔物と神子がいる。一体一体の恐ろしさを知っている者ほど、この戦いの厳しさを現すかのように眉間に皺を寄せていた。


 ――シークさんはすごいの……。


 彼は〈剣〉の魔法を失くしたのに、戦線の最前列に配置された。自ら志願したらしい。いつものように飄々とした態度で、恐れも嘆きもせずに「お嬢さんに勝つって約束したからねぇ」と笑っていた。あれくらい強い精神を持てたら、と思う。


「大丈夫だ、スピカ。絶対に大丈夫だからな」


 アッシュは自分に言い聞かせるように強い口調で断言した。


「今まではルノンの力に頼りきりだった。それがおかしかったんだ。異世界から来た女の子を当てにせず、自分たちの力で勝つ。『この世界を守りたい』って、同じ気持ちを持った味方がこんなにたくさんいるんだ。負ける気がしないぜ」


「うん……」


 スピカとアッシュは戦線の後方にいた。

 ニーニャカードの力を失くし、今はもうただの子どもでしかないからだ。本来ならアッシュはもっと安全な場所に身を隠さなければならない立場だが、彼がこの場にいることで兵士たちの士気は上がっていた。


 一方で、冷たい視線を向けてくる者もいた。流音が倒れたことで古の魔物に対抗できる魔法は失われた。彼らは絶望し、力を失くしたスピカたちを疎んでいる。邪魔だ、とはっきり怒鳴られもした。


 ――ウチは本当に何もできないの。役立たず……でも、絶対に逃げたりしないから……。


 眠りについた親友の姿を思い出し、スピカは奥歯を噛みしめた。


 黒竜デューアンサラトの強襲によりメテルの町は半壊した。両親と姉は無事だったが、町民が何人も亡くなり、遺された者は深く傷ついた。

 これ以上悲しい出来事を繰り返させてはいけない。それだけはここにいる戦士たちと同じ気持ちだった。何もできなくとも、彼らの雄姿を見届ける。彼女の分も。


 ――ルノンちゃん……。


 ポケットから〈力〉のニーニャカードを取り出す。ライオンに寄り添う乙女のカード。流音が託してくれた勇気の証だ。






 やがて、戦場に一陣の風が吹いた。


 耳を塞ぎたくなるような咆哮とともに、黒竜デューアンサラトが突っ込んできた。後ろには凶獣メリッサブルや悪魔皇帝ザーザン、そして、幽鬼ジェレーゲンが続く。

 恐ろしいほどの魔力の圧は、怨念の塊が飛んでくるようだった。

 味方の中には早くも戦意を喪失し、絶叫する者もいた。


「怯むな! なんとしても持ち場を死守せよ!」


 各隊の指揮官の声が飛び、魔術の弾丸が無数に空を裂いた。

 魔物と戦士たちの雄叫びがぶつかり、衝撃波が荒野の砂を高く高く巻き上げる。


 こうして、戦いの火蓋は切って落とされた。




 ************




「だって、だって……大人になれば、ユラを幸せにできるもん! 好きって言っても変じゃないもん!」


 続く言葉を叫びながら、流音は闇の中に涙を落とした。

 ついに言ってしまった。


 薫に刺されて意識を失くしてから、流音はずっと闇の中を彷徨っていた。体は重く、手足がどんどん冷たくなり、息もしづらい。夜の海の中に放り出されたようだった。


 ナイフが胸に刺さった瞬間、心がちぎれたような感覚がしたが、本当に分裂してしまったのかもしれない。たくさんの自分に会った。


 学校に居場所がない。病院に行きたくない。体調不良で母を職場から呼び出したくない。


 そうやって幼い自分が泣いている。

 物心ついた頃から今まで流した涙を繰り返し見た。走馬灯のようなものだろうか。楽しい思い出ほど霞んで遠く、辛く悲しい記憶ばかりが鮮明に映し出され、気が狂いそうだった。

 

 弱音を吐く自分を否定して光を探したが、闇はどんどん深くなる。

 もう終わりが近いのだと分かった。


 ――最後に、ユラに会いたい。


 いつしかそれだけしか考えられなくなっていた。最後に会えたら、もう何も望まない。

 だから本当に目の前にユラが現れたとき、流音は自分の死を悟った。


 ユラの深緑の瞳は赤く染まっていて、闇の中で妖しく光る。少し恐ろしいと思ったが、「きみの本当の気持ちを教えてください」と言った声は胸が震えるくらい優しかった。


 これは夢。最期の夢。自分に都合のいい幻。

 だから、いいよね?

