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【書籍化】リトル・オニキスの初恋  作者: 緑名紺
第十章

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82 失われる光

 

 流音にとっては夢のような夜だった。

 ユラと手を取り、ワルツを踊った。

 触れ合った手はいつもよりも熱かった気がする。自分の体温が上がっていただけかもしれないけれど。


「明日も会いに来ちゃダメ?」


 ユラはあまり良い顔はしなかった。やはり闇巣食いがうつる可能性を心配しているようだ。


「お昼だけでも一緒に食べたい」


「それなら、まぁ……食べ終わったらすぐに帰るんですよ」


 渋々ながらも許され、それから流音は毎日ユラの元へ通った。

 あの夜以来、ユラの様子が少しおかしくなっていた。元々おかしなところはあったが、輪をかけて挙動不審なのである。


「きっと勘違いです……自意識過剰です……でも、辻褄が……」


 ぶつぶつと意味の分からないことを呟くし、目が合うと逸らされるし、話しかけても生返事が多い。それでいて流音が表情を曇らせると、慌ててご機嫌を取ろうとする。何がしたいのかよく分からない。


「ここに来るの、迷惑じゃない?」


「迷惑なはずないです。でも……」


「でも?」


「……なんでもないです」


 どうも歯切れが悪い。気になるところだが、聞いてはいけない気がして流音は口をつぐんだ。こうしてユラとの時間はいつになくぎこちなく流れた。


 それ以外の時間はアッシュやスピカと魔力を高める訓練をしたり、キュリスと能力の確認をしたり、以前ユラに教えてもらった魔術を復習して過ごした。


 いつ薫たちが攻めてくるか分からない。

 毒花の封印のことで駆り出されるかもしれない。

 そうやって気を張ったまま数日が経ち、一つの報せがモノリスの王城に届いた。


『神子が降臨し、幽鬼ジェレーゲンが復活した。次は西の大陸に牙を剥けるだろう』


 東の大陸の魔女からの忠告だった。世界最強と呼ばれていた魔女だが、神子の妖しい魔力に戦場を乱され、封印を守りきれなかったようだ。

 とうとう六つ目の封印が解かれてしまった。


 ――向こうには五体の古の魔物が……。


 デューアンサラト、フェルン、メリッサブル、ザーザン、そしてジェレーゲン。

 残る封印は毒花グラビュリアのみ。

 何より、ついにマジュルナが直接戦地に現れた。


 そう遠くない日に西の大陸に〈魔性の喚き〉の襲来が予想される。


 レジェンディア騎士団や各国の兵士、魔術師たちは戦いの準備に忙しそうだった。

 東の大陸は戦いの余波で大いに荒れ、混沌と化しているが、魔女はその平定が済み次第、加勢に来てくれるという。他にも各大陸からも援軍が来る予定だ。


 この世界の平和を望む全ての者と、〈魔性の喚き〉との最終決戦の日が近づいていた。


「ルノンは行くべきではありません」


「そういうわけにはいかないよ」


 シークはもちろん、アッシュもスピカも戦場に行く。彼らに力を与えた自分が隠れているわけにはいかない。実際、すでに騎士団から要請があった。

 ユラはとても苦々しい表情をした。


「完全な闇巣食いになりかけている俺は……戦場には行けません。味方を古の闇で汚染する危険があります」


「ユラがそばにいてくれないのは心細いけど……大丈夫。今までだって何とかなったもん。絶対帰ってくるから」


「きみはそう言いつつ、いつも危険な目に遭っているじゃないですか」


「う……」


 ユラはため息を吐き、小さな黒い石を手渡してきた。表面にこの世界の文字が彫り込まれており、触れた指先から不思議な感覚がした。


「これって……」


「清き闇の宝石、オニキスのお守りです。……気休めとして持っていてください」


 ほんの少しだけ闇属性の魔力を帯びており、古くから伝わる守護の文言が刻まれている。ただそれだけの石で、防御力などはほとんどないという。ユラが魔力を込めたわけではないので、古の魔物に利用されることもない。


