80 舞踏会の夜に
ユラに追い返され、流音はとぼとぼと来た道を戻った。
「ユラの嘘つき……」
もう離れたくないのは俺も同じだって言ったくせに。
流音は泣きたいのを我慢して、王宮の裏庭の一画にうずくまった。
ユラが会うのを拒否したのは、闇巣食いがうつらないようにするため。つまり流音の身を案じてのことだ。
でもそれならもう少し優しい言葉をかけてくれればいい。ユラの言い方ではまるで、「もう一緒にいる意味がない」みたいだった。
「ルノンや、あまり気に病むでないぞ」
「キュリス……ありがとう」
ミニキュリスが出てきて頭をよしよしと撫でてくれた。
「闇の坊やめ、相変わらず乙女の心をまるで意に介さぬ男よ。少しは成長したかと思うておったのに」
自分のことのように怒ってくれるキュリスに触発され、流音もだんだん腹が立ってきた。奥歯をぎゅっと噛みしめていると、遠くから羽ばたき音が聞こえてきた。
「ルゥ!」
「あっ、ヴィーたん!」
「会いたかった!」
流音の胸にオレンジ色の竜が飛び込んできた。すりすりと頬を寄せてくるヴィヴィタに癒され、流音の表情は緩んだ。
ヴィヴィタの鱗が前よりも艶やかな光沢を宿していた。ぴかぴかだ。
「傷、綺麗に治ったね」
「うん! おいら成長した!」
こころなしかヴィヴィタの体が大きく、重くなった気がする。
もしかして脱皮したのだろうか、と考えかけてやめた。あんまり想像したくない。
しばし再会を喜んだ後、ヴィヴィタにユラの様子を尋ねてみた。
「頭に包帯巻いてるけど、もう痛くないって。ずっと本とか論文読んで、術式組んでる」
ユラはもう満足に魔術を使えない。それでもまだ研究を続けている。
毒花グラビュリアに施された中途半端な封印を完璧なものにするため、あるいはマジュルナや古の魔物に対抗するため、今は女神や魔物のことを一から調べ直しているようだ。
「無理してない?」
「してる。全然寝てない」
ヴィヴィタはうるうるとした瞳を流音に向けた。
ユラにとって古の魔物を封じることは悲願であり、文字通り死活問題だ。それに加え、世界を破滅させかねないマジュルナの野望を知り、相当焦っているに違いない。
ユラはいずれ自分を封印して全てが解決されている頃の未来へ行くつもりだったが、〈魔性の喚き〉を止めなければそもそも未来がなくなってしまう。
――そっか……わたしに構っている場合じゃないんだね……。
そう思うと胸がずきりと痛んだが、流音は首を振って顔を上げた。一緒にいたい。でもそれ以上にユラの幸せの追及が大切だ。
闇巣食いは負の感情を抱くほど進行すると聞いた。あまり彼の重荷にはなりたくない。
「ユラが無茶するのは心配だけど……でも、わたしは応援する」
その日から流音は毎日のようにユラのいる離れに足を運んだ。
会ってもらえないのは分かっているので、わざわざ呼び出すことはしなかった。サンドイッチやハンバーガーなど差し入れを作り、ヴィヴィタに玄関まで取りに来てもらった。
お城の料理の方が美味しいのは分かっているけれど、以前ユラは流音の手料理を望んでくれた。
――こういうの、自己満足かな……。
迷惑かもしれない、重いかもしれない、ストーカーみたい、と不安になりながらも、流音がユラにしてあげられることはそれくらいしかなかったのだ。ユラが寂しくないように、かと言って鬱陶しくないように、さりげなく応援したい。
本当はメッセージをつけたかったけど、さすがに恥ずかしくて断念した。
「ユラ、黙って食べてる」
「そう……何も言ってなかったんだ」
ヴィヴィタは申し訳なさそうに頷いた。
淡々と食事を口に運ぶユラを思い浮かべ、流音は憂愁のため息を吐いた。
ユラに会えないまま数日が過ぎ、アッシュの戴冠式を迎えた。
未だ〈魔性の喚き〉や古の魔物の問題は解決せず、世間には恐怖と不安が蔓延している。アッシュが急ぎ王位継承を行ったのは暗い雰囲気を払拭し、人々に希望を与えるためだった。
だから戴冠式には各国の王族や国内有力者だけでなく一般人も参加できるよう、城ではなく王都モーナヴィスの大広場にて執り行われた。
式典はつつがなく進み、王位継承の儀式の後、アッシュが壇上に登ると広場はしんっと静まり返った。
アッシュは飾らない言葉で言った。
「奴隷上がりの王なんて、と思う奴もいるだろうが、今に見ていろ。絶対にこの国に、この時代に生まれたことを後悔させない」
挑発的で青くさいスピーチに貴賓席では失笑が漏れたが、国民たちは祝福と歓喜に沸いた。
何でもいいから縋りつきたいという捨て鉢な気配があったものの、大半の民はこの年若い王を応援しようという気になっていた。
こうしてアッシュは名実ともにモノリス王国の王になった。
夜、王城で来賓たちをもてなす舞踏会が催された。アッシュの社交界デビューである。ダンスが始まる前、各国の王侯貴族が新たな王の前に列をなし、恭しく祝辞を述べた。なぜか子息よりも令嬢の方が極端に多く、アッシュに熱い眼差しを向けていた。
――もしかして、みんな王妃様の座を狙ってるの?
