8 初めてのおでかけ
「いやっほーい!」
「きゃあああ!」
流音は空を飛んでいた。
正確には、ヴィヴィタの背に乗って飛行していた。
普段は燃費の問題で手乗りサイズだが、ヴィヴィタは百歳のドラゴン。真の姿に戻れば軽自動車くらいの大きさになる。
流音が乗るということで、ヴィヴィタはジェットコースターのように乱高下を繰り返した。彼なりのサービス精神なのだろう。
当然ドラゴンにシートベルトやセーフティバーはついていない。流音はその背にまたがり、ヴィヴィタの首元に着けた手綱を握りしめているだけだった。
悲鳴を出しつくし、流音の意識は飛んでいきそうだった。
「ルノン、大丈夫ですか?」
大丈夫なはずがない、と流音は心の中で答える。
後ろからユラの腕が流音を支えているが、彼の手心一つで落とされるのではないかという恐怖が流音の身をより固くしていた。
風が頬を切り裂くように撫で、地上の景色がものすごい速さで流れていく。
森を抜けて草原になり、やがて畑が見えた。そして町が姿を現す。
飛行時間はわずか三分程度。
それでも流音には気の遠くなるような時間だった。
町の入口に降りると、流音は服が汚れるのも構わず、その場に座り込む。
「すごい!? おいら、すごい!?」
「うん……」
ヴィヴィタがキラキラした瞳で尋ねてくる。
怒れない。
流音が青い顔で微笑むと、ヴィヴィタは手乗りサイズに戻って空中で三回転した。
「でも、帰りはゆっくり飛んでね。お願い……」
「分かった!」
この世界を構成する四つの大陸の一つ、ウェスミア大陸。
その大陸の半分はロッカ帝国とその従属国が、あとの半分を七つの王国からなるレジェンディア同盟が支配している。
流音がいるのは同盟国の一つ、モノリス王国だ。
古の女神との契約により、モノリス王家の血には特殊な魔力が宿ると言われている。そして王の優れた英知と秘術によりこの国を繁栄に導いてきた。
建国七百年の歴史を誇る王国である。
「しかし十年前にクーデターが起こり、王族の血は絶えてしまいました。今は王家の遠縁の一族が政治を取り仕切っています。噂ではその一族、ロッカ帝国の後ろ盾を得ているとか……」
「えっと……その陰謀、この町に何か関係あるの?」
難しそうな話に流音が眉をひそめると、ユラは薄く笑った。
「全く関係ないとは言えません。クーデター以降、税率が上がり、犯罪も増加傾向にあります。この辺りでも盗賊や悪徳商人が跋扈していますから」
「ばっこ……」
ユラは遠慮なく難解な言葉を使う。
流音は話の流れや文脈から、何となく意味を把握している。
流音はメテルという名前の町を歩いていた。
都と港を結ぶ街道に点在する町の一つで、小さくも大きくもない町だという。この世界の広さなんてさっぱりな流音には、何も伝わらない。
――でも、良かった……普通の町で。
二階建てくらいの高さの西洋風の建物が並んでいる。統一感があって綺麗な街並みだ。不衛生な感じはしない。
地面はちゃんと滑らかに舗装され、外灯が等間隔に設置されている。形は少し違うが、自転車や自動車が道路を走っていた。
文明レベルはそれなりに高いらしい。
町の人々の服装にもそこまで違和感はない。レトロなデザインだけど、現代日本人が着ても不自然ではなさそう。
反対に制服姿の流音を見ても、不思議がる人はいない。
道行く人々の視線は全て、ユラに注がれていた。
「闇巣食いだ」
「ちっ、疫病神が。さっさと遠くに行ってくれりゃいいものを」
「小さい子を連れてるわ。あの子も感染しているのかしら?」
ユラの進路から人が消える。
人々の顔には「近づきたくない」、「関わりたくない」と書いてあった。
――思った以上に嫌われてる……。
ユラは慣れているのか、気にした様子はない。隣を歩く流音は精神的にきつかった。
「ね、ねぇ……闇巣食いって何? 病気なの?」
「病気というよりは、体質ですね。今の段階では感染なんてしませんから、安心してください」
「そう……」
「周りが気になるなら、少し離れてもいいですよ。目的地はヴィヴィタも知っていますし、はぐれても大丈夫でしょう」
「うん! おいら、案内できる!」
一人と一匹はそう言ってくれたが、流音は歩調を変えなかった。
遠い記憶が甦る。
『あいつに触ると病気がうつるぞー』