 オニキスは流音にとって特別な石だった。ユラもそれを知っていて選んでくれたのだろう。どんなお守りよりも頼もしかった。


「ありがとう」


 流音は紐を通した布袋に入れて、オニキスのお守りを首から下げることにした。騎士団支給の転移の鏡はポケットに入れておく。


「じゃあわたしは……これをあげる」


「……まだ持っていたんですか?」


 ユラは呆れと驚きが混じった視線で流音と渡されたものを見比べ、小さな溜息を吐いた。しかし一応礼を言ってコートのポケットに入れてくれた。


 




 数日後、モノリスの王城に激震が走った。


「ルノンちゃん、メテルの町が……!」


 西の大陸、レジェンディア同盟国の領土内にいきなり古の魔物たちが現れた。しかも五体がそれぞれ別の場所で暴れているという。

 モノリス王国内、スピカが暮らしていたメテルに近い場所では黒竜デューアンサラトが目撃された。


 てっきり五体全てで毒花の封印を直接襲撃してくると思っていた流音は、見事に混乱した。

 魔物たちを放っておくわけにはいかない。こちらの戦力も分断し、撃退しに行かなければならなかった。しかしそうなると毒花の封印が手薄になる。そこに神子が現れたらどうなるだろう。


 一方、グライ達騎士団は敵の戦法をある程度予測していたらしく、戦力を的確に派遣していた。


「ウチ、ウチは、メテルに行くの! パパやママ、お姉ちゃんが……!」


「待てよ、スピカ。オレが行く。オレの国のことだからな。お前はここで――」


「じっとしているなんて無理なの! だって、だって……!」


 報せを聞いて一番取り乱していたスピカは、アッシュの制止すら聞かなかった。

 デューアンサラトの闇の炎の恐ろしさを流音は思い出す。


 ――薫くんもきっと来てる……。


 あの赤黒い炎が、メテルを燃やそうとしている。

 ユラやみんなと歩いた思い出深い町だ。町の人々にはたくさんお世話になった。

 それを知っていて、薫は町を破壊するつもりだろう。流音の大切なものを奪うために。


「わたしもメテルに行く。みんなを助けなきゃ」


 今度こそ薫を止めてみせる。何一つ奪わせてやるものか、と拳を握りしめた。


「ルノンちゃん……ありがとうなの!」


 結局、少女二人の決意を覆すことはできず、流音とスピカ、それにアッシュとゼモンたちモノリスの兵士がメテルに向かうこととなった。


「気をつけるんだよ、お嬢さん。きみに何かあったら、僕らの力も消えてしまうだろうし」


 別の場所に派遣されることになったシークが珍しく真顔で声をかけてきた。

 流音は頷きを返す。


 ――絶対に死なない。ユラのところに無事に帰るんだから。


 少し迷ったが、ユラとヴィヴィタに会いに行くのはやめておいた。絶対に引き止められる。彼の元に古の魔物の襲来の情報が伝わる前に、スピカとともにレグに乗って空へ。アッシュたちは地上から足の速い騎獣や魔動四輪で向かう。


 流音の緊張を現すかのように空は曇り、風がぴりぴりと乾いていた。






 レグにまたがったまま見下ろしたメテルの町は、それはひどい有様だった。

 竜の咆哮が雲の向こうで轟くと、赤黒い炎の欠片が吹雪のように降り注ぐ。その下を人々が我先にと逃げ惑っている。ある者は家財道具を背負って、ある者は小さな子ども達の手を引いて、濃密な闇の気配に囚われないように走っていた。


 黒竜デューアンサラトと薫の姿は見えない。竜は暗雲の上から町に闇の炎を降らせ、人々を嬲っているようだった。


「町が……お家が……図書館が……!」


 いくつかの建物に炎が燃え移り、赤黒い火柱を上げていた。その中にはスピカやアッシュとともに過ごした図書館もあった。

 流音はやるせない思いで空を睨み付けた。


「キュリス! 町全体に雨を降らせて! お願い!」


 ルノンの願いにキュリスは頷き、すぐさま元の姿に戻って癒しの雨を降らした。

 建物を燃やす炎は勢いを失くし、鎮火しかけた。ほっと胸を下ろした流音とスピカの目の前で雲がちぎれた。

 黒竜デューアンサラトが姿を現したのだ。

 元のサイズに戻った黒竜の赤い双眸がキュリスを捕えた。


「くっ!」


 今まで降っていたものとは比べ物にならない炎の弾丸が、いくつも降ってくる。キュリスは水を逆巻かせてそれを相殺した。


「ルノン! 地上へ降りるんじゃ! 次はそなたを狙うつもりじゃ!」


「でも……!」


「薔薇の姫君の言うとおりにすべきである。格好の的である。このまま上から狙われ続けたらひとたまりもないのである」


 レグの進言もあり、流音とスピカは一旦地上に降り、建物の陰に隠れた。

 空では黒竜とキュリスが舞うように激突し合っている。熱風と水蒸気が地叩きつけられ、人々はさらに恐慌状態に陥った。


 ――頑張ってキュリス!