アッシュはもうすぐ十四歳。流音の感覚では結婚なんて考えられない歳だが、この世界の王族ともなればそうはいかないらしい。特別な魔力を持つ王家の血筋を絶やさないためにも、早急に結婚相手を選定すべきだと周りは考えている。
当の本人は令嬢たちの視線に対し、「やべー、顔と名前が一致しねぇぞ」と言いたげに苦笑いを浮かべている。付け焼刃の礼儀作法を守るのに必死で、気が回らないようだ。
どの娘も品よく着飾り、余裕の微笑みを浮かべている。わたし浮いてないかな、と流音は自分のドレス姿を見下ろして、少ししょげた。
そう、流音とスピカもドレスアップして大広間にいた。城の人間に「世界を救う聖女とその守護者としてパーティに出席ほしい」と頼まれ、どうしても断れなかったのだ。
――ユラ……今頃何してるのかな。
一連の戦いでの一番の功労者は間違いなくユラだ。その彼がこの場にいないことがやるせなかった。
もちろんアッシュは招待してくれたが、ユラが辞退したのだ。それには臣下の人たちもほっとしていて、ますます流音の胸は痛んだ。
「すごいのう。実に煌びやかじゃ」
「うん……」
流音はキュリスに生返事を返す。
ユラのことを考えるあまり、夢のように素敵な舞踏会が色褪せて見え、せっかくのドレスにもはしゃげなかった。こんな機会はきっと二度とないのに、楽しもうという気がちっとも起きない。緊張すら感じない。
一方スピカは「ウチは壁。壁と同化するの。忍ぶの……」と宣言していた通り、壁際の天幕の陰で息を殺している。
壁の花どころか壁そのものになろうとしている親友と気持ちは同じで、流音も早々に退場したかった。
アッシュがモノリスの王子だと判明した後に少し話したが、スピカは恋心を胸にしまい続けるつもりらしい。
王様に恋をしても不毛。もし万が一想いが叶ったとしても、自分に王妃は絶対に無理だから、と。
『でもウチはこれからも少しでいいからアッシュくんの力になりたいの』
城に滞在している間、スピカはアッシュの事務仕事を手伝いつつ、文官の下働きのようなこともやっている。将来的に城に仕える人間になりたいという。
やっと自分のやりたいことが見つかった、とスピカは満足そうに微笑んだが、声には切ない響きが混じっていて、流音は上手い励ましの言葉をかけられなかった。
――本当は諦めたくないよね……。
何がスピカにとって幸せなのか分からない。
人を好きになるって難しい。流音が達観した想いで天井のシャンデリアを眺めていると、
「失礼。あなたが光救いの聖女様ですか?」
気づけば、流音よりも二つか三つほど年上の少年が、はにかんだような笑みを浮かべてそばに立っていた。
「え……えっと。そう呼ばれることもありますけど」
その呼び方は本人非公認です、と心の中で呟き、流音は当惑気味に少年に向き合った。少年はメリメロス出身の貴族らしい。丁寧に名乗られたけど、名前が長すぎて覚えられなかった。
少年は興奮気味に流音を褒めちぎった。その声を聞きつけ、大人たちも流音の存在に気づいて取り囲み始めた。
どのような世界から来たのか、女神の生まれ変わりというのは本当か、戦いが終わった暁にはぜひ遊びに来てくれ云々。
愛想笑いを浮かべて頷いたり否定したりするうちに、最初に声をかけてきた少年が人だかりを割って跪いて手を差し伸べてきた。
「最初のダンスは私と踊ってください」
「え……」
少年の果敢な行動に、大人たちが沸いた。反対に流音の背筋は凍りつく。
アッシュのダンスの練習にスピカと一緒に付き合ったおかげで、足運びくらいなら覚えているし、少年の様子を見る限りしっかりエスコートをする自信があるらしい。
だからダンスに対しての不安はない。
だけど絶対にその手は取れない。取りたくなかった。
お城での舞踏会。女の子なら誰もが一度は夢見たシチュエーション。
興味や憧れがないわけではないけれど、流音が夢見た相手は少年ではなかった。
周囲からの期待に満ちた瞳にたじろいでいると、すっと隣に背の高い人が寄り添ってきた。
「残念。お嬢さんには先約があるんだ。出直しておいで」
「シーク!」