 ずっと言いたかった。伝えたかった。


「大人になれば、自分の責任でこの世界に残ることもできる……ユラの重荷にならずにそばにいられる」


 もうずいぶん前から心はこちらの世界に傾いていた。


 ――ママ、ごめんなさい……。


 たった一人の母親のいる世界に帰るよりも。大好きな人が暮らす世界に留まりたいと願ってしまった。


「ユラが好き……大好き……闇巣食いでも、貧乏でも、無神経でもいい。ずっと一緒にいたい。お別れなんてしたくないよ……」


 ユラを困らせるだけだと分かっていたから、黙っていた。でもここは夢の中だ。好きなことを言っても許される。

 そして願わくはいつか見たセミレイ山で見た夢のように、ユラからの言葉が欲しい。


 ユラは頭を殴られたようによろけ、目を見開き、何度も瞬きを繰り返した。


 ――ものすごくリアルな反応……。


 本当に夢だろうかと少し違和感を覚えたものの、流音の胸の高鳴りは最高潮に達していて、それどころではなかった。

 生まれて初めて、そしておそらく人生最後の告白だった。


 やがて、ユラは笑った。


「ありがとう、ルノン」


 ユラは膝を折り、流音に目線の高さを合わせた。そのとき初めて彼の目尻に涙が浮かんでいることに気づく。


「こんなに優しい気持ちをもらったのは初めてです。俺は誇れるようなものを何も持っていませんが、ルノンがそばにいてくれるならもう何も要りません」


「ユラ……本当?」


 尋ねた途端、ユラにそっと抱き寄せられた。


「はい。子どもだから何もできないなんてことはありません。ルノンは俺に大切なことを教えてくれます。幸せな気持ちをくれます。俺はいつもきみに助けられていますよ。十分すぎるくらいに」


 言葉とともに腕に力が入っていく。それだけで流音の心臓は壊れてしまいそうだった。ドキドキが止まらない。

 しかし不思議と散り散りになった心が戻ってくるような感覚があった。今この世界にないものが鮮やかに蘇る。


 不安をかき消す光、

 淀みを押し流す水、

 恐怖に揺るがぬ大地、

 憂鬱を吹き飛ばす風、

 孤独を和らげる火。


「だから、急いで大人になる必要はありません。子どものうちは素直に守られていてください。俺の言葉には説得力がありませんが……でも、今度こそ」


 そして、あらゆるものから守ってくれる優しい闇。 

 全部ユラにもあげたい。


 ――ああ、嬉しいな……。


 ユラを好きだと気づいたとき、ものすごく後悔した。

 この恋に幸せな未来などあり得ないと思っていた。

 しかし今は過去の自分を笑い飛ばしたくなるくらい、何一つ後悔していない。

 ユラを好きになって良かった。


「二人が一緒にいる未来を掴み取って見せます。お願いです。俺がきみに同じ気持ちを返せるようになるまで、どうかそばにいてください。現実に帰ってきて下さい」

 

 その瞬間、心が満たされ、全身から力が溢れてきた。

 もう夢か現実かなどどうでも良かった。


 ――ユラと一緒にいられる……これからもずっと!


 喜びが光となって体中を巡り、流音は満面の笑みで頷いた。

 もう何も怖いものなんてない。


「うん!」


 流音とユラの体に温かい光が灯り、そして――。


【ニーニャの救済により〈オニキス〉の守護者は目覚めん】


 濁った闇の世界が一瞬で生まれ変わった。




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