 流音は身の内の魔力がじりじりと減っていくのを感じながら、祈るように空を見上げた。

 地上では到着したアッシュや兵士たちが避難誘導を始めた。レグも炎で倒壊しそうな建物に突入し、人々を救出している。


 至る所から悲鳴や女神に祈る声が聞こえた。流音よりもずっと小さな子どもが泣いていて、母親は恐怖を押し殺した表情で宥めている。


 許せないと思った。

 どうしてこんなひどいことができるのだろう。


「あ! お姉ちゃん!」


 町役場のある通りにスピカの姉・ペルネの姿があった。怪我を負った同僚らしき男性に肩を貸し、炎の手から逃げようとしている。

 スピカとレグがペルネの元へ駆けつけ、流音も後に続こうとしたその時。

 ぐっと手首を引っ張られ、路地裏に引きずり込まれた。


「薫くん!」


 建物の陰になって薄暗い場所だったが、それを差し引いても薫の瞳には光がなかった。ぞっとするような冷たい眼差しで流音を見下す。


「迂闊すぎ」


 片手を拘束されたまま壁に背中を押し付けられ、肺が圧迫された。思わず咳き込む流音に、薫は眉一つ動かさず、ナイフをかざした。


「最後にもう一度だけ聞いておくけど、どうしてもルナに従う気はないんだな?」


 正直に答えたらどうなるか、分からない流音ではない。

 だけど、町の惨状を見た今、沸き立つ怒りを堪えることなどできなかった。誇りというよりも意地だった。

 どうしても、何があっても、薫たちに屈服したくない。


「絶対に嫌!」


「ああ、そう。馬鹿な奴。もういらない」


 感情の抜け落ちたような声とともに、ぎらついた刃が流音の胸に真っ直ぐ振り下ろされた。躊躇いは一つもなかった。


 ――ユラ……。


 鈍い痛みが全身を駆け抜け、もやもやとした黒い霧が頭の中を覆っていく。

 思わず目を閉じた流音は、小さな舌打ちで目を開ける。

 からん、と黒い石が路地に落ちた。ユラにもらったオニキスのお守りだ。


 もしかしてナイフの直撃から守ってくれたのだろうか、と流音は期待した。

 でも、違った。


 生温かい血が服を汚していく。ナイフが右胸に突き刺さっていた。

 その刃からは強烈な憎悪の念を感じた。気のせいではない。薫の魔力が体に入り込み、心が闇に浸食されていく。


「心臓を狙って楽に死なせてやろうと思ったのにな。でもいいや。心は壊せたから」


 薫がナイフの刃を抜くと、流音はその場に崩れ落ちた。

 べちゃりという湿った音は血が跳ねる音だ。

 指先がオニキスに触れる。すがるように石を握りしめると、恐怖が静まった。最後の抵抗の意味を込め、薫を見上げる。


 てっきりとどめを刺されるのだと思ったけど、薫はぼうっとしていた。その頬には返り血と一筋の涙が張り付いていた。


 ――薫くんの方が、馬鹿だよ……。


 薫の憎悪の魔力で全身を焦がされつつも、流音は彼を哀れだと思った。どうしてこうなってしまったのだろう。ほんの少しだけ道が違えば、きっと薫は底辺まで落ちていったりはしなかった。友達のままでいられたはずだ。


「ルノン!?」


 遠くからアッシュの声が聞こえた。いや、姿はすぐ近くに見えるのに、やけに音が遠かった。薫が走り去り、アッシュが駆け寄ってくる。しっかりしろ、大丈夫だ、という励ましの声も徐々に聞こえなくなり、視界も霞んで白く染まった。


 痛い。寒い。もうダメだ。


 ――ごめんなさい、ユラ。わたしも嘘つきになっちゃった……。


 どこにも帰れない。


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