『ちげぇよ。悪霊に祟られるだって!』
『流音ちゃんってズルいよね。水泳もマラソンもしなくていいんだもん』
『へぇー、ずっと休んでたのに百点だったの? ノート取ってあげてた私がバカみたーい』
小学四年生のとき、流音はいじめられていた。
幼稚な男子にはからかわれ、大人びた女子には妬まれた。
直接の暴力や嫌がらせではなく、言葉で攻撃されるタイプのいじめ。
流音は何も言い返せなかった。
男子はともかく、女子の気持ちは分からなくもない。
彼女たちが学校で面倒ごとに追われている間、自分は家で安静にしつつも、好きなように過ごしていたからだ。
そんなこと言われても困る、という気持ちはあったけど、反論する気も起きなかった。
一対大勢なら、大勢の言っていることが正しい。そう思っていた。
流音は耳を塞ぎ、言葉の嵐が過ぎるのを震えながら待った。
五年生になり、今度は反感を買わないように流音は息を殺して周囲の顔色を伺い、ひたすら目立たないように努めた。
おかげで嵐はぴたりと止んだ。
時間が経ってから、「言い返せばよかった」とムカムカしたものだ。
自分の力でどうにもできないことで、悪く言われるなんて理不尽極まりない。
とにかく、流音は悪口の類が嫌だった。
例え心の中でひどいことを思っていても、絶対に口にはしたくない。
もしも。
もしもユラが人々に嫌われる原因がその体質にあるのなら。
――わたしは、そんな理由で避けたりしないもん。
ユラのことは嫌いだけど、それはまた別の問題だ。
「…………」
ぴたりと隣を歩く流音を、ユラは不思議そうに見下ろしていた。が、さほど気にした様子もなく、目的地まで黙って歩いた。
「ここです」
「ここ、メテル町役場!」
周りより一際大きく、立派な建物だった。
「こんにちは。……ユランザ様、今日はどうされました」
受付の若い女性は、ユラを見ても顔をしかめたりしなかった。ビジネスライクながらにこやかな対応に、流音は他人事なのに一安心した。
「召喚した転空者を連れてきました。手続きをしてください」
「まぁ……成功されたんですか」
女性は流音を見て、目を見開いた。プロの表情が崩れ、わずかに好奇心が覗いている。
「では、こちらへどうぞ。各種手続きをいたします」
流音たちは個室に案内され、テーブルに着く。
女性がそのまま担当してくれるようだ。彼女はペルネと名乗った。
ペルネが出す書類に、ユラが万年筆でさらさらと記入していく。
異世界の言語で、当然何が書いてあるのか分からない。なぜか数字だけは流音にもなじみ深い算用数字、いわゆるアラビア数字である。
「ねぇ、なんの書類?」
「きみの存在を証明するものです」
「うん?」
ユラは手を止めずに説明した。
「きみが召喚魔術でこの国に来たこと、俺の所有物であること、奴隷ではないこと、税金や医療費などの請求が俺宛てになること、などなどを申請する書類です。これを提出しておかないときみは不法滞在の罪で牢屋行きです」
「えっ……」
さらにペルネが補足する。
「あなたがそうだとは申しませんが、転空者の中には頻繁にトラブルや事件を起こす方がいらっしゃいます。『この世界の法律を知らなかった』『身の危険を感じてやった』『魔力が急に暴走した』『どうせ夢なのだから何をしてもいいだろう』……理由は様々ですが、転空者が周りに被害を出したときに備え、その責任の所在をはっきりさせておく必要がありますの。犯罪抑止にもなりますわ」
つまり、流音が問題を起こしたとき言い訳できないようにするらしい。
「簡単に申し上げれば、ユランザ様が保護者となってあなたの監督責任を負う、ということです」
「保護者……そう言えば、ゆ、ユラは何歳?」
流音が初めて名前を呼んだのに、ユラは特に反応せずに答えた。
「言っていませんでしたか。十六です」
ユラが書類の一部を指差す。確かに十六と書いてあった。
見た目通りだったので驚かない。それよりも五つしか違わない未成年に保護者面されるのが心配だった。
「俺の分は書き終わりました。きみにも後でサインをしてもらいますが、その前に――」
「ええ。鑑定をいたしましょう」
ペルネが机の上に透き通った水晶玉を載せた。
「ルゥはどんな魔力? 楽しみ!」
ヴィヴィタの言葉に流音は首を傾げた。