78 黒と白
シークが自らの傷口を抉ったとき、流音の元から一枚のカードが飛び出し、眩い光が柱となって夜空を貫いた。
眩しさに思わず目を閉じると、不思議な声が聞こえた。
【ニーニャの信頼により〈剣〉の守護者は目覚めん】
流音は恐る恐る瞳を開ける。
光が萎んだ先、シークが驚いた顔をしていた。流音も同じく目を見開く。
禍々しい黒い大剣――魔剣アラクレが変貌していた。
黒と白が複雑に混じり合う神秘的な刃。思わず息を飲むほど冴え冴えとした佇まい。
そこにはもう古の闇の気配はなかった。
何が起こったのか流音にはよく分からなかった。
「すごいです。信じられません。古の魔物とルノンの魔法が融合しました」
ユラの呆然とした呟きにようやく頭が働き出した。
――アラクレと〈剣〉のカードが一つになったってこと?
信じられないが、目の前に確かに存在している。魔剣アラクレとカードの女騎士が持っていた剣が重なり、融合した一振りの剣が。
「はは、これはすごいねぇ。実際に体験すると感動的だ」
「シーク? シークなの?」
肯定の頷きが返ってきて流音の胸はいっぱいになった。
「良かった! どうなるかと思った!」
思わず顔を覆って叫ぶと、頭をぽんぽんと叩かれた。
血まみれぼろぼろの姿でも、キラキラな王子様スマイルは健在だった。眩しい。
「ごめんね、お嬢さん。心配かけて……あと一応ユラも?」
「きみの心配なんてしてないです」
ユラは顔をしかめて視線を逸らしたが、まつげが少しだけ震えていた。
二人の間に流れる空気がほんの少しだけ柔らかいものになったように流音は感じた。
「さて、さっさと引き上げようか。寒いし」
シークは建物の方を振り返り、黒白の剣を突き付けた。〈魔性の喚き〉の面々には驚愕と動揺が広がっていた。
「馬鹿な……今何が」
「魔剣が吸収された?」
「そんな、それほどまでの力が」
構成員たちがじろりと流音を見た。薫もまた、鋭い視線を向けてくる。
ユラとシークが庇うように前に立ってくれた。
「ふふ、あはは! すごいわ、ルノン!」
マジュルナが華やいだ声で笑う。その表情に焦りの色はなく、むしろ嬉々としていた。
「やっぱり私たち、お友達になるべきだと思う。ね、いいでしょう? その力も、その魔術師も剣士も、私にちょうだい」
またもや異質な魔力が広がる。人々を魅了し、服従させるマジュルナの恐ろしい魔法だ。
しかし。
目に見えない魔力の波動を粉砕するように、シークが剣を鋭く振り下ろした。銀色の風が放たれ、降り積もった雪が舞いあがる。
魔力の流れを断ち切られ、今度こそマジュルナの顔が強張った。
シークが肩をすくめる。
「美しくわがままなお姫様にお仕えできなくて残念だよ。僕は浮気させたことはあっても、したことはまだないんだよねぇ。騎士としても、今の主君は裏切れない」
ちらりとシークが流音を振り返った。
「そうです。ルノンは誰にも渡しません。俺もあなたたちに手を貸す気はないです。むしろ妨害させてもらいます。世界の破滅なんて断固阻止です」
ユラは顔に垂れた血を乱暴に拭い、マジュルナに対してきっぱりと宣言した。
「……そう。みんなして私をいじめるのね。私のこと、分かってくれないんだ」
しゅんと肩を落とすマジュルナに対し、薫が一歩前に出た。
「ルナ、もういいよな。こんな奴ら、要らないだろ?」
薫はバタフライナイフを手に、流音たちを睨みつけた。デューアンサラトも威嚇するかのように激しく翼をはためかせる。
「ええ。本当はこんな悲しいことはしたくないけど仕方ないわ。本当に残念」
マジュルナが白いため息を吐いた瞬間、デューアンサラトが口から黒い炎の塊を噴き出した。濃密な古の闇の魔力の塊だ。流音は「ひっ」と息を飲んだが、シークが剣で弾き飛ばした。
衝撃に吹き飛ばされそうになるのをユラが抱き留めてくれた。
そこから構成員たちが波状攻撃を仕掛けてきた。色とりどりの魔術の弾丸が飛んでくる。ほとんどの攻撃をキュリスに守ってもらい、デューアンサラトの一撃はシークが対応する。ユラは何かを仕掛けてきそうな薫と睨み合い、均衡状態に陥っていた。
「まずいですね」
いつの間にか三人は四方を〈魔性の喚き〉の構成員たちに囲まれていた。
「今度こそ諦めな。お前たちを殺せばアラクレだって取り戻せるはずだ。もう生かしてやるつもりはないけど、大人しくなるなら楽に殺してやるぜ、流音」
薫が冷たい微笑を浮かべる。
「ユラさ、あれだけ堂々と啖呵を切ったんだから、何とかしてよ」
「そっくりそのまま言葉を返します。十分くらい時間を稼いでくれるなら何とかしますけど」
「無茶言うな」
「先に言い出したのはシークです」
これ以上ないほどにピンチだった。
シークの剣は古の魔物に対抗できるようだが、デューアンサラトはまだ元の姿に戻っていない。つまり本気を出していない。
ユラも頭の怪我のせいで魔術の構築がいつもよりも上手くできないようだった。キュリスに治療してもらう時間もない。
さらに敵側にはメリッサブルとザーザンが控えている。未だに姿を見せないが、堕天使フェルンもいるはずだ。マジュルナ自身の力も未知のものだし、終始にやにやしているウロトも不気味だ。
流音は不安を押し殺して、周囲をきょろきょろと見渡した。
敵に隙はないだろうか、逃げ出す方法はないだろうか。
そのとき、視界の端を光が横切った。
――流れ星?