彼の登場にさらに周囲(特にご令嬢たち)が騒がしくなった。
シークが有無を言わさぬ優美な微笑みを向けると、ダンスを申し込んできた少年は肩を落とした。負けを悟ったらしい。
シークはスマートに流音を人だかりから避難させた。その手腕には思わず心の中で拍手を送った。
「急にちやほやされて疲れたでしょ? 華やかな場所に慣れてないもんねぇ」
「助けてくれてありがとう、シーク」
もしかして嫌味を言われたのかもしれないが、流音は気にしないことにした。
それよりも、とまじまじと彼の姿を見る。会うのは久しぶりだ。しかも今は……。
「なんかホストさんみたい。それも絶対にナンバーワン」
「ん? 何それ」
「何でもない」
白いスーツが似合いすぎている。シークの周囲には小学生が関わってはいけない夜の匂いが漂っていて、本能的に距離を取りたくなる。
「体は大丈夫? もう何ともないの?」
「まぁね。それよりも有名になりすぎちゃって、迂闊に遊べなくなりそうで憂鬱かな」
心配してこんなに損した気分になるのは初めてだ。流音は「ああそう」と適当に流した。
「ま、僕は上手くやるよ。それよりもお嬢さん。ユラに会ってないんだって?」
「う……うん。でも大丈夫。だってユラは今大変で――」
「会いに行きな」
思いのほか強い口調だった。
「変な遠慮をする必要なんかない。大体お嬢さんがユラの言うことを聞く筋合いはないでしょ? 会いたかったら会えばいいんだ」
「でも」
「それで万が一闇巣食いがうつったら、責任とってもらえばいいさ。そうすれば二人とも、ずっと――」
続く言葉を笑い飛ばし、シークは肩をすくめた。
「せっかく可愛く着飾ったんだから、見せびらかしに行ってきなよ。じゃなきゃ、また知らないガキにダンスに誘われちゃうよ?」
ユラにドレス姿を見せたところで、望む言葉をくれるとは到底思えない。だけどここにきて「会いたい」という気持ちは爆発しそうなほど膨れ上がっていた。
ーー初めてのダンス、絶対ユラとがいい……。
それでも流音は躊躇った。アッシュや城の人の顔を潰してしまうことを恐れたからだ。
「行っていいぜ、ルノン」
こちらに戻ってきたアッシュがシークに耳打ちされ、すぐさまそう言った。周りにいた従者が「しかしルノン様にお目にかかりたいという方々が……」と慌てる。
「今夜の主役はオレだろ。それにもう十分に顔を出してくれた。だから後のことは気にせず、行っていい。なぁ、スピカもそう思うだろ?」
「え!? う、うんなの……。ルノンちゃんがいなくなると正直かなり心細いけど、でも、ウチ、頑張れるの!」
壁際のスピカは力強く頷いた。
「よく言った。じゃ、最初のダンスの相手は頼んだぜ、スピカ」
「にゃ!?」
目を丸くする親友を心配しつつも、アッシュに背中を押され、流音は決意した。
本当にごめんね、と繰り返して、逃げるように退散する。シークがくすくす笑っているのが目に入って腹が立ったものの、彼なら後のフォローをしてくれるだろうと信じることにした。
見張りの兵士に驚かれつつも、流音は何事もないかのように会釈してユラの離れに向かった。ドレスに合わせて履いていた慣れないパンプスのせいで何度か転びそうになり、玄関に付く頃にはどきどきと胸が高鳴って頬が熱かった。
「ユラ」
呼び鈴を鳴らし、声をかける。中から足音が聞こえてきた。
「ルノン? 今夜は舞踏会では……いえ、それよりここに来てはいけないと言ったはずです。何かあったんですか」
「ユラにどうしても会いたくて来たの。少しでいい。扉を開けて。研究の邪魔はしないように大人しくしてるから……」
少しの間の後、固い声が返ってきた。
「ダメです。会えません。戻って下さい」
「嫌。ドアを開けてくれるまでずっとここにいるから。ユラがいないと、舞踏会も楽しめなかったもん」
ユラの戸惑いが扉越しに伝わってくるようだった。
「俺への同情は不要です」
「違う。同情なんかじゃ、ない。わたしがユラのそばにいたいだけなの」
無意識に溢れてくる涙のせいで声が震えた。
ぎゅっと目を閉じて返答を待っていると、かちゃりと錠が外れた。