流音は夜空を仰いだ。
オレンジ色の光がものすごい速さで近づいてくる。
「ユラ! ルゥ! 見つけたっ!」
「ヴィーたん!?」
元のサイズのヴィヴィタが空を切り裂いて落ちてきた。いつもよりもずっと強い魔力の輝きを纏っている。それは火花となり、やがて電流のように弾けた。
「デュア! 迎え撃て!」
薫の声にデューアンサラトが空に向かって赤黒い炎を噴いた。
「おいら負けない! 究極奥義!」
ばちばちと全身に迸る電撃が、ヴィヴィタの咆哮とともに放たれた。
【めてお・らいとにんぐ!!】
二体の竜の衝突により、一瞬で視界が焼き切れた。立ち込めていた冷気も瞬く間に熱に変わり、爆発音、人々の叫び声、建物が崩れる音が鼓膜に突き刺さった。
混乱の中、体を引っ張られ、流音は宙に身を晒した。
「ぷっはぁー! おいらやってやった!」
「今のうちに退散しましょう」
流音はユラに抱えられ、気づけばヴィヴィタにまたがっていた。後ろにはシークもちゃっかり乗っている。
流音は地上を振り返った。
雪が解けて剥き出しになった大地にデューアンサラトが横たわっていた。薫がそばで介抱している。
「…………」
瓦礫の上に立つマジュルナと視線が交錯した。悲しみも憎しみもない、空虚な瞳に背筋に寒気が走った。
冷たい空気を頬に受けながら、流音たちは星の海を駆けた。追っ手の気配はなく、少しずつ体から緊張が解けていった。
「ありがとう、ヴィーたん。助けに来てくれて……」
ヴィヴィタのオレンジの体はところどころ傷ついていた。ドラゴンの鱗に傷がつくなんて本来あり得ないことだ。ヴィヴィタは捨て身で究極奥義を放ってくれたのだ。
「おいらすごい!? かっこいい!?」
「うん。とっても」
流音が首筋を撫でるとヴィヴィタは嬉しそうに鳴いた。
「きみは最高の使い魔です、ヴィヴィタ」
ユラの賛辞に浮かれたのか、ヴィヴィタが体を上下に揺する。傷だらけの一行は一斉に呻き声を漏らした。ヴィヴィタも「ぴぎゃっ」と変な声を出す。
「ちょっと、おチビちゃん。……高度が落ちてない?」
「んあ?」
シークの言葉通り、だんだんと星の海から遠ざかり、大地が近づいてくる。
「ヴィーたん!? どうしたの?」
「ごめん。魔力が尽きたー」
そのままふらふらとオレンジのドラゴンは林の中に不時着した。全員が雪の中に投げ出される。
「目の前がぐるぐるするー」
「やっば……僕もう限界……」
「雪が冷たくて気持ちいいです。眠たいです……」
ヴィヴィタが目を回し、シークが真っ青な顔で荒い呼吸を繰り返し、ユラが雪に顔を突っ込んだまま動かなくなった。
流音も魔力の大量消費で体が重かった。座り込んだまま、もう立ち上がれそうにない。
「ど、どうしよう……」
周囲を見渡す。
星の光の届かないほど深い林の中だった。注意深く周囲を探ると、ぐるる、と獣の息遣いが聞こえてくる気がした。魔物が近くにいるかもしれない。
キュリスを呼び出すべきだろうか。しかしこれ以上魔力を使ったら本当に動けなくなってしまう。何とかやり過ごす方法はないかおろおろと逡巡する。
「え?」
流音が迷っていると、ニーニャカードが明滅を始めた。その光に呼応するように林の暗闇からも二つの光が現れた。
「ルノンちゃん!」
「みんな無事か!?」
一瞬夢を見ているのかと思った。
スピカとアッシュが血相を変えて駆け寄ってくる。後ろからのっそりとレグも現れた。
「ど、どうして北の大陸に……?」
「お前らを探しに来たに決まってんだろ? 誰一人見捨てねぇってのが俺の基本政策だからな」
「お城からこっそり抜け出して、レグちゃんに乗って急いで飛んできたの。何かウチにもできることがあるんじゃないかって思って……良かったの。また会えて……」
アッシュは鷹揚に笑い、スピカも安堵の息を吐いた。ニーニャカードが二人を導くように光り、この場所まで誘ったらしい。このカードの不思議さにはもう驚かない。
スピカとアッシュが「もう大丈夫」と流音を支えた。
――わたし、本当に運がいい……こんな風にみんなに助けてもらえるなんて……。
ユラはもちろん、キュリスもシークもヴィヴィタもスピカもアッシュも、困ったときに手を差し伸べてくれる。とても心強い存在だった。
「ありがとう……本当に、ありがとう…………」
この世界で出会った友達の尊さを改めて感じる流音だった。
************
薫は傷ついたデューアンサラトに応急処置をし、ウロトに預けた。
本来の姿に戻った黒竜ならば、あんなドラゴンに競り負けるはずがなかった。この敗北は相手を舐めすぎていた薫のミスだ。
負傷者の救護と半壊した建物の修繕が夜通し行われることなり、薫も眠れない夜を過ごす。
流音たちが逃れた方角の空を睨み付けていると、自然と拳に力が入った。
じっとしていられず、また、様子が気になってマジュルナの私室を訪れた。やはり彼女も起きていて、クッションにギュッと顔を押し付けて床に座り込んでいた。
結界の中に戻ったおかげで体調は安定したようだが、珍しく心が乱れているようだった。
「ルナ、大丈夫か?」
誰かを気遣うなんていつ以来だろうか。記憶にない。いつも自分のことでいっぱいいっぱいだったからだ。
「カオル……来てくれたの? ありがとう」
「他の奴らは?」
「知らない。どうしよう。もしかしたらみんな、ルノンの力を見て……あの子の方がいいって思ったのかな?」
マジュルナの声は涙で塗れていた。
「何言ってるんだ。そんなはずないだろ」
「だって、私の力が通じなかったわ。私は女神の娘なのに……どうして思い通りにならないの? 私、また捨てられるの?」
「大丈夫、そんなことにはならない」
マジュルナのショックは相当なものだった。無理もない。
帝国の皇帝すら意のままに操ってきたのに、流音の仲間には洗脳が効かない。何よりあのカードの魔法は古の闇を浄化するどころか、融合して取り込んでしまった。もしかしたらこの先、デューアンサラトたちも奪われてしまうかもしれない。
マジュルナへの絶対的信仰心で成り立っていた組織の内部にも波紋が広がるだろう。
それからもぐずるマジュルナに対し、薫は辛抱強く励まし続けた。そのうち彼女はクッションから顔を上げ、薫にすがりついてきた。少し年上の少女は、今度は薫の腕の中で泣き始めた。
どんな時でも可憐な笑顔を絶やさない少女の涙は、薫の胸を打った。
魅了の魔法なんて必要ない。この子の為ならなんでもできる。
「あの子のせいだ……ルノンがこの世界にいるから上手くいかないんだわ」
「ああ、そうだな。ごめん。俺が甘かったよ。今度はもう容赦しない」
「本当? カオルはルノンよりも私を選んでくれる?」
「ああ、もちろん」
たとえ自分を含めた全ての人間が不幸になったとしても、マジュルナが微笑んでくれるならそれでいい。
痛々しいほど無垢で、自分に絶対的な自信を持っている彼女が好きだ。
――やっぱり、この世界に聖女は二人もいらない。
もう泣かせるだけではだめだ。流音には消えてもらう。
最も残酷な方法で壊すと決めた。
薫は小さく微笑む。純白の神子を抱きしめながら、どす黒い感情に身を焦がして。
第九章・完
次回の更新は数か月後の予定です。
申し訳ありません。
 




